第10話:最高のおもてなしと、大逆転
「買収のつもりか、誤魔化されんぞ」気むずかしい顔で箸を伸ばす鉄の監察官。国家の権力者たちと、車内で魚を焼くボロ私鉄の、命運を分けた食卓が始まる。
ガタゴト、ガタゴト。泥川電鉄の古い木造車両は、都心の最新鋭の鋼鉄製列車のようなスピードこそないものの、
どこか懐かしく、乗る者を安心させる独特の規則正しいリズムで揺れていた。
私は、鋭い眼光を崩さない政府鉄道省の政務次官・鷹司をはじめとする、
気難しそうな顔をした査察団の皆様を、泥川電鉄がこの日のために用意した『特別おもてなし車両』の特等席へとご案内した。
その車両の内装は、彼らが普段乗っている官営鉄道の豪華絢爛だが冷たい一等車とは全く異なっていた。
座席には、地元の職人が丁寧に編み上げたばかりの、い草の香りが優しく漂う緑鮮やかな「畳」が敷き詰められている。
窓際には、私が地元の杉の廃材をカンナで丁寧に削って作った、温かみのある小さな木製の長テーブルが設置されていた。
「……フン、買収のつもりか。我々は政府の厳格な査察団だぞ。このような貧相な田舎の車両で、誤魔化されると思ったら大間違いだ。黒田、無駄な抵抗はやめて、大人しく運行規律違反の罪を認めろ」
鷹司は腕を組み、畳の座席に腰掛けながら、これっぽっちも表情を崩さずに冷酷な言葉を突きつけてきた。
背後の高官たちも、手帳とペンを構え、いつでも泥川電鉄の弱みを取り締まろうと、ギラギラとした目を光らせている。
「まあまあ、皆様。お堅いお話は後にして、せっかくですからまずは、地元の茶葉を丁寧に摘んで淹れた、温かいお茶をお一口どうぞ。それから、こちらの泥川の採れたて野菜と地元の美味しいものをぎゅっと詰め込んだ、特製のお弁当でございます。どうぞお召し上がりください」
私が笑顔で差し出したのは、沿線の農家さんたちが今朝一番で届けてくれた新鮮なみずみずしいお野菜や、
近くのお寺の参道で名物となっている甘辛いタレを絡めた焼き魚、
そして炊きたてのツヤツヤとしたお米が綺麗に並んだ、手作りの竹皮弁当だった。
「……ふん。我々都心の人間が、このような田舎の野良仕事の合間に食べるような弁当に、今更感動するとでも思うのか」
鷹司は気むずかしい顔を崩さないまま、しかし長旅で確かにお腹が空いていたのだろう、渋々と木製のお箸を伸ばし、
地元の煮物を一口、口へと運んだ。
その瞬間だった。
鷹司の動きが、まるで時が止まったかのようにピタリと静止した。
その眼鏡の奥の、鋭かった目が信じられないほど大きく見開かれる。
「む、むむむ……!? これは……美味い! なんだ、この地元の食材の、滋味溢れる深い旨味は……! いや、それ以上に不思議なのは、このガタゴトと前後に心地よく揺れる車内で食べる食事が、なぜこれほどまでに美味しく、そして私の冷え切った心を芯から心地よく解きほぐしていくのだ……!?」
「え、政務次官……?」
後ろに控えていた高官たちが驚いて顔を見合わせる。
彼らも促されるようにしてお弁当を一口食べると、「う、美味い!」「なんだか、故郷の母親の料理を思い出すような優しさだ……!」
と、次々に箸を止めることができなくなっていった。
窓の外には、黄金色に輝くのどかな田園風景がゆっくりと流れていく。
そして線路の脇の道を歩いている、泥川電鉄の文化住宅の住民たちや子供たちが、
走る電車に向かって「あ、泥川電鉄だ!」「おーい!」と、みんなが本当に嬉しそうに、満面の笑顔で千切れんばかりに手を振っている姿が映し出された。
さらに、列車がガタゴトと次の駅に近づくと、隣の車両から、パッと心が明るくなるような、爽やかで初々しい鈴の鳴るような歌声が響いてきた。
『泥川少女歌劇団』の少女たちが、乗客の皆さんを楽しませるために、心を込めて歌い、踊っているのだ。
「皆様、どうですか? 泥川電鉄ののんびりとした旅は、少しは楽しんでいただけましたでしょうか?」
私が湯呑みをお渡ししながら、いつも通り優しく微笑むと、
それまで「鉄の監察官」として恐れられていたはずの鷹司政務次官は、
突如として激しく感極まった様子で立ち上がり、私の両手をガシッと、痛いほどの強さで激しく握りしめた。
その目には、大粒の涙が浮かんでいる。
「す……素晴らしい……! 実に素晴らしいぞ、黒田君!!」
「え?」
私の後ろで息を呑んでいた千代ちゃんと、いつでも刀を抜く準備をしていた霧島が、同時にひっくり返りそうになって声を上げた。
「これだ! これこそが、我が国がずっと探し求めていた真の鉄道の姿だ!」
鷹司は熱く、熱く語り始めた。
「これまでの鉄道省や官営鉄道は、ただ乗客を早く、効率よく運ぶことしか考えていなかった。移動時間とは、人々にとってただの『退屈な我慢の時間』に過ぎなかったのだ! しかし、君はどうだ! 国民の移動時間をこれほどまでに豊かで楽しいものに変え、地域の農家や温泉街、商店街の産業を潤し、沿線で暮らす人々の笑顔にこれほど溢れた鉄道経営をしてみせた! 交通網を混乱させるどころか、これこそが我が国がこれから目指すべき、究極の『理想の地方創生』、そして『日本の誇るべき文化』ではないか!!」
査察団の高官たちも、お弁当を完食してハンカチで涙を拭いながら、
一斉に立ち上がって万雷の拍手を送り始めた。
「お見事です、黒田殿!」
「我が省の基準などという、小さな枠に収まる経営ではない!
