第7話:沿線まるごとテーマパーク計画
少女歌劇の大バズりで、ついにパンク寸前となった泥川駅のホーム。「待たせるのは申し訳ないねぇ」と呟いた黒田の目が、路線図の「寂れた温泉」と「誰もいない池」を捉える。
「黒田様! 大変喜ばしいことですが、我が泥川電鉄の『車内少女歌劇』のチケットが連日、発売開始と同時に一瞬で即完売となっております!
その凄まじい影響によりまして、泥川電鉄の起点となる泥川駅のホームには、電車を待つお客様が文字通り溢れかえり、身動きが全く取れないほどのパニック状態になっております!
駅員たちも総出で誘導に当たっていますが、このままではホームから線路にお客様が転落しかねないほどの大混雑です!」
元・官営鉄道の優秀な刺客であり、現在はその能力の高さゆえに泥川電鉄の頼れる雑用係兼護衛としてすっかり定着した霧島が、
額から滝のように流れる汗を何度もハンカチで拭いながら、息を切らせて木造の事務所に報告に飛び込んできた。彼の表情は、泥川電鉄の劇的な成功を喜ぶ気持ちと、それを遥かに上回る現場のあまりの忙しさへの悲鳴が入り混じった、実に入り組んだものになっていた。
「う〜ん、それは困ったねぇ。せっかく遠くの都心から、私たちの小さな電車を楽しみにしてわざわざ足を運んでくれたというのに。
ホームで長い時間、ただ満員電車を待つだけになってしまうのは、おもてなしの精神としても本当に申し訳ないなぁ」
私はあごをのんびりと擦りながら、事務所の壁に掛けられた古びた手書きの路線図をじっと眺めた。
泥川電鉄の路線は、官営鉄道のような立派な複線でもなければ、最新鋭の鋼鉄製車両が走っているわけでもない。
緑豊かな山々と、のどかな田んぼに囲まれた、たった一本の短い単線の線路だ。
「ねえ、千代ちゃん。泥川電鉄の沿線って、少女歌劇の走る車両の他に、何か面白い場所や、昔からの隠れた名所ってあったっけ?」
机の上でお茶菓子のお煎餅を美味しそうにかじっていた、社長の千代ちゃんは、ポリポリと音を立てながら、自分の小さな指を折って数え始めた。
「ええっと……宗次さん、これと言って大したものはありませんよ?
終点にある、ひなびた温泉宿が数軒並ぶだけの寂れた温泉街と、途中駅の近くにある歴史だけは古いけれど参拝客の途絶えたお寺。
それから、昔の農業用として作られて、今は誰も使っていないような大きな溜め池があるくらいです。
観光地と呼べるような華やかな場所は、この路線には一つもありませんわ。馬場局長からも、いつも『田舎の肥溜め路線』なんてバカにされていたくらいですし……」
「よし、なら、それらを全部つなげてしまおう!」
私はポンと元気に手を叩いた。あまりに突然の宣言に、事務所の空気が一瞬で凍りつく。
「つ、つなげる……!? 宗次さん、一体どうやってですか!?
線路はもう、これ以上どこにも伸ばせる予算なんてありませんし、物理的には最初から繋がっていますよ?」
「ただ電車を走らせて、乗客を右から左へ運ぶだけじゃつまらないじゃないか」
私は微笑みながら、路線図の前に歩み寄った。
「この泥川電鉄の沿線全体、地域丸ごとを、ひとつの大きな『遊園地』にしてしまうんだよ」
「ええっ!? 沿線全体を……ひとつの巨大な遊園地に……!?
