沈黙の血脈⑦
トリスタンはスピラーレを振りかぶった。
閉じた扉の隙間。僅かに覗く閂に、剣を振り下ろす。
持ち主の意を汲んだかのように剣は鋭さを増し、鉄の閂を両断した。乾いた金属音がこだまする。
そのまま扉を蹴破り、トリスタンは部屋へと踏み込んだ。
部屋の奥でふんぞり返るオリヴァーを睨め付ける。氷のように光る瞳。部屋に、冷気が流れ込んだ。
男のそばには半裸の少女が座り込んでいた。彼女は、トリスタンの形相と抜き身の剣を見て小さく悲鳴を上げる。
トリスタンは体を横にずらし、少女に出て行けと視線で命じる。少女は身を低くしながら彼の隣を駆け抜けていった。
「貴様っ!血迷ったか!」
オリヴァーは立ち上がり、足元の剣を拾う。
剣を抜きつつトリスタンへ駆け寄ると、それを振り下ろした。
トリスタンはそれを弾き返すと、剣を一閃させる。
「ぎゃあああああ!」
左の太ももを切り裂かれ、悲鳴を上げながら後ずさるオリヴァー。
「血っ……血が!」
剣を取り落とし、必死に回復魔法を使おうとする。
その拙く、遅々とした魔法構成。トリスタンはそれを視るや否や、そっと左手で口を覆った。
感じ取ったそれを、掴み取る。
世界が、呼吸を止めた
【改律・反転】
効果を捻じ曲げられた魔法は、傷を癒すどころか術者自身を傷つける凶器と化した。
メリメリ、と傷が裂ける音がする。
「あっ、あっ、あああああああ!」
情けない悲鳴を上げるオリヴァー。
トリスタンは距離を詰めると、彼の顔を蹴り上げた。
「黙れ」
尻餅をつき、足を投げ出して座り込むオリヴァー。蹴られた顔を抑える手の隙間からは、血が滴っていた。
「落とし前を付けろ。下衆」
トリスタンがゆっくりとスピラーレを振りかぶる。
「ひ、ひぃぃ、だしゅけで……」
歯が折れたのか、まともに喋ることもできないようだった。あまつさえ失禁し、股間を濡らす。
その様子を見て、トリスタンは怒りが急速に冷めていくのを感じた。
剣を下ろし、オリヴァーを冷静に見つめる。
「あ、ありがとうございま──」
感謝しようとする彼の右膝を踏み潰す。骨を砕いた感覚が生々しかった。
「あぎゃあああああ!」
「勘違いするな。アンタを裁くのは俺じゃない」
騒ぎを聞きつけたのだろう。いつの間にかトリスタンの後ろには、冷めた目で男を見つめる群衆の姿があった。
トリスタンの怒りに任せた暴力。それが逆に人々を落ち着かせたようだった。
オリヴァーは担ぎ上げられ、小突かれながらも地下の牢獄へと運ばれていった。
数日もすれば、連絡を受けた防衛隊がリゲルサクセから駆けつけるだろう。
視線を感じ、振り向く。
意識を取り戻したアリアが、おぼつかない足取りで近づいて来ていた。
「ねえスタン。今のって、わざと……?」
「どうかな……途中までは本気だった」
トリスタンは少し考え込む。
「けど、あそこで剣を振り下ろしても、アリアは喜ばないだろうなって思ってね」
「ふふっ、スタンも乙女心をわかってるじゃない」
弱々しい笑みだったが、その声は弾んでいるようだった。
「スタン……。お……落ち着いたか?」
恐る恐る声をかけてきたのはアレクだった。トリスタンのあまりの変わりように、戸惑いが隠せていない。
「あっ……。うん、ごめん。ちょっとやりすぎたかも」
蹴破られた扉、床に飛び散った血痕……トリスタンは感情のまま暴れた事を少し反省する。ここまで暴れた事は初めてだった。
──それでも。
それでも、あそこで怒れない自分は、想像できなかった。
「いや、気にすんな。泣きっ面のオリヴァーを見て、俺はスッキリしたぜ」
カラカラと笑うアレク。その姿は、トリスタンの心を軽くした。
「おっと、ここに来たのはもう一個用事があったんだ」
そう言うとアレクはオリヴァーの部屋を物色する。
「アレク、何してる?さすがにそれはまずくない?」
そう尋ねるトリスタンを手で制し、アレクは棚の一つから黄色い宝玉を取り出した。
「それは──?」
「これはリアナの声珠だよ。親父さんの形見だ。捨てられてなくてよかったぜ」
嬉しそうに言うアレク。トリスタンもつられて笑う。
「さて、じゃあここから出ようぜ。リアナに渡してやりたい。外で休んでるはずだ」
