第5話:巨大アパートと、下町の知恵
都心からの観光客を完全に締め出すという、官営鉄道の卑劣な巨大圧力。泥川電鉄の売上を一瞬でゼロにする絶望の罠に、元企画屋が出した答えは――「住めばいいじゃん」!?
「——出禁だと!?」
泥川電鉄の事務所に、激しい怒声が響き渡った。
新しく警備兼雑用係として加わった霧島が、拳を握りしめて報告してくる。
「官営鉄道の馬場局長が、裏で手を回しました!
都心の大型ホテルや旅行代理店に対し『泥川電鉄の乗車券を売った者は官営鉄道の取引リストから外す』と圧力をかけております!
おかげで都心からの観光客が締め出され、予約が次々とキャンセルに……!」
「ううう……ひどいです!」
千代ちゃんが涙目になって悔しがった。
「せっかくお弁当もお茶屋さんも絶好調だったのに……都心からの人が来なくなったら、うちの売り上げは一気にゼロになっちゃいますよぉ!」
事務所の中に、重苦しい空気が漂う。
しかし、当の私はといえば、窓の外の広大な空き地をぼんやりと眺めていた。
「宗次様……! 何か恐ろしい対抗策をすでにお考えでおられるのですね!?」
霧島が期待に満ちた目で私を見つめてくる。
「う〜ん……対抗策というかさ」
私はあごを擦りながら、呑気に口を開いた。
「観光客が来ないなら……ここに『住んで』もらえばいいんじゃないかな?」
「「……え?」」
千代ちゃんと霧島が同時に首をかしげた。
「あのね、都心は今、人口が増えすぎて家賃も高いし、狭い長屋でみんなギスギス暮らしているでしょう?
だったら、この泥川の広い土地に、綺麗で安く住める『新しい集合住宅』を建てちゃうんだよ」
私は紙と鉛筆を取り出し、簡単な間取り図を描いた。
「お風呂と水回りを使いやすくして、ちょっとした庭もつける。
家賃は格安にする代わりに……『泥川電鉄の定期券』をセットで買ってもらうんだ」
「住む場所と……電車をセットに!?」
千代ちゃんが目を見開いた。
「そう。
そうすれば、観光客に頼らなくても、毎日都心へ通勤する『住人さん』がうちの電車を絶対に使ってくれる。
ついでに、一階には長屋みたいに賑やかな商店街を作って、住人同士がお喋りできる『居場所』にするんだ。家賃収入と定期券代で、会社も大助かりだよ」
「な……なんて素晴らしいアイデアなの……!」
千代ちゃんの目が輝き出す。
「さらにね」
私はニッコリと微笑んだ。
「昔ながらの長屋のノウハウを活かして、お隣さん同士でご飯を分け合ったり、子どもの面倒を見合ったりできるコミュニティにする。
ただの『寝る場所』じゃなくて、『住んでいて心が温かくなる住宅地』を作るんだよ」
それを聞いた霧島は、ガタガタと全身を震わせた。
(な、なんという恐ろしい……いや、圧倒的な先見の明……っ!!)
霧島の頭の中で、黒田の深謀遠慮が炸裂していた。
(馬場局長が『観光客(一時的な客)』を止めたのに対し、黒田様は『居住者(永久的な客)』を一から創出しようとしている……!
鉄道会社が自ら街を作り、住人を増やして乗客を固定化する……!
官営鉄道の圧力など、根底から無力化する神の一手だ……っ!!)
「黒田様……!
すぐに建築手配と住人の募集に取りかかります!!」
「あ、うん。よろしくね霧島くん。
あ、安くて住みやすい住宅だから『文化住宅』って名前にしようか」
一ヶ月後。
官営鉄道の局長室。
「ハハハ!
見ろ、泥川電鉄の観光客数が激減しているぞ!」
馬場局長は、シャンパンを片手に高笑いしていた。
「私の圧力に屈したのだ! ざまあ見ろ黒田! お茶や弁当などという小細工、巨大な組織の力の前には無力だと知るがいい!」
そこへ、青ざめた顔の部下が扉を蹴破るように飛び込んできた。
「き、局長ぉぉぉッッ!! 大変です!!」
「なんだ騒々しい。黒田が謝罪しに来たのか?」
「違います! 泥川電鉄が……泥川電鉄が、駅前に巨大な『文化住宅群』を完成させました!!」
「……は?」
馬場の手からシャンパンのグラスが落ち、床で砕け散った。
「『格安の家賃で、都心への定期券付き! モダンで温かいコミュニティ住宅!』と大々的に宣伝され、都心で狭い借家に苦しんでいた庶民たちが雪崩を打って泥川へ移住しております!
応募倍率は百倍を超え、泥川電鉄の定期券収入は過去最高を記録!!」
「な……な……」
「さらに!
移住した人々が口々に『官営鉄道の都心は家賃が高くて住みにくいが、泥川電鉄の街は最高だ』と触れ回り、我が社のブランドイメージはどん底に……!」
「がふっ……!!」
馬場は激しく吐血し、豪華な絨毯の上に倒れ伏した。
(く、黒田ぁぁぁぁッッ!!)
倒れた馬場の脳裏に、黒田の穏やかな笑顔が浮かび上がる。
(奴は……奴は最初から、私が観光客を止めることまで読んでいたのだ……!
観光という不確定な客を捨て、自ら『街』を作ることで完全なる不敗の王国を築き上げただと……!?
私は……私はあいつの手のひらの上で踊らされていたというのか……ッ!)
「局長! 局長ぉぉぉーッ!!」
その頃。泥川電鉄の『文化住宅』の広場。
「やあ、みなさん住み心地はどうですかー?」
私が声をかけると、新しく引っ越してきた住人たちが笑顔で手を振ってくれた。
「最高ですよ、黒田さん! お隣さんからお裾分けももらえるし、子供たちも伸び伸び遊べてます!」
「電車も座って通勤できるし、本当にここに来て良かった!」
「ははは、それは良かった!」
隣では、千代ちゃんが定期券の発行手続きに追われながらも、泣きそうなほどの笑顔を浮かべている。
「宗次さん……! 泥川が……うちの沿線が、こんなに賑やかな街になるなんて……!」
「ねえ、千代ちゃん。街ができると、毎日が賑やかで楽しいねえ」
私は日当たりの良いベンチに腰掛け、温かいお茶を一口すすった。
(うん、家賃も安く設定したし、みんな楽しそうだし、私もお隣さんから美味しい煮物をもらえたし……大成功だなあ)
自分が「ただの住宅地」を作ったつもりが、業界に「沿線開発」という一大ブームを巻き起こす革命になってしまったことなど、私はこれっぽっちも気にしていなかった。
一時的な客ではなく永久の顧客を創出する「沿線開発」の誕生。手のひらで踊らされていたことに気づき絨毯に沈む馬場局長。しかし、利権を奪われた官営鉄道は、都心に「東洋一の大劇場」という数百万の予算を投じた全面戦争を仕掛けてくる!




