Phase・Ⅷ 咲く、花
「わたくし……あなたを、存じあげておりますわ」
「え?」
見ているほうが恥ずかしくなるくらい、思いっきりキザな動作で白く細い手にかがみかけていた青年が、身を起こす。軽く流された前髪が揺れ、当惑げなまなざしが貴婦人を見つめた。
「……いいえ」
彼ばかりか、そばにいた先任の地球大使ハウザー・ハムイと、彼女の夫君までもが息をつめて見守る中、女性は首を振った。
「あなたではなく、あなたのお父さまを存じているのね。フォース、お父さまにそっくりでいらっしゃること」
「は……」
ため息にきわめてよく似た吐息を、フォースがつく。
それからにこりと、さも善良なおぼっちゃまらしい笑顔にその白面を委ねて、言葉を継いだ。
「あなたのような美しいご婦人に覚えていていただけるとは、光栄ですね、サードも。ガブリエーラ・リッテンバ、いや、ラドリー夫人」
緑の目は周囲の男たちを捕捉していた。牽制の意味と安心感とを、与えるために。
「まぁ」
おっとりと身を引いてみせながら、夫人も微笑む。
「そんなところまで、ほんとうによく似ていらっしゃるわ……」
「ははは、そうだなぁ。サードも、人あたりのいいやつだった。ことに、女性には」
かなりわざとらしいラドリー経済相の次男のフォローだが、夫人はしっかり彼らの思惑に、はまってくれた。今夜のパーティー主催者の息子夫婦という立場上、いやでも寄ってくる客たちに、次々と新任の地球大使を紹介する。
「やあきみか、サードのご子息というのは」
「生き写しとは、このことを言うのでしょうねぇ?」
「若いころの父上と私とは……」
当時の同窓が多く集まっているのは、まさに次代を担うべき若者たちの通う学び舎に、彼が留学していたからだ。
それは、地球での学業が単位不足のための出稼ぎ留学だった。
しかもかなりの荒稼ぎである。それにより彼は卒業を認められ、地球全権大使の地位を得て愛しい恋人の待つこのアポロニアへ、帰ることになっていた。
まばゆい光の中、会話をこなすのはおとぎ話の王子さまのような美青年。
気さくでありながらルーズには下らず、常に明るい空気の中心に、彼は在った。
「よお、ハウザー。お見送りとは、うれしいぜ」
先任大使はいつしか、二昔を数えるほど過去に交わした言葉を思い出していた。
合流点を、三つ過ぎるまでは、リュイもおとなしく後部シートに押しつけられていた。
心の命ずるまま、ルオはアクセルに乗せた足をゆるめない。
放っておくと、そのまま彼らはヘリオス回遊の旅をしてしまいそうだ。
「おい」
いきなり、和装バッグが振りまわされた。
「とっとと左車線に入って星都幹線から降りねぇか、このタコ!」
ヘッドレストごしに後頭部を狙われ、衝撃に怒りが加わる。
「ってぇ、なにしやがるんだ。そっちこそタコのくせにっ」
「タコにタコたぁ、言われたくないね」
「なにをぉー」
はてしなく低次元なじゃれあいに、東尽は微苦笑する。
胸にあるのは軽蔑や不快感などではない。もっと、ずっとあたたかいものだ。
時間的に遅れていなかった。なにしろ、制限速度の倍近いスピードで星都幹線道路を驀進していたのだ。ただし、ヘリオス市中心部を走る根幹道路の混雑が予想された。折しもラッシュアワーである。
言いたいことは山ほど、刻々とマグマを吐き出す噴火山のように膨れあがってゆくルオだった。が、下道に降りるなり、どっと増えた交通量に従ってスピードを落とすうちに、頭も冷えてくる。
「ピカ・ロマからヴェルヴェット・モドレィ、サン・マートスへ抜けます」
ウィンカーを二度目に出すころには、赤竜コンツェルン・セントラル・オフィス秘書統括室長次席補佐に戻っている。
「ああ」
そうしてくれ、と東尽がうなずいた。
冷静になってしまったルオにリュイはつっかからなかった。気味が悪いくらい押し黙って、おもしろくもなさそうに窓外を見ている。
「どうしました?」
「なにがだ?」
口調にいらついた感じはない。東尽は冷たい横顔を見つめた。
「緊張していらっしゃる、というわけではないようですね」
「緊張? ハ、するようなことじゃないね。ショーと同じだ。あのおぼっちゃん大使にこの振袖を見せて、帰るだけだろ」
「話は? なさらないのですか」
その一言に、リュイは身をのりだした。
後部シートに右手をつくと、身体ごと東尽に向き直る。
「話していいのか?」
まなざしが、真っ正面から東尽を射た。心ならずも彼は何秒間かそれに見とれてしまう。彼の恋敵と、同じ輝きを放つエメラルドの、澄んだ瞳に。
「……その場の流れにもよりますが、二言三言、挨拶くらいならば大丈夫でしょう」
「そうか……」
あせることはないと、リュイは自分の中の昂るなにかをなだめた。
今日まで十数年のあいだ、待っていられたのだ。
下手をすると機会は一生、めぐってこなかったかもしれない。フォースが地球全権大使として赴任しなければ!
