第24話 走る畳部屋『おやすみ列車』
全国へと広がる泥川電鉄のネットワーク。それに伴い、長距離移動の固い椅子で腰や首を痛め、疲れ切った顔の乗客たちを見た黒田は、またしても突飛な一言を放つ。「電車の中に畳を敷こう!」
海外の巨大ハゲタカファンドによる敵対的買収という、会社の存亡を賭けた最大の危機を、前代未聞の「おもてなし株主総会」という斜め上すぎる方法で乗り越えた泥川電鉄。
ファンドの代表であったウォルター氏すらもみたらし団子とお茶の力で味方につけた今、泥川電鉄を邪魔するものは誰もいなかった。
それどころか、全国『一駅一温泉』計画のネットワークはさらに勢いを増して日本全国へと網の目のように広がっていき、地方ローカル線同士を結ぶ巨大な一大鉄道インフラへと成長を遂げつつあった。
しかし、路線網が全国規模に広がったことに伴い、泥川電鉄には新たな変化が生じていた。
都心からはるか遠方の山奥や、遙か彼方の沿岸部へと、何時間も、あるいは一晩中かけて移動するような長距離を旅するお客さんが爆発的に増えてきたのである。
「う〜ん……」
ある秋の麗らかな夕暮れ時。
いつものように泥川駅のホーム脇に置かれた手作りの木製ベンチに腰掛け、夕日に染まる赤トンボを眺めていた私、黒田宗次は、ずずっとお茶をすすりながら小さく首を捻った。
私の視線の先には、長距離の直通列車から降りてきたばかりのお客さんたちの姿があった。
「ねえ、千代ちゃん。最近、遠くから電車に乗ってきてくれるお客さんたちなんだけどね。みんな、なんだか一様にげっそりとして、疲れ切った顔をしているねぇ。せっかく楽しい温泉旅行に来てくれたはずなのに、駅に降り立った瞬間は、どことなく足元がフラフラしているじゃないか」
私の隣で、全国から集まる乗車データの書類を整理していた若き社長の千代ちゃんが、手元を止めて優しく息を吐き、同情するように頷いた。
「そうですね……。いくら温泉や景色が魅力的でも、何時間も何時間も、電車の固い椅子に同じ姿勢でずっと座りっぱなしですから。
どうしても腰や首が痛くなっちゃうんでしょうね。現代の長距離移動は便利になりましたけど、体にかかる負担はどうしても避けられない『苦痛』なのが当たり前になっていますから……」
「椅子に座るから疲れるんだよ」
私は湯呑みをコトッとベンチに置き、名案をひらめいた子供のような顔でポンと手を叩いた。
「だったらさ、千代ちゃん。いっそのこと、電車の中から椅子を全部取っ払って、床一面にフカフカの畳を敷き詰めちゃおう!」
「えっ!? た、畳ですか!?」
千代ちゃんは持っていた書類を落としそうになりながら、目を丸くして驚いた。
しかし、私の頭の中にはすでに、至高の癒やし空間の設計図が完璧に出来上がっていた。私はいつになく本気だった。何より、私自身が移動中に窮屈な思いをするのが大嫌いだからだ。
「そうさ、日本人はやっぱり畳の上で大の字に寝転がるのが一番リラックスできるんだよ。車内全体を香りの良い最高級のい草を使った畳敷きにしてさ、いつでもゴロゴロできるようにするんだ。さらに、ただ寝転がるだけじゃなくて、軽くて暖かい清潔な羽毛布団と、頭にじんわりフィットする特製の枕を全席に用意する。
それだけじゃないよ。
天井の一部をガラス張りにして、夜になったら夜空にきらめく満天の星空を眺めながら眠りにつける天窓を取り付けるんだ。これぞまさに、走る畳部屋『おやすみ列車』だよ!」
「走る、畳部屋……おやすみ列車……!」
