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境界の森にて【前編】


──これは現在のシリウスが森で拾われ、名もない少年から()()()()シリウスと

名付けられるまでの話。



◇◇◇




魔王城が鎮座しているアルストロメリア王国は、晴れの日が多い。

季節を問わず空は高く澄み、雲が広がることは少ないため、

雨も半日続けば珍しい。


だが今日は森の上空に、重たい雲が低く垂れこめている。

枝葉の間から覗く空は暗く、まるで森ごと覆われているかのようだ。


「今日は空模様が妙だな」


森を進みながらガルムが足を止め、空を見上げて言った。


「雨かな? この国じゃ珍しいね」


アイビーも軽く見上げると雲の動きに目を向けた。

すると、まっすぐ前を向いていたノクスが足を止めて呟く。


「……この雲は、ただ事ではない気がする」


「おや、厄介ごとはごめんだな。僕としては早く魔王城に帰りたいところだ」


「アイビー、お前は少し動け。いつも部屋にこもってばかりだろう」


先頭を進むガルムの小言に、アイビーが気だるそうに草木を()けながら歩く。



彼らが踏み入れているのは、境界(きょうかい)の森――



人影はなく、魔物や魔族が住処(すみか)の一部として静かに根を張っている。


だがこの森は、危険な存在だけの場所ではない。

森の奥には野生の鳥や鹿、山羊などが棲み、食用となるきのこや木の実を実らせる

木々も多い。魔王城の食卓を支える、重要な狩場でもあった。


それでも、人の足が踏み入ることはない。

この森が“境界”と呼ばれる理由を、誰もが本能で理解しているからだ。


その静寂を裂くように──

森の奥で、弦音(つるね)が鳴った。


放たれた矢は、空を切り、飛び立ちかけた鴨の胸を正確に射抜く。

羽が一度だけ大きくはためき、次の瞬間には地面へと落ちた。


「……お見事です、魔王様」


ガルムが静かにそう言って、倒れた鴨へ視線を向ける。


「鴨狩りで魔王様よりもお上手な方はおりませんな」


その言葉に、すぐさまアイビーが吹き出した。


「ガルムが弓を引いたら、威力が強すぎて形が残らないだろう?

