第27話 国賓のおもてなし
「日本の奇跡・泥川おもてなし列車に乗りたい」国賓である国王陛下の突然の指名に、ひっくり返る政府の役人たち。営業停止にしようとしていたボロ私鉄へ、国家の威信をかけた「いつも通りのおもてなし」が始まる。
国会内において、官営鉄道の幹部たちが提出させた『泥川電鉄全線運行停止命令案』を巡り、四百万人分の署名という名の巨大な民意の壁を前に、国会議員たちが自身の保身と恐怖で大パニックに陥っていた、まさにその運命の日の午前。
都心のきらびやかな迎賓館では、もう一つの、そして誰も予想だにしなかった国家規模の激震が走ろうとしていた。
その日、日本を公式訪問していたヨーロッパの歴史ある小さな王国の国王陛下が、公式日程の一環として、世界中の報道陣を集めた厳粛な記者会見に臨まれていた。
会見は滞りなく進み、予定されていた形式的な質問がすべて終わろうとしたその時、国王はふと手元のマイクを引き寄せ、公式の原稿には一切記載されていなかった言葉を、穏やかながらも通る声で口にされた。
「時に、日本の首相殿。我が国にいる時から、私の耳にまでその噂が届いている、とある『奇跡の鉄道』についてお尋ねしたい。
乗客の心に寄り添い、行く先々で地域を蘇らせているという、あの『日本の奇跡・泥川おもてなし列車』に、私はぜひともこの目で触れ、乗車してみたいと思ってはるばる日本まで参ったのだ。
本日の午後の公式日程を急遽変更し、私を泥川電鉄へと案内してもらうことは可能だろうか?」
「え……!? ど、泥川電鉄……で、で、ございますか……!?」
国王のすぐ隣の席で、外交用の笑顔を貼り付けていた日本の首相と、その背後に控えていた外務省の補佐官たちは、あまりの衝撃にその場で椅子ごとひっくり返りそうになった。
無理もない。
まさに今、数キロ離れた国会議事堂の議場では、官営鉄道の重鎮たちに言われるがまま、泥川電鉄を「環境破壊を引き起こす悪徳業者」として祭り上げ、国家の敵として営業停止命令を下そうと必死になっている最中なのだ。
その渦中の地方私鉄を、国家の一大行事である国賓の国王が、世界中のテレビカメラの前で直々に指名してきたのである。
「い、いや! 国王陛下! 大変光栄なお言葉ではございますが、あ、あそこは誠に小さな、設備もろくに整っていない極端な田舎私鉄でございまして……!
陛下をお迎えするような格式高い貴賓車も、豪華なラウンジ設備も一切ございません!
代わりと言ってはなんですが、我が国が世界に誇る官営鉄道が社運を賭けて開発いたしました、最高級の超豪華最新鋭特急を今すぐにご用意いたしますので、ぜひそちらへ――」
「いや、官営鉄道の豪華列車など、世界中の諸外国を探せばどこにでもいくらでもある」
国王は焦り狂う首相の言葉をすっと遮り、フッと気品あふれる穏やかな微笑みを浮かべられた。
だが、その青い瞳の奥には、すべてを見透かすような鋭い光が宿っている。
「我が国が真に関心を持っているのは、金に飽かせて作った大理石の床や金の装飾ではない。乗客と地域住民が本当の意味で一つになり、関わる人すべてが自然と笑顔になるという、泥川電鉄の『心のおもてなし』なのだよ。
首相殿……それとも、我が国の王室には、あの泥川電鉄を見せられないような、何か特別な、不都合な理由でもあるのかね?」
「め、滅相もございませんっ!! す、すぐにご案内、いや、ご招待いたします!!」
国王の放った「不都合な理由」という一言に、後ろ暗いことだらけの首相は心臓が止まるかと思い、顔を完全に蒼白にしながら、首がもげんばかりに縦に振った。
記者会見が終了した瞬間、外務省の役人たちは大パニックとなり、官営鉄道の幹部たちへ連絡を取る余裕すらなく、大急ぎで泥川駅の黒田宗次宛てに、電光石火の勢いで国家緊急電報を打ったのだった。
その文面は、狂気すら感じるほどの悲壮感に満ちていた。
『超緊急! 国賓である国王陛下夫妻が、これより泥川電鉄へ直接向かわれる! 泥川電鉄は総力を挙げ、至急、最高の正装と豪華な貴賓室を用意せよ!
レッドカーペットを敷き詰め、国家の威信と面目をかけた最大級のおもてなしを執行せよ! 粗相があれば国家問題となる!』
だが……。
そんな、外務省の役人たちが血尿を流さんばかりのパニックになって打った緊急電報を受け取った時も、私はいつも通りだった。
相変わらず、泥川駅のホーム脇に置かれた手作りのガタつく木製ベンチに腰掛け、ぽかぽかとした秋の風に吹かれながら、急須から湯呑みへと、黄金色の熱いお茶をのんびりと注いでいた。
「宗次さんっ!! 宗次さん、大変です、大変なことになっちゃいましたよぅ!! ヨーロッパの本当の国王様と王妃様が、今からこの泥川駅に直接来ちゃうんですって!!
