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ベネディクト・ブレイブス〜声無き勇者と銀の少女〜  作者: 藤木 規史
第五話 プロジェクト・エンバーライト
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再炎計画⑥

目に見えて二人と男の距離は縮まっていった。

同時に、周りから人通りが少なくなっていく。三人は、郊外へと飛び出していた。

硫黄の匂いが遠ざかり、街の喧騒も離れていく。

辺りから人影がなくなった頃。男は立ち止まった。そのまま、肩で息をしつつ振り返る。

髭を生やした中年の男だ。教団のオリヴァー達が着ていたようなローブではなく、チュニックにズボンという普通の服装をしている。

「もう逃げ場はないわよ?」

男に向かって、アリアが冷たく言い放つ。

「セルシオさんですか?大人しく投降してください。手荒な真似は好みません」

トリスタンの言葉に、男は肩を震わせる。

抑えきれない笑いが、くつくつと喉を鳴らした。

「何笑ってんのよ?」

アリアは目を尖らせると男を問い詰める。

その鋭い声に動じることもなく、男は言葉を投げてよこした。

「書院を退学しても変わらないな?──トリスタン・ロッテンフィールド」

トリスタンは肩をピクリとさせた。同時に、足元から蟲が這い上がるような感覚に襲われる。

──こいつは、危険だ。

だが、その直感を、理性が制する。

男は楽しそうに続ける。

「やはり無抵抗の人間には刃を向けないか。教育の賜物だな」

「何を……言って……?」

「セルシオは偽名だ。私に見覚えはないかね?ああ、三年前は髭がなかったかな?」

トリスタンは男の顔を凝視する。

三年前、という言葉を呼び水に、『書院』時代の記憶が蘇る。

あまり関わりがなかった人物だが、朧げながらに覚えている。

「ネルソン……導師?」

「ふふふ、思い出してくれて嬉しいよ」

「何故……あなたがここに?」

その問いに答えず、ネルソンは話を続けた。

「『再炎計画』。その真の目的を知っているかな?」

トリスタンは答える。

「……再び火を灯すように、英雄リーゲルのような優秀な人物を輩出する。そう聞いてます」

「それは表向きだ。

……真の目的は、再び白炎を顕現させる計画だよ。トリスタン、君も白炎使いの血筋なのだろう?」

その言葉に、トリスタンは雷に打たれたような衝撃を受けた。

「なっ、どうして、それを……?」

「おや、図星かね?カマをかけただけなんだが」

「……っ!!」

トリスタンの頬を冷たい汗が伝う。

本能が告げている。これ以上話を聞くべきではない。だが同時に──知らなければ、進めないことがある気がする。

二つの意思の狭間で、トリスタンは動けずにいた。

「トリスタン、君はやはり素晴らしい成功例だ」

成功例、という言い方に、隣のアリアから怒気が漏れた。

しかし、トリスタンの動きを見極められず、アリアも逡巡していた。

そんな二人を見ながら、ネルソンは滔々と語り出す。

「『再炎計画』は、不本意ながらその思想を違えてしまった。白炎を再び生み出すのではなく、君の言ったように英雄を、勇者を作り出そうとしている。つまり──」

そこまで言ってネルソンはトリスタンを値踏みする様に見つめる。

「君のような……強く、正しく、清廉な存在をね」

「お、俺は……違います。俺は……」

「君がそう思いたくても、結果が証明していないかな?オリヴァーを私刑から救ったのは君の『英断』だろう?

他にもきっとあるはずだ。献身的な、君の行いはね?」

その言葉に、アリアはトリスタンと初めて出会った雨の日を思い出した。──消えてしまいそうな、彼を。

「スタン……」

アリアが気遣うようにトリスタンに声をかける。

そんな彼女を気にすることなく、ネルソンは言葉を重ねる。

「その歩みが、その積み重ねが。君の正しさを証明している」

──自分の判断は、決断は、作られたものなのだろうか。

そう自らを疑ったトリスタン。彼は足から力が抜けていくのを感じた。視界が揺らぐ。

「トリスタン。私の元に来たまえ。君は白炎を再現できるかもしれない存在だ。そうなれば、その声も──治せるかもしれない」

そう言って手を差し伸べるネルソン。

「さあ!」

トリスタンはすぐにその手を取ることはなかった。だが、自分が探し求めていたものが、その先にあるのかもしれない。


そう思った──その瞬間。


「ふっざけんなぁぁぁあ!!」

そう叫んだアリアが、ネルソンを蹴り飛ばした。

「がっ!?」

呻き声をあげて倒れ込むネルソン。

「ア、アリア!?」

思わずトリスタンはネルソンとアリアの間に立った。

──立って、しまった。

アリアは驚いたようにトリスタンを見つめると、叱られた子供のように呟いた。

「スタン……なんで、なんで?そんなやつを庇うの?」

その言葉にハッとしたトリスタンは、口を開く。

「アリア……違うんだ。これは、これは……」

──そう作られたから?

