再炎計画⑥
目に見えて二人と男の距離は縮まっていった。
同時に、周りから人通りが少なくなっていく。三人は、郊外へと飛び出していた。
硫黄の匂いが遠ざかり、街の喧騒も離れていく。
辺りから人影がなくなった頃。男は立ち止まった。そのまま、肩で息をしつつ振り返る。
髭を生やした中年の男だ。教団のオリヴァー達が着ていたようなローブではなく、チュニックにズボンという普通の服装をしている。
「もう逃げ場はないわよ?」
男に向かって、アリアが冷たく言い放つ。
「セルシオさんですか?大人しく投降してください。手荒な真似は好みません」
トリスタンの言葉に、男は肩を震わせる。
抑えきれない笑いが、くつくつと喉を鳴らした。
「何笑ってんのよ?」
アリアは目を尖らせると男を問い詰める。
その鋭い声に動じることもなく、男は言葉を投げてよこした。
「書院を退学しても変わらないな?──トリスタン・ロッテンフィールド」
トリスタンは肩をピクリとさせた。同時に、足元から蟲が這い上がるような感覚に襲われる。
──こいつは、危険だ。
だが、その直感を、理性が制する。
男は楽しそうに続ける。
「やはり無抵抗の人間には刃を向けないか。教育の賜物だな」
「何を……言って……?」
「セルシオは偽名だ。私に見覚えはないかね?ああ、三年前は髭がなかったかな?」
トリスタンは男の顔を凝視する。
三年前、という言葉を呼び水に、『書院』時代の記憶が蘇る。
あまり関わりがなかった人物だが、朧げながらに覚えている。
「ネルソン……導師?」
「ふふふ、思い出してくれて嬉しいよ」
「何故……あなたがここに?」
その問いに答えず、ネルソンは話を続けた。
「『再炎計画』。その真の目的を知っているかな?」
トリスタンは答える。
「……再び火を灯すように、英雄リーゲルのような優秀な人物を輩出する。そう聞いてます」
「それは表向きだ。
……真の目的は、再び白炎を顕現させる計画だよ。トリスタン、君も白炎使いの血筋なのだろう?」
その言葉に、トリスタンは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「なっ、どうして、それを……?」
「おや、図星かね?カマをかけただけなんだが」
「……っ!!」
トリスタンの頬を冷たい汗が伝う。
本能が告げている。これ以上話を聞くべきではない。だが同時に──知らなければ、進めないことがある気がする。
二つの意思の狭間で、トリスタンは動けずにいた。
「トリスタン、君はやはり素晴らしい成功例だ」
成功例、という言い方に、隣のアリアから怒気が漏れた。
しかし、トリスタンの動きを見極められず、アリアも逡巡していた。
そんな二人を見ながら、ネルソンは滔々と語り出す。
「『再炎計画』は、不本意ながらその思想を違えてしまった。白炎を再び生み出すのではなく、君の言ったように英雄を、勇者を作り出そうとしている。つまり──」
そこまで言ってネルソンはトリスタンを値踏みする様に見つめる。
「君のような……強く、正しく、清廉な存在をね」
「お、俺は……違います。俺は……」
「君がそう思いたくても、結果が証明していないかな?オリヴァーを私刑から救ったのは君の『英断』だろう?
他にもきっとあるはずだ。献身的な、君の行いはね?」
その言葉に、アリアはトリスタンと初めて出会った雨の日を思い出した。──消えてしまいそうな、彼を。
「スタン……」
アリアが気遣うようにトリスタンに声をかける。
そんな彼女を気にすることなく、ネルソンは言葉を重ねる。
「その歩みが、その積み重ねが。君の正しさを証明している」
──自分の判断は、決断は、作られたものなのだろうか。
そう自らを疑ったトリスタン。彼は足から力が抜けていくのを感じた。視界が揺らぐ。
「トリスタン。私の元に来たまえ。君は白炎を再現できるかもしれない存在だ。そうなれば、その声も──治せるかもしれない」
そう言って手を差し伸べるネルソン。
「さあ!」
トリスタンはすぐにその手を取ることはなかった。だが、自分が探し求めていたものが、その先にあるのかもしれない。
そう思った──その瞬間。
「ふっざけんなぁぁぁあ!!」
そう叫んだアリアが、ネルソンを蹴り飛ばした。
「がっ!?」
呻き声をあげて倒れ込むネルソン。
「ア、アリア!?」
思わずトリスタンはネルソンとアリアの間に立った。
──立って、しまった。
アリアは驚いたようにトリスタンを見つめると、叱られた子供のように呟いた。
「スタン……なんで、なんで?そんなやつを庇うの?」
その言葉にハッとしたトリスタンは、口を開く。
「アリア……違うんだ。これは、これは……」
──そう作られたから?