そんな、メリーゴーランドや観覧車を建てるお金なんて、うちの金庫には一銭も入っていませんよ!」
「そんな大掛かりな機械を建てる必要なんてないよ、千代ちゃん」
私の頭の中には、すでにひとつの「のんびり楽しいお散歩マップ」のイメージが鮮やかに浮かび上がっていた。
「いいかい? 終点にある寂れた温泉街。あそこはただ行くのじゃ退屈だから、『特製の手ぬぐいと地酒、それから地元の野菜を使ったお弁当が付いた温泉専用列車』を走らせるんだ
。乗客の皆さんは車内でガタゴト揺られながら、窓の外の景色を見て一杯やり、駅に着いたらすぐに、極上の湯治を楽しめるようにする。
移動する時間そのものが、もう温泉旅行の始まりになるわけだ」
「車内がすでに温泉旅館のロビーみたいになる、ということですか……?」
「そう。そして次はお寺の参道だ。あそこは広いスペースがあるのに、今は誰も歩いていなくてもったいない。
だから、地元の農家さんや商店街の人たちに声をかけて、美味しいお団子や焼き魚、珍しい民芸品が食べ歩きできる『のんびり露店街』を作ろう。
お寺にお参りするだけじゃなくて、お散歩するだけでお腹がいっぱいになる楽しい場所に変えるんだ。
最後の溜め池だけど、あそこには木製の可愛い手漕ぎボートを何艘か浮かべてさ、その横にある広い空き地を地主さんからお借りして、季節の美味しい果物が自分たちで収穫できる『泥川果物狩り農園』を開墾するんだよ」
「温泉に、食べ歩きに、ボートに、果物狩り……っ!?」
千代ちゃんは驚きのあまり、持っていたお煎餅を床に落としそうになりながら、目を見開いた。
「そうすればね」
私は楽しそうに、路線図のあちこちに赤鉛筆で大きな丸を描き込んでいく。
「乗客の皆さんは、『今日は温泉でのんびりしよう』『明日は子供を連れてイチゴ狩りとボートに乗ろう』『その次は歌劇とお寺の食べ歩きにしよう』って、何度も何度も、季節を変えて泥川電鉄に乗って遊びにきてくれるでしょう?
泥川駅で電車を待つ時間があっても、『じゃあ次の駅でお団子を食べて待とう』となって、ホームの混雑も自然とバラける。
お客さんは一日中飽きずに楽しいし、今まで寂れていた沿線のお店や温泉宿、農家さんたちもたくさんのお客さんが来てくれて儲かる。泥川電鉄に関わる全ての人が、みんなハッピーになれるじゃないか」
私が鼻歌を歌いながら、路線図に可愛いイラストを描き足していく横で、霧島は突然、目を見開いたまま全身をガタガタと激しく震わせ始めた。あまりの衝撃に、彼の眼鏡が鼻の頭からずり落ちそうになっている。
(ま、ま、またしても……! 何という恐るべき男だ……!!)
霧島は心の中で、黒田宗次という存在の底知れなさに、深い畏怖の念を抱き、身震いしていた。
(馬場局長やこれまでの鉄道経営者たちは、目的地という『点』の観光地に、いかに早く大量の顧客を運ぶかということしか考えていなかった。
スピードこそが正義であり、効率こそが全てだと。
しかし、黒田様が今仕掛けようとされているのは、鉄道の軌道そのものを軸にした、圧倒的な『線』と『面』の巨大な空間ビジネス……!
鉄道網というインフラそのものを、地域経済を丸ごと巻き込んだ巨大なアトラクションへと変貌させ、沿線全体の付加価値を無限大に高めるというのか……!
しかも、自社で巨額のインフラ投資をするのではなく、すでにある自然、すでにあるお寺、すでにある温泉という既存の資源を最大に活用し、住民をパートナーにしてリスクを分散させている。
これぞまさに、国家レベルの官僚でも思いつかない、完璧な地方創生の深謀遠慮……っ!! 私が命を懸けてお仕えするに値する、真の天才、真の覇王だ……!!)
