魔王城の守護獣人 ガルム
朝食を食べ終えると、シリウスは勢いよく椅子から飛び降りた。
「僕、ガルムのところに行ってくる!」
そう言い残して、軽い足音を響かせながら食堂を駆け出してく。
それに気づいたアンジェが廊下の奥に向かって、慌てた様子で声をかける。
「シリウス! 転ばないように気をつけてくださいね!」
「はーーい!」
遠ざかる足音の向こうから、元気な声が返ってきた。
シリウスは笑顔を浮かべながら、廊下を駆け抜け、
中庭へと通じる扉が見えてくる。
そして迷いなく扉を押し開けた。
すると、朝の空気が一気に流れ込んでくる。
中庭に出ると、魔王城全体を見回すことができた。
魔王城は全体が石造りの重厚な城だ。
四方が高い城壁に囲まれ、その内側には正方形の中庭が広がっている。
城の周辺には水路が囲っており、北側の川につながっっており、
正面の入口には一本道の橋がかかっている。
その中庭の半分──
硬く均された地面と、擦れた跡の残る石畳の一角は明らかに用途が違う。
そこが、剣の稽古場だ。
冷えた空気の中、すでに動いている一つの影があった。
狼の獣人族。
二本の足で大地に立ち、しなやかな体躯を持つ男。
名をガルム。
銀色の鎧が胸元と腰元、肘当が朝日を弾く。
灰色の毛並みは柔らかそうだが、立ち耳の奥で琥珀色の瞳が鋭く光っていた。
ガルムの顔には狼のような長いマズルがあり、人とは明らかに違う。
それでも──そこに野蛮さはない。
──ひゅっと風を切る音がした。
ガルムは城壁を背にして立ち、静かに剣を振るっている。大振りな動きはない。
踏み込みは低く、体重の移動も最低限。
剣先が描く軌道はまっすぐで、一切無駄がなかった。
シリウスは中庭に出てガルムの近くに行くと、駆け寄りながら声をかけた。
「ガルム!!」
シリウスの声で狼の耳が僅かに動くと、ピタリと剣の動きが止まった。
ガルムは剣を下すと、ゆっくりと声の方へ振り向く。
「シリウス」
動きが止まったのを確認してシリウスが駆け寄ると、
ガルムは剣を鞘に納めながら静かに見下ろした。
「朝食は食べてきたのか」
確認するような言葉だが、そこに拒絶の色は無い。
「うん! ちゃんと全部食べてきたよ!」
シリウスは満足げに見上げながら、にっと笑う。
その小さな姿を見下ろし、ガルムは一瞬だけ視線をやわらげた。
大きな手が、ためらいなく少年の頭に置かれる。
指先で乱れた髪を軽く整えるようにぽん、と一度だけ。
「……よし」
それだけ言って手を放す。
「ねえ、ガルム」
シリウスが少し背伸びをするようにして声をかけた。
「そろそろ僕も剣の稽古したい」
その言葉にガルムは眉間に皺を寄せて、即座に首を振る。
「まだ早い。危ないと言っただろう」
はっきりとした口調。迷いもためらいもない。
そのガルムの態度にシリウスはじっと見上げる。
「でもさ、アイビーから戦術の勉強を教わり始めたよ?」
シリウスは一歩近づき、ガルムの腕を引く。
ガルムの眉が僅かに動いた。
「……アイビーか」
低く名前を呼ぶと、後ろから軽快な声が飛んでくる。
「やあ! 呼ばれた気がしたけど、気のせいかな?」
城壁に寄りかかっているアイビーが楽しそうに笑っていた。
「シリウスはもう七歳だろ? 剣術の基礎を始めてもおかしくない年齢だ」
「剣の動きの基礎ならまだしも、戦術は早すぎる。体が追い付かない知識は
毒にしかならない」
ガルムは振り返り正面から睨むと頑なに頷かない。
それどころか、危ないとアイビーを責めるような視線を向ける。
「確かに。それは正しい」
アイビーはあっさり頷く。
だが、したり顔をすると、寄りかかっている
壁から背を離してシリウスの隣まで歩いてきた。
「でもね、無知より知識がある方が何かと便利なのも事実だ」
肩をすくめ、軽い調子で続ける。
「特に──ここ、魔王城ではね」
ガルムはその言葉にわずかに視線を細め、言葉を詰まらせた。
「アイビーの授業は難しいんだよ! それに僕、もっと外で体を動かしたい!」
重くなった空気を知ってか知らずか、シリウスが割って入る。
その言葉にアイビーは、ほらねと言わんばかりに表情を明るくした。
「ほら、本人からの希望も出ているじゃないか」
そして、間髪入れずに続ける。
「だったらさ、軽い木刀で姿勢と足運びだけ教えればいい。振らせないし
打たせない、運びだけ。これなら問題ないだろ?」
アイビーの計算高い笑顔。
期待に満ちたシリウスの瞳。
ガルムは二人を見比べると、諦めたようにため息を吐いた。
「魔王様の許可が出たら、だ。それまでは木刀だろうと剣には触れさせない」
「やった!」
シリウスが声を上げ、アイビーと勢いよく手を打ち合わせた。
「まだ決まっていないぞ」
ガルムは即座に釘を刺す。
「それと、怪我をしたら即中止だ」
「うん! 分かった!」
「よかったね、シリウス」
楽しそうな二人の様子を見て、ガルムは視線を逸らすと短く息を吐いた。
「……まったく。アイビーから悪知恵ばかり覚えているな」
「じゃあ僕、ノクスに聞いてくるね!!」
シリウスは待ちきれないように、足踏みしながら駆け出して行った。
姿が遠くになった時アイビーはぽつりと言う。
「いやぁ……森で拾って来た時とは大違いだよ。本当に」
そう言って、にやりとガルムへ視線を向けた。
「なぁ?」
ガルムは腕を組むと、思い返すように視線を巡らせる。
「拾ってきてからまだそこまで時間は立ってないだろう?」
「一週間くらいかな?」
アイビーは指を折るような仕草をして笑う。
「それにしても、随分と僕たちに慣れたじゃないか。それこそ最初は──」
声が楽しげに弾む。
「僕たちやノクスに対して泣くし、怯えるしで大変だっただろう?」
二人は室内が見える窓辺に視線を向けると、ノクスにせがむ様子のシリウスを
見つめながら、あの森で出会った日の事を思い出していた。




