第19話:ライバルの罠と、裏目
「これは売名行為の暴走行為だ!」警察の警備隊と大量の新聞記者を引き連れ、深山村の駅へと乗り込んできた、運輸監察官へと降格していた馬場。逮捕状代わりの書類を突きつけ、勝ち誇るが――。
観測史上最大級の超巨大台風が日本列島を通り過ぎ、各地に甚大な爪痕を残した後の、山あいに位置する深山村。
そこでは、泥川電鉄が自社の総力を挙げ、街の商店街や港町の住民たちの協力を得て奇跡的に走らせた、これまでの鉄道の常識を覆す前代未聞の『走るスーパーマーケット』の車内やホームを中心に、温かい交流と命を繋ぐための懸命な救援活動が、まさに今も地域が一丸となって精力的に行われていた頃。
冷え切った村人たちの身体を心の底から芯まで温めるような、大鍋から立ち上るトン汁の豊かな湯気。
そして、暗闇と飢えの絶望の淵から救い出されたばかりの人々の、涙ながらの歓喜に満ちた笑顔に包まれたその感動的な救難の場所から、少し離れた険しい山あいの、泥に塗れた不気味な静寂の中。
この未曾有の大災害という、地域一帯のすべての住民を恐怖に陥れた最悪の危機を、あろうことか己自身の出世と復権のためのこれ以上ない絶好の好機であると冷酷に捉え、黒田と泥川電鉄を今度こそ社会的に完全に抹殺しようと陰湿な陰謀を執念深く画策している一人の男がいた。
その男の名は、馬場。
かつては国営の巨大組織である官営鉄道の局長という、日本の鉄道界における最高峰の、誰もが羨むような輝かしいエリート街道の頂点に近い権力ある地位に君臨していながらも、ローカル線の泥川電鉄、そしてそこで働く黒田への度重なる嫌がらせを陰で仕掛けてはことごとく無残に失敗し続け、自業自得の失態を重ねてきた男。
ついにその度重なる致命的な大失態が上層部の逆鱗に触れた結果、都心から遠く離れた地方のしがない『運輸監察官』という、名ばかりで権限も乏しい閑職へと、惨めに降格させられていた男である。
「ヒヒヒ……! ハハハハハ!」
馬場は、まだ超巨大台風がもたらした大量の雨水の爪痕が深く残り、足を踏み出すたびにズブズブと不快な音を立てる雨上がりのぬかるんだ泥道を歩きながら、胸の奥から湧き上がる醜い邪悪な歪んだ歓喜を抑えきれず、下劣な高笑いを何度も何度も周囲の静まり返った山々に響かせるように上げていた。
泥水が容泄なく跳ね返り、彼が普段から自慢にしていた仕立ての良い高級スラックスの裾や、都心の百貨店で購入した高級な革靴の表面を真っ黒な泥で汚していたが、今の馬場にはそんなことすら全く視界に入らないほど、泥川電鉄を完全に破滅へと追い込めるという幸福な妄想に深く満たされていたのだ。
「見たぞ黒田!
貴様、政府の正式な復旧許可も得ず、行政による確実な安全確認も不十分なままの、いつ新たな土砂崩れや線路の崩落が起きてもおかしくない危険な線路に、お上の目を盗んで勝手に列車を走らせたな!
これは『地方鉄道法』が厳格に定める安全規定、および現在この非常事態において沿線全体に発令されている『非常事態特別法』の条項に対する、一切の弁解の余地すら許されない明白な、そして重大な違反行為だ!」
馬場は、泥川電鉄が泥川駅の商店街や港町の住民たちと協力し、ありとあらゆる物資を車両の中に山積みにして、国に無断で救援列車を深山村へと走らせたという確実な報告を聞くやいなや、長年待ち望んでいたこの千載一遇のチャンスを絶対に逃すまいと動き出していた。
己のこれまでの汚名を一瞬で返上し、かつての栄光ある高級官僚の地位への復権をすべて賭けて、電光石火の勢いで行動を起こしていたのだ。
彼は、監察官という自らの公的な権限を最大限に悪用して無理やり動かした、重苦しい制服に身を包んだ警察の警備隊の面々と、この世紀の大スクープを全国の紙面に大々的に書き立てさせるために、都心の有名な一流新聞社から言葉巧みに集めてきた新聞記者たちを大勢引き連れて、泥泥と深くぬかるむ険しい山道を越え、深山村の駅へと一歩一歩、着実に足を進め、向かっていた。
「いいか記者諸君!
よぉく私の言葉を一言半句も漏らさずにメモ帳に書き留めておくんだ!
泥川電鉄の黒田という男は、一見すると困っている村人を救うための人道的な支援を行っているように見えるが、その本質は、自らの薄汚い名声を世間に高めるための卑劣な売名行為のために、まだ二次災害の危険が色濃く残る極めて不安定な線路へ、過重な荷物をこれでもかと積み込んだ列車を強引に走らせたのだ!
これは乗務員の命や、地域住民の安全をさらなる危険に晒した、極めて無責任で独善的な犯罪行為に他ならない!