しかし、彼は来た。この、独立植民星アポロニアに。
そして自分の住むヘリオス市に降り立った。
現在、ふたりは、同じ大気の内にいて、同じ時差世界の中を、生きている。手をのばせば届く現実が相手なら、なんらかの結果を生じさせることはできる。
顔を上げると、ルームミラーを介してルオと視線が合った。
一瞬、ルオがひるむ。
だが、メーターを見て法定速度ぴったりに走っていると確認すると、それきり彼は運転に集中した。
しばらくして、セダンはホテル・ソレイユの車寄せに入った。地味で小ぶり、中級の上クラスのステイタスとして人気のある車種ながら、その堂々たる進入ぶりに、中の人影から察したドアマンが左右の後部ドアを開く。
まずは東尽が、長身を現した。足早に車尾をまわって左の後部座席に手をさしのべる。
「お、こいつぁ、ひょっとして?」
「ひょっとするかも?」
物陰や植えこみに待機していたカメラマンが得物を構えた。
「咲王辰子の大姐御じゃねえのか」
中には、たいして関心を示さないカメラマンもいる。東尽が財界きっての堅物なのは、有名すぎる事実だ。その彼が、経済相のパーティーで艶聞を公表するなどといった財政人としての思慮に欠けた行為をしてくれるはずがない。
バシバシパシパシバッバッバッ──!!!!!
してくれるはずが……なかったはずのエリート企業屋の手をとり、いと優雅に立ち上がった美女の姿に、彼らは夢中でシャッターを切った。本来は大臣やら議員やら、会長やら社長やらを写す目的だったのに、時ならぬスーパーモデルの撮影会よろしく、フィルムを全部使いきる勢いで、撮る。撮りまくる。
フラッシュの雨あられに、閉口しつつもルオがセダンを発進させた。
すまし顔でエスメラルダは東尽にエスコートさせてホテルに入ってゆく。
「スクープなんだ! とにかく芸能のやつを大至急、こっちによこしてくれ」
「一面空けろォ! トップだトップ!」
玄関口では、各紙入り乱れての電波戦が展開されている。
「……どうするつもりだ」
エレベーターに乗ってから、リュイが言った。幸い、ふたりきりだ。というか……エレベーターを待っていた客は他にもいたのに、このツーショットを見るなり動きを固まらせてしまい、同乗しようとしなかったのだ。
「いくらルオが火を消してくれるといってもこれだけの騒ぎだ。うちの事務所が、黙ってないぞ?」
「メイハ・プロダクション」
まばたきするさまを、にらむようにリュイは見上げる。
「今日付けで赤竜グループになりました」
「冗談だろ?」
「いわば私はあなたの雇用主です。雇用人と親睦を深めるのも、会社社会という世界の中では潤滑油として認められるのでは?」
「詭弁だな」
「正論、ですよ」
にっこり含笑したところでエレベーターが目的のフロアに着いた。
「では、エスメラルダ」
軽く曲げられた東尽の左腕に、彼女は右手をそっとかける。
遭遇した人々を、石像のように硬直させながら……恐怖のゴルゴンであるカップルは、ラドリー経済相のパーティー会場へ歩を進めた。
遠くの惑星へ単位取得のために、留学という名目でやられていた幼なじみが帰ってきたと知らされた。
卒業証書と任命書を手に、彼がまたその星へ行ってしまう五時間前のことだった。
「よお、ハウザー。お見送りとは、うれしいぜ」
一目散に出発ゲートまで走り、それらしい人物がまだ通っていないことを確認するなり、来た道を走って戻っていた彼に、朗らかな声が呼びかける。
「サード!」
二年ぶりに会う竹馬の友は、相変わらず軽薄なくらいに明るい調子で笑っていた。だが、どことなく感じられる幸福のオーラのまぶしさに、うつむいて息を整える格好でハウザーは目線を外す。
うれしかった。
自分と同じく落ちこぼれの、名家の面汚しと陰口をたたかれていた彼が、いま、心の底から幸せそうに笑っている。
やればできるくせにわざとエリートとして生きる道に背を向け、斜に構えていた彼は、かたくなに研磨を厭う宝石の原石だった。