それに僕は弓なんて使えない。魔術で落としたら、ただの消し炭だ」


「……確かに」


ノクスは頷くと、弓を下ろした。


「エルフは狩りが得意だと聞いているが?」


ガルムの照れ隠しの視線がゆっくりとアイビーへ向いた。

じろり、と。


「ははっ、手厳しいね」


アイビーは肩をすくめ、悪びれもせず笑った。


「でも事実だろ? 僕は魔術と知能が売りのエルフなんだよ。弓や集団行動は

苦手分野だと、君も知っているだろう?」


ガルムは一瞬だけ言葉を詰まらせ、視線を逸らす。


「まあ……それはそうだが」


ぶっきらぼうな言い方だったが、否定ではない。

その様子を見て、アイビーはわざとらしく口元を緩めた。


「なに、ノクスの前だからって照れなくてもいいじゃないか。苦手なものは

苦手だって、もうみんな分かりきってるよ」


「余計なことを言うな」


即座に返すガルムの声には僅かな棘が混じるが、

アイビーはその声に肩を揺らして笑った。

そして、それを黙って見ていたノクスが口を開く。


「ガルムは力の加減が難しい。アイビーは、そもそも狩り向きではない」


淡々とした口調だったが、言葉の端にわずかな温度が滲む。

ほんの一瞬、口元が緩んだ。


「鴨狩りなら、私がやるのが一番だ」


それ以上は何も言わず、ノクスは矢筒へと手を伸ばす。

それが、三人にとっては当たり前の結論だった。

ノクスは静かに次の矢を弦に(つが)えると、森に再び静寂が戻る。


──だが、その静けさは長く続かなかった。


ざわり、と木々の葉が震える。

ノクスの視線が僅かに細まる。


「……この気配、魔狼まろうか」


低く断定する声音。

ガルムが即座に前に出た。


「魔王様が手を出す必要はありません」


盾を構え、重心を落とす。


森の奥、暗がりの中で二つ並んだ光がいくつも揺れる。

黒くすすけた毛並みの魔狼が、木々の間にまるで影のように潜んでいる。


冷えた金色の瞳は、ただ静かに三人を測っているかのように揺れていた。

ガルムが動きを見せると、示し合わせたかのように群れが左右に散っていく。


「やれやれ。この前ある程度減らしたと思ったのに、また増えたのかい?」


アイビーは呆れたように肩をすくめて、軽く両手を上げながら続ける。


「魔物、魔族といっても、魔王の命令を聞く訳じゃない。勝手に生まれて

勝手に増えるだけさ」


そう言いながら、魔導書を腰から抜き取る。

表紙がひとりでに開き、淡い光がページふちを走った。


「まったく、人間からは全部『魔王の手先』扱いだ。迷惑な話だよ」


「文句を言う前に動け。囲まれている」


ガルムが低く言う。

足音は遠い。

だが、気配は確実に近づいていた。


「おや? 少しは学習したみたいだね」


アイビーが片眉を上げた。

魔導書を持っていないもう片方の手を軽く振ると、

空中に光の粒がいくつも浮かび上がる。


「でも──」


光がゆっくりと形を整え、鋭い軌跡を描き始める。


「僕の前では通用しないよ」


次の瞬間、空中に浮かんでいた光の粒が一斉に弧を描いて飛び散った。

木々の間を縫うように走り、群れの動線を正確に断ち切る。


黒い影が跳躍した刹那、光がその足元で弾けた。


重い衝撃音が響く。


圧縮された光が一点で炸裂し、包囲の一角を担っていた魔狼の体を横から

吹き飛ばす。


地面に叩きつけられた個体が低く唸りながら転がる。

その毛並みは焦げ、煙が立ちのぼった。


だが、それで終わりではなかった。


森の奥からさらに三、四の影が飛び出す。

小型だが動きが速い。

一直線にノクスに向かう個体と、側面から回り込もうとする二匹。


「囲み直す気だな」


ガルムが前に出た。

盾を前面に掲げ、地を踏みしめる。

最初の一匹が勢いよく飛び掛かってくる。


鈍い衝撃音。


だが、ガルムは一歩も退かない。

盾を僅かにかたむけその勢いを横へ流す。

二匹目が牙を剥いて迫るが、その顎を盾のふちで弾き飛ばした。


「遅い」


短く言い放ち、左手で盾を押し出す。

魔狼が体勢を崩した瞬間、右手が鞘へ伸びる。


鋼が擦れる、短い音。


抜き放たれた剣が低くひらめいた。無駄のない横薙ぎ。

赤い飛沫しぶきが一瞬だけ空気を裂き、黒い毛並みが宙を舞う。

三匹目の魔狼は声も上げられぬまま地面に崩れ落ちた。


残る一匹が僅かに躊躇した。

その隙を逃す者は、ここにはいない。


「逃しはしない」


低く告げると同時に、ガルムの体が前へ出た。剣閃けんせんが走る。

赤が一筋、地面に落ちると魔狼は力を失い崩れ落ちた。


やがて辺りに立ち込めていた獣の気配は、すっと溶けるように消えていく。

残った魔狼たちは森の奥へと逃げて行き、残されたのは

踏み荒らされた土と、焦げた匂いだけだった。


森はゆっくりと本来の静けさを取り戻す。


それを確認すると、ガルムは剣を横に払った。

血を払い落とし、無駄のない動作で剣を鞘へと収める。


「……妙だな」


倒れ伏した魔狼を見下ろしながら、アイビーが顎に手を当てた。


「本来なら群れを率いる大型の個体が姿を現すはずだ。だけど、倒したのは

小型ばかりだよ」


ガルムも周囲へ視線を巡らせる。

確かに、統率する気配がない。


その時だった。


ぽつり、と冷たい雫が頬を打つ。


続けてぽつ、ぽつ、と雨粒が落ち始めた。

空が低く唸る。


「ありゃ、降ってきたね」


アイビーが空を見上げる。

遠くでは、鈍い雷鳴が転がった。


「魔王様、雷も鳴り始めています。一度城へ戻りましょう」


ガルムが言った直後──


轟音が森を揺らす。

空が白く裂ける。


森の入口付近に、ひときわ大きな雷が落ちた。


「うわっ!今の近かったんじゃないかい?」


アイビーが音のした方へ視線を向ける。

その直後だった。


「うわあああああ!!」


雨を裂いて叫び声が響いた。

高く、幼い声。


ガルムの耳がぴくりと動く。


「……子供の声だな」


アイビーの目が鋭くなる。

魔狼の大型個体が見当たらない。

そして倒しきれなかった小型の魔狼たちが向かった先を考える。


「まさか……魔狼の大型個体は別の場所だ! 僕たちは囮か!」


視線を交わす。

言葉はいらなかった。


二人は同時に地を蹴る。

雨を弾き、声のした方へ駆け出した。




───だが



ノクスだけが、その場に立ち尽くしていた。

落ちる雨粒が肩を濡らす。

雷鳴が再び轟く。




「……今の、声は」




なぜか、足が動かなかった。


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― 新着の感想 ―
凄く臨場感のある戦闘描写で惹き込まれました〜! ヾ(・ω・*)ノ 美しい言い回しが多くてめちゃ好みです。 (*´ω`*) 囮だった展開の続きが気になる引きです。 (´・ω・`)
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