第17話:巨大台風と、孤立した集落
激しい暴風雨が過ぎ去った翌朝。山間部への主要道路が土砂崩れで完全に塞がれ、お年寄りや子供の多い「深山村」が完全孤立した。食料も電気も途絶えた絶望の状況で、男が立ち上がる。
泥川電鉄が運行する『海鮮バーベキュー列車』と、
ルブラン社が全面協力して誕生させた『キッズパーク列車』という最強の二大看板により、
あの寂びれてサビだらけだった港町が、
全国から家族連れや観光客が押し寄せる「日本有数の海辺のリゾート観光地」として、
奇跡の完全復活を遂げてから数ヶ月が経った頃。
季節は移り変わり、爽やかな秋の終わりを迎えていた。
港町のホームや商店街は連日、溢れんばかりの大賑わいを見せており、
水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を泥川電鉄に提供してくれている地元の漁師さんたちも、
まさに満面の笑みを浮かべていた。
「黒田さん! 本当にありがとなぁ!
泥川電鉄のおかげで、うちの組合も新しい漁船を増やすことができたよ!」
そんなふうに、漁師の頭である金蔵さんをはじめとする地元の住民たちから、
毎日のように感謝の言葉をかけられ、
泥川電鉄の未来はこれ以上ないほどに明るく輝いているように思えた。
だが、そんな幸福に満ちた平穏な日々の裏側で、
泥川電鉄の歴史を根底から激しく揺るがすような、
これまでに経験したことのない最大の自然の脅威が、突如として牙を剥いたのである。
それは、遠く南の海上から、
日本の気象観測史上最大級と言われるほどの規模にまで異常発達しながら北上してきた、
まさに怪物のような超巨大台風の襲来であった。
激しい暴風雨が荒れ狂い、世界そのものを叩き潰すかのような轟音が響き渡る夜。
私は泥川駅の古びた事務所の中で、
社長の千代ちゃん、そして雑用係の霧島くんとともに、一歩も外に出られないまま、
ただじっと息を潜めて一夜を明かすこととなった。
ガタガタ、ガタガタ……!!!
と、事務所の頑丈な窓ガラスが今にも割れそうなほどに鳴り響き、
外の様子を窺おうにも、街灯の明かりさえも暴風に吹き飛ばされ、
視界は完全なる漆黒の闇に包まれていた。
時折、遠くで何かが激しく破壊される不気味な音が聞こえてくるたびに、
千代ちゃんは私の袖をぎゅっと握りしめて身を震わせていた。
そして、気が遠くなるほどに長く苦しかった夜が明け、翌朝。
あれほど猛威を振るっていた台風は嘘のように過ぎ去り、
遮るもののない抜けるような青空が頭上に、美しく戻ってきた。
だが、空の美しさとは対照的に、街や沿線が受けた被害の爪痕は、
あまりにも甚大で、悲惨なものとなっていたのである。
「宗次さんッ! 大変です!
各地の駅や駐在所から、信じられないほどの被害の報告が、
次から次へと入ってきておりますわ!」
千代ちゃんは、昨夜の暴風雨で濡れてしまった髪を満足に拭く暇さえ惜しむように、
断線しかけてノイズの混じる固定電話の受話器を何度も何度も握り直し、
必死の面持ちで情報を集めていた。
その顔からは完全に血の気が引き、ノートに書き留める手が小さく震えている。
「特に被害が大きいのは、山間部にある『深山村』です!
村へと続く唯一の主要道路が、山林の大規模な土砂崩れによって、
完全に、跡形もなく塞がれてしまいました!
現場の報告によると、崩落した土砂と巨木の量が多すぎて、
行政の重機を投入したとしても、撤去には最低でも一週間以上はかかるそうです!」
「深山村……?
あそこは確か、お年寄りや小さな子供たちが多く暮らしている集落だったよね」
私は腕を組み、かつて千代ちゃんと一緒にのんびりと電車の窓から眺めた、
緑豊かな美しい山あいの集落の景色を思い出していた。
千代ちゃんは今にも泣き出しそうな声を絞り出す。
「はい……! その通りですわ……!
主要道路が完全に遮断されてしまったせいで、
村へ繋がっている電線も引きちぎられ、電気も途絶えてしまっています!
