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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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18

伊丹・米軍基地の日々 ― 坂東と少年の“戦後”

(語り部:黒羽ノ介)


冬の朝 ― 伊丹に“異国の一日”が始まる

夜明け前の伊丹は、

空気が鉄みたいに冷えとる。

滑走路には霜が降り、

吐く息が白い。

それでも、

基地の朝は早い。

まだ陽も昇りきらんうちから、

ジープのエンジン音

英語の怒鳴り声

金属を叩く音

コーヒーを沸かす匂い

が、

暗い格納庫の奥から流れてくる。

戦争は終わった。

せやのに、

空だけは休まへん。

わしは高い鉄塔の上から、

その朝を見下ろしていた。


「人間いうんは、

ほんま止まらん生き物やな……。」


少年の朝は“掃除”から始まる

少年は誰より早く基地へ来る。

坂東より早く、

米軍整備士より早く。

格納庫の床を掃き、

工具を並べ、

油の缶を確認する。

軍隊は消えた。

せやけど、

少年の中にはまだ、


「空の仕事は準備から始まる」


という感覚が残っとった。

小さな背中で、

黙々と働く。

その姿を見て、

坂東はいつも笑う。


「お前なぁ、

真面目すぎんねん。」


少年は振り返らず言う。


「坂東さんが遅いだけや。」


「生意気な坊主やなぁ。」


二人の声が、

冷えた格納庫に小さく響く。


坂東という男

坂東は二十代半ばやった。

大阪の町工場育ち。

学はない。

英語も苦手。

せやけど、

機械の音を聞けば、

どこが悪いか分かる男やった。

ボルトの緩み

金属疲労

オイル漏れ

プロペラの微妙な癖

そういう“機械の機嫌”を読む。

それは少年によく似とった。

違うのは、

坂東は人間臭かった。

酒も飲む。

煙草も吸う。

怒鳴るし、笑うし、時々喧嘩もする。


けれど――

弱い者には優しかった。

特に少年には、

妙に世話を焼いた。


基地の食堂 ― 異国の匂い

昼になると、

基地の食堂から変わった匂いが漂ってくる。


バター。

肉。

コーヒー。


戦時中の日本には無かった匂いや。

少年は最初、

その匂いが苦手やった。

坂東が笑う。


「慣れたら腹減るで。」

「ほんまに?」

「ほんまや。」


米軍整備士の一人が、

紙コップを差し出した。


“Coffee?"


少年は戸惑いながら受け取る。

苦い。


顔をしかめる少年を見て、

周りが笑う。


坂東も腹を抱えて笑っとる。


「お前、顔ひどいぞ!」


少年は悔しそうに言う。

「こんなん薬やん……。」


格納庫に笑い声が広がる。

戦争が終わって初めて、

少年は“空の現場”で笑った。


黒羽ノ介は、

その光景を見て少し驚いた。


「……人間は、

こんな時代でも笑えるんやな。」


少年、英語を覚え始める

基地では英語が飛び交う。

最初、

少年には呪文みたいに聞こえた。

けれど、

毎日聞いているうちに、

少しずつ意味が分かり始める。


wrenchレンチ

fuel(燃料)

left wing(左翼)

hurry up(急げ)


少年は夜、

家で紙切れに単語を書いて覚えた。

母は心配そうに見つめる。


「そんな難しいもん覚えんでも……。」


少年は小さく笑った。


「空の言葉やから。」


父は黙って煙草をふかしながら、

その姿を見とった。


坂東の“戦争”

ある夜、

仕事帰りの土手道。

二人は川沿いを歩いていた。

冬の風が冷たい。

坂東は珍しく静かやった。

少年が聞く。


「坂東さん、戦争行ってたん?」


坂東は少し黙った。


「……行く前に終わった。」


声が低かった。


「工場で飛行機の部品作っとった。

毎日毎日、鉄削ってな。」


しばらく沈黙。

そして坂東は言った。


「けどな。

あんなもん作っても、

人が死ぬだけやった。」


少年は何も言えんかった。

坂東は空を見上げる。


「せやから今度は、

“落ちん飛行機”触りたい思うたんや。」


その顔を見て、

黒羽ノ介は胸がざわついた。


「この男もまた、

空に救われようとしとる。」


伊丹の町は、まだ傷ついとった

基地の外へ出れば、

まだ焼け跡が残っとる。

崩れた家。

焼けた瓦。

片腕を失った復員兵。

子どもらは、

米軍相手にチョコレートをねだる。

女たちは闇市へ向かい、

男たちは仕事を探して歩く。


伊丹は生き残った。

せやけど、

まだ“元通り”やない。

その中で基地だけが、

妙に忙しく動いとる。

まるで、

そこだけ別の国みたいやった。


黒羽ノ介、空の変化を見る

夜。


わしは滑走路の灯りを見下ろしていた。

赤、白、青。

戦時中とは違う光。

そこへ、

銀色の輸送機が降りてくる。

重たいエンジン音。

昔の日本機とは違う飛び方。

違う風。

違う匂い。

わしは目を細めた。


「空が……変わっとる。」


昔の伊丹は、

もっと土の匂いがした。

風は山から流れ、

鳥の声が響いとった。


けれど今は、

金属

外国語

電気の灯り

が空を染め始めとる。


わしには、

それが少し怖かった。


それでも少年は、空を見上げる

仕事終わり。

少年は滑走路の端に立っていた。

冷たい風の中、

離陸していく輸送機を見つめとる。

坂東が隣へ来た。


「飽きへんなぁ、お前。」


「うん。」


「何がおもろいねん。」


少年は少し考えて言った。


「……空、毎日違うから。」


坂東は笑った。


「変なやつやな。」


少年は真っ直ぐ空を見たまま言う。


「坂東さんもや。」


二人は並んで空を見上げる。

その姿を見ながら、

わしは静かに思った。


「ああ……。

この二人は、

長い空を一緒に生きるんやな。」


そのときのわしは、

まだ知らんかった。

この穏やかな時間が、

永遠には続かんことを。

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