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伊丹・冬の滑走路 ― “戦後”が空を急がせる
(語り部:黒羽ノ介)
年が明けても、空は休まへん
昭和二十一年の冬。
伊丹の朝は、
吐く息まで油臭かった。
滑走路には霜。
格納庫には白い息。
遠くでは輸送機のエンジン試験。
戦争は終わったはずやのに、
空だけは相変わらず忙しい。
いや――
むしろ戦時中より、
休みなく動いとるようにも見えた。
米軍は昼も夜も飛ぶ。
物資。
兵士。
機械。
知らん土地の荷物。
全部、
空を通って運ばれていく。
わしは高い空から思った。
「人間は、
戦争が終わっても空を止められへんのやな。」
坂東、基地の“無理”に気づき始める
ある日の格納庫。
輸送機が予定より早く戻ってきた。
機体の下から、
オイルが細く漏れとる。
坂東はしゃがみ込み、
指で油を拭った。
顔が険しい。
「……早すぎる。」
少年が覗き込む。
「何が?」
「整備周期や。
本来もっと点検せなあかん。」
坂東は機体を見上げた。
巨大な銀色の腹。
「飛ばしすぎやねん。」
そこへ米軍整備士が来る。
“Can you fix it by tonight?”
「今夜までに直せるか?」
坂東は眉をひそめた。
「今夜ぁ?」
“Flight tomorrow morning.”
「明朝には飛ばす。」
坂東は少年に聞こえんよう、
小さく舌打ちした。
少年、初めて“疲れた空”を見る
その夜。
二人は遅くまで整備しとった。
格納庫の灯りだけが白く光る。
少年は工具を運びながら、
ふと機体を見上げた。
銀色の機体には、
細かな傷が無数についている。
補修跡。
焦げ跡。
歪んだリベット。
少年は呟いた。
「……飛行機も疲れるんやな。」
坂東は少し驚いた顔をした。
「お前、そういうの分かるんか。」
少年は頷く。
「なんか……しんどそうに見える。」
坂東は苦笑した。
「人間と同じや。」
そして、
レンチを回しながら続けた。
「無理して飛び続けたら、
いつか壊れる。」
その言葉が、
冬の格納庫に静かに落ちた。
黒羽ノ介は、
その瞬間の風の重さを覚えとる。
伊丹の町に、“基地の灯り”が染み込んでいく
夜になると、
伊丹の町は暗い。
まだ戦後や。
電気も足りん。
けれど、
基地だけは明るかった。
滑走路灯。
探照灯。
格納庫の照明。
その白い光が、
夜の町へ流れ込んどる。
子どもらは、
その灯りを見上げる。
女たちは噂する。
「アメリカはすごいなぁ。」
「基地で働いたら飯食えるらしい。」
一方で、
年寄りたちは顔をしかめる。
「伊丹も変わってしもうた。」
町そのものが、
空港に飲み込まれ始めとった。
わしはその変化を、
少し怖いと思った。
坂東の煙草
休憩時間。
格納庫の裏。
坂東はドラム缶に座り、
煙草を吸っとった。
冬の空へ白い煙が昇る。
少年は隣でコーヒーのコップを両手で持っとる。
坂東がぽつりと言う。
「お前、将来どうするんや。」
少年は首を傾げた。
「どうするって?」
「ずっとここおるんか。」
少年は迷わず答えた。
「空の仕事する。」
即答やった。
坂東は笑った。
「迷いないなぁ。」
少年は滑走路を見つめた。
「空見てると、
ここが自分の場所や思うねん。」
その言葉に、
坂東は少し黙った。
そして静かに言った。
「……そっか。」
けれど、
その顔にはどこか不安があった。
黒羽ノ介には分かった。
坂東は気づき始めとった。
この空の仕事が、
人間から色んなもんを奪うことに。
小さな事故が増え始める
冬が深くなるにつれ、
基地では細かな事故が増えた。
整備中の落下
燃料漏れ
滑走路での接触
過労によるミス
どれも“大事故”ではない。
せやけど、
空気が変わり始めとった。
整備士たちの顔にも疲れが出る。
怒号が増える。
誰もが急がされとる。
米軍の若いパイロットが、
苛立った顔で叫ぶ。
“Faster! Faster!”
それを聞いた坂東が、
低い声で呟いた。
「空は急かしたらあかんねん……。」
少年はその言葉を黙って聞いとった。
黒羽ノ介、“読めない風”を見る
その頃からや。
わしが、
空の流れを読み切れんようになったんは。
ジェットやない。
まだプロペラ機の時代や。
せやのに、
伊丹の空は以前より乱れとる。
大量の機体。
昼夜問わん離着陸。
滑走路の熱。
人間が、
空そのものを変え始めとる。
わしは夕暮れの上空で、
強い横風に羽を揺らされた。
「……なんや、この風。」
昔の伊丹には無かった乱れ。
空が、
人工の熱と音で歪み始めとった。
八咫烏であるわしにも、
初めて読むのが難しい空やった。
少年だけは、変わらず空を見ていた
その日の帰り道。
少年は土手に立ち止まり、
夕空を見上げていた。
西の空が赤い。
輸送機が一機、
重たい音を引きずりながら飛んでいく。
少年は小さく呟いた。
「今日の空、疲れてる。」
坂東が振り返る。
「……分かるんか。」
「うん。」
少年は真っ直ぐ空を見ていた。
「でも、明日は違う空になる。」
坂東は少し笑った。
「お前ほんま、不思議なやつやな。」
黒羽ノ介は、
その横顔を見つめながら思った。
「あんたはもう、
空そのものを感じ始めとる。」
そして――
その力が、
いつかあんた自身を苦しめることになる。
わしは、
まだその未来を言えんかった。




