再点火⑥
「さっ、寒すぎるよ」
奥歯をガタガタと鳴らしながらアリアが呻く。
「夜を越すのは、いつも生きた心地しないんだよな……」
アレクも震えながら同意する。
日が上って一時間ほど経ったころ、世界が少しずつ温もりを取り戻していた。
動けそうな気温になったところで、四人は出発の準備を始めている。
その二人に、ギルが無言でスープを差し出した。
それを受け取ったアリアはすぐに口をつける。
「ああ……染み渡る……」
「酒飲んだおっさんみたいだな」
「アレク、うるさい」
じとりと睨みつけるアリアを片目に、アレクは表情を引き締めた。
「さて、目的地まではもう少しだ。パメラさんたちが向かったのは外縁の遺跡だから、昼過ぎには着くぞ」
「頑張ろう!」
アリアが拳を突き上げる。
「頑張ろう」
「うむ」
トリスタンとギルも声を合わせた。
一同は暖かいスープを胃に流し込む。
手早く野営の後片付けをすると、岩の裂け目から出発した。
アレクはすぐに方向の確認を行う。
「こっちだ。昨日とは砂丘の大きさが少し変わってる。はぐれるなよ」
そう言うと、再び北へ向かって歩き出した。
「あっ、何か見えるよ!」
大きな砂丘を登ったところで、アリアが思わず声を出した。
その視線の先には、エルール近くの湿地帯にあったものと同じような意匠の建物群。
澄み切った空気のため、その輪郭をはっきりと確認することができた。
直線で構成されたその造形は、クルシュタでは見ないものだ。
半ば砂に沈むように、数十個もの構造物が佇んでいる。
「あれが……」
トリスタンは思わず声を上げる。
「そうだ、あれが北の遺跡。行こうぜ、もうすぐだ」
遺跡へ近づくにつれ、その大きさが明らかになった。
大小様々ではあるが、大きいものは幅百アルマ(約七十メートル)、高さ五十アルマ(約三十五メートル)。
見上げるような大きさに、アリアとトリスタンは思わず立ち止まってしまった。
「滅多にないが、守護者がたまに巡回してる。一応警戒しといてくれ」
「あ……ああ、わかった」
トリスタンはその言葉に我に返り、何とか言葉を返す。
「多分、あの白い建物。調査隊はあそこを目指していたはずだ」
アレクはこちらを振り返り、一つの建物を指差していた。
「こんな形で、来ることになるとは思ってなかったね」
アリアがトリスタンに話しかけてきた。
「そうだね」
二人は顔を見合わせ、肩をすくめた。
「次はちゃんと潜りに来ようね。アレクをもう一回働かせよう」
アリアはニヤリと笑う。
「ははは……でも、アレクは頼りになるね」
二人が内緒話をしていたその時、アレクが声を上げた。
「おい!入り口のところ、誰かいるぞ!」
トリスタンとアリアはすぐに前方に向き直る。
確かに、入り口から誰かが顔を覗かせていた。
女性だ。特徴的な紫色の髪が、風になびいている。
「あれは……パメラさん?」
その人物もこちらに気づいたようだ。こちらへ大きく手を振っている。
アレクもこれに応えて手を振る。
「行こうぜ。まず調査隊と合流だ」
「ごめんなさい、助けてもらえないかしら?」
遺跡に近づいた時、先に声をかけてきたのは女性だった。
トリスタンはそれに応える。
「パメラさん。大丈夫ですか?」
「スタン君!?久しぶりね」
女性は笑顔を見せた。
歳の頃は二十半ば、少し垂れた目は穏やかな印象を与える。
特徴的な紫色の髪は二つ結びにしていた。
「ええ、お久しぶりです」
トリスタンも笑顔を返す。
「スタン、知り合いだったのか?」
アレクが驚いたように声をかけてくる。
「うん。パメラさんも『書院』出身だからね」
「ふふふ。私とスタン君は落第生仲間なの」
トリスタンは落第生ではない。しかしそれを訂正する時ではなかった。
少し複雑な表情を浮かべ、トリスタンはパメラに尋ねる。
「調査隊の方は無事ですか?」
パメラは少し顔を歪めた。
「……半分はね。隊長さんと踏破師が罠でやられちゃって、帰ろうにも帰れなかったの」
「そうですか……あの、ハークスさんはご無事でしょうか?」
