沈黙の血脈④
十分ほど経ったころ、扉がノックされた。続けて、ニルスの声が聞こえてくる。
「開けますが、暴れないでくださいね。そうでなければ、お連れ様の無事は約束できませんよ?」
数秒あけて、扉が開かれる。
差し込んだ光に、トリスタンは目を細めた。
「ええと、トリスタンさんですね。ご案内したいところがあります」
ニルスの服装は変わっていた。身につけているのは、ギルドの前で見た男──オリヴァーと同じ系統のローブだ。
彼の後ろにも同じローブを身につけた男が三人、棍棒を持って控えていた。
一瞬の逡巡。だが、トリスタンは素直に従うことにした。とにかく、必要なのは情報だ。
この判断は間違っていないはずだ。頭ではわかっている。
だが──
「そう睨まないでください。こちらからのご提案を聞いていただきたいのです」
押し殺しているつもりの感情は隠しきれず、鋭い視線となって男たちを射抜いていた。
三人のうち一人が息を呑み、一歩後ろに下がる。だが、すぐに何もなかったように取り繕うと、進み出てトリスタンの両手を縛った。
「では……こちらへ」
それを見たニルスが満足そうに言うと、歩き出す。
トリスタンは彼の後に従う。その後ろには、ローブを着た男たちが続いていた。
トリスタンは、それとなく周囲を観察する。
部屋から出た先は廊下だ。幅は二アルマ(約一メートル四十センチ)程。右手には採光用の細長い窓、左手には扉が均等に並んでいる。
廊下の上の方に取り付けられた窓からは空しか見えず、ここが何階なのかはわからなかった。
少し歩いたところで、ニルスは左に曲がった。その先には、階下への石段がある。
冷たく、澱んだ空気が滞留している。おそらく、この先は地下だ。
ニルスは壁にかかっていた蝋燭を手に取ると、そのまま地下へと進む。トリスタンは小さく息を吸うと、その後を追った。
石造りの壁が蝋燭の光を反射する。
粘りつく空気をかき分けるように、トリスタンは地下へと進む。
降りた先は地下牢になっていた。所々に置かれた蝋燭が、頼りなくあたりを照らしている。
牢の一つに人影が見えた。膝を抱え、震えながら座り込んでいる。
それがアリアだと認識した時、トリスタンは思わず駆け寄ろうとした。
だが、後ろを歩く男たちに肩を掴まれ、動きを封じられる。
トリスタンは振り返り、男を睨みつけた。
肩を掴む男は薄ら笑いを浮かべていた。
その騒ぎに気づいたアリアがトリスタンの方を見た。
その瞳に僅かながら安堵が浮かぶ。立ち上がると、鉄格子を握りしめた。
「スタン!」
震える声。それでも必死に絞り出したものだった。
トリスタンはアリアを見つめ返す。言葉をかけられない自分がもどかしかった。
せめて、アリアに向かって精一杯の笑顔を浮かべる。少しでも、彼女の不安が和らぐように。
「ご覧いただいた通り、お連れ様はご無事ですよ。──今のところはね」
ニルスが言う。その顔には、笑みが張り付いていた。
ギリ……と、手を縛るロープが軋む。
「場所を変えましょう。司教があなたにお会いになります」
ひとしきりトリスタンの反応を見ると、ニルスは言う。
トリスタンは震えるアリアをチラリと確認する。再びニルスへと視線を戻すと、頷いた。
「ご理解いただけて何よりです。ではご案内いたしましょう」
連れて行かれた先は礼拝所だった。
三十人も収容すれば席は埋まってしまうような広さで、そう大きいものではない。
一番奥の壁には、炎を背景にハンマーとツルハシが交差する紋章が掲げられていた。
リゲルサクセにあるリーゲル神殿のシンボルとは似ても似つかないものである。
それを見てトリスタンは苦々しい顔をした。
「ふふ。ようこそ、我が教会へ」
そんなトリスタンに声をかける男──オリヴァーが、祭壇に立っていた。歓迎するかのように両手を広げている。
トリスタンは目を鋭く光らせて視線だけで答える。
その怒りを意に返すことなく、オリヴァーは続ける。
「トリスタン。君を我が教団へ迎え入れたいと考えている」