私の妄想のような熱弁に、千代ちゃんは最初は戸惑っていたものの、徐々にその頭の中で具体的な列車のイメージが膨らみ始めたのか、頬を少しずつ紅潮させていった。
「さらにね、千代ちゃん。車内の演出にもこだわるんだ。乗車したお客さんには、ウェルカムドリンクとして安眠効果のある温かい特性のハーブティーや、香ばしくて心がおだやかになるほうじ茶を配る。
そして車内のスピーカーからは、騒々しいアナウンスの代わりに、静かな波の音や、秋の夜長を彩る虫の声を小さなBGMで流すんだ。照明も目に優しい琥珀色の間接照明だけにしてさ。
そうすればどうだい? お客さんは美味しいお茶を飲んで、星空を見上げながら畳の上でぐっすり眠っている間に、気づけば目的地に着いちゃうでしょう?」
「そ、それ……凄いです宗次さん! 移動時間が退屈で苦痛なものから、心と体を癒やす最高の『睡眠時間』に変わっちゃいます! 翌朝、目的地に着いた時には、疲れが取れてすっきりリフレッシュできているなんて、そんな夢みたいな列車、私が一番乗りたいです!」
千代ちゃんの目が、夜空の星のようにキラキラと輝き出した。こうなると、彼女の行動力は誰にも止められない。
私は早速、使われていなかった古い長距離用の夜行列車用の客車を工場へと回し、大改造を開始させた。
職人たちを総動員して作られたその列車は、まさに私の理想通りだった。
車内に一歩足を踏み入れれば、清々しいい草の香りが鼻腔をくすぐり、都会の喧騒を一瞬で忘れさせる。
全席がプライベート空間を確保した個室風の畳部屋に区切られており、そこには旅館と見紛うばかりの極上の寝具が綺麗に整えられていた。
窓は大きく取られ、天井の天窓からは月明かりが優しく車内を照らす。
走行音も、霧島がどこからか調達してきた最先端の特殊な防音・防振マットのおかげで、心地よいゆりかごのような微細な振動へと変換されていた。
こうして誕生した『夜行おやすみ列車』は、運行開始の初日から、鉄道界の歴史を塗り替えるほどの爆発的な大ヒットを記録することとなった。
その反響は、瞬く間にSNSや口コミを通じて日本全国へと拡散されていった。
「移動しながら、自宅のベッド以上に熟睡できた!」
「夜中にふと目を覚ましたら、天窓から流星群が見えて感動した」
「翌朝、目が覚めたら体が信じられないくらい軽くて、駅に降りてすぐ最高のコンディションで仕事や観光ができる!」
「これはただの交通手段じゃない、時速100キロで走る動く最高級旅館だ!」
評判が評判を呼び、夜間の移動手段としては異例中の異例の現象が起きた。
これまで夜行バスや窮屈なビジネスホテルの前泊を強いられていた出張中のビジネスパーソンから、時間を有効に使って優雅に旅をしたいシニア層、さらには週末に自分へのご褒美として乗車する若い女性客まで、予約が文字通り殺到。
予約システムがパンクするほどの狂騒曲が巻き起こり、泥川電鉄の夜間稼働率は、ついに驚異の『100%』に達したのだった。
だが……。
この、ただ乗客にぐっすり眠ってほしい、ついでに自分も移動中に寝ていたいという私の純粋(?)な動機から生まれた癒やしの夜行列車が、またしても日本のビジネス界の巨頭たちに、あらぬ「地殻変動」を与えていることなど、当の私は知る由もなかった。
都心の高級ホテルの最上階にあるスカイラウンジ。
そこでは、国内の大手カプセルホテルチェーンの経営者や、ビジネスホテル大手の役員、さらには深夜便の高速バスを運行する総合交通会社の社長たちが、一様に暗い顔で集まっていた。
彼らの手元には、泥川電鉄の『おやすみ列車』のパンフレットと、自社のここ数週間の著しい稼働率低下を示すグラフが置かれていた。