しかし愛するひとと出会い、彼女との未来を勝ち取るために、こだわりを棄てて新しい一歩を踏み出したエフゲニーは輝きを得た。
「……行ってしまうんだな」
うれしさの中に、一抹のさびしさがあった。
やや上目づかいの子犬を連想させるまなざしは、彼にとって子供のころから、かけがえのない宝物のひとつだった。ちょっとした冒険をするとき、自信のないとき、判断に迷うとき、それはいつも遠慮がちに絶対の信頼をこめてエフゲニーに向けられてきた。
大丈夫だよハウザー、彼はうなずいて応えたものだ。たったそれだけのことで安心して彼の幼なじみは目の前の問題へと果敢にチャレンジしていった。
この、約束のいらない大いなる信頼関係の名を、友情という……。
「ああ。彼女が、待っているんだ」
「そう」
「そ。写真見るか。美人だぞぉ」
歩きながら、彼はジーンズのポケットから財布を抜いて数枚の写真を取り出した。
「おお、美少女! かわいいなぁ。名前なんて?」
「恵利奈だ。咲王恵利奈」
「咲王、って、たしかアポロニアにどでかい会社がなかったっけ? 地球出身者が創設してた」
「へえぇ、さすがは経済学とっただけはあるなぁハウザー。そっ。そこの一人娘。反対されて駆け落ちした。頑固なババアとかぁいくねえ義弟がいてな」
「駆け落ち」
「んん。とりあえず、あっちこっち転々としたけど大学にはなんとか行って単位取った。だからもう、文句は言わせない!」
「うん!」
ハウザーにも、身に覚えのあることだった。彼もまた、恋人のために学業を成就させ、卒業にこぎつけたクチである。
「ま、定期便が週にニ往復出てるし、外洋免許があれば小型の宇宙外洋船でも飛べるから、おちついたら一度来てみてくれ。古き善き時代の地球って感じでごみごみしてるけど、活気だけはあるところだ」
「ああ、ぜひ」
ふたりは出発ゲートを抜けてシャトルバスで月軌道のステーションに上がった。最終チェックはステーションでの審査が徹底しているので、見送り客のステーション立ち入りも可能なのだ。
話題が定期航路便になったのを機に、ハウザーはエフゲニーがその定期便ではなく、小型船をレンタルして単独航行するのを知った。てっきり旅券チェックカウンターを通って待合室へ行くものと思い、特別入場券を買おうとしたら、
「あ、そっちにゃ行かないぜ。茶ぁしよう」
軽く片手で身体を止められ、喫茶室へとリードされる。
「アルファケンタウリだろ、クィントス777だろ、だいたいここいらのステーションで燃料補給すれば三回のワープで着くんだ。あちこちまわる定期航路だと日数かかってしゃあねぇし」
「っておまえ、外洋免許持ってた?」
「ああ、取ったんだ。まだ初心者免許だがな」
「へぇー。外洋船って、おもしろい? 僕も取ろうかな」
「おう、おもしれぇぞ。航路プラン作んのがちょい面倒だけど、修正は航路管理局がやってくれるから定期便だとか軍艦とは鉢合わせねえから安心できっし」
エフゲニーの航路プランは地球-アポロニア間を最短距離かつ、最短時間でゆく目的のもとに作成されていた。ほとんどの外洋航行船舶は太陽系外に出てから充分に加速してワープ航法に入る。安全であり、効果的なプランである。しかし、その充分な加速を得るまでに時間がかかる。よって彼は、初期段階からもっとてっとりばやく最大加速を引き出せる方法を考えていた。
「スウィングバイ・アクセル?」
「そ。重力カタパルトとも言うな」
毎秒十一・二キロを越えた初速で打ち上げられた機体が惑星などの大質量物体に接近すると相互の引力関係により速度変化、軌道変化を余儀なくされる。燃料消費なしで軌道を変えられ、さらに加速できるとあって二十世紀末には無人探査機によってスウィングバイの有利点は確認されていた。
引力による放出速度に宇宙船自身の持つ加速力をプラスするスウィングバイ・アクセルは、大型、小型を問わず宇宙外洋船のパーソナル免許を有する操縦者ならば誰しも一度は試したい航法だ。
「もっ、木星で?」
おあつらえ向きに、太陽系には木星という太陽になりそこねたほどの巨大質量を持つ惑星がある。
「危険だっ!」