「黒田様!!」
霧島は突然、かつて隠密だった頃の癖で、軍人のような鋭い敬礼をして部屋中に響き渡る大声で叫んだ。
「この霧島、心の底から感服いたしました! 黒田様のその大いなる野望、いや、慈悲深き大計画、直ちに実行に移すべきであります!
私はこれから、沿線の各地域の農家、商店街の組合、そして温泉街の偏屈で頑固な宿主たちとのタフな交渉に入ります! 泥川電鉄の輝かしい未来のため、この霧島、命に変えても全員の首を縦に振らせ、契約書を勝ち取ってみせます!」
「あ、いや、うん。そんなに恐ろしい気合を入れなくて大丈夫だよ、霧島くん」
私は苦笑いしながら、彼のピシッと伸びた肩をぽんぽんと優しく叩いた。
「そんなに怖い顔をして、今にも果し合いを挑むような勢いで交渉に行ったら、地元の優しい農家さんたちはみんな驚いて家の中に逃げちゃうからね。
戦いに行くわけじゃないんだから。
地元の美味しいミカンでも剥きながら、みんなで温かいこたつを囲んで、『みんなで一緒に楽しく儲けましょう、街を盛り上げましょう』って、のんびり相手のお話を聞いてきておくれよ。お土産に、うちの駅前のお団子でも持っていくといい」
「……っ! 素晴らしい……!
敵を力で屈服させるのではなく、利益を分け合うことで自ら進んで配下に降るように仕向ける……。これぞ真の王道、覇道の極みでございますね。
温情に満ちた包囲網の交渉、この霧島、完璧に心がけてまいります!」
霧島は独自の深読みと勘違いによる忠誠心をさらに激しく燃え上がらせ、まるで忍びのように疾風のごとく事務所の扉を飛び出していった。
「あ、行っちゃった……。霧島さん、最近本当に宗次さんのことを神様か何かだと思っていません?」
千代ちゃんが呆れたように息を吐きながら、床に落ちそうだったお煎餅をパクリと口に咥えた。
「ははは、熱心なのは良いことさ。
さあ、千代ちゃん、僕たちもさっそく、温泉列車の内装のデザインを考えよう。座席には畳を敷いて、小さな木製のテーブルを置いたら、みんな喜んでくれるかな?」
こうして始まった「沿線まるごとテーマパーク計画」は、地元の住民たちの予想を遥かに超える熱烈な協力を得て、瞬く間に形になっていった。
最初は「鉄道会社が何をしておるんだ」と不審がっていた温泉街の頑固親父たちも、霧島が(お団子を食べながら)熱心に説明するうちに、「それなら一肌脱いでやるか」と、泥川電鉄の切符を見せるだけで特製の手ぬぐいがもらえる、お値打ちの「湯治パックプラン」を自ら考案してくれた。
お寺の参道には、毎日香ばしい焼き団子やみたらしの甘い匂い、地元の新鮮な野菜を使ったお漬物の露店がズラリと立ち並ぶようになり、平日の昼間でも観光客の笑い声が絶えなくなった。
誰も使っていなかった溜め池には、職人たちが手作りした色とりどりの木製ボートが浮かび、週末になると「お父さん、もっと早く漕いで!」とはしゃぐ子供たちの元気な歓声が山々に響き渡る。
その横の果物狩り農園では、都心から来た家族連れが、真っ赤に実ったイチゴを口いっぱいに頬張って笑顔を咲かせていた。
ただの寂しい田舎の通過点に過ぎなかった泥川電鉄の沿線は、今や訪れる全ての人々を優しく迎え入れ、笑顔にする、温もりに満ちた巨大な楽園へと見事に生まれ変わりつつあった。
そして、この大成功の報が、再び都心のあの男の耳へと届くことになるのである。
「点」ではなく「線」と「面」で地域経済を丸ごと呑み込む空間ビジネス。あまりの深謀遠慮に霧島が震える中、正気を失ったライバルは、泥川の真似をしてすべての財産を投じるという「禁断の暴挙」に出る。