これは美しい人道支援などでは断じてない、ただのお上のルールを無視した単なる暴走行為だ!」
馬場は険しい山道でハァハァと荒い息を吐き、額の汗を拭いながら、自分の後ろをゾロゾロとついてくる新聞記者たちに向けて、顔を真っ赤にして鼻息荒く熱弁を何度も何度も振るった。
記者たちは、馬場のその異常なまでの執念と復讐心に満たされた熱量に圧倒されながらも、災害時の違法運行、そして劇的な逮捕劇という世間の耳目を集める刺激的なニュースの見出しを頭の中に思い浮かべ、必死の面持ちで泥に足を取られながらもノートにペンを走らせている。
警察の警備隊の面々も、災害復旧の最中にこのような強硬な取り締まりを行うことに内心では戸惑いを感じつつも、監察官という公的な命令には逆らえず、重い足取りでついていくしかなかった。
(くくく……これで勝った!
ついにあの忌々しい泥川電鉄と、目障りな黒田の首を、白日の下に晒してやる時が来たのだ!
お上が定めた厳格な法律を完全に破ったという厳然たる事実は、どんな言い訳を並べ立てようとも、絶対に動かすことのできぬ決定的な動かぬ証拠!
これで泥川電鉄には問答無用で全線運行停止命令が下り、会社は完全に破産、小娘社長の千代も、そこで立ち尽くすあののんきな顔をした黒田もその場で一発逮捕だ!
私は、災害時のどさくさに紛れた恐るべき違法行為を未然に暴き、地域の鉄道の安全を守り抜いた稀代の功労者として、政府から最大の賛辞を受け、再びあの栄光ある官営鉄道の局長へ、華麗に返り咲くのだ!!)
馬場は、頭の中で完璧に描き出された自らの輝かしい出世物語と栄光の日々に、ニヤニヤと歪んだ、醜い勝利の笑みをその下卑た顔に浮かべながら、ついに深山村の駅ホームへと大足で乗り込んだ。
ホームの向こうでは、座席を取り外された列車の扉から、温かいおにぎりを手にした村人たちや、安心から笑顔を取り戻した小さな子供たちが、私を囲んで和やかに談笑している姿が見える。
湯気の向こうにあるそのあまりにも平和でのんきな光景が、馬場のサディスティックな征服欲とプライドをさらに激しく刺激した。
「そこまでだ黒田ぁぁぁッ!!」
馬場の、鼓膜を突き刺すような鋭い怒声が、静かな深山村の駅ホーム全体へと、これ以上ないほどに大きく響き渡った。
その場にいた村人たちの和やかな会話がピタリと止まり、おにぎりを口に運ぼうとしていた小さな子供が、恐怖に目を見開いて馬場の不気味な姿を振り返る。
新聞記者たちも一斉にカメラを構え、フラッシュの準備を始めた。
「貴様を『地方鉄道安全基準違反』ならびに『無許可運行』の容疑で告発する!
警察諸君、お上のルールを公然と無視したこの大罪人を、ただちにその場で連行しろ!
新聞記者諸君、この違法業者の卑劣な売名行為の真実を、全国の紙面に大々的に書き立てるのだ!!」
馬場は、まるで自分が悪を裁く正義の使者にでもなったかのような勝ち誇った顔で胸を張り、これ見よがしに逮捕状代わりの公式な告発書類を、私の目の前へとバサリと激しく突きつけた。
私のすぐ後ろにいた霧島くんが、「馬場……っ! 貴様、どこまで黒田様の邪魔を……!」と、悔しげに歯を食いしばって一歩前に出ようとするが、私はそれを手にした団扇でそっと制した。
……だが。
馬場が「どうだ!」と言わんばかりにニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべ、周囲を見渡した、その瞬間。
彼の身体は、冷水を浴びせられたようにピきりと硬直した。
周囲の空気は、馬場が頭の中で思い描いていたような、違法業者の悪事が暴かれて人々が納得するような展開とは、全く、完全に、180度異なる、「異常な殺気」に包まれていたのである。
それは、これまで数々の嫌がらせを仕掛けてきた馬場ですら一度も体験したことのない、人間の根源的な怒りが生み出す恐るべき威圧感であった。
物資を運んできてくれた泥川電鉄の乗務員たちだけではない。
今しがたまで温かいトン汁を啜り、泥川電鉄のおかげで命を救われたばかりの深山村の、何十人、何百人という村人たち全員が、手に持っていたおにぎりを強く握りしめながら、地獄の底から這い上がってきた悪鬼のような、恐ろしいまでの怒りと敵意に満ちた目で、一斉に馬場を睨みつけていたのだ。
その圧倒的な殺気と、静かな怒りの波に飲まれ、勝ち誇っていた馬場の顔からみるみるうちに余裕の笑みが消え失せていくのだった。
馬場の予想とは裏腹に、ホームを包んだのは村人たちの「異常な殺気」。自ら連れてきた新聞記者たちのカメラのフラッシュが、今度こそ馬場の政治生命を完全に消し飛ばす逆転劇へと繋がっていく。