「わかった、行こう。アリア、歩ける?」
アリアにそう声をかけたトリスタンは、アリアを支えながら外へと向かった。
教会の外に出ると、暖かな陽射しがトリスタン達を出迎えた。
その日向に、リアナが居た。中年の女性と寄り添うようにして座り込んでいる。
中年の女性は茶色い髪に同じ色の瞳。目に見えてやつれている。目の色や髪色は違うが、どことなくリアナに似ている。間違いなく母親だろう。
「リアナ!ドリスさん!」
アレクは二人に呼びかけ、駆け寄る。
「見つかったぜ!」
そう言って声珠を掲げる。その姿は宝物を見せる子供のようだった。
疲れた顔をしていたリアナだったが、その言葉にぱっと顔が明るくなる。
アレクから黄色い声珠を受け取った瞬間、その目からは涙がポロポロとこぼれ落ちた。
それはきっと──嬉しい時の涙だと、トリスタンにはわかった。
声を出せず、涙だけを流すリアナをアレクとドリスが抱きしめる。
三人を見つめるトリスタンの袖を、アリアがキュッと掴んでいた。
「アリア、とりあえず情報を共有するよ。でも、一旦着替えて休もっか」
「うん。体洗いたいかな」
アリアははにかんだように笑うと、同意する。
「アレク、俺たちは一旦宿に行こうと思う。後で話せるかな?」
そう声をかけられたアレクはトリスタンへ顔を向ける。
「ああ、宿は決まってるのか?」
「いや、まだだよ」
「じゃあ、ここから北に少し行った所の『つるはし亭』に行ってくれ。飯がうまいんだ。昼飯でも食いながら話をしようぜ」
「わかった、ありがとう。じゃあ後で」
「あっ、スタン君!本当にありがとう。私もお昼同席するね」
リアナもトリスタンに声をかける。
トリスタンとアリアは三人に手を振ると宿へと歩き出した。
***
体を洗い、着替えたアリアは大分回復してきたようだった。青白かった顔色も回復し、弱々しさは感じない。
宿の食堂で飲み物を飲みながら、二人は向かい合って座っていた。
「迷惑かけたよね。ごめんね、スタン」
「いや、坑道に二人で入った俺の判断ミスだよ」
そう言ってお互いに謝ると、目を合わせて笑い合う。結果的に無事だったのだ、気にしないことにする。
「さっきの彼──アレクの手引きで脱出できてね。そこから聖女扱いされてた、リアナが信者を説得してくれたんだ」
「で、スタンが幹部をボコボコにしたんだね?」
「あはは、やりすぎたかな?」
トリスタンは肩をすくめると続ける。
「とりあえず、オリヴァー達のせいでリゲルサクセへの鉱石の納品が遅れてたみたい。そこは解決したと思うから、レイナードさんには手紙を送っておくよ」
「うん。ありがと」
「偽教団をどうするかはリゲルサクセの防衛隊に任せていいと思う。依頼は調査だったしね」
「そうだね。それでいいと思う」
二人は少し見つめ合う。
「じゃあこれで」
「依頼完了!」
お互いの拳をこつりとぶつけ、笑い合う。
「後はリーゲルさんに聞いた、スタンと同じように声が出なくなった人だけど……」
「それは、リアナの事かもしれないね」
「うん。それも話を聞いてみたいね」
そこまで話したところで、入り口が勢いよく開く。
「おーす!」
入ってきたのはアレクだった。その後ろにはリアナの姿が見えた。
彼らは食堂を見渡し、トリスタンを見つけると真っ直ぐに近づいてくる。
トリスタンとアリアは二人に手を振る。
「へへ、待たせたな」
そう言ってアレクは席に着く。リアナも軽く会釈をすると椅子に腰掛けた。
「おっちゃん!クリームシチュー頼むよ!」
食堂の奥へと声をかけるアレク。
それに釣られてアリアも声を上げた。
「美味しそう!私も!」
トリスタンとリアナも続く。
「俺もそうしようかな」
「あ、私も」
「ここのシチュー旨いんだぜ!安いしな」
そう言ってアレクは歯を見せる。
「いいね。楽しみだよ」
トリスタンも応えた。
「さて、改めて自己紹介するか。俺はアレク・デン。一応、『《《踏破師》》パスファインダー』だ」
「私はリアナ・グレイス。スタン君、改めてありがとうね。」
そう言ってリアナは申し訳なさそうな顔をする。
「母からもお礼したかったんだけど、あの後寝込んでしまって……」
トリスタンは微笑む。
「気にしないで、疲れていたんだろう?
