第8話:自爆するライバル
焦りと憎悪で正気を失った馬場局長。泥川電鉄を資金力でねじ伏せるため、官営鉄道の全財産を突貫工事の遊園地へと注ぎ込む、破滅へのカウントダウンが始まった。
「馬、馬場局長ぉぉぉーーーッッ!! 大変です!
またしても、またしても泥川電鉄の黒田が、我が社の想像を絶するおぞましい計画を実行いたしました! 泥川電鉄の奴ら、ただの寂れたローカル線の線路とその沿線全体を丸ごと呑み込んで、ひとつの巨大な『テーマパーク(遊園地)』へと変貌させております!!」
官営鉄道の局長室。高級な絨毯が敷き詰められたその部屋に、悲鳴のような大声を上げながら部下が飛び込んできた。
その手には、泥川電鉄の沿線マップがデカデカと印刷された、楽しげな観光パンフレットが握られている。
「ぬ、ぬがああああああああッッ!!! おのれ、おのれ黒田ぁぁぁーーーッッ!!!」
官営鉄道のトップである馬場局長は、机の上に綺麗に整頓されていた重要書類や、高価な万年筆、インク瓶を、狂ったように両手で激しくぶちまけて暴れていた。
ガシャーンとインクが床に飛び散り、時価数百円のペルシャ絨毯がまたしても黒く汚れていくが、今の馬場にはそんなことを気にする余裕など微塵もなかった。
「許さん……! 断じて許さんぞ黒田ぁぁぁ! 我が栄光ある官営鉄道の、国家の威信をかけた圧倒的な資金力を舐めるなよ!
泥川の肥溜め路線の分際で、この私を二度も三度もコケにしおってからにぃぃぃッ!」
焦りと憎悪、そして度重なる敗北によるプライドの崩壊によって、馬場局長は完全に正気を失っていた。
その目は血走り、髪の毛は振り乱れ、かつての冷徹なエリート官僚の面影はどこにもない。彼は、部屋の隅でガタガタと震えている部下たちの静止の声を完全に振り切り、あまりにも無謀で恐ろしい命令を、ドスの効いた声で下した。
「泥川電鉄の真似だ! 真似をすればいいのだ! 我が官営鉄道の誇る大幹線の沿線にも、すぐに泥川の百倍、いや一万倍の規模を持つ、東洋一の巨大な遊園地と、世界一の超豪華な大温泉施設を建設しろ!
土地の買収? そんなものは力ずくで行え! 予算などいくら使っても構わん!
泥川電鉄のような弱小ローカル私鉄、我が社の圧倒的な国家予算の力、資金の力だけで完膚なきまでにねじ伏せて、圧殺してくれるわ!!」
「で、ですが局長! お言葉ですが、それはあまりにも無茶です!」
ベテランの財務担当の部下が、青ざめた顔で必死に前に進み出た。
「急にそんな何十万人も動員するような巨大施設をいくつも同時に作れば、我が社の資金繰りは一瞬で破綻いたします!
それに、我が社の沿線は主に工業地帯や山間部を抜ける高速移動のための路線です。泥川電鉄のように、地元の方々と協力してのんびり楽しむような土地柄ではございません!
急な工事は、我が社の基幹事業である貨物輸送のダイヤすら乱すことになります!」
「黙れ黙れ黙れぇいッ! 局長である私に口答えをするな!」
馬場は机をドンドンと拳で叩きつけ、唾を飛ばして怒鳴り散らした。
「黒田に勝つため、泥川電鉄を破滅させるためなら、我が官営鉄道の全財産を投じても、国庫の金を使い果たしてもかまわん!!
突貫工事だ! 昼夜を問わず人員を投入し、一ヶ月、いや一週間で完成させろ! できないと言う者は全員即座にクビだ!!」
……しかし、独裁者となった馬場局長による、この無理に無理を重ねた突突突貫工事と、市場調査を全く無視した巨額の乱投資は、官営鉄道の経営を急速に、そして致命的に圧迫していくこととなった。
馬場が無理やり集めた建設作業員たちは、連日の過酷な徹夜労働によって疲れ果て、現場の士気は最悪だった。
そうして突貫で作られた官営鉄道の巨大遊園地は、コンクリートの壁が剥き出しのまま、形だけを取り繕った非常に雑で魅力のない施設となってしまった。
メリーゴーランドはただ無機質に回るだけで温かみがなく、入場料は泥川電鉄の何十倍もするほど高額に設定された。
温泉施設に至っては、強引な掘削によって地元の水脈を破壊してしまい、お湯がほとんど出ないという致命的なトラブルまで発生する始末だった。
当然、そんな付け焼き刃の施設に魅力を感じる客などいるはずもなかった。
都心の住民たちは、官営鉄道の冷たい巨大施設よりも、泥川電鉄の少女たちが笑顔で迎えてくれる、温かみのある沿線テーマパークを選んだ。
「官営鉄道の遊園地? 行ってみたけど、係員の態度も冷たいし、なんだか監獄みたいでちっとも楽しくなかったわ」
「やっぱり泥川電鉄のお寺の食べ歩きのほうが、安くて美味しくて最高よね」
利用客は連日激減し、官営鉄道の巨大施設はあっという間に閑古鳥が鳴くゴーストタウンと化した。
巨額の建設費の回収すら全くできず、官営鉄道は会社の歴史上、かつてないほどの壊滅的な赤字を出すことになったのである。
銀行からの信用は失墜し、官営鉄道の経営は文字通り火の車となった。
その頃。
そんなライバルの大自爆劇など、これっぽっちも知らない泥川電鉄の「沿線テーマパーク」は、今日も大盛況の極みにあった。
地元の農家さんたちが自慢の腕を振るった、もぎたてのイチゴやミカンは飛ぶように売れ、商店街のおばちゃんたちが焼く香ばしいお団子は、夕方を待たずに毎日完売。
温泉街の旅館は数ヶ月先まで予約でいっぱいで、地域全体がこれまでにない好景気に沸き立っていた。
「黒田様! 官営鉄道の馬場局長が仕掛けてきた乱投資ビジネスですが、我が泥川電鉄の『コミュニティ密着型おもてなし経営』の前に完全敗北いたしました!
