再点火②
トリスタンは、精彩を欠いた足取りでカークの肉屋へと向かっていた。
歩き慣れた道だが、その様相は変わりつつあった。
多くの家の窓には木板が打ち付けられている。井戸には衛士が張り付き、目を光らせていた。
街ゆく人々も、不安げに俯いていた。
『大侵攻』が近い。それを、切実に感じる風景だった。
どんよりとした雲がリゲルサクセを覆っている。夜には雨か、雪が降りそうだ。
「おう、スタン!帰ってきてたのか。久しぶりだな」
ハッとしてトリスタンは足を止める。
声を掛けてきたのはカークだ。知らず、店の前を素通りしかけていた。
自らの状態の悪さを改めて実感する。
だが、トリスタンは笑顔を取り繕うと、カークへと返事を返す。
「ええ、お久しぶりです。今日はリーザさんに頼まれて商品を受け取りに来ました」
懐から注文書を取り出すと、カークに手渡す。
カークはそれを確認すると、カウンターの中から包みをいくつか取り出した。
「これだな。今後は肉も手に入りにくくなるかもしれん。リーザさんに伝えておいてくれ」
「ええ。わかりました。ありがとうございます」
トリスタンは丁寧に一礼すると、踵を返した。
***
トリスタンは真っ直ぐに宿には帰らず、寄り道をすることにした。
行き先は鍛冶屋だ。ここ最近酷使した籠手の整備が、そろそろ終わっている頃だった。
店に入り、店内を見回す。様々な武器や防具、農具が所狭しと並べられていたが、人影は見当たらない。
店の奥から、金槌の金属音が聞こえてくる。留守ではなさそうだ。
店主が店頭にいないのはよくあることだ。トリスタンは奥へと続く扉に歩み寄ると、躊躇うことなく開いた。
扉の先は鍛冶場だ。寒冷のリゲルサクセでは考えられないほどの熱気がトリスタンを包んだ。
油、焦げた革、硫黄、それらが混じった独特の匂いが鼻をつく。
炉には火が入り、炎が赤い舌を覗かせている。
こちらに背を向けて、一人の老人が金槌を振り下ろしていた。
「……に、なれ……おま……守る……よ」
老人は何かを呟きながら作業を続けている。
トリスタンは彼の集中を乱さないように、しばらく黙って立っていた。
やがてひと段落ついたのか、老人が立ち上がる。振り返ったその体は汗でびっしょりと濡れていた。
「こんにちは、親父さん」
トリスタンは老人に声をかける。老人は少し驚いたようだったが、すぐに笑みを返した。
「なんだスタン。来てたなら声をかけろよ」
「邪魔するのも悪いと思いまして」
「おう。確かにな。怒鳴ってたかもしれん」
「ははは……」
トリスタンは苦笑する。
「籠手を取りに来たんだな。あそこに置いてるから持って帰ってくれ。俺はまた作業に戻るからよ」
老人が近くの台座を指差す。その先にはピカピカに磨かれた籠手が置いてあった。
「いい品だな、あの籠手は。触ってて楽しいぜ」
「ええ。ありがとうございます」
トリスタンは会釈をすると、疑問を一つ老人に投げかけた。
「あの……親父さん。さっき、鉄を打ってたとき、何を言ってたんですか?」
「……聞いてたのかよ」
老人は少し照れたように頭を掻く。
「あれだ。俺には魔法は使えないが、言葉には力があるんだろう?だから、祈ってたのさ。俺の打った武具が、少しでもこの街を守るように。『お前が、この街を守る力になれよ』ってな」
老人はニヤリと笑う。
「お前の籠手にも、たっぷりと祈っておいたからな」
「なら、この籠手は無敵ですね」
二人は笑い合う。
「じゃあ帰りな。俺の戦場は今、ここだ」
それだけ言うと老人は背を向ける。
トリスタンは無言で頭を下げると、店を後にした。
雑踏に紛れ、トリスタンは宿へと足を向ける。
心の中で独りごちた。
──何者でもなく、言霊も紡げない自分に、何が出来るのだろうか。
***
翌日、トリスタンが目を覚ましたのは昼前だった。
鍛冶屋から帰った後、すぐにベッドに入った。だが、自問自答を繰り返してしまい寝付くことができなかった。
いつの間にか意識を失っていたが、それでもかなり遅くまで起きていたはずだ。