心中で誰かが囁く。


数秒の沈黙。


「帰る」

アリアは踵を返し、歩き出した。


トリスタンは呆然とアリアの背中を見つめていた。

「……ネルソン導師。俺はあなたとは行きません」

そこで一拍置き、告げる。

「リアナにはもう手を出さないでくれませんか?俺は、あなたと戦いたくない」

「……いいだろう、約束する。だが、私の元に来たくなったら言ってくれたまえ。『書院』で待とう」

トリスタンはそれだけ確認すると、アリアの後を追いかける。

「……さよなら」

振り向くことなく、トリスタンは歩き去った。


ネルソンは蹴られた部分をさすりつつ、少し残念そうに呟いた。

「振られてしまったか。

……約束した手前、リアナに手を出すのも危険だな。一度王都へ帰るか」

ネルソンは踵を返すと、二人とは逆方向に歩き出した。


***


トリスタンはアリアを追いかけてはいたものの、途中で見失ってしまっていた。

本気で逃げるアリアの背は、どこにも見当たらなかった。

焦燥と自責が胸を締め付ける。何よりも──自らの存在意義が揺らいでいた。

その場に崩れ落ちて、叫び出したい衝動を抑え込む。トリスタンはリアナの家へと向かった。

リアナとアレクへの報告、ロジャーの解放。この二つは投げ出すわけにはいかない。

そして──アリアもそこにいるかもしれない。その気持ちだけで、トリスタンは歩いていた。

重い足を引き摺るよう前に出す。日が傾き、トリスタンの影を長く伸ばしていた。

やがて、リアナの家に辿り着く。

扉をノックすると、アレクが顔を覗かせた。

トリスタンの表情を見て驚いた彼は、慌ててドアを開けた。すぐにトリスタンを迎え入れる。

「スタン……大丈夫か?」

トリスタンは、すぐに答えられなかった。

二人には心配をかけたくない。だが、大丈夫と答えるには無理があった。

代わりに、トリスタンは現状だけを告げる。

「リアナはもう大丈夫。心配しなくていいよ。」

その言葉に、リアナはほっとしたように微笑む。

「うん。スタン君、ありがとう」

しかし、すぐに表情を曇らせる。

「その……あのね。さっきアリアちゃんが来てたんだけど、すぐに帰っちゃった」

「……っ!アリアは、どこに行ったかわかる?」

「リゲルサクセに帰るって言ってたよ。彼女、いつもの感じじゃなかった」

リアナの言葉に、トリスタンは視線を落とした。

「なぁ、スタン。何があったんだ?二人ともおかしいぞ」

「うん……ごめん、ちょっと、ね。今は、話したくない、かな」

トリスタンは沈痛な面持ちで二人から視線を逸らした。

「そうか……散々助けてもらってなんだが、無理はしないでくれよ」

「ありがとう、アレク」

トリスタンは無理やり表情を整えると、ロジャーのいる方へ向かった。

猿轡を外し、ロープをほどく。

戒めを解かれたロジャーは立ち上がると、体をほぐすように動かした。

「ありがとよ」

ロジャーはトリスタンを見つめると、口を開いた。

「嬢ちゃんには振られたのか?

……まあ、なんだ。気を落とすなよ。っても無理か」

ロジャーは苦笑すると取り上げられていた装備を身につける。

「……なあ。俺も仕事無くなっちまったし、なんなら一緒に仕事しないか?」

意外な言葉にトリスタンは一瞬固まる。

しかし、困ったように微笑む。

「折角ですが、やめておきます」

「まあ、そうだよな。じゃあ、俺は消えるぜ」

ロジャーは歩き去りながら手を振る。振り返ることなく、扉の向こうに消えた。

「……俺も、宿に帰るよ。アリアがいるかもしれない。明日の朝、リゲルサクセに帰ろうと思う。」

トリスタンは二人に話しかける。

「リアナ、本当にありがとう。これは返すね」

そう言ってトリスタンはウェイドの手記をリアナに渡す。

「じゃあ……また」

手記を受け取り頷くリアナ。

「うん……」

「スタン。また、リゲルサクセで会おうぜ」

アレクは小さく手を振る。

トリスタンもそれに応えた。

「スタン君!」

出て行こうとしたトリスタンに、リアナが声をかける。

「私には声はない。けど、せめて願うよ。君の旅路に祝福を……」

「……うん。ありがとう」

トリスタンは扉を開くと、宿へと向かった。

陰鬱な足取りで、つるはし亭へと向かう。

すっかり日は落ち、闇の帷が落ちていた。

星あかりがあるのに、夜は……こんなにも暗かっただろうか。

やがて見えてきた宿の明かり。

トリスタンは扉を押し開けると、すぐに自室へと向かう。

つるはし亭にも、アリアの姿はなかった。

宿の亭主に話を聞くと、荷物をまとめて出ていったということだ。

すぐに宿を出ようとしたが、疲労のためか足が動かなかった。

アリアはリゲルサクセにいるはずだ。そう自分に言い聞かせ、トリスタンは食事を摂り休むことにした。

静かな食卓。先日と同じ鶏肉のシチューは、まるで味を失っていた。


***


レイナードはレティシアからの知らせを受け取っていた。

報告書に書かれた内容を注意深く読み込む。

その指が、羊皮紙に深く食い込んだ。

「これは、間違いないんだな?」

その瞳は鋭く光っていた。普段の彼からは想像がつかないほどに。

神妙に頷くレティシアの顔を見つめる。

ブルネットの髪が美しい女性だ。黒い瞳には、聡慧な光が宿っている。

「すぐ、部隊に指示を出します」

「頼む」

それだけ言うと、レティシアは部屋を後にした。

レイナードは不敵に笑うと、誰にともなく呟いた。

「来てみろ魔王。この街は、落とさせねぇよ」


大侵攻の、刻が来た。


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