第12話 荒れ果てた港と、海鮮バーベキュー
若い奴らは去り、電車は一日数本。すっかり終わった港町に降り立った黒田たち。絶望する一同の中、線路のすぐ横に広がる青い海を見た元企画屋の脳細胞が、再び覚醒する。
ガタゴト、ガタゴト……。
シュシュシュと白い煙を豪快に吐き出しながら走る蒸気機関車に揺られること二時間。
泥川電鉄ののどかな風景から離れ、山を越え、トンネルをいくつも抜けた先で、ついに窓の外に広大な青い海が見えてきた。
しかし、到着した『港町線』の終点・港町駅に降り立った私たちの目に飛び込んできた景色は、
事前の想像を遥かに超えて凄惨で、寂れきったものだった。
「これは……思った以上にひどい状態ですね……。言葉も出ませんわ……」
若き社長の千代ちゃんが、駅のホームに一歩を踏み出した瞬間、思わず顔を曇らせて小さく息を呑んだ。
駅舎を支える木材は長年の潮風ですっかり腐りかけ、かつては白く美しかったであろうペンキは無残に剥げ落ちて、地面にボロボロと散らばっている。
ホームを囲む鉄柵は、塩害によって真っ赤にサビついており、今にも崩れ落ちそうだ。
改札口には切符を検める改札係の姿どころか、人っ子一人見当たらない。
駅のすぐ裏手には、どこまでも広がる美しい大調和の海が広がっているのだが、
港に停まっている漁船の数も数えるほどしかなく、街全体にどんよりとした重苦しい、
まるで時間が止まってしまったかのような寂寞たる空気が漂っていた。
「はぁ……あんたらが、あの噂の泥川電鉄の人たちかい?」
私たちが誰もいない静まり返った駅から外の広場へと出ると、
潮風に長年晒されて真っ黒に日焼けした、顔に深い皺を刻んだ一人の老漁師が、不機嫌そうな顔で煙草に火をつけながら声をかけてきた。
「ええ、私は技術長官の黒田宗次と申します。こちらが泥川電鉄の社長の千代です」
「おいらはこの港で漁師の組合長をやっとる金蔵だ。
……まあ、国の大物からの要請でわざわざこんな遠いところまで来てもらったんだが、先に言っておく。無駄足だと思うよ。
ここもな、昔は海外からの貿易船が何隻も停泊して、水揚げされた山のような魚を都心へ運ぶ貨物列車で、昼夜を問わず大賑わいだったんだがねぇ。
今じゃ新しい物流ルートができて船も来ねぇ、若い奴らは全員都心へ出ていく、電車は一日に数本しか走らねぇ……すっかり終わった街だよ。
今更、泥川電鉄のやり方が通用するような場所じゃねぇのさ」
金蔵さんは深く、長く、ため息をつきながら、煙草の煙と一緒に諦めの言葉を吐き出した。
その視線は、かつての栄光を懐かしむように、静まり返った寂しい海を寂しそうに見つめている。
だが、そんな絶望的な空気の中で、私の視線は全く別の場所に向いていた。
それは、駅のホームから本当に目と鼻の先にある、どこまでも透き通った『海』そのものだ。
この港町線の素晴らしいところは、線路が海岸線のすぐギリギリを並行して通っており、波打ち際までほんの数メートルしか離れていない点にある。
ガタゴトと走る列車のすぐ横で、白い波しぶきがザバーンと音を立てて弾けているのだ。
「ねえ千代ちゃん、金蔵さん」
「はい? 何ですか宗次さん。こんな寂れた光景を見て、何かいいアイデアでも浮かびましたの?」
「ここ、最高じゃないか。本当に素晴らしいロケーションだよ」
「「は……?」」
千代ちゃんと金蔵さんが同時に、完全に呆気にとられたような素頓狂な声をあげた。
金蔵さんに至っては、あまりの私の的外れな発言に、咥えていた煙草を地面に落としそうになっている。
「だってさ、千代ちゃん。線路のすぐ横が本物の美しい海なんだよ?
電車に乗りながら、窓を開ければこれだけの素晴らしい潮風と、遮るもののない大パノラマの絶景を同時に楽しめる場所なんて、都心のどこを探したって絶対にありはしないじゃないか」
「そ、それはそうですけど……景色が良いだけじゃ、今の都心の人たちは、わざわざ往復四時間もかけて電車に乗ってお客さんとしては来てくれませんよ?