あちらは回収不能な巨額の負債を抱え、今や会社全体の存続の危機に瀕しているとのことであります!」
霧島が、今や自分の仕事となった沿線の売上報告書を何枚も抱えながら、誇らしげに胸を張って報告してきた。
「え? 官営鉄道さんが新しい遊園地を作って、勝手に経営難になっちゃったのかい?」
私は、ぽかぽかと陽当たりの良い泥川駅前の木製ベンチに腰掛け、のんびりと地元の名物であるみたらし団子を頬張りながら、不思議そうに首を傾げた。
「馬場局長、そんなに急いで大きなおもちゃ箱をいくつも作ろうとするから、お腹でも壊しちゃったのかなぁ。
鉄道っていうのはさ、早く走るだけじゃなくて、乗っている人も、待っている人も、みんながのんびり笑顔になれるように、一歩ずつ進むのが一番だと思うんだけどねぇ。
千代ちゃん、このお団子、タレが甘辛くてとっても美味しいよ。はい、あーん」
「もう、宗次さんは相変わらずのんきですねぇ!
もぐもぐ……あ、本当に対っっ当に美味しいですわ、このお団子!」
千代ちゃんは私の隣で、頬を団子で膨らませながら嬉しそうに笑った。
「でも、これでひと安心です。
官営鉄道さんも、これに懲りたらもううちに変な嫌がらせはしてこないでしょうし、泥川の街はこれからも平和に発展していけますね!」
「そうだねぇ。
みんなが楽しんでくれて、地元の農家さんも温泉街の人たちも喜んでくれている。
これが一番の幸せだよ。
さあ、霧島くんもそんなに難しい顔をしていないで、一緒にこの美味しいお団子を食べようじゃないか。お茶も新茶が入ったばかりだから、とっても美味しいよ」
「はっ! ありがたく頂戴いたします、黒田様!」
霧島はうやうやしくお団子を受け取り、一口食べると、またしても心の中で涙を流していた。
(何ということだ……!
官営鉄道の馬場は、何百万円という巨費を投じて、力で泥川電鉄を圧殺しようとした。しかし黒田様は、ただの一次元的な対抗措置を一切取らず、
ただ『地元の皆さんと美味しいお団子を食べる』という、究極の無為自然の境地によって、敵を自滅へと導いたのだ……!
敵の攻撃の勢いをそのまま利用して、敵自身の重みで倒れさせる……これぞ古の兵法に言う『柔能く剛を制す』の体現!
どこまで深く、どこまで恐ろしいお方なのだ、黒田宗次様という男は……っ!!)
私がただ「お団子が美味しいねぇ」と笑っている横で、霧島は一人で私の「悪魔的軍師ぶり」に深い感銘を受け、ノートにその教訓をガリガリと書き留めていた。
しかし、千代ちゃんの「これで平和になる」という予測は、少しだけ甘かった。
経営破綻の危機に瀕し、文字通り後がなくなった馬場局長は、このまま大人しく引き下がるような男ではなかったのだ。
彼は自らの失脚を防ぐため、そして泥川電鉄への歪んだ復讐を果たすため、ついに禁断の「最後の切り札」に手を伸ばすことになる。
それは、一民間鉄道会社の手には負えない、国家の最高権力である「政界」の力を動かすという、極めて卑劣で、そして泥川電鉄にとって最大の危機となる策略だった。
そんな嵐の前触れなど露知らず、私は今日も「明日はお寺の参道に、新しいお芋スイーツの露店でも呼ぼうかなぁ」などと、のんきに次の楽しい計画を練りながら、
秋の爽やかな風が吹き抜ける泥川駅のホームを、穏やかな笑顔で見つめているのだった。
無理な乱投資で自爆し、壊滅的な赤字を出した官営鉄道。哀れなライバルを尻目にのんびり団子を食う黒田だったが、激怒した馬場はついに政界の黒幕――「鉄の監察官」を泥川へと引き込む。




