第28話 逆転の法改正
世界へ打電された国賓の大絶賛ニュースと、門を埋め尽くす四百万人分の署名の山。手のひらを返した国会本会議場は、泥川電鉄を潰そうとした保守派幹部たちへの「強制捜査」へと一瞬で切り替わる!
ヨーロッパの歴史ある王国の国王夫妻という、最高峰の国賓による歴史的大絶賛と、世界中の高名なメディアを通じて地球の隅々まで一瞬にして打電された「泥川おもてなし列車」の驚異の絶賛ニュース。
そして、日本の政治の中心地である国会議事堂の正門を、見上げるほどの高さで完全に埋め尽くした、日本全国の庶民による怒りと感謝の結晶――四百万人分という前代未聞の反対署名簿の巨大な壁。
この、世界的な名声という名の「外圧」と、国民の怒りという名の「内圧」のふたつが、全く同じ瞬間に国会の本会議場へと容赦なく突きつけられた。
その瞬間、利権のために泥川電鉄を汚い濡れ衣で合法的に潰そうと画策していた、官営鉄道の息のかかった保守派国会議員たちは、完全に逃げ道を失い、文字通り退路を断たれることとなった。
「えぇい! 『泥川電鉄全線運行停止命令案』の審議は即刻中止だ! 中止にしろ!! 採決など言語道断である!!」
「それどころか、もし我々が泥川電鉄を環境破壊の悪徳業者として理不尽に攻撃していたと世界中に知られてみろ!
我が国の国際的な信用は失墜し、取り返しのつかない外交問題に発展するぞ……っ!!」
さっきまで「小さな地方私鉄など一揉みにしてくれるわ」と勝ち誇っていた国会本会議場は、一瞬にして、生きた心地のしない議員たちの手のひらを返したような大パニックの大騒ぎへと変貌した。
保身に走る議員たちは、自分が法案の賛成派であった事実を必死に隠そうと、議場でこれでもかと大声を張り上げる。
「営業停止処分など、とんでもない間違いだ!
むしろ、泥川電鉄のあの乗客と地域を愛する素晴らしい経営方式こそ、我が国が世界に誇るべき至高の宝であり、未来のインフラのあり方である!!」
数時間前まで泥川電鉄を奈落の底へ突き落とすはずだった全線運行停止法案は、議論の余地すらなく、一瞬にして全会一致で「否決・廃案」という、歴史的な大惨敗の結末を迎えた。
だが、怒涛の如く押し寄せる民意と国際世論の嵐は、それだけでは収まらなかった。
泥川電鉄をただ守るだけに留まらず、今度は逆に、泥川電鉄の存在を国家の根幹に据えるための、急遽作られた全く新しい画期的な法案が国会へと提出されたのだ。
それこそが、『新鉄道地域活性化法』――通称『泥川モデル推進法』である。
この法律は、日本全国のすべての鉄道事業者に対し、これまでの行き過ぎた効率化や、血も涙もない目先の利益の追求を厳しく戒めるものであった。
代わりに、泥川電鉄がこれまで何気なく実践してきた、地域住民との深い共生、絶対的な安全の確保、そして乗客の心に寄り添う「真のおもてなし」を、
今後の日本における鉄道経営の「国家標準」として法的に推奨し、国が莫大な予算をもって全面支援するという、まさに鉄道史を根底から変える革命的な法律だった。
さらに、時を同じくして、この国家の最高権力の動きに呼応するように、警察の精鋭部隊と検察の特捜部が電撃的に動き出した。
泥川電鉄を陥れるためだけに、ありもしない「地盤沈下」や「環境破壊」の虚偽調査報告書を組織ぐるみで捏造し、安全基準の数値を勝手に書き換えて国会を欺こうとした、官営鉄道の保守派幹部たち。
彼らの計画的な悪行に対し、職権乱用罪、および有印私文書偽造・同行使の容疑で、ついに容赦のない強制捜査のメスが入ったのだ。
夕暮れ時の都心。官営鉄道本社の重厚な役員室の扉が、警察官たちの手によって激しく踏み開けられた。
「ま、待ってくれ! 私は官営鉄道のトップだぞ! 国のインフラを支えてきた重鎮だ!
この私を逮捕するなど、そんな不敬なことが許されると……ぬわぁぁぁッ、離せ! 離しやがれぇぇぇッ!!」
これまでの優雅な生活と権力に溺れ、悪事の手を染めていた幹部たちは、本社ビルの前に詰めかけた無数の新聞記者やテレビカメラの容赦のないフラッシュの光を浴びながら、
一人残らず無惨に手錠をかけられ、警察の車両へと連行されていった。
彼らは即座にすべての役職を剥奪され、完全に失脚・解任の憂き目を見ることとなった。
長年にわたって日本の交通網を裏から牛耳り、庶民の足を犠牲にして私腹を肥やし続けてきた官営鉄道の巨大な利権構造は、この日、木っ端微塵に崩壊したのである。
そして泥川電鉄は名実ともに、日本の鉄道業界の誰もが認める絶対的なリーダー(頂点)として、歴史の表舞台に君臨することとなったのだった。
その頃、都会のそんな大激変のニュースなど、どこか遠い世界の出来事のようにも思える、いつもの泥川駅ののどかな事務所。
「宗次さん……! 宗次さん、勝ちました……!