さらに最悪なことに、食料や医療品、救援物資を運ぶためのトラックが、
一本道のために一切入ることができなくなってしまっているのです!
このままだと、深山村の全体が完全に孤立してしまって、
食料も水も底を突き、大変なことになっちゃいますよぉ……!」
千代ちゃんはおろおろと手元のノートを抱きしめ、頭を抱えた。
その千代ちゃんの言葉を受け、
私の後ろに控えていた霧島くんが、
いつになく真剣で険しい、刃物のように鋭い表情を浮かべて付け加えた。
「黒田様。事態は極めて深刻です。
深山村は非常に険しい山深い場所に位置しており、
政府の救助隊や県庁の災害対策本部が、徒歩で山を越えて物資を運ぼうにも、
最低でも数日はかかると見積もられます。
お年寄りや子供たちの体力を考えれば、まさに一刻を争う事態かと。
何か手を打たねば、村の存続すら危うい状況です」
「泥川電鉄の、山間線の線路はどうなっているの?」
私が静かに尋ねると、霧島くんは素早く手帳を開き、
事前に自社の保線員たちから集めていた線路の状況を確認した。
「それに関しては、奇跡と言うべき状況です。
我が社の山間線の線路は、大昔の職人たちが築いた、
非常に岩盤の堅い強固な場所を選んで通っていたため、
今回の超巨大台風の直撃を受けても、線路自体には大きな損傷はありません。
臨時の安全確認と、線路上のわずかな飛散物の撤去さえ行えば、
今すぐにでも、我が泥川電鉄の列車を深山村の近くまで走らせることができます。
……ですが」
そこで霧島くんは、急に言葉を濁し、
苦渋に満ちた表情で視線を落とした。
「……ですが、黒田様。
我が社にある車両といえば、乗客を運ぶための小さな旅客車両と、
昔から使っているお世辞にも大きいとは言えない、
古びた小さな貨物車が数両あるのみです。
これらの貧弱な設備で、一度に運べる物資の量など、たかが知れております。
村人全員を一週間以上支えるだけの食料を積むには、圧倒的に積載量が足りません。
それに……それ以上に大きな問題があります」
霧島くんは眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、
重苦しい口調で現実の壁を突きつけてきた。
「現在、沿線全体が災害復旧の緊急事態宣言下にあります。
このような状況で、政府の『鉄道省』の正式な許可を得ず、
勝手に線路の安全宣言を出して無許可で列車を走らせれば、
明らかな違法行為となります。
事後、我が泥川電鉄が国からどのような厳しいお咎めを受けるか、
営業停止処分や免許取り消しを含め、計り知れないリスクがございます。
お上のルールを無視して動くことは、組織として不可能なのです」
「お咎めなんて、どうでもいいよ」
私は全く動じることなく、椅子の背もたれに掛けてあった、
少し色あせた泥川電鉄の上着を手に取り、
バサリと音を立てて羽織った。
「今この瞬間にも、食料がなくて困っている人や、
暗闇の中で不安に震えているお年寄りや子供たちが、目の前にいるんだ。
それなのに、書類の手続きがどうとか、お上のルールがどうとか言っている場合じゃないでしょう。
そんなことのために、誰かの命を見捨てるような真似は僕にはできないな」
私のその、あまりにもあっさりとした言葉を聞いた瞬間、
千代ちゃんと霧島くんの二人は、
まるでハンマーで頭を殴られたかのように、その場で息を呑んで硬直した。
「宗次さん……」
千代ちゃんが、憧れと尊敬の入り混じった瞳で私を見つめる。
一方、霧島くんはといえば、
私のその言葉が彼の脳内に搭載された「誇大妄想フィルター」を最大出力で刺激したようで、
ガタガタと全身を武者震いのように震わせ始め、
心の中で猛烈な絶叫を開始していた。
(な……何ということだ……!!
黒田様は、国が定めた絶対的な法律や、鉄道省という強大な権力の圧力すら、
『どうでもいい』と一言で切り捨ててしまわれた……っ!!
普通の経営者であれば、保身のために役所の許可を待ち、時間を空費するところだ。
しかしこのお方は、国家の法秩序すら自らの足元に跪かせ、
ただ『目の前の弱者を救う』という、人間の絶対的な大義のためにのみ動いておられる……!
