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月姫 MOON-DIVA  作者: 高峰 玲


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9/13

Phase・Ⅸ ✖──✖、✖


── alert ─────────────────


ちょっと乱暴なシーンがあるかもしれません。


マイノリティとかジェンダーとか、

ちょっと偏っているかもしれません。


気になる方は飛ばしてお読みください。


────────────── alert ────



 控室のソファーにボスの姿を認め、歩み寄ったジャクリーヌは、その周囲のただならぬ空気にふっと足を止めた。傍らでハムイ大使がさかんに話しかけているのに、新任の大使どのはむっつりと口を閉ざしている。

 出会ってから十余時間、こんな仏頂面を彼がすることがあるとは思わなかった。

 まず、そのきれいな顔から人好きのする表情が消えている。

 気難しそうに寄せられた眉の下、グリーンアイズにいらついた陰がはっきり見えており、繊細な指先が空になったシャンパングラスをくるくる、もてあそんでいた。

 正確な量はわからないが……かなり聞こし召しているのは明白だ。

「大使──」

 私設秘書嬢は、最高級の笑顔を用いて声をかけた。愛妻家のハムイもどっきりしてしまう、上出来の微笑み。

「ああ、ヴィンセント嬢か」

 彼女の計算に反して、フォースの態度はつれなかった。

「いまのところ、頼みたいことはない。ハムイ夫人の相手でもしててくれ」

「……かしこまりましたわ」

 少し、声が硬くなる。

 言い知れぬ屈辱感。

 からだこそ未だ繋いでいないが、ジャッキーという愛称で呼ばせる間柄にまで籠絡したつもりなのに、この突然の拒絶はなぜなのか。

 果たすべき使命のためというよりは傷ついたプライドのために、彼女は考えた。

 パーティー会場に戻るがハムイ夫人の姿が見あたらないので、控室の入口付近で様子をみることにする。

 そうこうするあいだにも、じくじくと胸が痛んだ。

 大使への恋愛感情のせいではない。彼女の中にあるのは、野心と……新任の地球大使を手玉にとり、あわよくば業界最大手の赤竜(せきりゅう)コンツェルンを蹴落としたい万年二位の紅蜃(コウシン)グループの陰謀だけだ。

 エフゲニー・ティラーデス・フォースという名の地球人をうまく懐柔できたならば、紅蜃グループはアポロニアのみならず対地球貿易においても幅を利かせることができるのだ。

 その最大功労者たるジャッキーへの見返りは大きい。いや、大きいはずだ。

 憂さ晴らしに、きつめのアルコールをあおりたい気分をこらえ、さらに思案する。

 当初、彼女たちの策は順調だった。 

 会ってすぐの彼女の誘いに、新任大使はたやすくなびく風情を見せた。しかし、途中で邪魔が入り(某映画監督の乱入騒ぎだ)……あろうことか、ジャッキーの雇い主にとって目の上の特大タンコブの次期会長候補である東尽普(とうじんあまね)とフォースが、知り合いだという事実が判明してしまった。

 しかも、東尽はフォースに宝石のような美女を斡旋するらしい。

「エスメラルダ……」

 そっと確かめるようにつぶやく。きっと、そうだ。

 見方を変えれば、チャンスでもある。

 ジャッキーは自分の出した結論に、思わず頬をゆるめてしまった。

 要は、大使のほしがっているものを誰が押さえているか、だ。

 たとえバックに赤竜が控えていようと、本人を確保してしまえば契約など、どうとでもできる。釣り針から釣り針へ、エサの付け替えさえ迅速にやってしまえば、それで彼女が得るものは……。

 まだ、それは有効射程内にある。

 現時点でフォースの心を独占している存在を知るのは彼女と東尽だけ。

 地球原産の王子さまを釣りあげるエサが自分の美貌だろうと他の女の色香だろうと、身も心もからめとり、支配しきっちまえばこっちのものなのだ。

 自分自身の容色にこだわりすぎないのが、ジャッキー・ヴィンセントが顔だけで世の中を渡り歩いてきたわけではないことの証明だった。

 ほどなく、がっしりとした東洋系の秘書に先導された東尽がフロアを横切ってくるのが見えた。意識してコケティッシュな笑みを作り、ふたりを通してやる。

 フォースと東尽の会合に他者を立ち入らせないよう、出入口を封鎖するように立ち位置を変え、ついでに聞き耳をたてる。

「お呼びとうかがいましたが?」

 あまりにも沈着な語調に、いらいらと新任大使はグラスから目を上げて長身の日系人をにらみつける。

「……東尽」

 彼の声はやさしかった。

「……知っていたんだな、おまえ」

「何、をですか?」

「知っていて、仕組んだんだな」

 東尽は真摯なうわべを保ったまま、少しだけ首をかしげてフォースを見つめる。

 してやったりとほくそ笑むならせめて、かわいげもあろうというものだ。

「あなたが昨日、アポロニアに降下なさることは知っていましたよ。ですが、よもや全権大使ともあろうあなたが、ファッションモデルなどに興味を持たれるとは、思いもしませんでしたね」

「モデル?」

 フォースが鼻先でせせら笑う。

「とぼけるのはよせよ。あれがただのモデルだなんて、もう、俺は思ってないぜ」

「ただでも有料でも、彼女は正真正銘のプロモデルですよ。あなたがご存知ないのは当然ですか、この二年間、クリウスやベネローペ、黒玉といった王道コレクションには不可欠といわれるほどの」

