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黒羽ノ介 ― 新しい空の風を感じる (語り部:黒羽ノ介)
夕暮れの伊丹 ― 空が静かに変わり始めていた
その日の伊丹は、
妙に静かな夕暮れやった。
滑走路を渡る風が、
戦争の頃より柔らかい。
油の匂いはまだ残っとる。
せやけど――
そこに、別の匂いが混ざり始めていた。
人の暮らしの匂いや。
遠くで子どもが笑う声。
工事帰りの自転車。
駅へ向かう人の流れ。
夕飯の煙。
わしは高い空から、
その変化を見下ろしていた。
「……伊丹の空が、“生き物の空”に戻り始めとる。」
森川と少年 ― 滑走路の端に立つ二つの影
滑走路の端で、
森川と少年が並んで空を見ていた。
二人とも何も喋らん。
ただ、
風の流れを見とる。
整備士いうんは不思議や。
空を飛ばんのに、
誰より空を見とる。
森川が先に口を開いた。
「……風、変わったな。」
少年は小さく頷いた。
「せやな。
空が軽い。」
その言葉に、
わしは胸を打たれた。
空が軽い――
それはつまり、
“戦争の重さ”が少しずつ消え始めたいうことや。
機体の音が変わった
その日、格納庫に入ってきた機体は、
これまでの軍用機とは違っていた。
細い胴体。
軽いエンジン音。
鋭すぎん翼。
兵器の音やない。
「……人を運ぶ音や。」
わしは思わず呟いた。
空を裂くための音やない。
空を繋ぐための音。
それは、
わしが千年見てきた空の中でも、
まったく新しい響きやった。
黒羽ノ介は、初めて“人間の時代”を恐れなかった
昔のわしは思っとった。
人間は空を汚す。
空を争いに使う。
風を乱す。
実際、そういう時代も見てきた。
けれど――
森川と少年を見とると、
考えが少し変わっていった。
この子らは、
空を支えようとしている。
支配やない。
征服やない。
“共に生きよう”としてる。
わしはゆっくり羽を広げた。
夕陽が翼を赤く染める。
「……そうか。」
「空は、人間と一緒に未来へ行くんやな。」
それを理解した瞬間、
胸の奥にあった冷たいものが、
少しだけ溶けた気がした。
坂東の魂は、まだここにいる
森川が工具箱を閉じたとき、
古びたスパナが転がり落ちた。
坂東のスパナやった。
少年は静かに拾い上げる。
何も言わん。
けれど、
その手つきで分かった。
まだ忘れとらん。
森川も何も言わんかった。
ただ、小さく笑って言った。
「……坂東さんなら、
“手ぇ止めるな”って言うで。」
少年は少しだけ笑った。
その笑顔を見た瞬間、
わしは思った。
「ああ……坂東も、まだこの空におる。」
風の中に。
工具の音の中に。
滑走路の夕焼けの中に。
新しい神話は、静かに始まっていた
神話いうもんは、
大きな雷や奇跡から始まるとは限らん。
誰かが空を見上げること。
誰かが風を読むこと。
誰かが帰ってくる場所を守ること。
そういう、小さな積み重ねから始まる。
わしは伊丹の空を旋回しながら、
静かに呟いた。
「新しい空の神話は、
もう始まっとる。」
そしてその中心には――
森川。
少年。
坂東の記憶。
帰ってくる飛行機。
働く人間たちの汗。
夕暮れの滑走路。
そのすべてがあった。
黒羽ノ介の新しい役目
昔のわしは、
道を示すだけの存在やった。
けれど今は違う。
迷う人間を見守り、
空の痛みを知り、
変わる時代の風を読む。
それが、
これからの八咫烏の役目や。
わしは高い空へ舞い上がった。
夕陽の向こうに、
新しい旅客機の影が見える。
「飛べ。」
「人を乗せて、未来へ飛べ。」
その瞬間――
伊丹の空は、
静かに次の時代へ動き始めていた。




