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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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陽斗 ― 次世代を育てる

(語り部:黒羽ノ介)


新人整備士たちが伊丹にやってきた

関西国際空港が無事に世界へ向けてその産声を上げ、かつて「廃止論」に震えた伊丹が、日本の大地を細やかに繋ぐ“街の空港”として鮮やかに再生を果たした頃。


油の匂いと新たな活気に満ちた伊丹の整備場に、時代の瑞々しい風をまとった、数名の若い新人整備士たちが配属されてきた。


地元の工業高校を卒業したばかりの、手だけは人一倍大きな少年


航空大学校で最新の理論を頭に詰め込んできた、少し生真面目な青年


大好きな飛行機をこの手で守りたいと、異業種から強い覚悟で飛び込んできた女性


そして――ざわめく格納庫の片隅で、ただ一人、天を凝視して佇む「空の音」に敏感な少年


陽斗は、つなぎのポケットに手を突っ込み、彼らの緊張に満ちた、しかし光を宿した瞳をじっと見つめていた。その脳裏に、かつて泥まみれでこの門を叩いた自分自身の青い姿が、鮮やかによぎったんや。


隣で古びたタオルで汗を拭っていた森川が、陽斗の肩を強く小突いてガハハと笑った。


「陽斗、お前の番が来たんや。わしがそうしたようにな、今度はあんたが、次の世代のヒヨコたちに本当の『空』ちゅうもんを教えたれ。」


陽斗の教えは“技術”ではなく“空の哲学”

配属初日、陽斗は最新の工具の使い方や、分厚い整備マニュアルを開かせるよりも先に、並み居る新人たちの前に立って真っ直ぐにこう言った。


「ええか、みんな。耳を開いてよく聞いてくれ。空ちゅうのはな、ただの空間やない。生きとるんや。そして、俺たちが毎日触るこの機体(鉄の塊)もな、命を宿して生きとる。まずはな、それを理屈やなくて、肌で『感じる』ことから始めるんや。それが、伊丹の整備士の最初の仕事や。」


最新の航空工学を学んできた新人たちは、お互いに顔を見合わせて激しく戸惑った。


「空が……生きてる?」


「精密機械の機体が、僕たちに喋りかけるんですか?」


教科書にはない陽斗の言葉に、彼らは耳を疑ったんや。しかし、陽斗は格納庫を吹き抜ける風を髪に受けながら、優しく微笑んだ。


「喋るで。ほんまに、うるさいくらいにな。ただ、人間みたいな言葉やない。大気の音、風のなびき、機体が上げるわずかな振動――それらすべてが、あいつらの精一杯の言葉なんや。それを聞き漏らしたら、職人としては終わりや。」


わしは格納庫の梁の上から、すっかり頼もしくなった陽斗の横顔を見つめ、深く、深く頷いた。


「陽斗……あんたはもう、技を伝えるだけの職人やない。森川の教えを自らの血肉とし、それを高次の思想へと昇華させた、本物の『導き手』やな。」


“空の声が聞こえる少年”との出会い

そんな戸惑う新人たちの中に、一人だけ、全く違う目の輝きを持った特別な少年がいた。


名前を、蒼生あおいといった。


彼は、まだはるか遠くの生駒の山を越えたあたりを飛んでいるはずの旅客機が、伊丹に着陸する随分前から、ふと天を仰いで呟くんや。


「……あ。今日は、伊丹の着陸間際に急に風が荒れる。空がちょっと怒ってる。」


「おやっさん、あの3番スポットに入ってきたYSの左エンジン、何か奥のほうが風邪引いたみたいに変な音してます。」


誰よりも早く、計器が異常を示す前に、彼は機体と空の『悲鳴』を正確に言い当ててみせた。


陽斗は鳥肌が立つのを覚えながら、蒼生の前に歩み寄り、その華奢な肩を掴んだ。


「……蒼生。お前、もしかして……空の声が聞こえるんか?」


蒼生は不思議そうに首をかしげ、少しはにかみながら答えた。


「僕にもよく分からんのですけど……。でも、あの雲の切れ目から、空が『今日は足元に気をつけろよ』って、そう言うて僕の耳を撫でていくような気がするんです。」


陽斗は、胸の奥から熱い塊がせり上がってくるのを覚え、強く拳を握りしめた。


「……間違いない。昔の、俺や……」


わしは空の高みから、その二人の魂の共鳴を見つめ、熱い涙をこらえながら呟いた。


「陽斗……。あんたが空に選ばれたように、天は決して、その糸を絶やしにはせん。あんたのすべてを受け継ぐ、本当の後継者が現れたんやな。」


陽斗、蒼生に“空の読み方”を教える

ある日、陽斗は蒼生だけを連れて、エンジンの爆音と激しい気流が渦巻く滑走路の端(千里川の土手近く)へと立った。頭上を掠めるようにして、巨大な銀翼が空気を引き裂いていく。