よく言えば温厚、毒舌ではトロいと評判のハウザーが吼えた。
「管制局の許可はおりてるぜ」
「でも危険だ。小惑星帯じゃあしょっちゅう、バイクやらヨットで飛ばすやつらが非合法レースをやらかしてんだ」
「おお、そういや俺たちもよくやったよなぁ。ミッディ・アレンとかオードレックとか、うまいやつがいっぱい、いたなぁ」
類は友を呼ぶというやつで、中学時代にはエフゲニーは土星航路あたりまでのガキ大将中のガキ大将になっていた。あくまでもガキ大将であって、不良グループのリーダーではないのが、彼らが落ちこぼれとはいえ、おぼっちゃんであることのポリシーだったりする。
ハウザー命名によるサードの称号を得たのも、そんなころだ。
「いまはそうじゃないよ」
いちばん最初はまだ小学校に上がる前だった。
「ほよ?」
イングランド北部、カンブリア山地のティラーデス家の別荘へハムイ家の人々も同伴という形での避暑に出かけたときのこと。
「いま、あそこを飛んでいるのはマジに馬鹿なやつらだけだよ」
ハウザー少年が泣いて止めるのもきかず、エフゲニー少年は大昔の廃坑へ単身入りこみ、案の定起こった落盤で閉じこめられてしまったのだ。運が悪ければ、岩盤におしつぶされていた。あるいは、窒息してしまったかもしれない。
ところが少年は、悪運だけは強かった。
ランサムの冒険小説の子供たちのように坑道をたどり、山の反対側へ抜け出ることができたのだ。
一度死に目に遭ってからというもの、それまで以上に彼はふっきれてしまった。愉しみを愉しみとして甘受していながら、実は楽しめていないのではないかと、子供心にもハウザーは思ったものだ。
ことに小惑星帯での暴走レースで二度目の生還を果たし、三度目の人生を送るという意味で〈Ⅲ世〉と呼ばれるようになってからの彼は……冷めきっていた。
「心配すんなよハウザー。俺も馬鹿だ」
「エフゲニー……」
その身を案じながら、ハウザーは安心もしている。
この、エフゲニーの笑みはほんものだ。
彼の心はいま、冷めていない!
「着いたら、また連絡するよ。まだ住むとことか、きちんとしてないし。おまえも彼女連れて、遊びに来いよ」
破顔一笑。それが、ハウザーの見たサードの最後の笑顔だった。
レンタシップが整備されるまでの時間を、彼らはたくさんの話題で費やした。コーヒーカップが干され、水のグラスの氷もなくなり、ウエイトレスが何度も運んだ飲みもの全部を空にしてやっと席を立つ。ふたりは最終チェックカウンターの前で別れた。
一秒の狂いもなくエフゲニーの操縦する小型船は木星の引力の影響下に入った。
そして計算どおりの軌跡を描いて放出されるのに合わせて主エンジンへの再点火を待つあいだに、警報が鳴ったのだ。
小さな質量が複数、彼の針路をふさいでいる。コースを外れた非合法レーサーだった。
「どけっばかやろうっ!」
怒鳴った。むろん、聞こえるはずもない。
彼としてもそんなことは期待してなどいない。感情の行動なのだ。
針路は変更しようがない。
速度を落としても、間に合わない。
木星は彼を放り出している真っ最中ときている。
『ティラーデス大使!』
アクシデントに気づいた管制官の悲鳴をBGMに主エンジンに点火する。ついで、ワープ機関を起動させた。
『無茶な……っ』
返信は、届かなかった。
時空同調のタイミングをずらして大質量圏内から不充分な加速のみでワープ航法に飛びこんだ宇宙船は、目前の宇宙ヨットの群れとの衝突は免れたものの……予定時間の予定宙域に出現できなかったのだ。
さざなみのように吐息が広がり、地球特命全権大使は歓談していたヘリオス市議員から視線をそちらに転じた。
「おやこれは……」
議員が、それっきり言葉を失う。
それほどまでに彼女は美しかった。
「……恵利奈?」
深い谷川の流れを思わせる緑のグラデーション。
純白の帯に織りこまれた銀糸が照明を弾く輝きに、目が奪われるというだけではない。
絹糸のように細くまっすぐな黒髪は、丁寧に梳られ、背を覆っている。
その妙なるバランス!