心中で誰かが囁く。
数秒の沈黙。
「帰る」
アリアは踵を返し、歩き出した。
トリスタンは呆然とアリアの背中を見つめていた。
「……ネルソン導師。俺はあなたとは行きません」
そこで一拍置き、告げる。
「リアナにはもう手を出さないでくれませんか?俺は、あなたと戦いたくない」
「……いいだろう、約束する。だが、私の元に来たくなったら言ってくれたまえ。『書院』で待とう」
トリスタンはそれだけ確認すると、アリアの後を追いかける。
「……さよなら」
振り向くことなく、トリスタンは歩き去った。
ネルソンは蹴られた部分をさすりつつ、少し残念そうに呟いた。
「振られてしまったか。
……約束した手前、リアナに手を出すのも危険だな。一度王都へ帰るか」
ネルソンは踵を返すと、二人とは逆方向に歩き出した。
***
トリスタンはアリアを追いかけてはいたものの、途中で見失ってしまっていた。
本気で逃げるアリアの背は、どこにも見当たらなかった。
焦燥と自責が胸を締め付ける。何よりも──自らの存在意義が揺らいでいた。
その場に崩れ落ちて、叫び出したい衝動を抑え込む。トリスタンはリアナの家へと向かった。
リアナとアレクへの報告、ロジャーの解放。この二つは投げ出すわけにはいかない。
そして──アリアもそこにいるかもしれない。その気持ちだけで、トリスタンは歩いていた。
重い足を引き摺るよう前に出す。日が傾き、トリスタンの影を長く伸ばしていた。
やがて、リアナの家に辿り着く。
扉をノックすると、アレクが顔を覗かせた。
トリスタンの表情を見て驚いた彼は、慌ててドアを開けた。すぐにトリスタンを迎え入れる。
「スタン……大丈夫か?」
トリスタンは、すぐに答えられなかった。
二人には心配をかけたくない。だが、大丈夫と答えるには無理があった。
代わりに、トリスタンは現状だけを告げる。
「リアナはもう大丈夫。心配しなくていいよ。」
その言葉に、リアナはほっとしたように微笑む。
「うん。スタン君、ありがとう」
しかし、すぐに表情を曇らせる。
「その……あのね。さっきアリアちゃんが来てたんだけど、すぐに帰っちゃった」
「……っ!アリアは、どこに行ったかわかる?」
「リゲルサクセに帰るって言ってたよ。彼女、いつもの感じじゃなかった」
リアナの言葉に、トリスタンは視線を落とした。
「なぁ、スタン。何があったんだ?二人ともおかしいぞ」
「うん……ごめん、ちょっと、ね。今は、話したくない、かな」
トリスタンは沈痛な面持ちで二人から視線を逸らした。
「そうか……散々助けてもらってなんだが、無理はしないでくれよ」
「ありがとう、アレク」
トリスタンは無理やり表情を整えると、ロジャーのいる方へ向かった。
猿轡を外し、ロープをほどく。
戒めを解かれたロジャーは立ち上がると、体をほぐすように動かした。
「ありがとよ」
ロジャーはトリスタンを見つめると、口を開いた。
「嬢ちゃんには振られたのか?
……まあ、なんだ。気を落とすなよ。っても無理か」
ロジャーは苦笑すると取り上げられていた装備を身につける。
「……なあ。俺も仕事無くなっちまったし、なんなら一緒に仕事しないか?」
意外な言葉にトリスタンは一瞬固まる。
しかし、困ったように微笑む。
「折角ですが、やめておきます」
「まあ、そうだよな。じゃあ、俺は消えるぜ」
ロジャーは歩き去りながら手を振る。振り返ることなく、扉の向こうに消えた。
「……俺も、宿に帰るよ。アリアがいるかもしれない。明日の朝、リゲルサクセに帰ろうと思う。」
トリスタンは二人に話しかける。
「リアナ、本当にありがとう。これは返すね」
そう言ってトリスタンはウェイドの手記をリアナに渡す。
「じゃあ……また」
手記を受け取り頷くリアナ。
「うん……」
「スタン。また、リゲルサクセで会おうぜ」
アレクは小さく手を振る。
トリスタンもそれに応えた。
「スタン君!」
出て行こうとしたトリスタンに、リアナが声をかける。
「私には声はない。けど、せめて願うよ。君の旅路に祝福を……」
「……うん。ありがとう」
トリスタンは扉を開くと、宿へと向かった。
陰鬱な足取りで、つるはし亭へと向かう。
すっかり日は落ち、闇の帷が落ちていた。
星あかりがあるのに、夜は……こんなにも暗かっただろうか。
やがて見えてきた宿の明かり。
トリスタンは扉を押し開けると、すぐに自室へと向かう。
つるはし亭にも、アリアの姿はなかった。
宿の亭主に話を聞くと、荷物をまとめて出ていったということだ。
すぐに宿を出ようとしたが、疲労のためか足が動かなかった。
アリアはリゲルサクセにいるはずだ。そう自分に言い聞かせ、トリスタンは食事を摂り休むことにした。
静かな食卓。先日と同じ鶏肉のシチューは、まるで味を失っていた。
***
レイナードはレティシアからの知らせを受け取っていた。
報告書に書かれた内容を注意深く読み込む。
その指が、羊皮紙に深く食い込んだ。
「これは、間違いないんだな?」
その瞳は鋭く光っていた。普段の彼からは想像がつかないほどに。
神妙に頷くレティシアの顔を見つめる。
ブルネットの髪が美しい女性だ。黒い瞳には、聡慧な光が宿っている。
「すぐ、部隊に指示を出します」
「頼む」
それだけ言うと、レティシアは部屋を後にした。
レイナードは不敵に笑うと、誰にともなく呟いた。
「来てみろ魔王。この街は、落とさせねぇよ」
大侵攻の、刻が来た。