」「泥川電鉄こそ、国の宝だ!」
「それに引き換え……!」
鷹司は急に顔を真っ赤にして、怒りで拳を震わせた。
「官営鉄道の馬場と来たら! 私利私欲と嫉妬に目が眩み、無理な突貫工事で水脈を壊し、無謀な投資を行って国の予算を大赤字に陥れ、挙句の果てにはこのような優秀な泥川電鉄を陥れようと、我が省に虚偽の密告まで働きおった! 我が国の鉄道事業を泥塗りにしようとした大罪人め! 断じて許せん!!」
翌日。
都心の一等地にそびえ立つ、官営鉄道の豪華絢爛な局長室。
「ハハハハ! ワインが美味い! そろそろ泥川電鉄に営業停止命令が下り、あの小娘社長と黒田めが、線路の上で路頭に迷って泣き叫んでいる頃だな!」
馬場局長は、自分の大逆転勝利を確信し、朝から高級ワインを喉に流し込んで上機嫌で浮かれていた。
そこへ、扉がバシャァァァーーン!!! と、文字通り粉々に粉砕されるような勢いで開け放たれた。
飛び込んできたのは、いつもの部下ではない。
険しい表情をした本物の憲兵隊と、政府鉄道省の役人たちの集団だった。
「な、なんだお前たちは! 局長室を無礼だぞ!」
憲兵隊の隊長が、冷酷な目で馬場に逮捕状を突きつけた。
「馬場局長! 国家予算の不正な流用、職権乱用、および政府に対する虚偽報告の疑いで、本日付けで逮捕する!」
「な、なにぃぃぃーーーッッ!? ま、待て! 何かの間違いだ! 泥川電鉄の黒田はどうなったのだ! あいつこそ、違法な街作りで逮捕されたのだろう!?」
「バカ者が!」
政府の役人が冷たく吐き捨てた。
「黒田宗次氏は、国民の生活を豊かにした我が国の『鉄道発展の最優秀功労者』として、近日中に国家から直々に、最高位の表彰を授与されることが決定したわ!」
「が、国家表彰……!? 黒田が……国から……がはあああああああッッ!!!!」
馬場局長は激しい衝撃のあまり、口から盛大な血(のような、直前に飲んでいた高級赤ワイン)を激しく吹き出し、
そのまま白目を剥いて豪華な革椅子の後ろへと倒れ込み、完全に失脚していったのである。
数日後。
いつも通り、のどかな秋晴れの光が降り注ぐ、泥川電鉄のささやかな事務所。
「宗次さん! 国家からの表彰状と、泥川電鉄の『政府公認・優良模範鉄道』の認定書が届きましたよー!」
千代ちゃんが、ピカピカに輝く賞状を抱えて、飛びっきりの満面の笑みで走ってきた。
「ははは、それは良かったねぇ、千代ちゃん。これでまた、沿線のみんなと安心してお団子が食べられるね」
私は日当たりの良い縁側に腰掛け、新茶をずずっとすすりながら、いつものようにのんびりと微笑んでいた。
その横では、霧島が表彰状に向かって深々と平伏している。
(国家の最高権力すらも、その『最高のおもてなし』という名の無敵の包容力で完全に手玉に取り、ひれ伏させ、ライバルを根こそぎ自滅させた……。
やはり黒田宗次様は、この世界のすべてを裏から支配する、恐るべき覇王であられる……っ!)
霧島が相変わらずの凄まじい誇大妄想の勘違いで、その忠誠心の炎をメラメラと燃え上がらせている横で、
私は「さて、次はどんな楽しい電車を作って、みんなをビックリさせてあげようかなぁ」と、
どこまでもマイペースに、未来の楽しい夢を思い描くのだった。
感動の涙を流した査察団により、馬場局長は逮捕、泥川電鉄は国家表彰へ。第一部ここに大団円!――と思いきや、平和を愛する男の元に、政府から「さらに最悪な赤字路線」の押し付け状が届くのだった。




