沈黙の血脈⑤
狭い牢獄の中、アリアは膝を抱え座り込んでいた。
先ほどまで暴れていたが、今では立ち上がる気力すら残っていない。
疲労と、恐怖。それらが静かに、だが確実に彼女を苛む。
「とうさん……かあさん……スタン……こわいよ」
アリアは閉所にトラウマを抱えている。
両親は傭兵だった。その二人に連れられて戦場に身を置いていたアリア。彼女は、戦闘の際に狭い箱に閉じ込められて隠されることもあった。
暗い。
狭い。
そして──
箱の外から聞こえてくる、誰かの叫び。怒号。断末魔。
それは、幼いアリアには、世界すべてが崩れる音のようだった。
冷たい石の壁。その圧迫感が、狂気の残響を呼び覚ます。
「スタン……たすけて……まってる」
震える声は、ただ暗闇に吸い込まれていった。
***
外の景色が見えないこの部屋では、時間の流れが曖昧だ。
焦燥が、心を締め付ける。
だが、リアナを信じ、トリスタンは待ち続けた。
──トントン、トン、トントントン
ノックの音が響いたのはその時だった。
トリスタンは表情を引き締める。
扉が開き、一人の少年が姿を現した。
歳の頃は、リアナやトリスタンと同じくらいだろうか。栗色の髪の毛を短く切りそろえた、精悍な顔つきをしている。
「待たせたな」
彼は小さくそういうと、トリスタンの拘束を解いた。
「俺はアレク。詳しくは落ち着いて話す。とにかく逃げよう」
トリスタンは頷く。
「声珠を回収してリアナと合流する。見張りが一人いるが──あんたは戦えるかい?」
トリスタンはニヤリと笑い。自らの胸をトントンと叩いた。
ちょうど、暴れたかったところだ。
採光窓から、わずかに差し込む月明かり。
暗闇に目が慣れるのを待ってから、二人は息を潜めて廊下を歩く。
曲がり角に差し掛かったところで、アレクが手でトリスタンを制した。
「この先だ」
そう囁くと、視線で合図をする。
トリスタンは壁に身を寄せ、角からそっと覗いた。
その先には蝋燭を持った見張りが一人。特に警戒した様子はない。
トリスタンは、上着のボタンを一つ静かに引きちぎると、見張りの背後に向かって投げる。
コツン……
音に反応した見張りがそちらへ視線を向け、背中を見せた刹那。
トリスタンは角から飛び出し、音もなく見張りに迫った。
男の首に腕を絡めると、力を込める。
見張りは抵抗する暇もなく締め落とされた。
手からこぼれ落ちた蝋燭を足で掻き消すと、振り返ってアレクに手招きをする。
あっという間に見張りを制圧したトリスタンを見て、アレクは目を丸くした。
「……おいおい。すごいなアンタ」
トリスタンは軽く肩をすくめて微笑む。
「この部屋だ。必要なものだけ持っていってくれ」
見張りが立っていたすぐそばの部屋をアレクが指さす。
「俺はこいつを縛り上げておく」
アレクがそう言うと、トリスタンは頷き、部屋に入った。
そこには、取り上げられた装備品が雑多に置かれている。
トリスタンは声珠を拾い上げ首から下げた。
次に願いの剣を拾い上げ、腰に差す。
払うものを見て、一瞬思考が停止する。だが、すぐに我に帰り、部屋を後にした。
「次はリアナと合流する。こっちだ」
再びアレクの後ろを静かに追う。
別の部屋の前でアレクが立ち止まると、ノックをした。
トントン、トン、トントントン。
しばらく待ってからアレクが扉を開ける。
「リアナ、来たぜ」
アレクとトリスタンは部屋へと入ると、扉を閉めた。
「オッケー。とりあえずここまでは順調だ。後は脱出だが……」
「何か問題が?」
言い淀むアレクにトリスタンが尋ねる。
「今日は外の見張りの位置が変わってた。タイミングが悪いと見つかっちまう」
「なるほど…」
トリスタンは少し考える。
「この壁の先は?」
「ん?路地だが、どうした?」
「少し下がってて」
そう言うと、トリスタンは願いの剣を抜いた。
壁に手を添える。案の定、薄い。さらに、建て増しを繰り返したせいで強度が低い。