髪についた寝癖も整えないまま、食堂へ向かう。
食堂の扉を開けたとき、すぐ目の前にアリアがいた。ちょうど自室に帰ろうとしていたようだ。
二人は驚いたように目を見開くと、数秒見つめあった。
トリスタンもアリアも、何かを言いたげに口を開く。だが結局、何も口にすることができなかった。
彼女はトリスタンから視線を逸らすと、逃げるように自室に戻ってしまった。
トリスタンは呼び止めるように手を伸ばすが、何も言うことはできなかった。
彼は俯く。だが、すぐに顔をあげると、食堂へ足を踏み入れた。
「よう、スタン。今日は遅いんだな」
声をかけてきたのは宿のマスター、ラッセルだ。
「あー……なんだ。とりあえず飯食うか?」
先程の二人のやり取りを見ていたのだろう。少し気まずそうにしていた。
「ええ……ありがとうございます」
「おう、ちょっと待ってな」
それだけ言うと、ラッセルは厨房へ引っ込んだ。
食堂には他の客はいない。だが、もう少し昼に近づけば混み出すだろう。
ガランとした店内の端っこで、トリスタンは一人静かに座っていた。
扉が開く音が静寂を破る。
入り口から姿を現したのは私服姿のオーウェンだった。
彼はトリスタンを見つけると、嬉しそうに声をかけてきた。
「スタン、帰ってきてたのか!」
「オーウェン!久しぶりだね」
トリスタンも笑みを返すと、手を振った。
オーウェンはトリスタンに歩み寄ると、その向かいの椅子に座った。
「もう数日遅かったらやばかったな。城門が閉鎖されちまってたぜ」
オーウェンは大げさに肩をすくめて見せた。
「うん、良かったよ。オーウェンは今日、非番?」
オーウェンは表情を引き締めた。
「ああ……最後の非番だ。明日から忙しくなる」
「そう……」
「あ!そうだスタン。アリア、どうなってるんだ?なんか狂犬みたいになってるぞ」
ここ数日、アリアの喧嘩で衛士が何度か呼ばれる事態になっている。
「やられてるのがナンパしてるような奴らだから、大ごとにはしてない。けど、ちょっと荒れすぎじゃないか」
「う……」
トリスタンは思わず視線を逸らす。
「何があった。喧嘩か?」
「喧嘩……じゃないと思う」
トリスタンは言いづらそうに身じろぎした。
「俺が、アリアを傷つけたんだ」
「どうしたんだ?詳しく──」
だが、その問いは突然の来客に遮られた。
扉が開き、親子が早足で姿を現した。
母親は三十を少しすぎた頃だろうか。その顔は少しやつれているように見える。
少女は七つになるかならないか、という年頃だ。泣き腫らした目は赤く充血している。
母親が店の奥に声をかけた。
「ラッセルさん、いらっしゃいますか?」
少しして、厨房からラッセルが顔を出す。
「キーラさん、どうした?」
「依頼を、お願いします」
ラッセルはその一言で察することがあったのだろう。複雑な表情を浮かべる。
「わかった。裏で話を聞くよ」
そう言うと、ラッセルはトリスタンに向き直った。
「スタン、悪いが飯はちょっと待っててくれ」
トリスタンは無言で頷く。
それを確認すると、ラッセルは応接室へとキーラを招いた。
キーラは少女に声をかける。
「ケイシー、母さんはお話があるから少しここで待っててくれる?」
「うん……」
ケイシーと呼ばれた少女は消沈した様子で頷く。
キーラはケイシーを軽く抱きしめ、背中を叩くと、応接室へと消えて行った。
ケイシーは所在なさげに周囲を見回すと、壁際にちょこんと座り込んだ。
その姿を見たオーウェンは、すぐに少女に話しかける。
「そんなところに座ったら、せっかくの服が汚れちゃうぜ」
姿勢を低くして、目線の高さを合わせるように話しかける。
「おじさんは、だれ?」
一瞬だけ、オーウェンは固まる。
「……『おにーさん』は、衛士だよ」
「冒険者じゃ、ないの?」
「そうだね。でも、あっちのお兄さんは冒険者だよ」
そう言ってオーウェンはトリスタンを指差す。
トリスタンは、無理やり笑顔を作ってそれに答えた。
ケイシーは立ち上がると、彼の元に駆け寄る。
「おにーさん!おとうさんを……おとうさんを助けて!」