どうしましょう、我が社にはお出迎え用のレッドカーペットも、フランス製の最高級ワインも、贅沢なソファーがある貴賓室なんてどこにもありませんよぅ!!」
千代ちゃんが、髪を振り乱し、電報の紙切れをヒラヒラとさせながら、泡を食ってホームの上を右往左往と走り回っている。
彼女にとって「国王」という存在は、おとぎ話の絵本の中にしか登場しない雲の上の存在なのだ。
「いいんだよ、千代ちゃん。そんなに慌てなくても」
私は焦る千代ちゃんを見上げ、ニコッといつも通り穏やかに笑った。
「その国王様だってね、遠い国からはるばる長い時間をかけて、窮屈な飛行機や船に乗って日本までやってきてくれたんだ。体中がガチガチに疲れているに違いないよ。
そんな時に、私たちが慣れない正装をして、真っ赤な絨毯を敷いて、英語やフランス語でガチガチに特別扱いして緊張させたら、それこそ国王様はもっと疲れちゃうでしょう?
ここは泥川駅なんだから、いつも通り、私たちがいつも飲んでいる美味しいお茶と、今焼いたばかりの温かいみたらし団子でお迎えすれば、それが一番いいんだよ」
その私の、どこまでも自然体で呑気な(ただ自分が普段通りにしたいだけの)言葉を聞いた瞬間。
私の背後に音もなく立っていた優秀すぎる雑用係・霧島の眼鏡の奥の瞳が、これまでにないほど激しく、そして冷徹にギラリと輝いた。
(……なるほど! 敢えて国家が指定する形式的な礼儀をすべて拒絶し、我が社独自の『日常』という名の、計算し尽くされた高度なおもてなしで国王陛下を包み込むおつもりか。
物質的な豪華さに慣れきった世界の王族に対し、原始的かつ根源的な『素朴の贅沢』を突きつける。
さらに、これによって、官営鉄道が国会で仕掛けた『悪徳業者』という泥川へのイメージ操作を、世界最高峰の権威である国賓の口を使って正面から粉砕されるという、世界を巻き込んだ大逆転のグランドデザイン……!
黒田様、あなたの外交手腕は、もはや一国の外務大臣すら遥かに凌駕している……!)
霧島が、私の何気ない一言を勝手に地球規模の超次元外交戦略と深読みし、一人で戦慄と深い感動に震え上がっているとは、当の私はこれっぽっちも気づいていなかった。
霧島は静かに一礼すると、
「これより、陛下をお迎えする『最高の日常』をホームに展開いたします」
と言い残し、何やら裏の手配へと走り去っていった。
それから数十分後。
静かな田舎町である泥川駅の駅前広場に、サイレンを鳴らした白バイの先導に守られた、数台の黒塗りの最高級外車が厳かに滑り込んできた。
車から降り立ったのは、屈強な体格で周囲を鋭く警戒する、殺気立った国際SPたちの集団。
そして、その中央から、仕立ての良いスーツとドレスを着こなした、圧倒的な気品を放つヨーロッパの国王夫妻が姿を現した。
駅に同行してきた外務省の役人たちが、緊張のあまり息を詰まらせ、地面に額を擦り付けんばかりにして硬直する中、
私はといえば、割烹着を着た普段着のまま、木製ベンチからよっこらしょと立ち上がり、いつも通り親しみやすい笑顔を浮かべて、深々と頭を下げた。
「やあやあ、遠い国からようこそ泥川電鉄へお越しくださいました。長旅でさぞやお疲れでしょう。
さあ、こちらへどうぞ。まずはこの温かいお茶と、今、裏の炭火で焼いたばかりの我が社特製のみたらし団子をどうぞ。召し上がってくださいな」
それを見た政府の役人たちは、恐怖のあまり文字通り白目を剥き、小さな声で
「む、無礼だぞ黒田ぁ! 陛下に対してなんて野蛮なものを……! 万死に値するぞ!」
と青ざめて歯の根をガタガタと震わせた。
だが、国王は差し出された安物の湯呑みと、竹串に刺さった出来立てのみたらし団子をじっと見つめた後、ふんわりと優しく目を細められた。
「……ほう。これは、なんとも香ばしい、お醤油と米の焦げる、温かい香りだね」
国王陛下は躊躇することなく、その大きくて立派な手で団子の串を掴むと、大きく一口、パクリと口に含んだ。
そして、霧島が絶妙な温度で淹れた緑茶をずずっとすすった。
その瞬間、国王の表情が、まるでおもちゃを貰った子供のように輝いた。
「美味しい……! 外交の堅苦しい晩餐会で出される、どこの馬の骨とも知れぬ冷えた高級フレンチなどより、この温かい団子とお茶のほうが、何百倍も私の疲れた五臓六腑に染み渡るようだ!
