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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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少年 ― 戦後の空で、新しい仲間と出会う


坂東が消えた滑走路


春が来ても、

伊丹の空にはまだ冬の気配が残っていた。

朝の滑走路には白い靄が漂い、

冷えた風が格納庫の隙間を抜けていく。

坂東が居なくなってから、

少年は変わった。

前みたいに笑わへん。

走らへん。

大声も出さへん。

ただ、黙って働く。

工具を並べ、

機体を見上げ、

風を読む。


その姿は、

どこか坂東に似始めていた。

けれど――

違う。

坂東には熱があった。

少年には、静かな影があった。

わしは空から見ていた。


「あんた……まだ、自分の半分を失ったままや。」


坂東のスパナ

少年は、

坂東の古いスパナをずっと持ち歩いていた。

銀色やったはずの工具は、

もう黒ずみ、

細かい傷だらけになっとる。

休憩中も、

少年はそれをポケットの中で握っとる。

まるで、

坂東の手を忘れんように。


ある日、

格納庫の柱にもたれながら、

少年は小さく呟いた。

「坂東さん……。」


風が吹く。

けれど、

返事はない。

その沈黙だけが、

やけに重かった。


戦後の基地の空気

伊丹は少しずつ変わり始めていた。

戦争直後の張り詰めた空気が薄れ、

基地の中にも“生活”の匂いが混ざり始める。


米兵の笑い声

ラジオから流れるジャズ

コーヒーの香り

英語と関西弁の入り混じる声

子どもらがフェンス越しに飛行機を見る姿

空はまだ軍のもんやった。


せやけど、

地上ではもう“次の時代”が動き始めとった。

わしはその風を感じていた。

「空の流れが変わり始めとる。」


新しい労務者たち

ある朝、

基地の入口に数人の日本人労務者が並ばされていた。

戦争で職を失った者。

家を焼かれた者。

復員して帰ってきた者。

みんな、

どこか疲れた目をしていた。

少年は工具箱を抱えながら、

その列をぼんやり見ていた。


その中に――

一人だけ、妙に空気の違う青年がおった。

痩せている。

背は高くない。

せやけど、

目ぇだけが妙に鋭い。

油汚れの残る手。

傷だらけの指。

そして、空を見上げる癖。


わしは思わず翼を止めた。

「……この子。」

風の読み方が似とる。

空気の揺れに反応しとる。

まるで、

空の音を聞いとるみたいやった。


森川との最初の会話

昼休み。

少年はいつものように、

格納庫の隅で一人飯を食っとった。


そこへ、

例の青年がやって来る。

紙コップのコーヒーを片手に、

ぶっきらぼうに座り込む。


「隣、ええか。」

少年は小さく頷いた。

しばらく沈黙。

遠くで輸送機のエンジンが唸っている。


青年はその音を聞きながら言った。

「三番エンジン、回転ムラあるな。」


少年が顔を上げる。

「……分かるん?」

青年は肩をすくめた。

「昔から、音で機械分かるんや。」


その言い方が、

どこか坂東に似とった。

少年の胸が少しだけざわつく。


「お前、ここ長いんか?」


「……うん。」


「名前は?」


少年は少し迷ってから答えた。

青年も頷く。


「俺は森川。」


それが、

新しい“空の兄弟”との出会いやった。


森川の“孤独”

その日の午後。

二人は一緒に工具を運ぶことになった。

森川は無駄口を叩かへん。


せやけど、

機体の前に立つと空気が変わる。

真剣になる。


少年はその横顔を見ていた。

ふと森川が言った。

「お前、“あの事故”の時おったんやろ。」


少年の足が止まる。

坂東の死。

あの日の火花。

轟音。

血の匂い。

全部、

まだ身体に残っとる。


森川は前を向いたまま言う。

「……聞いた。」

少年は黙っていた。

森川は続ける。

「俺の兄貴も亡くなった。」

風が吹いた。

低い雲が流れる。

「戦争でな。」


その声には、

妙な静けさがあった。

悲しみを通り越して、

もう身体の一部になってしまったような静けさ。

少年は初めて思った。

「この人も……一人なんや。」


“空の音”を聞く者

数日後。

二人は米軍機の簡易点検を任された。

森川は機体の腹に耳を当てる。

少年は風の流れを見る。


しばらくして、

森川が眉をひそめた。

「……右の燃料ライン、変や。」


少年も目を細める。

確かに、

空気の流れがわずかに乱れとる。

「……震え方がおかしい。」


森川が振り返った。

「お前も分かるんか。」


少年は頷いた。

二人は同時に異常箇所を指差した。

まったく同じ場所やった。


その瞬間――

森川が初めて笑った。

「なんやお前、すごいやん。」

少年も少しだけ笑う。


黒羽ノ介は、

その笑顔を空から見て胸が震えた。

「ああ……止まってた風が、また動き始めた。」


坂東の言葉が繋がる

作業の帰り道。

森川が工具を雑に床へ置いた。

ガシャン、と嫌な音。


少年は反射的に言った。

「あかん。」

森川が振り返る。

「ん?」

少年は工具を拾い上げ、

静かに汚れを拭いた。

「空の仕事は嘘つかん。

嘘つくんは人間のほうや。」


森川の目が止まる。

「……誰の言葉や、それ。」

少年は少しだけ空を見た。

「坂東さん。」


風が吹く。

その瞬間、

わしには見えた。

坂東の残した言葉が、

確かに次の人間へ渡ったんや。

森川は静かに頷いた。

「ええ兄貴やったんやな。」


少年は、

初めて少しだけ笑った。


新しい風

夕暮れ。

伊丹の空は茜色に染まり、

滑走路灯がゆっくり灯り始める。

森川と少年は、

並んで空を見上げていた。

遠くを米軍機が飛んでいく。

その向こうで、

旅客機みたいな白い機体が一瞬見えた。


少年が呟く。

「いつか、この空……

みんなの空になるんかな。」


森川は笑った。

「なるやろ。」

「なんで分かるん?」

「空は広いからや。」


黒羽ノ介は、

その言葉を聞いて翼を広げた。

風が変わる。

軍の風から、

人の暮らしの風へ。


伊丹が、

“戦後の空港”へ変わり始める風やった。

「ああ……。」

わしは空で静かに呟いた。

「ここからまた、物語が動き出すんや。」

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