トリスタンはケイシーの父親の安否を確認する。
「ハークスさんは……足を折ってしまっているわ。すぐに命に関わるわけじゃないけど、帰還が難しいわね」
「足を……そうでしたか」
トリスタンは俯く。
「とにかく、俺たちはパメラさんと調査隊の救出に来ました」
「えっ、私たちを?」
「ええ。リゲルサクセも大変なんです……大侵攻が、始まりました」
その言葉にパメラの声は思わずうわずった。
「大侵攻が?……なるほど。私の力が必要というわけね?」
「ええ。そういうことです」
「……ハークスさんはどうするのかしら?」
置いていくの?とパメラは視線で尋ねてくる。
トリスタンは即答できなかった。何とか、言葉を絞り出す。
「……連れて返りたい、とは思います」
「わかったわ。とにかく、中で話しましょう。ここよりは寒さもマシだから」
***
「儂は反対だ。ここまでの道中を思い出せ。怪我人を担いで帰れると思うのか?」
ギルがきっぱりと意見を述べる。
トリスタンたち四人はパメラを交えて話し合いをしていた。その最中のことである。
パメラが伏し目がちに口を開いた。
「物資に余裕はあるの。何とかならないかしら?」
調査隊のメンバーは二人死亡している。その二人分の物資がまだ手つかずなことは、不幸中の幸いといえた。
「それを加味してもギリギリ足りるかどうかだな。その……俺としても、厳しいと思うぜ」
アレクが目を逸らしながら言う。
「私は……スタンの意見を尊重するよ」
アリアがトリスタンを見つめてそう言った。
他のメンバーも、トリスタンの言葉を待つ。
「俺は……俺は、連れて帰りたい。ギルさん、アレク、何とか、協力してもらえませんか?」
賛成は三、反対は二。数の上では賛成が多い。
だが、帰還の要となるのはギルとアレクだ。
トリスタンは深く頭を下げる。
頭を下げ続ける彼を見て、ギルは深いため息をついた。
「……スタン、一つ聞かせてくれ」
「はい」
トリスタンは頭を上げ、ギルをまっすぐに見つめた。
「その剣、銘を知っているか?」
願いの剣を指差し、尋ねる。
「これ、ですか?」
質問の意味が理解できず、首を傾げる。だが、トリスタンは素直に答えた。
「元々は無銘。ですが、今は願いの剣と」
ギルは目を見開いた。
「……そうか。アイツが託したのか」
誰にともなく、小さく呟く。
「うむ、わかった。おそらく、お前はどれだけ反対しても聞かんのだろう」
トリスタンの顔に光が差した。
「ギルさん!」
「ただし、条件がある。危険だと判断すれば儂の判断でハークスは置いていく。いいか、儂の判断だぞ」
念を押すギルの言葉の意味に気づいたのは、パメラだけだった。
人をひとり、見捨てるという重い判断。その責任を自らが引き受けると、ギルは暗に言っている。
「ありがとうございます。ギルさん」
パメラは深く頭を下げた。
「……連れて帰れると言っているわけではない。感謝は不要だ」
ギルは視線をそらし、言葉を吐く。
沈黙が数秒間、その場を支配する。それを切り裂いたのはアレクだった。
「怪我人を抱えて、今日中に岩山まで戻るのは無理だ。今日のところはここで一泊しようぜ」
その案に反対する者はいなかった。
パメラ曰く、遺跡の入り口付近の守護者は以前に排除されており、安全も確保されているそうだ。
「俺はハークスさんの様子を見てくるよ。野営の準備は任せていいかな?」
「わかった、行ってらっしゃい」
アリアに見送られ、トリスタンはハークスの元へと向かった。
「やあ、君たちが救助隊か。本当に、助かったよ」
ハークスは笑顔を見せる。その顔には、安堵が滲み出ていた。
「ええ。ケイシーちゃんの依頼で、来たんですよ」
トリスタンも笑顔を返す。
ハークスはトリスタンの言葉に目を丸くした。
「ああ、それは……娘にも妻にも、心配をかけてしまったね」
「ええ……無事に帰りましょう」
自分に言い聞かせるように、トリスタンは言葉を紡いだ。
遺跡の中は暗かったが、不思議と暖かかった。
その日、トリスタン一行は数日ぶりに寒さを忘れて眠ることができた。