俺はトリスタン・ロッテンフィールド。リゲルサクセの冒険者だよ」
ロッテンフィールドの名前を聞いたとき、リアナがピクリと反応したように見えた。
「私はアリア・バレンシア。トリスタンと同じ冒険者だよ」
「えっ、スタンとアリアはリゲルサクセに居るのか!」
驚いたようにアレクが口を挟む。
「俺も普段はリゲルサクセに居るんだ。リアナのことがあって帰ってきてたんだけどな」
「そうなんだ。もしかしたら、すれ違ってたりしたかもしれないね」
トリスタンとアリアも目を丸くしていた。
「また遺跡に潜ることがあれば声をかけてくれよ。スタンと一緒なら戦闘は平気そうだ」
「いや、流石に買い被りすぎたよ」
トリスタンは肩をすくめて答えた。
「謙遜すんなよ。俺が一緒した冒険者の中でも上位に入ると思うぜ。スタンの力がなかったら、ここまでスムーズに行ってない」
リアナもコクコクと頷いていた。
「いや、アレクの手引きもあったし、リアナも信者を説得してくれた。全員でやった結果だよ」
その言葉にアレクとリアナは頬を緩めた。
「そうだな。みんな頑張った!乾杯しようぜ、ミルクだけどな」
木製のジョッキを打ち合わせると、四人は笑い合った。
しばらくして亭主がシチューを運んできた。
ゴロリとした野菜、少し炙った白身の肉。クリーミーな匂いが食欲をそそる。
トリスタンはスプーンを手に取ると、それを一掬いして口へと運ぶ。
濃厚なクリームの香りと炙り肉の香ばしさ、そしてハーブの爽やかな香りが鼻腔を突き抜けた。
体がポカポカと温まり、疲れを溶かしていくようだ。
隣でアリアが呟く。声だけで幸せそうなことがわかった。
「おいしいー」
トリスタンはもう一口シチューを食べる。
「美味しいね」
「だろー?久しぶりに食べたかったんだよな」
我が事のように味を自慢するアレク。
リアナは無言だったが、次々とシチューを口に運んでいた。
あっという間に空になった器を前に、四人は満足げな表情を浮かべていた。
「久しぶりに旨いもん食ったなー」
「うん。美味しかった」
アレクとリアナが素直な感想を漏らす。
トリスタンとアリアも同意した。
「ふふー。満足満足」
「うん。アレクはいい店知ってるね」
「へへっ、この街のうまい店ならまだまだ知ってるぜ」
アレクは歯を見せて笑う。
「スタンとアリアはもうリゲルサクセに帰るのか?」
「いや、まだしばらく滞在するよ。依頼を受けていたのはついでで、確かめたいことがあるんだ」
そう答えたトリスタンは、リアナを見つめる。
「俺と同じように喋れない人がいる。そんな話を聞いて、関係があるかもしれないと思ってね」
リアナもまた、トリスタンを見つめ返した。
「うん。スタン君の予想は合ってると思う。
母さんに聞いたの。ロッテンフィールドは、父さんの妹さんが嫁いだ家。つまり、私たちは従兄妹みたい」
「えええ!本当に?!」
アリアが思わず声を上げた。アレクも驚いた表情を浮かべている。
リアナは真っ直ぐにトリスタンを見つめる。
「スタン君……私たちのルーツを知ると後戻りできない。それでもいいなら、私の家に招待するわ」
トリスタンは静かに頷く。周りの喧騒が、遠のいた気がした。
***
時は少し遡る。
「全く……帰ってきた途端にこれとは。オリヴァーにはあの程度も荷が重かったか」
教会の騒ぎを物陰から覗く二人の陰があった。
「やれやれ、また計画の練り直しが必要だな」
「で、どうするんだい大将?」
「まずはオリヴァーの口封じだな。ダグラスにやらせておけ」
「わかった。その後はどうする?一時退却か?」
「そうだな……いや待て。あの少年、トリスタン・ロッテンフィールドか」
大将と呼ばれた男は、教会から出てきたトリスタンを目に止める。
「大将、知り合いかい?」
「教え子のようなものだ。リアナ……トリスタン。まさかだが……」
大将と呼ばれた男は考え込む。
「ロジャー、あの少年が欲しい」
「なんだ大将、そっちのケがあるのか?」
「バカを言うな。リアナの代わりに使えるかもしれないと言う話だ。手足の何本かはなくてもいい。だが油断するな、書院の秘蔵っ子だ。手強いぞ」
「へぇ。なら、楽しませてもらうさ」
ロジャーと呼ばれた男は肩をすくめ、ニヤリと笑った。




