ベネディクト②
──翌日
トリスタンは革鎧を身につけると、銀色の籠手を手に取った。
そのまま左手に取り付ける。パチリ、パチリ、と留金を締めていく。
何度か手を握り、緩みがないか確認する。
ミスリル製の籠手は、まさに彼の「盾」だ。
問題ないことを確認するとマントを羽織り、声珠を首からかける。
短く切った黒髪に、強い意志を感じさせる青い瞳。
体格に恵まれているわけではない。だが、その動きに無駄はなかった。
トリスタン・ロッテンフィールド。それが彼の名前だ。
宿を出ると、冷たい朝の風がトリスタンを出迎えた。
外ではすでに、アリアが待っていた。
少し釣り気味だが、くりくりとした赤い瞳。それがトリスタンを捉える。彼女は軽く手を振った。
背中の半ばまで伸ばした艶やかな銀色の髪。
しなやかな躰は、軽装の革鎧に覆われている。
アリア・バレンシア。トリスタンの相棒である。
「準備できてるよ」
「うん。じゃあ行こうか」
そう言葉を交わした時、宿の中から声が聞こえた。
「おうスタン、アリア。気をつけてな」
現れたのは宿の主人、ラッセルだ。
熊のように大きな体。歴戦の傷が、顔に刻まれている。
元々冒険者だった彼は、その伝手を生かして冒険者の仕事も斡旋している。今回の仕事を紹介してくれたのも彼だった。
「なあ……二人とも。そのままエルールとか、王都に居着いても良いんだぞ?」
少し、気を使うように続ける。
それは、決して二人が疎ましいからという事ではない。
「『大侵攻』、ですか?」
トリスタンが尋ねる。
「……ああ、そろそろ百年だからな。今回もあるんじゃないかって話だ。お前らはまだ若いし、家がここにあるわけでもないだろ?だから──」
「おっちゃん。心配しすぎだよ」
ラッセルの言葉を遮るように、アリアが笑いながら答える。
「それに……これ外さなきゃ、逃げられるものも逃げられないよ」
アリア足首をチラリと見せた。そこには、不思議な紋章が刻まれた足枷が嵌っていた。
カチン、と金属音が響く。
アリアはそう言ったが、実際に街から離れられないわけではない。その足枷はただ、行動時間を制限するだけものだ。
ラッセルは肩をすくめて言う。
「いや、逃げられるだろ。お前、それつけてても誰よりも早えし」
「だーかーらー!北の遺跡でこれ外せる鍵か何か見つけたいの!これ重いし疲れるんだからね!」
アリアは口を尖らせた。
「まあ、前は罠踏んで酷い目にあったけどね」
「スタン、うるさい。次はちゃんと踏破師連れて行けばいいの」
ラッセルに向き直ってアリアは続ける。
「今回は南に行くけど、戻ってくるからね」
アリアの瞳には強い光が宿っている。
それを見たラッセルは諦めたようだった。大きな体を丸めて、ため息をつく。
「わかったわかった。また美味いもん作っといてやるよ」
「やた!約束だからね!」
トリスタンはラッセルにペコリと頭を下げる。アリアはブンブンと大きく手を振っていた。
二人は、宿を後にすると依頼人の家へと向かった。
白い息が、空へ消えていった。
北風が、二人のマントをはためかせていた。
***
城塞都市リゲルサクセは、およそ百年周期で魔王軍からの襲撃に晒されていた。
その大侵攻へ備えた疎開。その護衛が、今回の依頼内容である。
依頼人であるスミス一家の家は、宿からほど近い住宅街にある。
石畳を踏みしめ、二人は約束の場所へと向かった。
「おはようございます」
夫のシミオンとは宿で顔を合わせていたが、夫人と一人娘とは初対面だ。
二人が自己紹介をすると、夫人が口を開いた。
「夫から聞いてはいましたが、本当にお若いんですね」
夫人の反応はもっともだった。トリスタンとアリアは駆け出しと捉えられても仕方がない年齢である。
「アデラ、ラッセルからの紹介だ。そこは心配する必要ないさ」
夫人──アデラは、小さく息を吐いた。
「そうね。ごめんなさい。少し神経質になっているみたいで」
アデラの謝辞を受け、トリスタンはニコリと笑う。
「いえ、そう思われるのは仕方ありません。」
手を胸に当て、続ける。
「今は言葉を失っていますが、俺はこれでも『書院』に身を置いていました。その俺が、皆さんの安全を約束します」
まっすぐに、トリスタンはアデラを見つめた。
アデラは、彼が首から下げた声珠をチラリと見る。青い声珠がキラリと輝いた。
『書院』は、魔法使いの最高学府である。
魔法使いの多くは嘘を嫌う。トリスタンからも、その誠実さが伝わったようだった。
「ええ、改めてお願いしますね。ロッテンフィールドさん」
「長いでしょう?スタンでいいですよ」
「ふふ、わかりました。スタンさん」
アデラはニコリと笑う。彼女の不安は、影を潜めていた。
アデラは自らの影に隠れていた娘に声をかける。
「ほら、ニナ。お二人に挨拶」
ニナと呼ばれた少女は母の影から顔を覗かせた。
歳の頃は四歳くらいだろうか。柔らかそうな赤髪をおさげにした少女だ。
赤い瞳には、好奇心と警戒が入り混じっていた。
「よろしく……おねがいします!」
その姿はアリアの表情を一瞬で溶かした。
「か、可愛いいいっ。ニナちゃん、よろしくね!」
声のトーンが跳ねる。ニナを前にした彼女は、戦いの場では見せない柔らかい笑顔を浮かべていた。
「わあ、お姉さんの髪、綺麗だね!」
この辺りでは見ない銀色の髪を見て、ニナも思わず声を漏らす。
「ふふーん。ありがとね」
アリアはまんざらでもなさそうに、軽く髪をかき上げた。
顔合わせは上手く行ったようだった。五人は、荷馬車と共に南門へと向かった。
朝の街に、蹄の音が鳴り響く。向かう先は、南西。田舎町エルールだ。