官営鉄道さんだって、景色を売りにした高級列車を作って失敗しているんですから」
「景色だけじゃないよ、千代ちゃん」
私はニッコリと、どこまでも楽しそうに満面の微笑みを浮かべた。
「金蔵さん、さっき『船は来ないけれど、網を投げれば獲れたての最高の魚はある』って言っていたよね?」
「ああ、そりゃあな。この海のポテンシャルを舐めてもらっちゃ困る。
網を投げれば、身の引き締まった最高級のサザエや大ぶりのホタテ、プリプリの伊勢エビなんかはいくらでも獲れるさ。
だがな、それを都心へ運ぶ物流の足がないし、港に買い付けにくる客もいないから、
獲っても全部捨て値で二束三文で売るか、おいらたちが自分で毎日飽きるほど食べるしかないんだよ」
「それだよ! それこそが最大の武器じゃないか!」
私は大声でパンと手を打ち鳴らした。あまりの勢いに、背後で黙って控えていた霧島くんがびくっと反応する。
「ねえ千代ちゃん。港のすぐ横に線路があるのなら、あの車庫で錆びついて放置されている、廃車寸前の古い屋根付き貨物列車を引っ張り出してさ。
側面の壁を大胆に全部ぶち抜いて、窓ガラスも横皿もない、完全に吹き抜けの『海が見えるオープンデッキ車両』を新しく作ろうよ」
「オープンデッキ……ですか? 壁も窓もない車両なんて、雨が降ったら大変じゃ……」
「雨の日は屋根を閉めればいいさ。
それよりも大切なのは、その車内の座席の前に、頑丈な本物の『珪藻土で作った七輪』を一台ずつ設置するんだよ。
そして、金蔵さんたちが今朝獲ってきたばかりの、まだピチピチと生きているサザエやエビ、肉厚のホタテを、乗客が自分たちの手でその場のおこしたての炭火で焼きながら食べるんだ。
車窓からどこまでも続く青い海を眺め、最高の潮風を全身に感じながら、焼き立ての海鮮に特製の秘伝醤油をジュワッと垂らす。
その香ばしい匂いが車内に満ち溢れて、よく冷えた地酒やビールと一緒に味わえたら……これ以上ないほど最高に楽しい旅になると思わない?」
「それ……絶対に美味しいです!! 間違いありませんわ!!」
千代ちゃんの目が、私の具体的な料理の描写を聞いた一瞬で、まるで星のようにキラキラと輝きだした。
彼女は泥川電鉄の有能な社長であると同時に、実は隠れた根っからの食いしん坊なのだ。
頭の中で炭火に炙られる貝のイメージが完璧に出来上がってしまったらしい。
「焼きたてのプリプリのサザエ……。炭火で焦げる、あの香ばしい醤油の匂い……。海を見ながら贅沢にガブリと食べる大エビ……あぁ、想像しただけで、よだれが止まらなくなってきちゃいました!」
「だでしょう? 移動するだけの電車じゃない。お腹も心も満たされる、名付けて『海鮮バーベキューレストラン列車』だ!」
地元の漁師組合長である金蔵さんも、私のあまりにも突飛で、しかし確実に美味そうな提案に、目をこれでもかと見開いて驚愕していた。
「お、おいおい……ちょっと待て……! 電車の中で煙をモクモクと立てて魚を焼くだと!?
そんな狂ったバカな真似、おいらの長い漁師人生でも見たことも聞くこともねぇぞ!
だが……おい、黒田の兄ちゃん。もしそれが本当なら、俺たちが命がけで獲った自慢の魚が、毎日山のよう売れるってことか!?」
「もちろんです、金蔵さん!
中間の仲介業者を挟みませんから、地元の漁師さんたちから、都心で売るよりも高い値段で直接全量買い取らせていただきます。
泥川電鉄が、皆さんの新しい足になります!」
「本当か!? 本当にそんな美味い話があるんだな!? よし! そうと決まれば、こんなところで油を売っている暇はねぇ!
港に残っている頑固な野郎どもを全員叩き起こして集めて、お前さんたちの列車作りにすぐに全面協力させてもらうぞ!!」
金蔵さんは、さっきまでのどんよりとした暗い表情を嘘のように吹き飛ばし、今までにないほどの満面の笑みを浮かべて、
港に向かって大声を上げながら全力で走っていった。
一方、事務所の隅でずっとこのやり取りをじっと見守っていた霧島くんは、またしてもその体を武者震いのようにガタガタと激しく震わせ始め、
眼鏡の位置を直しながら心の中で絶叫していた。
(な、何ということだ……!
黒田様はまたしても、常人の域を遥かに超越した神がかり的な戦略を平然と組み立ててしまわれた……!)
霧島くんの誇大妄想のスイッチが、新章でも完璧に入ってしまったようだ。
(馬場局長たち官営鉄道の連中は、国営の物流という巨大な利権が消えた時点で、この港町線を完全に見捨てて廃線にしようとした。
しかし、黒田様は『物流』としての価値が消えた線路を、瞬時に『観光と外食』という最高付加価値のエンターテインメント空間へと再定義されたのだ……!
しかも、地元の漁師たちをただの仕入れ先にするのではなく、利益を直接還元する『パートナー』として囲い込むことで、
現地の絶対的な支持と労働力を一瞬で掌握された……。
なんと、なんと恐るべき人心掌握術、そして悪魔的とも言えるビジネスモデルの構築能力なのだ……っ!!
このお方に敵対する者は、今度こそ跡形も残らず破滅するに違いない……!!)
「黒田様!!」
霧島くんは突然、私の前に進み出て鋭い敬礼をした。
「この霧島、新たな覇道の始まりの瞬間に立ち会えて、五臓六腑が煮えくり返るほどの感動を覚えております!
直ちに港の倉庫に眠っている使えそうな貨物車両の選定に入り、側面の解体作業の指揮を執ります!」
「あ、うん。よろしくね霧島くん。
でも、あんまり無理して車両を壊しすぎないでね。怪我をしないように、のんびりやろう」
私は早速、長年使われずにサビついて車庫の奥深くに放置されていた、古い木造の有蓋貨物列車を数両、線路の上へと引っ張り出した。
そして、地元の漁師さんたちから借りた大きなノコギリやバールを手に取り、
海に面した側の壁を大胆にぶち抜いて、潮風が通り抜けるウッドデッキ風の座席へと大改造する作業を開始した。
大正レトロな雰囲気を残しつつ、各座席の中央には特製の七輪が収まるように、天板に綺麗な丸い穴をあけた木製テーブルを据え付ける。
こうして、ただの大赤字のお荷物路線だった港町線で、
泥川電鉄による誰も見たことのない新たな大逆転の挑戦『海鮮バーベキューレストラン列車』の制作が、現地の熱い活気とともに力強く始まったのだった。
側面をぶち抜いた貨物列車で魚を焼く、前代未聞の『海鮮バーベキューレストラン列車』の開発。地元の漁師たちが活気を取り戻す中、都心の高級ホテルでは、彼らを「野蛮」と嗤う欧州の巨大鉄道王が動き出していた。