この剣なら、切り裂ける。根拠はなかったが、確信があった。
切先を木壁に向け、しばし集中する。
刃が三度閃く。
木壁は抵抗を見せることもなく、三角形に切り抜かれて床へ落ちた。
冷たい空気が部屋に吹き込む。
ぽっかりと空いた出口から外を伺う。特に問題はなさそうだった。
トリスタンは振り返ると、二人に声をかける。
「行こう」
あまりの出来事に、二人は言葉を失ったまま固まった。
だが、次の瞬間には我に帰り、慌てて頷く。
「マジかよ……」
アレクが小さく呟く。
トリスタンは壁の穴を潜り、路地へと降り立った。
月明かりのおかげで、灯りは必要なさそうだ。トリスタンは二人が穴から出てくるのを確認すると、アレクに声をかけた。
「次はどうする?」
「とりあえず採掘ギルド前へ」
「わかった。道案内頼むよ」
「オーケイ、こっちだ」
そう言うとアレクは歩き出す。トリスタンとリアナはその後に続いた。
三人分の足音が、石畳に溶けていく。
「自己紹介がまだだったね。俺はトリスタン。アレクと、リアナで良いのかな?」
「ああ、俺はアレク。リアナの幼馴染で、今は踏破師だ」
アレクが振り返りつつ自己紹介する。
リアナは無言で頷いた。
「信者のふりをして潜入してたんだ。リアナを助けたかったんだが、なかなか機会がなくてな」
アレクは苦々しい顔で言う。
「なるほど。けど、まだ脱出しただけだ。人質を助けないとね」
「そう、逃げ出したことがバレれば人質が危ない」
その言葉に、リアナはピクリと体を震わせた。
トリスタンもまた、アリアを想い心が逸る。
「そうだね。何か考えが?」
「まず信者を味方につける。そのために、リアナが使える声珠が必要だったんだ。
信者の人達には、ギルド前に集まってもらってる」
「リアナから直接説得してもらうわけだね」
二人はリアナを見つめる。リアナは小さく頷いた。
「そうだ。その後、朝を待って押し入る。今は用心棒がいないみたいだからな。かなり好機だ」
「用心棒?」
「腕が立つのが二人いる。だが、どういうわけか幹部と一緒に出かけてるらしくてな」
「なら、確かに今がチャンスってことだね」
トリスタンとアレクは頷きあう。
「しかもトリスタンはかなり強いだろ?これはかなり追い風だぜ」
「スタンでいいよ」
「わかった。スタン、よろしく頼むぜ」
そう言って拳を突き出してくるアレク。
トリスタンはその拳に自分の拳を小さく打ち合わせると、微笑んだ。
その二人の拳にリアナもおずおずと拳を突き出してくる。
「へへ、いいパーティじゃないか。さて、リアナ、頼むぜ」
その言葉にトリスタンは頷き、声珠をリアナに渡した。
リアナは渡された声珠をギュッと握りしめると、首から下げる。
「ありがとう、スタン。お預かりするね」
トリスタンは親指を突き立てた。採掘ギルドはもう目の前だった。
採掘ギルドの前には四十人ほどの人が集まっていた。
坑夫が多いが、女性や老人も集まっているようだ。
その人だかりを見て、アレクが呟く。
「結構集まってくれてるな。ありがたい」
逆にリアナは緊張の度合いを高めているようだ。その顔は少し青白くなっている。
「だ、大丈夫かな……?」
アレクの作戦は、リアナが信者を説得できるかにかかっている。その重圧は計り知れない。
そんなリアナに、アレクが声をかける。
「リアナ、お前の思うことを言うだけでいいんだ。それだけで、きっとわかってくれる。
お袋さんを助けるためだ、ここは気張りどころだぜ」
アレクはリアナの肩に手を置き、励ました。
トリスタンは拳を突き上げ、応援の意図を伝える。
「ふふふ。ありがとう、スタン」
言葉を話さず、真顔でポーズをとるトリスタンが滑稽だったようだ。リアナは頬を緩める。
トリスタンは少し気恥ずかしくなり、目を逸らした。
「二人とも。私、頑張ってくるよ」
「おう、俺も一緒に行くぜ。スタンは見守っててくれよな」
その言葉にトリスタンは大きく頷く。
アレクとリアナは、人だかりの中心へ歩いて行った。