一歩一歩、歩いてくるのでさえ、雅びた舞を見ているように、感動的だ。
「大使」
彼の視覚は、最初の一瞥から緑の氾濫にのまれていた。着物ではなく、この美神の持つ瞳ゆえの……。その姿はまさしく恵利奈のものでありながら、断然とそれを否定する根拠たるもの。
彼と同じ二玉の緑柱石。
呼びかけられて、エフゲニーは東尽を認識した。
「あれ、東尽?」
彼がいま、やっと自分がここにいることに気づいたことなど、東尽は看破している。
どこからどう見てもそれは、ひとりの若者が女性に見とれていた──まるで恋におちた場面だ。
みっともなく口を開けたりしていなかっただけ、ましとはいえ……自分がエスメラルダを同伴していることとフォースのまぬけ面、はたしてどちらのスキャンダル度が高いかなどと考えているうちに、男は真顔に戻る。
「めずらしいね、普。きみが女性をエスコートしているなんて」
「ご紹介しましょう、大使。こちらはエスメラルダ・グリーン、今年のクィーン・オヴ・ミラーズに選ばれたモデルです」
「察するに、きみのところの所属かい?」
「ええ」
会場に入る許可は政治記者に限定されているが、東尽の発言は彼らに波紋を投げかけるのに、充分だった。
赤竜グループによるメイハ・プロダクションの吸収。
いまさらという感もあるが、看板モデル、エスメラルダが東尽と連れ立って姿を見せるなど、声高にこっちを見ろと触れまわっているようなものだ。魚心あれば水心、辣腕家東尽の誘いに、畑違いながらも記者たちはシャッターチャンスを狙って耳目を集中させる。
「私はエフゲニー・ティラーデス・フォース、新任大使です。どうぞよろしく、ミズ・グリーン」
しかし、かえって彼らはチャンスを逃してしまった。
握手を求めて儀礼的に右手をさしだしたエスメラルダの手をとり、大使はすばやくくちづけた。
映画のワンシーンのように、絵になる光景だった。
それゆえにフラッシュひとつ、質問ひとつでさえはばかられる空気にあたりは包まれた。そこだけ異空間としてシールドされたみたいに、誰も近寄ろうとしない。あるいは、ミニシアターか。遠巻きに、息をのんで見守る。
「……はじめまして、大使。差し支えなければ、エスメラルダとお呼びくださる?」
彼女の声が、わずかに震えた。怒りのためである。
だが場合が場合だけに、緊張感からと周囲には解釈された。その震えが微妙な深みをアルトに醸し出すのだ。エスメラルダは人前であまり話さないので、なんと魅力的な声を持つのだろうと感激した向きも少なくはない。
「では、私のことはフォースと」
軽すぎる甘い微笑に内心、苦虫をかみつぶしたのは東尽だけではなかった。事あらばフォローしなくてはと、それとなく近くで気を配っていたハムイ大使は、なんとなく、むかむかしていた。
彼はフォースのつぶやきを聞いていた。でも待てよ、と思う。彼女は、咲王恵利奈ではないんだぞ!
「……東尽君」
「は?」
とんでもねえものを連れこみやがって、とにらんだところであとの祭りなのだった。
先任大使は心配したが、フォースの心は冷静なままだ。見れば見るほど、エスメラルダはエスメラルダでしかなかった。
偽物にすらならない、まったく別のほんもの。
なまじっか面影があるだけ、始末が悪い。
「あの……わたくしの顔がどうか?」
リュイのほうは、まだエスメラルダの皮をかぶる良識が働いていた。ただし、臨界すれすれに近い。できればこのまま、王子さまみたいな微笑を浮かべている優男を個室へひっさらって、尋問してやりたいという衝動がこみあげてくる。
「おやおやティラーデス君、いかんよキミぃ。妙齢のご婦人の手を握りっぱなしじゃないかね。エスメラルダ嬢が困っておられる」
東尽が動かないので、ハムイはわざとらしく、もっともな理由をつけて、見つめあっていたふたりを分けた。
「「え?」」
両名は……自分たちが見つめあっていたことに、気づいていなかった。
おそろいのタイミングで先任大使を振り返る。
「すばらしいっ!」
そのとき、至近距離からフラッシュを浴びせられて目がくらむ。かすかな音をたてて、ポラロイドが印画紙を吐き出す。