祭壇から降りオリヴァーは、トリスタンへ近づく。ギルドの前で見た時と同じように大袈裟な身振りで告げる。
「リアナ様を見ただろう?彼女は君と同じく言葉を発することができない。それは神からの祝福なのだ。君も、彼女と同じように聖人として教団で働いてほしい」
その言葉は、トリスタンの自制心に亀裂を入れた。
彼を苦しめ、苛む呪い。それを祝福だというその言葉は、例えリーゲル本人に言われたとしても認める気にはならなかった。
ただ体を動かす激情のまま、トリスタンはオリヴァーへ駆け出そうとした。両手が縛られているなら足で、それが無理なら噛みついてでも。
だが、それを制すかのように後ろの男たちがトリスタンを押さえ付ける。
膝裏を蹴られ、無理やり跪かされた。
激しい感情が腹を掻き回す。どれだけ口を開いても叫び声は出なかった。
「ふむ。『聖人』様は今、お話しできる状態ではなさそうだ。また明日、落ち着いたら再びお話しさせていただこう」
そう言ってオリヴァーはトリスタンを押さえつえる男たちに命令する。
「丁重にお連れしろ」
抵抗虚しく、トリスタンは元いた部屋へと戻された。
***
トリスタンが連行された後、礼拝所にはオリヴァーとニルスだけが残っていた。
オリヴァーが、ニルスに声をかける。
「ご苦労だった。また明日、ここまで彼を連れて来てくれたまえ」
「わかりました」
「それと、閉じ込めている銀髪の少女はどうかね?」
「はい、閉じ込めてからは震えていたり、出せと叫びながら暴れたりしています」
「そうか。大人しくなったら私の部屋へ。私自ら指導を行おう」
舌で唇を湿らせながら、オリヴァーは笑った。
その仕草には、隠す気すらない邪心が滲んでいた。
***
トリスタンは部屋に放り込まれるように押し込まれた。
手のみならず足を縛られ、さらに舌を噛まぬよう猿轡まで噛まされていた。
自らの無力さが胸を抉る。込み上げる感情が目から溢れ出しそうだった。だが、それを歯を食いしばって押し殺す。
恥ずかしいからではない。この怒りを零すことなく、留めておきたかった。全てを、あの男にぶつけるために。
大きく息を吸い込み、吐き出す。
深呼吸を繰り返し、最低限の自制心を取り戻す。
心は熱く、頭は冷静に。それは魔法使いの鉄則だ。怒りのまま紡いだ言葉は、形をなさない。
足音が聞こえたのは、その時だった。この部屋へと近づいてくる。
トリスタンは体を捻り、扉を注視する。
扉を開け、姿を現したのはリアナだった。
想定外の来客に、トリスタンは困惑する。
それを見たリアナは小さく笑いかけてきた。
リアナは音もなく部屋に入ると、懐から小さな袋を取り出した。
それを逆さにすると、砂がさらさらと床に広がった。
戸惑うトリスタンをよそに、リアナはその前にしゃがみ込む。
『読める?』
指先で、砂に文字を描くリアナ。
トリスタンは小さく頷いた。
リアナもまた頷くと、続ける。
『私を信じて?』
トリスタンは彼女を見つめ、少し考え込む。
だが、彼女の瞳に嘘は感じられなかった。
何よりも、彼女がこんなことをする理由がないように思える。
おそらくは唯一──トリスタンたちに手を差し伸べてくれる存在だ。
リアナは感謝するように手を合わせる。
『ここから出る
信者たちに全部話す
貴方の声珠が必要
どこにあるかは知ってる』
トリスタンは目を見開いた。それは逆転の一手になりうる。
リアナは震える指先で続ける。
『母が人質
助けたい』
その一文に、トリスタンの心は再び熱くなる。
怒気が漏れ出しそうになるのを耐え、大きく頷いた。
リアナもそれを見て、嬉しそうに微笑む。
『夜に脱出
私の友人が手引き
合図はこう』
そこまで書いて、リアナは床をノックした。
トントン、トン、トントントン。
トリスタンが頷くと、リアナは砂を掬い上げて袋に戻した。
トリスタンを力強く見つめる。しかしその肩は少し震えているように感じられた。
踵を返すと、入って来た時と同じように音もなく部屋を去っていった。
閂の閉まる音がする。
トリスタンは静かに目を閉じると、その時を待った。