その必死さに、トリスタンは気圧された。
「ケイシーちゃん、だったかな。どうしたの?」
「おとうさん。北の遺跡にいってから、帰ってこないの」
その言葉にトリスタンは表情を固くする。
彼の表情を敏感に感じ取ったのだろう。ケイシーの目に涙が滲み出した。
「……っく、う、う……」
ケイシーはそれをこらえ、トリスタンに尋ねた。
「ねぇ、おとうさん。帰ってくるよね?」
「それは……」
トリスタンは何も言えなかった。
遺跡の調査員は命懸けだ。護衛がいるとはいえ、魔物や、遺跡の防衛装置によって命を落とす者は少なくない。
さらに時期の問題があった。最悪の場合、魔王軍と鉢合わせしているかもしれない。
「ねぇ、お兄ちゃん。なんで、なんで教えてくれないの?」
ここで一言『きっと大丈夫だよ』と、そう言うだけで彼女をなぐさめることはできるかもしれない。
しかし、トリスタンには、そうできなかった。
嘘は言葉を軽くする。たったそれだけの教え。
それが、彼を縛っていた。
世界が、歪んでいるように見えた。
「スタン!ちょっとあっち行ってろ!」
オーウェンはトリスタンの肩を掴み言い放つ。
「ケイシーちゃん!お父さんは帰ってくるよ!最近ちょっと寒いから暖かくなるのを待ってるのさ!」
彼は少し芝居がかったような声でケイシーをなぐさめる。
「だから、もうちょっと待ってな」
「うん……」
ケイシーを宥めると、オーウェンはトリスタンへと向き直った。
ぐい、とトリスタンの腕を掴み、店の外へ彼を連れ出す。
裏路地へ入ると、オーウェンはトリスタンの襟首を掴んだ。
その顔には、明らかな怒りが見える。
「スタン!お前さあ!あの程度のことも言えないのかよ!?」
怒気を孕んだ声が響く。
「俺は……」
火が消えたような表情のトリスタンを見て、オーウェンは感じるものがあったようだった。
「スタン、何があった?何かおかしいぞ」
「……何も、ないよ」
俯くトリスタン。
その様子を見たオーウェンは、柔らかく話しかける。
「なぁ、スタン。自分の声は出ないかもしれないけどさ──それでも、お前は話ができるだろ?
だから、言葉にしてくれて良いんだぜ。聞くくらいならしてやれるからさ」
その言葉は、トリスタンの胸を打った。
溜め込んでいた気持ちが、目から雫となってこぼれ落ちる。
嗚咽も、慟哭も、その音をなさなかったが、それでもトリスタンは泣いていた。
トリスタンは腹に溜まっていたものを吐露した。
自分の正義が、作られたものであると言われたこと。
それを否定できなかったこと。
そして、アリアを傷つけてしまったこと。
オーウェンはただそれを、優しく聞いていた。
「そうか……辛かったな」
そう一言だけ呟くと、一瞬考え込み言葉を続ける。
「スタン。俺から言わせてもらうと、お前はそんなに変わってないと思うぜ。昔から曲がったことが嫌いだっただろ。お前はお前だよ。
ちょっと、進み方を間違えただけだ。」
「オーウェン……」
トリスタンが落ち着いたのを見計らい、オーウェンは『書院』の教えを誦じた。
「言の葉には力が宿る
そうあれかしと願い
そうあれかしと紡げば──」
トリスタンは、顔を伏せたまま、その言葉を引き継ぐ。
「その力は、いつか岩をも穿つ」
『書院』で何度も口にした言葉。それが改めて、トリスタンの胸を打つ。
灰色の世界に、蒼い火が小さく灯った。
オーウェンはニヤリと笑う。
「これだけは言っとく。俺もアリアも、勇者様と付き合ってるつもりはないぜ?」
「ありがとう、オーウェン」
「おう。多分、あの子の父親の捜索、依頼出るだろ。だからさ、スタン」
オーウェンは不敵に笑う。
「嘘がつけないならさ、嘘を本当にしてこいよ」
「……っ」
その言葉は、トリスタンの心を激しく揺さぶった。
再び溢れかけたものをぐっと堪える。
「もちろん。俺は、嘘をつかないよ」
今できる精一杯の笑みで、トリスタンは答えた。
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