なんという規格外の器……!
なんという覇王の決断なのだ、黒田宗次様というお方は……っ!!)
私の後ろで、霧島くんの目が怪しくギラギラと輝き、
涙ぐみながら手帳を強く握りしめている。
もちろん、私はただ「ルールより目の前の人の方が大事」という、
子供でも分かるような当たり前のことを言っただけなのだが、
彼の中では完全に「国家権力に反逆する孤独な救世主」の姿に変換されているようだった。
「さて、そうと決まれば時間がもったいない。
千代ちゃん、すぐに泥川の文化住宅の住人さんたちや、
港町の商店街の皆さん、それに漁師の金蔵さんたちに声をかけてくれるかい?」
「えっ……?
みなさんに声をかけて、一体どうするんですか?
まさか、みんなで徒歩で山を登るわけではありませんわよね?」
千代ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
私は、上着のポケットに団扇を突っ込みながら、ニカッと笑って答えた。
「まさか。僕たちは鉄道会社だよ。
集まったみんなの力を借りて、うちの動ける列車を丸ごと……
『走るスーパーマーケット』にするんだよ」
「は、走るスーパーマーケット……!?」
千代ちゃんが驚きで声を裏返した。
「そう。深山村の近くの駅まで、
お肉や野菜、新鮮な魚、それにお水や毛布、懐中電灯から電池まで、
ありとあらゆる生活物資をこれでもかと積み込んで、
列車そのものを移動式の巨大な商店にして向かうんだ。
道路が使えないなら、線路を使って直接、村のすぐそばまで物資を届ければいい。
幸い、うちにはルブランさんからもらった頑丈な大型車両や、
壁が全開になって物資の出し入れがしやすいオープンデッキの車両があるからね。
お店を丸ごと走らせるには、これ以上ない最高の設備だよ」
私のその、一見すると破天荒で、
しかし極めて合理的で誰も思いつかなかった大作戦を聞いた瞬間、
事務所の空気は一変した。
「それ……凄いですわ宗次さん!
それなら、一度に大量の物資を山の奥まで確実に運ぶことができますわ!」
「お任せください、黒田様!」
霧島くんが、弾かれたように前に飛び出してきた。
その眼鏡の奥の瞳は、崇拝の炎で爛々と燃え盛っている。
「この霧島、命に代えましても、
港町の商人たちや漁師たちから、ありとあらゆる物資を瞬時にかき集めてみせます!
黒田様が創造せんとする『走る救難市場』という名の奇跡の箱舟……
その運行のため、この身を粉にして働かせていただきます!」
(黒田様の狙いは、単なる物資の輸送ではない……っ!
あえて『スーパーマーケット』という形をとることで、
被災して絶望の淵にある深山村の住民たちに、
『自分で物資を選ぶという日常の喜び』と『復興への活気』を一瞬ではぎ取って与えるおつもりなのだ!
ただの配給では、人は惨めさを感じることもある。
だが、買い物のワクワク感を伴ったエンターテインメントとして救助を行う……!
なんという悪魔的かつ慈悲深い人心掌握術なのだ……っ!!)
霧島くんは、またしても私の何でもない思いつきに対して、
地球の裏側まで届きそうなほどの壮大な勘違いを膨らませ、
一人で激しく感動の涙を流しながら、猛烈な勢いで事務所を飛び出していった。
「あ、ちょっと霧島くん、命までは代えなくていいからねー、安全第一でねー」
私ののんきな呼びかけなど、
すでにアドレナリンが全開になっている霧島くんの耳には一切届いていないようだった。
「よし、私たちも行きましょう、宗次さん!
泥川電鉄の意地、見せてやりますわ!」
千代ちゃんも元気に拳を突き上げ、
すぐさま電話口へと戻って各地への連絡を再開した。
こうして、政府の許可も役所の書類も一切待たずに、
孤立した深山村を救うための、
泥川電鉄による前代未聞の「暴走救難作戦」が、
濁流のような勢いで幕を開けることとなったのである。
政府の許可も得ず、無許可で線路に列車を走らせるという決断。ルールよりも目の前の命を優先した黒田は、住民たちに声をかける。それは、電車を「走るスーパーマーケット」へと変える奇跡の始まりだった。




