第14話 お高取りな高級路線 VS 手づかみ海鮮
運行開始からわずか三日。富裕層を乗せてガチガチの緊張とマナーを強いる外資系の豪華列車。その隣の線路を、香ばしい磯の香りを爆散させる泥川電鉄のボロ列車が並走し始める!
泥川電鉄が港町の寂れた車庫で、現地の漁師さんたちと汗を流しながら古い貨物車両の壁をぶち抜き、特製のオープンデッキ車両を完成させてから数週間後。
この広大な海に面した港町線という舞台において、誰もが予想だにしなかった前代未聞の『鉄道対決』の火蓋が、ついに切って落とされることとなった。
「宗次さんッ! 大変です! 今度こそ本当に、中央のニュースでも大々的に取り上げられるほどの大事件になっておりますわ!」
社長の千代ちゃんが、血の気が引いたような青ざめた顔をして、朝一番に都心から届いたばかりの新聞を事務所の机の上にバサリと広げた。
そこに躍っていたのは、海外巨大資本の圧倒的な財力を誇示するかのような、あまりにも煌びやかで仰々しい特大の広告記事だった。
『外資系巨大鉄道資本が日本のローカル線に電撃参入! 世界最高峰の技術を結集した最高級欧風寝台列車「ル・グラン・コンチネンタル号」ついに本日より運行開始!
一等特別展望チケットの価格は、当時の物価としては破格の百円!
フランス本国から招いた超一流三つ星シェフによる至高のフルコース料理と、貴族の館を思わせる究極のラグジュアリーなくつろぎを、日本の皆様に提供いたします!』
「大変なことになっちゃってます! 都心の貴族様や大金持ちの財閥の人たち、モダンな知識人の人たちが、みんなあっちの金ピカの豪華列車に一目惚れして、こぞって予約を入れちゃったんです!
そのせいで……せっかく私たちが一生懸命作った『海鮮列車』の予約が、今日から全然入らなくなっちゃいましたよぉ!」
千代ちゃんはおろおろと両手を激しく振り回し、今にも涙をこぼしそうな顔で頭を抱えている。
だが、渦中の私はといえば、事務所の改札口のすぐ脇に持ち込んだ私物の珪藻土の七輪を使って、炭火でパチパチと音を立てる大きなサザエを焼きながら、相変わらずのんきにパタパタと団扇で仰いで笑っていた。
「まあまあ千代ちゃん。そんなにカリカリ怒っていると、せっかくの綺麗な顔が台無しだよ。ほら、見てごらん。地元の漁師さんが今朝獲ってきてくれたサザエが、ちょうど良く焼けてブクブクと泡を吹いているよ。これ、とっても美味しそうだから半分こして食べる?」
「食べてる場合じゃありませんってば! 宗次さんはどうしていつもそんなに暢気なんですか!」
千代ちゃんは机をバンと叩いて、私に全力の抗議の声を上げた。
「相手は金箔で彩られた世界最高級の豪華列車で、おフランスの一流シェフが付きっきりで贅沢な料理を作っているんですよ!?
それに対して、うちの『手づかみで泥臭く魚を焼く列車』なんて、向こうのジャン・ルブラン社長から『東洋の野蛮人で貧乏臭い発想だ』って、都心の社交界で思いっきりバカにされているんですからね!」
「う〜ん、でもさ」
私は全く動じることなく、小さな竹筒に入った特製の醤油を、七輪の上で香ばしく焼けているサザエの身にトトッと一滴垂らした。
ジュワワワッッ!!!
という激しい音とともに、白い湯気が一気に立ち上り、それと同時に部屋中に何とも言えない香ばしい磯の香りと、焦がし醤油のたまらない匂いが一瞬で満ち溢れた。
「確かにね、ドレスコードをガチガチに決めてさ、高級なタキシードやドレスを着て、慣れないナイフとフォークを使って、マナーを気にしながら緊張して食べるフランス料理も、たまの贅沢にはいいかもしれないけれど。
でもさ、毎日の窮屈な仕事や都心の生活、疲れた日常からわざわざ離れて、わざわざ往復何時間もかけてこの広い海を見に来たお客様たちが、心の底から本当に求めているのって、そういう『お高くとまった窮屈な高級感』なのかなぁ?」
「え……?」
私の言葉に、千代ちゃんは怒るのを忘れてぽかんと口を開けた。
「お腹をペコペコに空かせてさ、窓を全部開けて本物の潮風を思いっきり浴びながら、熱々の貝殻を自分の手で持って、みんなでワイワイ『熱い熱い!』って笑い言いながらかぶりつく。
大切な人と一緒に、気取らない笑顔で過ごす時間の方が、遠くの海まで遊びに来た休日としては、絶対に楽しいと僕は思うんだけどねぇ」
私のその、ただの食いしん坊の言い訳にしか聞こえないのんびりとした予言通り、事件は運行開始からわずか三日という驚くべき短期間で現実に起きることとなった。
ところは変わり、ルブランの誇る最高級欧風寝台列車『ル・グラン・コンチネンタル号』の、大理石が敷き詰められた静かな高級食堂車の車内。
都心から大金を払って乗車した、最高級のタキシードや華やかなイブニングドレスに身を包んだ日本の富裕層や華族の乗客たちは、お互いに一言も喋らず、ガチガチに緊張した面持ちでテーブルに向かっていた。
(……なぁ、目の前にスプーンが三本も並んでいるが、このスープには一体どのスプーンを使えば正解なんだ?)
