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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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坂東を失った冬 ― 少年が初めて“空を憎んだ日”

(語り部:黒羽ノ介)


坂東のいない格納庫 ― 音だけが残っとった

坂東を失ってから数日、

伊丹の空はずっと鉛色やった。


雪にはならん。

けれど、

空気の芯だけが凍りついとる。

格納庫では、

いつものように工具の音が鳴っとった。


レンチの響き

エンジンの低い唸り

英語の怒号

油の匂い

何も変わっとらんように見える。


せやのに――

坂東の笑い声だけが、

どこにもなかった。


少年は、

黙ったまま工具を並べていた。

坂東がいつも使っていたレンチを、

何度も布で磨いていた。


その手が、

小さく震えとった。

わしは格納庫の梁に止まり、

その背中を見つめていた。

「……空は、残酷や。」


人はすぐに“日常”へ戻っていく

米軍基地は止まらん。

誰かが死んでも、

飛行機は飛ぶ。

滑走路は閉じん。

エンジンは止まらん。

輸送機は次々と飛び立ち、

新しい物資を運び、

新しい兵士を連れてくる。

坂東がおった場所には、

別の労務者が入った。


その光景に、

少年は静かに唇を噛んだ。

「……こんなもんなんか。」


誰にも聞こえんほど小さな声やった。

けれど、

わしには聞こえた。

「人がおらんようなっても、

空は止まってくれへんのか……。」


少年、初めて空を憎む

その日の夕方、

少年は一人で滑走路の端へ行った。

冬の風が吹き抜ける。

遠くで輸送機が離陸し、

重たい音が空を揺らした。


少年は、

その機体を睨むように見上げた。

「なんでや……。」

声が震えとる。

「なんで坂東さんが死ななあかんかったんや……!」


拳を握り締め、

少年は叫んだ。

「空なんか……!」

そこで言葉が止まった。


憎みたい。

けれど、

憎み切れへん。

空は、

坂東と出会った場所でもあったからや。


少年は膝をつき、

声を殺して泣いた。


黒羽ノ介は、

その姿を見て胸が裂けそうやった。

「あんたは今、

初めて“空の痛み”そのものを抱えたんやな……。」


黒羽ノ介にも分からんことがあった

わしは千年、

人間を見てきた。

戦も、

別れも、

死も見てきた。

けれど――

なぜ人間が、

傷つきながらも空を見上げるのか。


それだけは、

ずっと分からんかった。

坂東を失った少年は、

確かに壊れかけとった。

それでも翌朝、

また格納庫へ来た。

誰より早く来て、

工具を並べ、

黙って床を磨いとった。


わしは驚いた。

「……なんで戻ってくるんや。」

少年は小さく呟いた。

「坂東さんが守った空やから。」

その言葉を聞いた瞬間、

わしの胸の奥が震えた。


坂東の“形見”

数日後、

米軍整備士の一人が少年を呼び止めた。

大柄な黒人整備士やった。

無口で、

いつも煙草をくわえとる男や。

男は無言で、

少年に小さな工具袋を渡した。

中には、

坂東が使っていたレンチが入っとった。

油が染み込み、

手の形に擦り減った古い工具。

少年は息を呑んだ。

「……これ……。」


整備士はゆっくり言った。

“He talked about you all the time.”

「あいつ、いつもお前の話しとった。」


少年の目から涙が零れた。

整備士は続けた。

“Good mechanic. Good brother.”

「いい整備士やった。

ええ兄弟分やった。」


少年は、

震える手でレンチを抱き締めた。


空の仕事は、“受け継がれていく”

その夜、

少年は家で工具袋を開いた。

母は黙って見守り、

父は煙草を消して静かに座っとった。


少年はレンチを見つめながら言った。

「坂東さんな、

“空の仕事は嘘つかん”って言うてた。」


父はゆっくり頷いた。

「……ほんまの職人やったんやろ。」


少年は小さく笑った。

泣きながら、

少しだけ笑った。

「ぼく、あの人みたいになる。」


母は顔を伏せた。

その横で、

父が静かに言った。

「なら、生き抜け。

死んだら何も残らん。」


その言葉は、

坂東の最期の言葉とどこか似とった。


黒羽ノ介が見た“継承”

夜更け。

わしは家の屋根に降り立ち、

窓の向こうを見つめていた。

少年は眠らず、

坂東のレンチを磨いとる。

油の匂い。

布の擦れる音。

静かな呼吸。


その姿は、

もう“子ども”やなかった。

「あんたは今、

誰かの想いを背負ったんやな。」


坂東を失ったのは、

終わりやない。

空の仕事は、

命も、技術も、想いも、

全部“次の誰か”へ渡されていく。

それが、

空の世界なんや。


黒羽ノ介の恐れ ― “未来”はもっと残酷かもしれん

けれど、

わしの胸のざわつきは消えへんかった。


伊丹の空は、

これからさらに変わっていく。

民間機が飛び始める

海外の言葉が飛び交う

空港が巨大になっていく

人の数も、音も、欲望も増えていく

その中で、

少年は何を失うんやろう。

何を守ろうとするんやろう。


わしには、

もう未来が読めへん。

八咫烏であるわしが、

初めて“時代の速さ”に追いつけなくなり始めとった。


それでも――

少年は空を見る。

傷ついても、

失っても、

それでも空を見上げる。


わしは静かに翼を広げた。

「……なら、わしも見届けたる。

あんたが、どんな空を生きるのかを。」

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