72_神官騎士の深刻な悩み(ギズリ視点)
──神官騎士である俺、ギズリは、聖女様を神殿に迎えた時には思いもしなかった悩みに、今にも飲み込まれそうになっていた。
湧きあがる違和感をぬぐいきれない。
それどころか、少しずつ、少しずつそれは大きくなっていく。
「それ、すごくいい!私のためにありがとうギズリ!」
「……モネ神官に伝えておきます」
最初に「モネ神官がリゼット様のために、特別な空間魔法の使い手を探してきた」と言ったのに、花が綻ぶように笑うリゼット様は、俺にだけ礼を告げる。
せめてともう一度モネの名前を出すが、すでに神獣様と楽しげに話すリゼット様には聞こえているのかどうかも分からない。
そもそも、モネは誰よりもリゼット様の側に侍り、誰よりもリゼット様のために働いているというのに、リゼット様は彼女の名前も知らなかった。
◆◇◆◇
俺は孤児だった。
貧民街にいつき、飢えて死にかけ、泥まみれで転がっているところを、幼き日のソレイユ様に拾っていただいた。
貴族の生まれであるソレイユ様の側仕えとして常にお側に侍り、ともに教育を施していただき、剣術まで学ばせていただいた。
ソレイユ様が神官になると聞き、ならば俺は神官騎士になるのだと、何の迷いもなく当然のようにそう思った。
「私は将来立派な神官になり、いつの日かお迎えする聖女様のお側でその方をお守りするのだ!」
それが、ソレイユ様の口癖で、夢だった。
「ソレイユ様、しかし、聖女様はもう随分長いこといらっしゃらないと聞きましたが、もしもお迎えできなかった場合はどうされるのですか?」
「おい!そんなありえそうな悪夢を口に出すな!」
「申し訳ございません」
「全く、真面目なのはお前の長所だが、真面目過ぎるのは短所だな!」
時折そうして俺に怒り、うんざりしたようにため息をつきながら、ソレイユ様が俺を見捨てたり突き放したりすることは一度もなかった。
いつしか、ソレイユ様の夢は、俺の夢となった。
リゼット様が聖女として神殿に迎え入れられ、ソレイユ様は神官で誰よりもリゼット様に近い存在としてお立場を得られた。
もちろん、異性であるため、身の回りのことや雑用などをこなす役割は、同じ女性のモネ神官に譲られたが、それ以外では常にソレイユ様はリゼット様をお支えしている。
俺もまた、リゼット様が討伐や市井への視察や公務に出られる際、一番近くに仕える神官騎士として選んでいただけた。
「ギズリ!私達はこれまで、どの神官や神官騎士にも負けぬようたゆまぬ努力を重ねてきた。聖女様が現れると信じ、その時のために備え続けた。その成果が今ここに結果として報われたな!」
ソレイユ様は喜び、俺の得た立場も称えてくれた。
リゼット様は素晴らしい、リゼット様は本当に聖女に相応しいお方だ。リゼット様と出会えたのは運命であり奇跡だ。リゼット様のためならば、全てを投げうつこともできる。たとえ、命であっても。
それが、ソレイユ様の新しい口癖となった。
ソレイユ様と俺は、夢を叶えたのだ。
──しかし今、俺の確固たる自信で固められていたはずの足元は、ぐらぐらと不安定に揺らいでいる。
最初は、思ったよりもはっきりとご自分の不快を口にされるのだな、と思った。
「私、ルーツィアにずっと嫉妬されて、虐められていたから……おかしいよね、私なんか、嫉妬するような対象じゃないのに」
「聖女リゼット様を醜い嫉妬で虐げる……!?おのれ、ルーツィア・リーステラ……!」
「あっ……ソレイユ、決してルーツィアを責めないでね?私が悪いの。私が、ルーツィアと仲良くできなかったのが悪かったの……」
それが悪いとは思わない。ただ、少し意外に感じただけ。
その時は、何をそんなに意外に思っているのか、自分でもよく分かっていなかった。不思議な感覚を抱くばかり。
しかし、今、あらためて考えると自らの内心が整理でき、ようやくわかった。
俺がイメージしていた聖女は、「虐められていた」とか「嫉妬されていた」とか、そういう言葉を使わないのかと思っていたのだ。
もしも本当に、「ルーツィア・リーステラを責めないでほしい」と思うなら、決して選ばない言い方のように感じたから。
その違和感に気づいたのは、あの瘴気だまりでの一件だ。
「さっき、ルーツィアはギズリを攻撃したわよね!?びっくりしちゃったわ!タイミングよく魔物が現れたからうやむやにできると思った!?残念、魔物が姿を現すより先にルーツィアがギズリに向かって魔法をぶつけようとしたこと、私、ちょうど見ていたのよ!」
──違う。
事実、ルーツィア嬢は俺を助けてくれたのだ。
あの時、ルーツィア嬢が助けてくれなければ、俺は死んでいたのだ。
──もしも、ルーツィア嬢が本当に俺を攻撃したのだとして、それでも俺の命は助けられた。その事実に少しの感謝もないことにも違和感を覚えた。
俺ならば、俺を攻撃した事実と俺を救った事実は切り離して考え、救われたことへの感謝は抱く。
それが神殿の教えでもあるはずだった。
一介の神官騎士である俺の無事に、聖女であるリゼット様が感謝を覚えないことに違和感があるなど、傲慢な感覚であることも理解している。
しかし、人は自分の近くにいる者の命の無事に、喜びを感じるものではないのだろうか。
それとも、俺などリゼット様にとって、命の無事に無関心でいられるほど、とるにたらない存在なのだろうか。
それも、悪い事ではない。元孤児で、たかが神官騎士。思考の整理のために自分への評価を加えずに考えているだけで、俺自身、自らの命にそれほど価値があるなどと驕っているわけでもない。
しかし、逆に言えば、俺にそれほどの価値がないと思っているだけだとしたら、それはひとえに、価値のない命が存在すると思っているということではないか?
やはり、それは俺の中の聖女像と少しかけ離れているように思われた。
対して、どれだけ罵られても、ルーツィア嬢は悲し気に戸惑うばかりで、一度も言い返すことさえなかった。
(リゼット様から聞いていたルーツィア・リーステラの姿は、真実のものなのか?)
これは許されない感情だ。ソレイユ様があれだけ大事にされている聖女リゼット様に疑念をいだくなど。
しかし、一度覚えた不信は、全ての事実を色濃く見せつけてくる。
治癒する人間の選定基準に金銭があること。治癒する人数を制限したいと強く希望していること。豪華な贈り物にはしゃぎ、決して固辞しないこと。いつからか比較的手に入りやすい価格の物はリゼット様の元へ届けられることさえなくなったこと。モネの名前を覚えていなかったこと。モネが、いつも怯えているように見えること。時折傷を作っている時もある。リゼット様の怒りを隠せない表情。ルーツィア・リーステラを責め立てる声。まるで、相手を責めるように周囲を誘導しているかのような言葉の選択。
全て、悪い事ではない。孤児だった時代を持つ俺は、それが人間が持つ普通の感情やありきたりな行動として存在していることを知っている。
しかし、どうしても浮かぶ決して許されない考えが、抑えられずに溢れ出す。
──リゼット様は、本当に聖女に相応しい方なのか?