(もしもマナーをひとつでも間違えて、カチャリと音でも立ててしまったら、周囲の目が肥えた上流階級の方々に『育ちが悪い』と笑われてしまうわ……)
(車内がまるでお葬式のように静かすぎて、お皿が擦れる音すら響く。これでは、まともに息をするのすら窒息しそうだ……)
海外の格式をそのまま持ち込んだ過剰なドレスコード、厳格すぎるテーブルマナー、そして笑顔ひとつ見せずに冷徹に皿を運んでくる気取ったフランス人の給仕たち。
せっかくの楽しい休日を過ごすためにやってきたはずの富裕層たちは、一皿、また一皿と冷たい高級料理が運ばれてくるたびに、「これでは仕事をしている時よりもまったく寛げない、苦痛だ」と、心の中で激しいストレスを感じ始めていたのだ。
そんな、沈黙と緊張が支配する最悪のディナータイムの真っ最中であった。
ガタゴト、ガタゴト……!!!
と、静かな車内に場違いなほど賑やかで力強い走行音が響き渡り、ルブランの豪華列車のすぐ隣に敷かれた泥川電鉄の線路を、私たちが手作りした『海鮮バーベキュー列車』が、ほぼ同じ速度で並走し始めたのだ!
側面の壁と窓が豪快に全開になった、木目調の開放的なオープンデッキ車両。
その開いた窓から、海風に乗って豪華列車の静かな車内へと一気に流れ込んできたのは——。
本物の炭火でパチパチと香ばしく炙られた、新鮮な伊勢エビの殻の匂い、そしてあの秘伝の焦がし醤油がジュワジュワと泡を吹く、人間の原始的な食欲をこれでもかと刺激する狂おしいほどの最高の匂いだった!
さらに、開いた窓の向こうからは、泥川電鉄の車内から溢れんばかりの、乗客たちの本当に楽しそうな笑い声と歓声が響いてきた。
「かんぱーい!! いやあ、金蔵さんのところで獲れたこの特大サザエ、信じられないくらい歯ごたえがあって最高に美味いな!」
「お父さん見てごらんよ! 網の上の大きなホタテがパカッと開いて、エビが炭火で真っ赤に焼き上がっているよ! 早く食べよう!」
「こういうのはね、マナーなんか気にせず、手で持って豪快にガブリとかぶりつくのが一番のご馳走なんだよ! ガハハハハ!」
ルブランの冷たい豪華列車の窓から、その眩しいほどに楽しげな光景を目撃した富裕層の乗客たちは、ゴクリと激しく生唾を呑み込んだ。
彼らの目は、並走する泥川電鉄の車内に釘付けになっている。
「な……なんだ、あの楽しそうな列車は!?」
「乗客たちが……身分の壁もなく、子供から大人までみんなが心から大笑いしているぞ……!」
「それに、あの窓から入ってくる香ばしい海鮮焼きの匂いは一体何なんだ……!
今、目の前にあるフランスの高名なシェフが作ったという、この冷たくて気取ったコンソメスープより、よっぽど温かくて美味しそうじゃないか……!」
「私は……私はドレスコードなんて脱ぎ捨てて、あの煙まみれの列車で、熱々のエビを自分の手でもぎ取って食べたい……っ!」
ドレスコードという名の見えない鎖に縛られ、窮屈な高級感に限界を迎えていた富裕層たちの心は、この瞬間、一撃で泥川電鉄の『海鮮バーベキュー列車』へと完全に奪われてしまったのであった。
一方、この並走する車内の一番後ろの席で、乗客に混ざってホタテをハフハフと頬張っていた私の後ろでは、雑用係の霧島くんがまたしても眼鏡の位置を直し、全身を感動でガタガタと震わせながら心の中で絶叫していた。
(何ということだ……!
黒田様は、ルブランが仕掛けてきた『圧倒的な高級感の壁』を、人間の根源的な欲求である『食欲』と『自由の解放』によって粉々に打ち砕いてしまわれた……!)
新章でも、霧島くんの誇大妄想のブレーキは完全に壊れていた。
(敵は高価なドレスコードで客を縛り、自らのブランドを高めようとした。
しかし黒田様は、あえてそれを逆手に取り、移動する車内を『日常のストレスから完全に解放される楽園』へと昇華させたのだ。
あの気取った高級列車に乗っている富裕層たちが、今や泥川の煙を羨望の眼差しで見つめている……。
戦わずして、敵の顧客の心を根こそぎ奪い去るというのか!
なんという……なんという深謀遠慮、なんという恐るべき悪魔的心理戦なのだ、黒田宗次様というお方は……っ!!)
私がただ「う〜ん、焦げたお醤油が本当に美味しいねぇ、千代ちゃん」とのんきに笑っている横で、霧島くんは「これぞ王の戦術……!」と一人で涙を流して深く感動していた。
この並走劇をきっかけに、ルブランの豪華列車の乗客たちによる「泥川電鉄への鞍替え」が大量に発生し、事態はさらに面白い方向へと転がっていくことになるのである。
ドレスコードに縛られた大金持ちたちの心を一瞬で奪った焦がし醤油の匂い。高級路線の予約が全キャンセルされるという大不都合に激怒した外資系社長は、自ら変装して『海鮮列車』への潜入を試みる。




