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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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15

数日後。

伊丹の空に、またエンジン音が戻ってきた。

 

けれど、その音は以前とは違った。

重い。

低い。

腹の底へ響くような音や。

 

わしは高く舞い上がった。

雲の切れ間の向こうに、銀色の機影が見えた。

翼に白い星。

見慣れん形の輸送機。

 

「……来よったか。」

 

編隊はゆっくりと高度を下げ、伊丹へ向かってくる。

地上では人々が空を見上げていた。

 

「あれがアメリカ軍か……」

 

「ほんまに来たんやな……」

 

子供らは黙り込み、大人たちは顔を強張らせる。

 

少年もまた、その影を見上げていた。

 

飛行機は同じや。

空を飛ぶ機械。

風を裂き、音を響かせる翼。

 

けれど、そこに描かれた印だけが違った。

 

その日から、伊丹は変わり始めた。

 

日本軍の看板は外され、格納庫には英語の文字が並び始める。

ジープが滑走路を走り、拡声器から知らん言葉が響いた。

 

“ITAMI AIR BASE”

 

白い文字が掲げられた時、少年は長いことその看板を見つめていた。

 

「……同じ場所やのに。」

 

誰に言うでもなく、そう呟いた。

 

昨日まで日本の飛行場やった場所が、一夜で別の国の空気になる。

人間の世界いうのは、不思議なもんや。

 

空には国境なんぞない。

せやけど人間は、地面に線を引く。

線を引いて、奪い合って、守ろうとして、また壊す。

 

わしは千年以上それを見てきた。

それでも、この時の伊丹の変化は妙に胸へ引っかかった。

 

少年は軍の整備兵ではなくなった。

敗戦と一緒に、その肩書きも消えた。

 

代わりに、米軍基地で働く労務者になった。

 

朝早くから格納庫を掃除し、工具を運び、聞き慣れん英語を必死で覚える。

 

“Move!”

 

“Hurry up!”

 

最初は何を言われとるのか分からず、何度も怒鳴られとった。

けれど少年は逃げへんかった。

 

油まみれになりながら、黙って働き続けた。

 

ある日、米軍整備士の一人が、少年の手元を見て笑った。

 

“You’ve got good eyes, kid.”

 

少年は意味が分からず首を傾げた。

すると男は、自分の目を指差してから、少年の目を指した。

 

「グッド・アイズ。」

 

それでようやく分かったらしい。

少年は少し照れたように笑った。

 

その顔を見て、わしは少し安心した。

 

あの空襲の日から、少年はあまり笑わんなっていたからや。

 

夕暮れ。

 

仕事を終えた少年は、一人で滑走路の端へ座っていた。

米軍機の影が長く伸び、赤い夕陽が機体を照らしている。

 

風だけは、昔と同じやった。

 

六甲から吹き下ろす風。

川沿いを抜ける湿った風。

滑走路を撫でる長い風。

 

少年は目を細め、その流れを感じていた。

 

「……空は変わってへんな。」

 

わしは、その言葉を聞いて胸がざわついた。

 

ほんまにそうやろか、と。

 

空は変わらんように見える。

せやけど時代が変われば、空の意味も変わる。

 

戦の空。

占領の空。

復興の空。

 

これから先、この場所にはもっと大きな変化が来る。

ジェット機が飛ぶ。

世界中の人間が行き交う。

騒音で町が揺れる。

空港を巡って人が争う。

 

少年は、その全部を生きることになる。

 

わしには分かっていた。

 

けれど――。

 

その未来を、わしは少し恐れていた。

 

八咫烏は、本来迷わん。

道を示す存在や。

 

せやのに、この時のわしは違った。

 

この子は、本当にこの空を飛び越えられるんやろか。

この先に待つ時代に、呑み込まれへんやろか。

 

夕暮れの滑走路で、少年が立ち上がる。

風が吹く。

その向こうを、銀色の機体がゆっくりと走っていく。

 

少年は、静かに空を見上げた。

 

「……ぼくは、ここで生きる。」

 

その声は小さかった。

けれど、風は確かにそれを運んだ。

 

わしは高い空を旋回しながら、長いことその背中を見つめていた。

 

導かなあかん。

 

そう思うた。

 

せやけど同時に――。

 

この子の未来を、わしは初めて恐れていた。

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