王妃よ、君も食べてごらんなさい、実に見事な味だ!」
「まあ、本当。本当に心がホッとする、素晴らしいお味ですわ」
王妃様も上品に団子を頬張り、泥川の味にいたく感動されていた。役人たちはその光景に呆然と立ち尽くすしかなかった。
その後、私たちは国王夫妻を、泥川電鉄がこの日のために急遽用意した、窓が一切なく心地よい秋風がダイレクトに吹き抜ける『海鮮オープンデッキ車両』へとご案内した。
ガタゴト、ガタゴトと、小気味よい音を立てて電車が走り出す。
車窓から見えるのは、どこまでも高く澄み渡る美しい日本の秋空と、黄金色に輝くのどかな田園風景。
そして何より、線路沿いの道ばたには、泥川の文化住宅の子供たちや、地元の農家のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、国王の国の国旗と、泥川電鉄の小さな旗を一緒になって、本当に楽しそうに、満面の笑顔でちぎれんばかりに振っている姿があった。
「ハロー! 王様、ようこそ泥川へー!」
子供たちの無邪気な声が風に乗って車内へと届く。
車内では、泥川電鉄が誇る少女歌劇団の爽やかで美しい歌声が優しく響き渡り、車両の中央に置かれた特製の炭火焼き台の上では、港町の漁師たちが今朝獲ってきたばかりのサザエやホタテが、醤油の香ばしい匂いとともに「ジュウジュウ」と心地よい音を立てて爆ぜていた。
湯呑みを片手に、地元の住民たちの心のこもった大歓迎を受け、焼き立てのホタテをハフハフと頬張った国王の目から、いつしかじんわりと、打算のない本物の感動の涙が溢れ出て、その頬を伝い落ちた。
「素晴らしい……! なんという温かさだ……! なんという美しい光景だろうか……!」
国王は、同行していた世界中の名だたる海外報道陣のテレビカメラとマイクに向かって、自ら立ち上がり、力強く、熱を込めて語りかけた。
「私はこれまで、世界中のあらゆる国で、何百億もの巨費を投じて作られた、大理石と金箔にまみれた最高級の豪華貴賓列車に乗ってきた。
しかし……これほどまでに心が満たされ、乗客と、働く人々と、沿線に生きる地域の人々の純粋な笑顔に満ちあふれた、美しい旅は生まれて初めてだ!
形式的な豪華さや贅沢ではなく、目の前の人を心から思いやる、この真の心……
これこそが、我が国を含め、今、世界中の人々が最も学ぶべき『もっとも美しい日本の心』そのものである!! 私は、泥川電鉄と、この黒田氏を心から称賛する!」
国王のその魂の叫びとも言える言葉は、集まった外国人記者たちの手によって、電報や国際通信を通じて、瞬く間に世界中へと一斉に打電されたのだった。
テレビや新聞の国際ニュースは、またたく間に『日本の小さなローカル線が、世界最高のホスピタリティを証明した!』という大絶賛の報道で埋め尽くされた。
この国際的な大ニュースは、まさにその瞬間、国会議事堂で泥川電鉄を環境破壊の悪徳業者として潰そうとしていた官営鉄道の重鎮たちと、保身に走る議員たちの頭上へと、巨大な隕石の如く叩きつけられた。
世界が絶賛する「日本の宝」を、嘘の報告書で営業停止にしようとしたことが世界中に知れ渡れば、それこそ本物の国際問題となり、日本政府の信頼は失墜する。
国会内では
「法案は即座に白紙撤回だ!」
「官営鉄道の報告書は真っ赤な嘘だった!」
と議員たちが手のひらを返し、泥川電鉄運行停止法案は、採決をされることもなく木っ端微塵に否決、葬り去られたのである。
そんな、国家の陰謀が世界規模の絶賛によって完全に消し飛んだ大騒動のことなど、当の私はこれっぽっちも知る由もなく。
夕暮れ時、泥川駅のホームに戻ってきた私は、遠ざかっていく国王の黒塗りの車を見送りながら、手作りのベンチに再び腰掛けた。
「いやぁ、遠い国から来た王様だから、最初は言葉が通じるか心配だったけれど。お団子を美味しい美味しいって、あんなにたくさん食べてくれて本当に良かったねぇ、千代ちゃん。
やっぱり、美味しいものを食べれば、みんな友達になれるんだよ」
「はい……! 本当に、本当によかったです、宗次さん……っ!」
千代ちゃんは、泥川電鉄が世界に認められた嬉しさと、会社が完全に守られた安堵感から、私の隣でまたボロボロと嬉し涙を流していた。
私はそんな彼女に「さあ、お祝いに、残ったみたらし団子を全部食べちゃおう」
と言って、どこまでも呑気に、黄金色のお茶をずずっとすするのであった。
海鮮オープンデッキでサザエを頬張り、感動の涙を流す国王陛下。その姿が世界中へ打電された瞬間、国会で法案を強行採決しようとしていた保守派議員たちの退路は、完全に、宇宙の彼方まで断たれたのだった。