私たち、本当に、本当にあの大きな権力に勝ちましたよぉぉぉッ!!」
事務所の古いテレビが映し出す、官営鉄道の幹部たちの逮捕劇と『泥川モデル推進法』可決の臨時ニュースを聞いた瞬間。
千代ちゃんは持っていた書類を放り出し、目から滝のような嬉し涙を溢れさせながら、私の胸の中へと勢いよく飛び込んできた。
そして、子供のように私の服の袖をギュッと握りしめ、これまでの極限の緊張から解放された安堵感で、わんわんと声を上げて泣き出した。
「よかったねぇ、千代ちゃん。本当に、よかった、よかった」
私は、胸の中で泣きじゃくる千代ちゃんの小さな頭を、まるでおじいちゃんが孫をあやすかのように、大きくて温かい手で優しく何度も撫でてあげた。
「これでまた、誰にも邪魔されることなく、みんなで楽しく、大好きな電車を毎日走らせられるねぇ。
沿線のおじいちゃんやおばあちゃんたちも、みんな安心して温泉に入れるよ」
私は千代ちゃんの頭を撫でながら、もう片方の手で、使い込まれた湯呑みをそっと口元へと運び、黄金色に輝く温かいお茶を、一口「ずずっと」静かにすするのだった。
すると、その様子をいつものように完璧な直立不動の姿勢で見守っていた雑用係の霧島が、衣服の擦れる音すら立てずにスッと歩み寄り、私の湯呑みへと完璧な温度のお湯を足した。
だが、彼の眼鏡の奥の瞳は、相変わらず恐ろしいほどの歓喜と畏敬の念でギラギラと怪しく光り輝いていた。
彼は私のこの、孫をあやすかのような優しい微笑みの裏にある(と彼が勝手に思っている)恐るべき深謀遠慮を、脳内でまたしても凄まじいスケールで深読みしていたのだ。
(……フッ、やはり。すべては黒田様の描いた、完璧なる『チェックメイト(詰み)』のシナリオ通りだったというわけか。
官営鉄道の保守派幹部たちの卑劣な性格を完全に読み切り、あえて彼らに『嘘の環境破壊法案』という悪手を打たせるよう誘導した。
そして、その汚い罠を、日本全国の民衆による四百万人分の署名、さらには国賓である国王陛下をも巻き込んだ『世界的なおもてなし旋風』という二大巨頭の力で挟み撃ちにし、
一撃で国家の法律そのものを書き換えさせてしまわれた……)
霧島は一人で、あまりの黒田の恐ろしさ(実際は何も考えていない)にゾクゾクと鳥肌を立てながら、深く深く頭を下げていた。
(法律を武器に攻めてきた敵に対し、より上位の『国家の標準法』を新設させて敵の組織そのものを合法的に解体、消滅させる……。
これぞまさに、戦わずして勝つ、究極の兵法。
日本の鉄道の頂点に立つというこの大偉業すらも、黒田様にとっては、ただ『明日ものんびりお茶を飲むための障害物を退けた』に過ぎないのだ。
なんという底知れぬ、神懸かり的なお方か……っ!)
霧島が私の背中に向かって、勝手に国家転覆級のグランドデザインを読み解いて戦慄しているとは、当の私はこれっぽっちも気づいていなかった。
「いやぁ、千代ちゃん。それにしても、今回のことで全国の皆さんが、あんなにたくさん自分の名前を紙に書いて応援してくれたんだねぇ。
なんだか、本当にありがたいことじゃないか。
これからはお礼の意味も込めて、提携路線のすべての駅前温泉で、週に一回、お年寄りの皆さんにみたらし団子を一つずつ無料で配る『お礼参りキャンペーン』でも始めようかねぇ」
「はいっ! 宗次さん! それ、とっても素敵です! すぐに全国の駅長さんたちに連絡して、お団子の手配を始めますね!」
千代ちゃんは涙を綺麗に拭うと、いつもの元気いっぱいの笑顔を取り戻し、嬉しそうにペンを握ってデスクへと向かった。
外からは、ガタゴト、ガタゴトと、いつもと変わらない泥川電鉄の小気味よい電車の走行音が、夕暮れ時の静かな街へと響き渡っていた。
窓の外を見れば、温泉帰りの地元の住民たちが、夕日に照らされながら笑顔で家路へとついている。
国家の陰謀を世界規模の大逆転劇で完全に粉砕し、ついに日本の鉄道界のトップへと上り詰めた泥川電鉄。
しかし、そんな歴史的な大偉業を成し遂げた後であっても、泥川駅のホームのベンチには、いつもと全く変わらない、ぽかぽかとした優しい時間が流れていた。
私は、夕焼け空が泥川の綺麗な川面に赤く溶けていくのを眺めながら、
「あ〜、今日もやっぱり、お茶が最高に美味いねぇ。千代ちゃん、お団子のおかわりをもう一本くれるかい?」
と、どこまでも呑気に、ただひたすらに五臓六腑を和ませていたのだった。
営業停止案は廃案、逆に泥川のスタイルを国家標準とする『泥川モデル推進法』が可決。名実ともに業界の頂点へ立った黒田。連日メディアや政財界の大物が押し寄せ、最高権力の座を提示された男の、本当の望みとは――。