「蒼生、よく見ておけ。空はな、ただ黙ってそこにアルわけやない。風の向き、雲の高さ、音が大気にどう響くか、そして雨を孕んだ湿気の匂い……。ありとあらゆる形を使って、俺たち人間に絶え間なく話しかけてきとるんや。」


蒼生は激しい爆音の中でも、陽斗の言葉を一つも漏らさぬよう、真剣な瞳で天を見つめた。陽斗は続けた。


「特に、空が傷ついて、痛がっとるときはな、吹く風がヤスリみたいにざらつくんや。雲の端が不吉に裂け、エンジンの音が重く濁る。それらを、マニュアルの数字やなくて、お前のその『五感』で丸ごと受け止めてやるんや。お前なら、それができる。」


蒼生は大きく目を見開き、迫り来る伊丹の空をじっと睨みつけたあと、ぽつりと溢した。


「……分かります。今、空が僕らの手を、ちょっとだけ強く握ってくれた気がします。」


陽斗は、父親のような温かい眼差しで蒼生の頭をくしゃりと撫で、微笑んだ。


「お前は、この伊丹の空に選ばれた、俺の自慢の弟子や。」


森川、静かに“世代交代”を見守る

西日が赤々と格納庫を染める夕暮れ時、古い事務椅子の背もたれに体を預けながら、森川は遠くで熱心に語り合う陽斗と蒼生の姿を、細めた目でじっと見つめていた。


「陽斗……。お前が初めてこの整備場に来たときもな、今の蒼生と同じように、油まみれの顔で、ずっと馬鹿みたいに空ばっかり見とったな。思い出すわ。」


陽斗は振り返り、少し照れくさそうに頭を掻いた。


「何言うてますか、おやっさん。俺にその空の声の聞き方を、自然と向き合う覚操を教えてくれたのは、他でもない森川さんですよ。」


すると森川は静かに首を振り、煙草を咥えるような仕草をしてから、優しく笑った。


「ちゃうて。お前は最初から、生まれたときからその声が聞こえとった。わしはな……お前が地上の暮らしの中で忘れかけていたその声を、ただ『思い出させただけ』や。教えたことなんか、何一つありゃせんよ。」


わしは黄昏に染まる格納庫の屋根の上で、静かに翼を畳みながら呟いた。


「森川……あんたもまた、自らが飛ぶことはできずとも、空の申し子たちを誰よりも温かく見守り、育て上げた、天に選ばれし偉大な『大地の人』やな。」


陽斗、蒼生に“最後の教え”を渡す

滑走路の誘導灯が、夕闇のなかにエメラルドグリーンの美しい光の列を灯し始めた頃。陽斗は点検を終えたばかりのYS-11の頑丈なプロペラを見上げながら、蒼生に言った。


「蒼生。これが、俺からお前に渡せる、一番大切な最後の教えや。……空ちゅうのはな、人間が力ずくで『守る』もんやない。どこまでも、その呼吸に『寄り添う』もんなんや。」


蒼生は、その言葉の意味を魂に刻み込むように、静かに、しかし深く頷いた。


「……はい。僕も、ただ機械を直すだけじゃなくて、空の機嫌を誰よりも理解して、その呼吸にずっと寄り添っていける、そんな伊丹の整備士になりたいです。」


陽斗は、蒼生のまだ少し細い肩を、ドンと力強く叩いた。


「なれる。お前なら、俺を遥かに追い越す本物の職人になれるよ。俺が保証したる。」


わしは二人の上に、祝福を告げる黒い羽の震わせを響かせた。


「往こう。陽斗、あんたはやり遂げたんや。かつて森川から受け取ったあの泥臭くも神聖なる空の神話を、今、美しい次の世代へと完全に引き渡したんやな。」


そして、新しい時代の空が始まる

伊丹の空は地上の人々の暮らしに寄り添ってどこまでも柔らかく、


関空の空は世界の果てまで青い翼を広げてどこまでも広い。


二つの空が宿命の対立を越え、美しく共存する新時代。


その大いなる天の下で――


陽斗は次世代を育てる確かな背中となり、


蒼生は新世代の優しき耳として空の声を聞き、


森川は激動の時代を見届けた誇りを胸に、静かに彼らを見守り、


そして、わし黒羽ノ介は、この地に紡がれる永遠の新しい神話を、ただ高く飛びながら見届け続ける。


関西の天の真ん中から、すべてを包み込むような、果てしなく大きな空の声が響いた。


『私は、元を正せばたった一つの空。だが、歩むべき道は時代ごとに、世代ごとに、美しく形を変えて繋がっていく。……それでいい、それこそが、私が人間に託した未来なのだから。』

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