第15話 勘違いする外資系社長
「料理と呼べるか、ボロを出してやる」冷酷な笑みを浮かべ、変装して海鮮列車に乗り込んだ外資系社長ルブラン。出された七輪と生のホタテを前に、彼はまだ己の敗北を予期していなかった。
並走劇がもたらした衝撃は、それからの展開をあまりにも劇的なものへと変えていった。
海外の巨大鉄道資本『ルブラン・コンチネンタル社』が誇る最高級欧風寝台列車『ル・グラン・コンチネンタル号』は、運行開始から一週間もしないうちに、悲惨なほどのキャンセルが相次ぐこととなった。
昨日まで数ヶ月先までぎっしりと埋まっていたはずの予約表は真っ白になり、大理石の敷き詰められた静かな高級食堂車は、本当に誰も乗っていない幽霊列車のようにガラガラになってしまったのだ。
反対に、私たち泥川電鉄が運行する『海鮮バーベキュー列車』の状況は、まさに天と地ほどの差があった。
ホームには一般の庶民や地元の住民たちだけでなく、かつてルブランの豪華列車に乗ってガチガチに緊張していたはずの、都心の富裕層や財閥のトップ、きらびやかな貴族までもが押しかけていた。
彼らは窮屈なドレスや重苦しいタキシードを自宅のクローゼットへ投げ捨て、動きやすいカジュアルな服にわざわざ着替えて、泥川電鉄の切符を求めて連日、駅の外まで続く超満員の大行列を作っていたのだ。
「バ……バカな! そんな不都合があってまるかぁぁぁーーーッッ!!! 何かの間違いだ、こんなことは絶対に認めんぞ!!」
ガタゴトと虚しく空気を運ぶ自社の豪華列車の最高級スイート客室において、日本支社長のジャン・ルブランは、完璧に整えられていたはずの髪を両手で狂ったようにかきむしりながら、部屋の壁が震えるほどの大声で激怒していた。
「なぜだ! なぜ我が社の世界最高峰の技術と資金を結集した最高級列車が敗れ、あんな木屑を集めて作ったような安っぽい『魚焼き電車』に客が群がるのだ!?
フランスの三つ星シェフが監修した至高のフルコースよりも、ただ炭の上で貝を転がすだけの野蛮な食い物の方が良いというのか!?
日本人の舌は全員狂っているのか! それとも、私は悪い夢でも見ているのか!?」
どれだけ机を叩いて怒鳴り散らしても、冷酷な売上データが変わることはなかった。
どうしてもこの現実が納得いかないルブランは、ついに自らの目で敵の正体を見極めるべく、驚くべき行動に出た。
普段の高級シルクスーツを脱ぎ捨て、どこで手に入れたのか、泥川の農家が着るような地味なパッチワークの平民の服に身を包み、大きな鳥打ち帽を目深に被って変装し、泥川電鉄の『海鮮バーベキュー列車』に秘密裏に潜入したのである。
(フン! 誇り高きルブランのトップであるこの私が、直々に潜入してやったぞ。
実際にあの野蛮な乗り物に乗り、その料理を食べてみれば、我が社のフランス料理との格の違い、文化の越えられない壁に絶望するはずだ!
黒田とかいう無学な男の、ボロが出るところを私のこの鋭い眼で見届けて、政府に営業停止を叩き込んでやる!)
ルブランは胸中で傲慢な言葉を唱えながら、オープンデッキ車両の四人掛けの木製ボックス席へと腰掛けた。
やがて、現地の元気な売り子の少女たちが、彼の前のテーブルに赤々と熾った本物の炭火が入った七輪と、今朝獲れたばかりの巨大な生のホタテ、そして泥川特製の秘伝のタレを「お待たせしました!」と愛想よく置いていった。
(チッ、生臭い……。やはりただの野生の食材ではないか。
ソースの工夫もなく、ただこんな泥臭い貝を炭火で焼くだけなど、およそ料理の歴史に対する冒涜だ。
料理と呼ぶことすらおこがましいわ!)
ルブランは内心で激しく毒づきながらも、周囲の乗客たちの真似をして、トングを使って渋々と大きなホタテを網の上へと乗せた。
ジワジワ、パチパチ……。
炭火の熱によって、真っ白なホタテの貝殻が熱せられ、中の大ぶりな貝柱がじっくりと炙られていく。
それをじっと見つめているうちに、ルブランの鋭い鼻腔を、これまで嗅いだこともないような、しかしどこか本能を激しく揺さぶる香ばしい香りが優しくくすぐり始めた。
「む……? な、なんだこの匂いは……。ただの魚介の臭みではない。
炭の香りと、貝の出汁が混ざり合った、妙に引き込まれる香気だぞ……?」
ルブランの額から一筋の汗が流れる。
「お客様、ホタテがパカッと開いたら、こちらの地元産の特製醤油を少しだけ垂らすのが、泥川電鉄流の美味しい食べ方ですよ!」
隣の席の親切な乗客から声をかけられ、ルブランは無言で頷き、言われた通りに醤油をホタテの身にチョロリと垂らした。
シュワァァァァァッッッ!!!!