「……レーブ・トリッケン?」
ちかちかする視野の中に入ってきたシルエットに、フォースは見覚えがあった。
映画監督は少なくとも現時点ではまだ特命全権大使である男を押しのけ、得意顔で印画紙を振りまわす。
「すばらしいよ、きみ。この、ふたりで並んで立ったときのフィーリング! 髪の色の対極性と目の色の相似。見てみたまえ、エフゲニー・ティラーデス・フォース君っ。きみは絶好の被写体なのだっ」
唾とともに、はがされたカバーがどこへともなく落ちてゆく。
ほとんど勢いで、フォースは写真を受け取ってしまった。
「トリッケン監督」
さらなる説得を試みようとする監督の肩に、東尽が手をかけた。いくらなんでも、この男までが乱入してきては彼のお膳立てがだいなしになる。
「あなたの新作について少々、お話ししたいことがあるのですが」
「出資の件ならプロデューサーにしてくれ」
「いえ、別件で」
「話ならあとにしろ。おれはこの色男に用があるんだっ」
トリッケンは微塵も動かぬ構えだ。声を低めて、東尽は裏技に出る。
「……その色男の攻略法なのですが」
「ほんとか?」
まんまと反応を引き出した。そして、
「ええ。どこか、人の来ないところで……」
狡猾にたたみかける。
「よしっ。大使、そこ動くなよ。帰ってきたら今度こそじっくりおれの話を聞いてもらうからな!」
この言葉は実現しない。東尽の策謀により、彼はしたたかに酔いつぶされてしまうことになる。
「フォース、まことに申しわけありませんが、私の代わりに彼女をお願いできませんか」
思いがけないチャンスの到来だった。
「東尽っ、さん……」
意外にもリュイが、しおらしい。
「大丈夫ですよ。彼は紳士ですから」
リュイが東尽を引き止めようとしたのは、そんなかわいらしい理由からではない。忍耐力との葛藤のためだ。
「不安なようなら、わたしもそばにいようじゃないか」
ハムイ大使の、ありがたい(実はありがたくない)申し出もでた。
「では」
リュイは、このときほど東尽の実直そうな作り笑いを憎ったらしいと思ったことはない。一揖して立ち去る姿を、思う存分に睨めつけてやる。
「彼が、うらやましいな……」
不意に降ってきた声に、スーパーモデルは新任大使を見た。
「こんなにも熱いまなざしで見送られるとはね」
「誤解ですわ!」
柄にもなく赤面した。
「そう?」
じっとその目をフォースがのぞきこむ。リュイは目をそらさない。
いや、そらせなかった。
「じゃあ、そういうことにしておこう」
からかう口調で打ち切ると、彼は通りかかったウエイターの持つトレイに手をのばして尋ねた。
「シャンパンは?」
「結構!」
きつい返答に、ハムイがあわてる。
「やはり一流のモデルさんともなると、口にするものにも制限があるようだね」
「そういうわけでもないのですが……」
相手がハムイとなると、エスメラルダらしく対応する。
実際、どれだけ食べても太らないという人類としては恵まれた体質の持ち主なので、食事の出る席でエスメラルダは遠慮したことなど、ない。
「未成年ですので、アルコールは」
そこいらへんは、リュイの性格と恵利奈の教育の賜物だった。お酒は大人になってから。きちんと守る、政府広告の鑑のような真面目さだ。
「未成年?」
フォースの態度が変わった。
恵利奈の偽物にすらならないモノならば、どうでもよかった。彼自身が揶揄したように東尽の恋人だろうと、自分が一夜のアヴァンチュールで使い捨てにしてしまおうと、なんだっていい。彼女が見かけどおりの、二十代半ばの女性なのだとしたら。
「エスメラルダ……きみは……いったい、いくつなんだ?」
「待てフォース。女性に年齢を尋ねたりするものじゃ、ない」
たしなめるハムイの胸中に、彼と同じ疑念がわきあがっている。
──もしや、この女性(少女?)は……?
「ハムイ大使のおっしゃるとおりですわ。失礼でしてよ、フォース」
嫣然と、エスメラルダは笑む。しかしその心拍数は、平常をはるかに超えていた。
ハムイ大使をぶっとばし、フォースの胸ぐらをつかんで激しく揺すってやりたい欲求が、主導権を要求している!
