第22話:乗っ取りファンドの罠
「現代社会を支配するのは株式なのだよ!」公職を追放された馬場が、海外の巨大投資ファンド『ブラック・ウォール』と手を組み、泥川電鉄の株を49%まで秘密裏に買い占める敵対的買収を仕掛けてきた。
日本全国に、前代未聞の空前絶後の大ブームが巻き起こっていた。
泥川電鉄が仕掛けた全国『一駅一温泉』計画は、地方の衰退したローカル線を見事に蘇らせ、観光客のみならず地元住民の生活をも劇的に変えていた。
電車を降りれば、そこには湯気を立てる極上の露天風呂が出迎えてくれる。
この画期的な試みによって、泥川電鉄の評判は文字通りうなぎ上りとなり、地方私鉄としては異例中の異例である、市場での株価も連日のように最高値を更新し続けていた。
そんな日本中が沸き立つお祝いムードの中、都心の最一等地、天空を突くようにそびえ立つ超高層ビルの最上階の一室で、世界の輝かしい夜景を背に、憎しみと嫉妬で目を血走らせている一人の男がいた。
かつて栄光ある官営鉄道の若きエリート局長として辣腕を振るいながらも、泥川電鉄との度重なる衝突の末に組織を追放され、先の大型台風による救援劇の際にも致命的な失態を演じて完全に失脚した男――馬場である。
「くくく……ははは、ははははは! 見ていろ黒田ぁ……っ! 泥川電鉄め……っ!!」
かつての仕立ての良い高級スーツはどこかヨレ、髪を振り乱した馬場は、デスクの上に広げられた泥川電鉄の株価チャートを睨みつけながら、狂ったように笑声を上げていた。
「現場の技術だの、大衆の不確かな人気だの、そんな泥臭い力でこの私に勝った気になっていたようだが、そうはいかんぞ……! 力で勝てぬというのなら、現代資本主義の究極の暴力――『金の力』をもってして、貴様をその小汚い泥川電鉄のベンチから引きずり下ろしてやる!!」
馬場はただ指をくわえて没落を待っていたわけではなかった。
彼は自らの人脈と、泥川電鉄への怨嗟の念のすべてを注ぎ込み、海外の巨大株式ファンド『ブラック・ウォール投資商会』のアジア代表を務める冷酷無比な男、ウォルターと裏で手を組んでいたのだ。
ブラック・ウォール投資商会は、狙った企業を徹底的に買い叩き、解体して利益を貪ることから、市場では『ハゲタカ・ファンド』と恐れられる存在だった。
馬場は彼らの持つ天文学的な資金力を背景に、市場にひっそりと出回っていた泥川電鉄の発行株式を、何十ものダミー会社や代理人を複雑に経由させ、裏で密かに、しかし確実に買い集めていたのである。
「馬場さん、お待たせしました。すべての買収準備が、完璧に整いましたよ」
冷徹な氷のような笑みを浮かべたウォルターが、仕立ての良いスリーピーススーツのポケットから手を抜き、数冊の分厚い契約書類をガラスのテーブルの上に静かに置いた。
高級な万年筆のクリップが、部屋の照明を反射して怪しく光る。
「我がブラック・ウォール投資商会の資金力をもってすれば、泥川電鉄のような地方私鉄の株を集めるなど造作もないことです。現時点で、我々は泥川電鉄の発行株式の『49%』を完全に確保しました。すでに主要な大株主たちの裏工作も完了しています。明日の朝、市場が開くと同時に、我々は株式公開買い付け(TOB)を厳粛に宣言し、一気に過半数の議決権を握ります。これで、泥川電鉄の経営権は名実ともに我々のものです」
「素晴らしい! 最高だ、ウォルター君!!」
馬場は立ち上がり、ガラス窓を叩いて高笑いした。眼下に広がる街並みが、まるで自分の足元にひれ伏しているかのように錯覚する。
「クックック……黒田め、温泉だのみたらし団子だのと、子供の遊びのような真似で王国を築いたつもりになっていたようだが、現代社会を本当に支配しているのはルールなのだ! 『株式』という絶対的な数の暴力なのだよ! 法律と資本のルールという、合法的な手段で、貴様がこれまでに作ったすべてを、根こそぎ泥棒してやるわ!!」
ウォルターは冷たい目で馬場を見つめながら、淡々とビジネスの計画を続けた。
「経営権を掌握した暁には、即座にあの黒田という老人を会社から永久追放します。その後、全国に展開している『一駅一温泉』のすべての温泉施設、および赤字ローカル線の敷地や車両をすべてバラバラに切り売りし、海外の不動産開発デベロッパーへ売却しましょう。我がファンドには、数千億の巨額の利益が転がり込んでくる算段です。地方の住民がどうなろうと、知ったことではありませんからね」
「ハハハ! 徹底的にやってくれたまえ! 明日の朝が待ち遠しいぞ……!」
翌朝。
朝の爽やかな日差しが差し込む泥川電鉄の慎ましい事務所に、信じられないほどの爆音とともに、顔を真っ青にして涙目を浮かべた千代ちゃんが飛び込んできた。
勢い余ってドアが壁に激しくぶつかり、ガタガタと音を立てる。
「宗次さんっ!! 大変です、本当に、本当にとんでもない大変なことが起きちゃいましたっ!! 会社が……うちの泥川電鉄が、悪い人たちに乗っ取られちゃいますぅーっ!!」
「え? 乗っ取り……? 泥棒でも入ったのかい?」