という、人間の食欲を極限まで狂わせる激しい音とともに、ホタテのエキスと焦がし醤油が網の上でブクブクと泡を吹き、芳醇で濃厚な香りがオープンデッキの車内一面に、これでもかと炸裂して充満した。
ルブランの口の中に、今までにないほどの大量の唾液が一瞬で溢れ出す。
「……く、くそ! 匂いだけは認めてやろう! だが、実際に食べたところで、我が社のフランス料理の複雑なソースの深みには絶対に敵わん!」
ルブランはプライドの最後の砦を守るように意を決し、箸を使って網の上から焼き立ての手が震えるほど熱々のホタテをつまみ、一気に口の中へと放り込んだ。
——その瞬間!
ルブランの脳天に、まるで巨大な雷が直撃したかのような、凄まじい衝撃が走った!
「う……うお、うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!???? な、何だこれはぁぁぁーーーッッ!!!」
ルブランはあまりの衝撃に、思わずボックス席から立ち上がりそうになった。
歯を押し返すような、プリップリの圧倒的な弾力ある最高の歯ごたえ!
そして咀嚼した瞬間に、口内へ濁流のように溢れ出してくる、ホタテ本来が持つ濃厚でクリーミーな海の旨味と、爽やかな潮の風味!
それらを完璧な黄金比で優しく、かつ力強く包み込んでいるのが、炭火の熱で焦げた特製醤油の圧倒的な香ばしさであった。
「な、なんだこれは……! 美味い……美味すぎる……!
私は今まで、一体何を食べていたのだ!?
複雑なハーブも、何時間も煮込んだフォンドボーもないというのに……!
素材の持つ圧倒的な野生のポテンシャルが、炭火と鉄網という、単純にして極限まで洗練された調理法によって100%以上の次元で引き出されている……!
この完璧な引き算の美学は……一体何なのだ……!?」
ルブランの美しい青い瞳から、大粒の涙がポロポロと、堰を切ったようにこぼれ落ちて、平民の服を濡らしていった。
彼が涙を拭いながら、ハッと我に返って周囲を見渡すと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
すぐ近くの席では、都心で名を知られた大富裕層の老紳士が、地元の貧しい若者と一緒になって「熱い熱い!」と言いながら笑顔でエビを分け合い、楽しげに乾杯を交わしていたのだ。
そこには、身分の差も、貧富の差も、国籍の壁すらも存在しなかった。
ただ、ひとつの七輪を囲み、同じ美味しいものを食べて笑い合う、人間の純粋な幸福の空間が、列車の揺れとともに確かにそこに存在していた。
ルブランは両手で頭を抱え、ベンチに崩れ落ちるように座り直した。
そして、自身のこれまでの浅はかで傲慢な生き方を、猛烈に恥じた。
(……おお、神よ! ルブランの祖先よ! 私はなんと愚かで、度し難い凡夫だったのだ……!
私は金箔で飾られた『豪華な装飾』や、一般人が買えないような『高額な値段』、格式張ったマナーこそが至高の高級であり、文化の本質なのだと、盲目的に信じ込んでいた!
だが……だが、あの黒田という男の思想は、そんな私の次元を遥かに超越していたのだ……!)
この瞬間、ルブランの天才的な脳内で、泥川電鉄名物の凄まじい「勘違いフィルター(誇大妄想)」が、霧島くんをも凌駕する勢いで大爆発を引き起こした!
(黒田宗次は……単にお腹を満たすために魚を走る車内で焼いているのではない!
彼は、西洋の階級社会が生み出した、あの冷徹で人々を分断する『孤立した気取りのマナー』を、炭火の熱によって跡形もなく焼き尽くし、破壊していたのだ!
そして、食と鉄道という誰もが共有できる移動体験を通じて、この世界を生きる人間が、誰もが平等に対等に笑顔になれる『究極の人間賛歌の空間』を、この短い線路の上で完璧にプロデュースしていたのだ……!!
なんという平和の具現化だ……!)
ルブランは激しい感動と畏怖のあまり、震える両手で自分の顔を覆い、声を詰まらせた。
(なんという恐ろしい男……! なんという深遠な哲学を持った、東洋の偉大なる哲学者なのだ……!
私のような小物が、外資の金の力で買収しようなどと企んでいたことすら、彼の前では子供の砂遊びに過ぎなかった。
私は最初から、彼の巨大な掌の上で、ただ転がされて踊らされていただけに過ぎなかったのだ……ッ!!
彼は、私の傲慢さを正すために、あえて私をこの列車に招き入れたのだ……っ!)
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!! 私は間違っていた! 黒田様ぁぁぁーーーーーッッ!!!!」
ガタゴトと波打ち際を走る、どこまでも平和な海鮮列車のオープンデッキの車内に、変装した世界的大企業の社長による、魂の底からの大号泣と懺悔の声が、激しい波の音にかき消されながらも、いつまでも虚しく響き渡るのだった。
単純にして極限の調理法がもたらす圧倒的な旨味に、外資系社長は号泣。「これは究極の人間賛歌の空間だ……っ!」凄まじい勘違いフィルターが発動した車内で、物語は予想もしない斜め上の展開へ!