東尽という保護防壁が離れ、トリッケンによって呪縛が破られたいま、ちらほらとではあるがフラッシュされている。記者連中にいつ会話圏にまで踏みこまれるか、わかったものではない。
「それより、さきほどの写真を見せていただけて? 監督がなにかおっしゃっていたようでしたけれど」
「ああ、彼は……私にあなたと双子の役をやらないかと、誘っているのですよ」
「エフゲニー?」
先任大使には、初耳だった。
「双子? わたくしと?」
エスメラルダの目元が険しくなる。だがもともと、そういう硬さが美しい顔立ちなのだ。気に留めずにフォースは笑顔を向けた。
「彼の映画にあなたも出演されるのでしょう、クィーン・オヴ・ミラーズ? ワーグナーの《指輪》にはジークムントとジークリンデという双子が出てくるんだそうです」
うなずいてハムイが続ける。
「ワーグナーか、オペラだね。たしかふたりは兄妹でありながら恋におち、結ばれ、そしてこのふたりのあいだに、英雄ジークフリートが生まれるのだよ」
「兄妹、のように、似ているのかしら、わたくしたち?」
フォースの応えはそっけない。
「さあ? 兄弟姉妹といっても、まるっきり似ていない家族もいますからねぇ」
「うむ。でもきみたちの瞳は同じ色だね。まるでひとつの原石から分かたれたエメラルドのようだ」
「……遠い親戚の誰かが、アポロニアに移住していたのかもしれませんね。グリーン姓を名乗る親戚は地球にはいませんが……芸名なのでしょう? 緑柱石の緑」
彼の言わんとすること、求める言葉の意味が、リュイには把握できなかった。
「……ええ」
会話に否定的に応えていたくせに、次には迎合して探るような質問を繰り出してくる。地球流の話術なのだろうか? 翻弄されているのかもしれない。
「本名は何と?」
「緑、惟……」
「リイ?」
「失礼、ミズ・グリーン」
そこへルオが現れ、リュイは微睡みから覚めた瞬間のようにそっと身震いした。
いまのは、なんだったのだ。
何も考えないうちに、素直に答えようとしていた!
「……ルオ?」
なぜそこに彼が立っているのか、不思議に感じるほうが強かったため表情に毒がまざらなかった。さしだされた白い封筒を見て、シナリオを思い出す。
「……ご気分でも?」
顔色はともかく、表情がらしくない。ルオがアドリブを入れる。
「いいえなんでもないわ。ありがとう、ルオ」
とりあえず、学芸会レベルの演技をこなす。
「大使、申しわけございません。ちょっと失礼いたしますわ」
「どうぞ」
「お話しできて、光栄でした」
ハムイにはにこやかに礼をつくす。
しかし、順当にフォースと向かいあうのをリュイはためらった。
「……失礼」
目線をそらして会釈でごまかし、優雅に歩きだす。
「東尽は、どこにいる?」
遠ざかるエスメラルダを目で追いかけもせずに、フォースはルオに訊いていた。
エレベーターに向かう、と見せかけてリュイは化粧室で時間をつぶした。
あとをつけてきた記者たちは時間の経過から類推して、エスメラルダの変装とおぼしき姿で出てゆく女性たちを追っていったので包囲網は破れつつある。しつこく残るのは五人に満たない。
鏡の前の椅子に座って、リュイは帯にはさんでいたものを確かめた。ルオから渡された封筒にはカードキーが入っていた。カードと封筒の内側、封の上蓋に印刷された数字がこれから行くべき部屋だった。
封筒を破り捨て、キーを帯に差しこむ。
「あらっ」
新たに入ってきた二人連れの片割れが、エスメラルダを発見して声をあげた。確認するように化粧室の外を見て、もうひとりに話しかける。
「ねえ、あれ、エスメラルダ・グリーンじゃない? ほら、エレベーターのところ! 乗ってっちゃうわ。残念、サインもらいたかったなァ」
「え?」
話しかけられたほうはきょとんとしている。
知り合いなどではなく、偶然来合わせた他人なのだ。
「ああっ行っちゃった!」
ばたばたばた、駆けだす複数の足音を背に、そう言った女性はおどけた微笑をエスメラルダに見せた。ゴージャスに波打つ金髪がとてもみごとな、グラマラス美人だ。
「あ!」
ようやっと、急造の相棒が彼女の機転に気づく。リュイも立ち上がり、笑顔で女性に握手を求めた。
「ありがとう」
そしてすばやく、エレベーターとは反対側の階段へと移動する。
「どういたしまして」
それを見送って、彼女はリュイが座っていた椅子に腰を下ろしてメイクを直し始めた。ジャクリーヌ・ヴィンセント、新任地球大使の私設秘書である。
彼女は足元に紙片が落ちているのを見つけた。リュイが破り捨てた封筒だった。ふたつに裂いて屑篭に放ったが、空気抵抗で入らなかったのだ。
形を合わせて封を開けると『あなたさまのお部屋番号は──』ホテル仕様の印刷がちゃんと読める。
「うかつな芸能人ね」