私は日当たりの良い窓際の特等席で、小さな鍋を火にかけながら、絶妙な粘度になるようみたらし団子の甘辛いタレをのんびりと練り上げていた。
あまりに平和な光景に、事務所内の緊迫感が一瞬で霧散しそうになる。私はタレのついたヘラを持ったまま、不思議そうに首を傾げた。
「泥棒どころの騒ぎじゃありませんよ! あの、かつて私達を邪魔してきた馬場が、海外の凄く大きくて悪いファンドを使って、泥川電鉄の株を裏で大量に買い占めていたんです! 今朝、テレビのニュースで『敵対的買収を開始する』って大々的に宣言されて……! これ、専門用語で『TOB』っていうらしいんですけど、とにかく、明日にも臨時の株主総会というものが開かれて、筆頭株主になった彼らの命令で、宗次さんが会社をクビにされちゃうんです! 温泉も全部売られちゃうって……っ!」
青ざめて、今にも泣き出しそうなほどガタガタと震える千代ちゃん。彼女にとって、泥川電鉄と、そこにあつまる温泉の仲間たちは家族も同然だった。
そんな彼女に対し、私は練り途中の鍋の火を止め、ヘラを置いて、至って不思議そうに、小首を傾げて尋ねた。
「ええと……落ち着いてごらん、千代ちゃん。そもそも、その『株』っていうのは、うちの会社を応援してくれる人や、泥川電鉄の電車が好きな人が、お金を出して買ってくれる紙のことだろう?」
「えっ? あ、まあ、基本的には、会社の権利を切り分けたもので、応援の意味もありますけど……でもっ! 過半数の数を買われてしまったら、相手がどれだけ悪い人でも、その言うことを絶対に聞かなきゃいけなくなるシステムなんです! 会社を追い出されちゃうんですよ!?」
「う〜ん、そうは言うけれどさ。わざわざ高いお金を払って、うちの会社の株をたくさん買ってくれたってことはだよ? その馬場さんという人も、外国のファンドの人も、みんなうちの会社が本当は大好きな、とっても大事なお客さんであり、新しい仲間なんじゃないのかい?」
「……は、はいぃっ?」
千代ちゃんは、私の口から飛び出したあまりにも斜め上すぎる発言に、完全に思考が停止したようで、間の抜けた声を上げた。
「だってそうだろう。嫌いな会社の紙切れを、わざわざ自分のお金をたくさん使ってまで欲しがる人なんて、この世にいるわけがないじゃないか。きっと、そのブラック何とかというファンドの人たちも、毎日一生懸命に働いてお金を貯めて、それで『泥川電鉄の仲間になりたいなぁ』って、一生懸命に株を集めてくれたんだよ。うん、間違いない。馬場さんも、本当は寂しかったんだねぇ。また私達と一緒に、泥川のベンチでお茶が飲みたくなったんだよ」
事態の深刻さ、買収ファンドという現代のハゲタカの恐ろしさを、一ミリどころか一ミクロンも理解していない私の超絶ポジティブかつ呑気すぎる態度に、千代ちゃんはガクッと両膝を床についた。
「違います……絶対に違います宗次さん……! 彼らはそんな純粋なファンじゃなくて、私達を破滅させてお金を儲けようとしてるんです……!」
「まあまあ、そんなに警戒しなくても大丈夫。仲間がわざわざ『話がしたい』って、わざわざ株主総会なんていう集まりを開いてくれるんだ。だったら私達も、泥川電鉄らしい最大級の礼儀でおもてなしをしなきゃ失礼じゃないか。よし、明日は温かい美味しいお茶と、この特製の出来立てのみたらし団子をたくさん用意して、みんなで彼らを大歓迎しよう!」
そう言って、私は再び楽しそうにみたらし団子のタレを練り始めた。
千代ちゃんは床にへたり込んだまま、「だめだ、もう終わりだわ……。明日、泥川電鉄は歴史から消えるんだ……」と絶望のどん底に叩き落とされていた。
しかし、その背後で、いつの間にか音もなく控えていた雑用係の霧島だけは、怪しく目を光らせていた。
彼は主である私の言葉を反芻し、その深い(と彼が勝手に思っている)真意を完璧に読み解いていた(つもりだった)。
(……なるほど。あえて敵の土俵である株主総会に堂々と乗り込み、敵が最も誇る『資本の力』を、我が社の圧倒的な『おもてなし』という精神的暴力で無力化するおつもりか。敵のファンドの出資者たちすらも、泥川の胃袋と温泉の虜にして、逆にブラック・ウォール社そのものを裏から飲み込もうという、黒田様の恐るべき逆買収のメガ構想……。ハゲタカを飼い慣らすとは、やはり、底の知れないお方だ……!)
霧島は一人、音もなく深く頭を下げ、明日の「決戦」に向けて、裏で何やら恐ろしい手配を始めるために動き出すのだった。
資本主義のルールで泥川電鉄を完全に解体しようと目論む馬場とファンド連合。
対するは、ただ「新しい仲間が団子を食べに来る」と信じて疑わない、無敵の勘違い老人・黒田宗次。
泥川電鉄の運命を賭けた、あまりにも噛み合わない臨時株主総会の幕が、いよいよ明日、切って落とされようとしていた。
明日クビにされるという絶望の株主総会を前に、「株を買ってくれたなら仲間じゃん」と団子を練る黒田。事態を1ミリも理解していない男のおもてなし精神が、明日の総会を地獄の祭りへと変貌させる。