***
「ふっ……ぐ……ぅ」
トリスタンは、ハークスを乗せた板を引っ張る。
砂はさらさらとしていたが、板の上に人を乗せると沈み込んでしまう。それを引っ張るというのは、想像の遥か上の重労働だった。
「これは……無理かな」
僅かに汗の滲んだ額を拭きながら、トリスタンが言葉を漏らす。
「無理か……では手で運ぶしかあるまい。手近な棒に毛布を巻き付けて担架を作ろう」
ギルは遺跡付近を見回す。
幸い、崩れ落ちた建材が代用できそうだった。
ギルはテキパキと担架を作りながら、トリスタンに指示を飛ばす。
「担架に乗せる前に寝袋に入れよう。体温が下がってしまう」
「わかりました」
「コリン、ハークスに定期的に話しかけろ。意識を保たせるんだ。あと、歩く儂らと違ってハークスは体温が上がらない。そこも注意してやってくれ」
「はい!」
コリンと呼ばれた男は元気よく返事をする。彼は生き残っているもう一人の調査隊員だ。
トリスタンとギルは担架を持ち上げる。
「行けそうか?」
アレクが二人に確認をする。
「うん。行こう」
担架を抱え、トリスタンは歩き出す。
数歩進んだところで、バランスを崩しかけた。
何とか踏みとどまるが、かなり気をつけて歩く必要がありそうだった。
「ゆっくりでいい。焦るな」
後ろのギルが話しかけてくる。
「はい……」
往路よりもさらに遅々とした歩みで、一行は歩き出した。
***
休憩を繰り返しながら数時間歩いたころ。
アレクは今までと同じように方向を確認していた。
ふと、西の地平線がぼやけていることに気づく。
この砂漠は空気が澄んでいるため、地平線はくっきりと見えているはずだった。
アレクの顔色が変わる。
「……っ!!まずい!ギルさん!砂嵐だ!」
西を指差し、ギルに事態を伝える。
「何だと!?くそ、近くに何もないぞ!」
珍しくギルが声を荒げる。
その様子に、トリスタンたちは事態の重さをようやく把握した。
「アレク!どうしたらいい?」
「待て!考える!」
アレクは目を閉じて数秒考え込んだ。
「時間がない!ギルさん、一番でかい毛布を!それを被ってやり過ごすしかない」
「わかった」
「全員固まってくれ。いいか、自分の体で毛布を抑えろ。飛ばされるなよ!」
ギルが荷物から毛布を引っ張り出した。
七人は押し合うように固まり、それを被る。
「布かなんかで顔を覆え、砂を吸い込むな!」
アレクの指示に従い各々が顔を覆う。
数分後、『それ』が来た。
轟音。
暴風。
叩きつけられる砂の音。
聴覚はその役目を失った。
嵐に乗った砂は、毛布の上からトリスタンたちを叩く。
衣服の上からでさえ、激痛が襲いくる。
さらに、吹き付ける風が容赦なく体温を奪っていく。手足の感覚が徐々になくなっていった。
どれほどそうしていたのだろうか。もはや時間感覚が曖昧になったころ、風の音が遠のいていった。
半ば砂に埋もれかけた一同は体を揺り、降り積もった砂を払い落とす。
「みんな、無事か?」
アレクが口を開く。
「生きてるよ……」
息も絶え絶えの声で、アリアが返事をした。
他の面々も、震えながら立ち上がった。
「ああ……くそっ。最悪だ」
アレクが毒づく。
日はすでに傾き、徐々に気温が下がりかけていた。
「岩山までは行けそうにない。ここで夜を越すしかないぞ」
こんなにも寒いというのに、アレクの頬には汗が流れていた。
「とにかく、火を熾そう。凍えちまう」
「パメラ、アリア。火を起こしておいてくれ。スタン、コリン。地面を掘って荷物を積むぞ。土嚢代わりにして少しでも風を防ぐ」
アレクとギルがテキパキと指示をする。
トリスタンたちは言われるままに準備を進める。
砂を掘る作業は終わりがない地獄のようだった。掘った端から崩れてしまう。
それでもなんとか拠点を作り、一夜を過ごす準備ができた。
「順番に見張りをしよう。絶対に火を絶やすなよ」
その夜。あまりの寒さに、誰ひとりまともに眠ることができなかった。
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