もちろんジャクリーヌは、それを捨てたのがエスメラルダだと知っていた。
エスメラルダはすでに百パーセント、リュイだった。
草履を片手に着物の裾は端折り上げ、三段跳びで階段を駆け上がる。めざすは二十一階2103号室。パーティー会場の五階から、足で行けない距離では、ない。
もしもこの場にカメラマンがいたならば、この勇姿は……東尽とのツーショットよりもフォースとの対面シーンよりも大きく、スクープされていただろう。
惜しげもなくさらされたしなやかな白い脚。なびく黒髪。気迫、凄絶たる表情。
躍動する強靭な、高雅なラインの美しさ。
人間という生きものの走るという動きに、美を感じる稀有なるひとときだ。
残念なことに、ひとりの目撃者も出さずにリュイは二十一階に到着した。
「……っ」
さすがに呼吸が乱れている。このままで廊下を歩くわけにはいくまい。裾を下ろし、草履に足をつっこみ、手櫛で乱れまくった髪をまとめながら深呼吸で息を整える。
一分とかからなかった。
全力疾走なんてあさましいこと、したことありませんわという顔を悠然と決めこみ、スーパーモデルの姿をかぶったリュイは2103号室の前まで堂々と歩いていった。数々のデザイナーのオートクチュールコレクションを制したウォーキング。
カードをくぐらせ、ドアを開けて中に入る。
「アイリン」
応えがない。
「……アイリン?」
重ねて呼ぶと、窓際のソファーから一人分の人影が分離する。スタンドからのほのかな照明に浮かぶ形は、若い娘のものだ。
ほっそりした、小柄なシルエット。きれいな赤を地に細かく刺繍をほどこしたチャイナドレスと、左右対称におダンゴに結い上げた髪型は中華風スタイルの定番だ。
「……シ」
壁のスイッチを操作して部屋を明るくしたリュイは驚いた。
「ショウ?」
くやし涙であろうか。彼はつぶらな瞳をめいっぱい、うるませている。
「なんでおまえがここにいる。アイリンはどうした。なにか、急病か事故にでも遭ったのかっ?」
一気に間合いを詰め、肩を揺さぶった。おちついて考えれば、アイリンの身に大事があったら、彼がここに来ているはずはないのだが。
「痛ぇよ、リュイ。アイリンは捻挫だ。ジャンクⅢの入口でコケたらしい」
「捻挫? ひどいのか?」
「いや、軽くひねった程度。だけど、無理して悪くするとだめだからって、オレが」
そこまで聞いて、彼の不運に気がついた。
「くっっ……代わりに、来てくれた、の、かい?」
たちまち少年は顔を赤らめる。
「だっ! たいへんだったんだぞ! アイリンのやつ、少しくらい治りが遅くなったって平気だなんてがんばっちゃって、オレと、彦左と、ルオでやっと止めたんだっ」
「その代わり、これか」
「そうだよっ」
彼は盛大に鼻息を吹き出した。
なにが哀しゅうて、あこがれの君だったモノに女装姿を披露し、あまつさえ失笑を買わなければならんのか。
いいかげん、開き直りもするのだ。
「そうか」
リュイは笑わなかった。はじめこそおかしそうに口元をほころばせていたが、失笑という段階には達していない。
「世話をかけたな」
クールに言い置いて、背を向ける。それから、おもむろに帯に手をかけた。
「リュイ?」
ショウは小パニックだ。
「なっなっなにを」
「見ればわかるだろ? 脱ぐんだよ」
「って、そんな、いきなり」
「なに言ってんだ。この部屋は着替えのためにとったんじゃねぇか。せまっくるしい風呂場で帯やら振袖が脱げっかよ。心配しなくても全部はやらねぇって」
「あ、そう?」
それはそれで残念な気もするのだが(正直者め)……とりあえず、彼は横を向く。
「ヒマならそのへん、たたんどいてくれ」
どうにか長襦袢姿になると、草履を蹴飛ばし、足袋を放り出して着替えの包みをかっさらってリュイはバスルームに消えた。苦手なクレンジングもすませ、約三十分後、出てきたのは黒いスーツを着た青年。
「……こいつぁ誰の趣味だ?」
ワイシャツは萌黄色、ネクタイは黒、そして黒いサングラス。
着こなすにはかなりの勇気が、いる。
「アイリン」
「やっぱり……」
「でも、似合うぜ?」
似合いすぎるから、困るのだ。これでは人目を引いて仕方がないではないか。
「そんだけいい男なら、あんたがエスメラルダだなんて誰も、思いもしないだろうな」
うれしくもない賞揚だったが、その評価をリュイは受け入れた。
不器用に荷造りした着物一式を放置して、部屋を出る。
「いたか?」
「いや、こっちにはいない」
「エレベーターを押さえろ」
我が物顔で、記者とカメラマンたちがホテル内を走りまわっていた。
エレベーターを待つリュイとショウは、顔を見合わせた。足音が背後に迫る。
逡巡している場合ではなかった。
── さく、はな ───────
ガブリエーラ・リッテンバーグさんは結婚してガブリエーラ・ラドリーさんになりました。