「バ、バカな……! 泥川電鉄は、ただの鉄道会社のはずだろう!? なぜ我々の本業である『宿泊業界』のシェアまで、これほど完璧に侵食してくるのだ……!」
一人のホテルチェーンの社長が、震える手でウイスキーのグラスを煽った。
「これまでは『長距離移動=苦痛であり、移動後にホテルで休むもの』という社会の絶対的な常識があった。だからこそ、駅前のビジネスホテルやサウナが繁盛していたのだ。
しかし、あの黒田という男は、『移動そのものを最上の睡眠空間にする』というコペルニクス的転回によって、移動時間と宿泊時間を完全に融合させてしまった……! これでは、我々が数千億を投じて作ってきた駅前の宿泊施設が、ただの無用の長物になってしまうではないか!!」
「それだけではない……」
隣に座る高速バス会社の幹部が、青ざめた顔で言葉を継いだ。
「我が社の深夜バスも、価格の安さだけではもう太刀打ちできん。泥川の『おやすみ列車』は、価格設定こそ旅館並みだが、得られる睡眠の質が違いすぎる。
ビジネスパーソンたちがこぞって『翌朝のパフォーマンスが全く違う』と泥川に乗り換えているのだ。黒田という男は、日本の労働者たちの『睡眠』という最も根源的なバイオリズムすらも支配し、自らの経済圏に取り込もうとしている……。なんという恐るべきマクロ経済の支配者だ……っ!!」
彼らは、私がただ「みんな疲れてるから、お布団で寝られたら気持ちいいだろうなぁ」と考えただけの単純な事実を、国家規模の「宿泊・交通業界の破壊工作」と勝手に深読みし、黒田宗次という存在の底知れぬ(と彼らが思い込んでいる)知略に、ガタガタと震え上がっていたのだった。
そんな都会のビジネスエリートたちが、勝手に夜も眠れないほどの恐怖とパニックに陥っているとは夢にも思わず。
その頃、私は、夜の帳が下りた泥川駅のホームに滑り込んできた、運行直前の『おやすみ列車』の試運転車両の中にいた。
全席の障子戸が綺麗に閉まり、車内にはほのかにい草の香りと、霧島がブレンドしたカモミールとほうじ茶の甘い香りが漂っている。
スピーカーからは、かすかに遠い打ち寄せ波の音がザザーン、ザザーンと鼓膜を優しく撫でるように流れていた。
私は個室の畳の上に贅沢に敷かれたフカフカの羽毛布団に、どっぷりと体を沈め、枕の具合を確かめていた。
「あ〜〜〜……これは最高だねぇ、千代ちゃん。この適度な畳の硬さと、お布団の柔らかさが、体中の凝りを一瞬でほぐしてくれるようだ。天窓から見えるお月様も、なんだかとても優しいよ……」
「本当に素晴らしい出来栄えです、宗次さん! これなら、どんなに遠くから来るお客さんも、明日の朝には元気いっぱいで笑顔になれますね!」
千代ちゃんも隣の部屋の畳の上で、嬉しそうにゴロゴロと寝転がっている。
「そうだねぇ……。お客さんが喜んでくれるのが一番だけど、何より……これで私も、全国の温泉へ移動する間、ずーっと大の字で寝ていられるからねぇ……。いやぁ、極楽極楽……ふぁぁ……」
私は大きなあくびを一つ噛み締めると、心地よい列車の揺れに身を任せ、出されたばかりの温かいお茶の余韻に包まれながら、またたく間に深い、深い、至福の眠りへと落ちていったのだった。
清潔な羽毛布団とハーブティー、天窓から見える星空――移動しながら熟睡できる『夜行おやすみ列車』は大ヒットを記録。泥川電鉄の夜間稼働率が100%に達する中、利権にしがみつく官営鉄道の保守派トップたちが、物理的な泥川抹殺へ動き出す。