 東尽はアポロニア産のブランド名を三つ挙げたが、エスメラルダは出番が重ならないかぎり、ほとんどのコレクションを踏破していた。

「へーそうかい。じゃあモデルを商売にしてるってことは、まあ本当としておこう」

「異存はありませんね」

「名前は?」

「はい?」

「本人はリイって言ってたけど、それが本名なのか」

「……ええ」

 ルオがさしだした書類に軽く目を通し、東尽はそれをフォースに手渡す。

「咲王(さきおう)緑惟(りい)、アポロニア暦38年13月7日生まれ十九歳。黒髪、目はエメラルドグリーン、血液型はRhプラスのBで亜変異プラスⅠ(いち)があります」

「なんだって!」

 エスメラルダの出自をあえて疑ってかかろうとしていたハムイが、口をはさむ。

「亜変異プラスということは……」

 ごく微量の汎血球減少パターン保有で、貧血をひきおこすには至らない。一定距離以上の宇宙航行をした者、およびその血縁一親等に発症することが確認されている。つまり、エスメラルダの母親、もしくは父親、あるいは両親がともに宇宙航行経験者であるか、彼女自身がそうであることが推測される。

 その事実が持つ可能性に、ハムイの懸念が砕ける。

「エフゲニー?」

 地球からの移民によってアポロニアが開拓されたのは二世紀も昔とはいえ、独立後、いわゆるアポロニア暦を使用するようになってからも、移住者を受け入れている。

「恵利奈(えりな)の……娘だ」

「それ以外の何者だと?」

 ハムイの面前にもかかわらず、東尽の口から黒い発言がこぼれた。

 身をひるがえそうとしたところを留め、フォースは問いつめる。

「いま、どこにいる?」

「さあ?」

 腕時計に視線をかすらせ、東尽は答えた。

「おそらく、もう、ここにはいないでしょうね。帰りの道までエスコートする約束はしませんでした」

「どこへ、帰した?」

 フォースは確信している。エスメラルダの身柄を、彼はすでに押さえていると。

 東尽はしれっとしたものだ。

「私が彼女を隠匿しているわけではありませんよ。調査書を読めばおわかりでしょうが、エスメラルダはヘリオス市内では二か所に部屋を借りています。メディア攻勢覚悟でマンションに帰ったか、中華街(チャイナタウン)へ帰ったか。今夜、私の寝室にいないことは確かですが」

「てめぇ、俺の……っっ」

 今にも掴みかかろうとした男は、軽くいなされた。

「だとしたら、どうします?」

 東尽は笑みをたたえている。それはもう、営業スマイルなんてものではなく、ほとんど、完全に、純然たる宣戦布告モードに入っていた。

 周辺の気温がマイナスに下がったような寒さを、ハムイとルオは感じる。

「真面目にこたえろ、普。自分の姪に手を出したのか?」

 東尽の姪の本性を知るルオには、はたで聞いていてなんとも恐ろしい質問であった。

 あのリュイに、彼の最も尊敬する男であるこの東尽が、手を出す?

 ありえない。

 あってほしくない……!

「義理の兄を、義理の父と呼ばなければならない仕儀には、まだなっていませんが」

 ルオもまた、確信している。いまのこの会話をリュイが聞いていたら……東尽の身の安全は、保証のかぎりでは、ない。

 そして……彼の心配をよそに東尽はとうとう、とどめを刺してしまった。

「仮に私が彼女にプロポーズするとして、あなたにそれをはばむ資格があるとでも思っているのですか、フォース?」

 たったひとつのことをのぞけば、カップリングに問題はなかった。東尽普と咲王緑惟のあいだには血縁関係など微塵もないし、職種の違いも年の差も、すべて許容範囲内だ。

 だがそのたったひとつのことを、リュイがクリアするとは、とうてい思えない。

 一匹狼というイメージがついてまわるルオの恋敵(ライバル)(まったく、癪な認識だ)リュイが誰か男を愛し、結ばれるとは……プロポーズされることはもちろん、それに素直に「はい」と応えるとは……想像すらできない。

 だからルオには、東尽がとんでもないはったりをかましているのだと、ちゃんとわかった。

「な、んだと?」

 気の毒にも、全権大使どのは東尽のはったりを……もろに真に受けていた。

 本来、それは怒りをこめた叫びとなって掠奪者に浴びせられるべき言葉だった。しかし東尽の放った言葉の刃が、リュイに関する無知が、彼を叩きのめしていた。

「失礼」

 ここでさらなる追い討ちをかけない東尽を、ルオは誇りに思う。

 ビジネスではこうはいかない。完膚なきまでに、あざやかに撃沈する。

 甘さでも、情けでもない、なにか。

 人間としての、男としての、壊せざる殻のようなもの。

 ハムイに目礼して、東尽は静かに控室を出る。影のようにルオが従う。

 ジャッキーはすかさず身体の向きを変え、室内の出来事など何も知りませんという態度をとったのだが……会釈をしようと向き直り、すれ違いざまに東尽の表情を窺い見て思わず息をのんだ。

 打ちのめされたのはフォースだったはずなのに、まるで、彼のほうが傷つけられたように哀しそうな顔をしていた。

 弾かれたように、控室へと足を踏み入れた。

 調べなければならないことが多すぎる。東尽と、というよりは、咲王家とサードとの関係は調査ずみだ。

 東尽とフォースのあいだの確執は……見当もつかない。

「……芸能関係の情報を、おまえに訊いても無駄だよなぁ、ハウザー」

 覇気のかけらもない声で、男は言った。

「彼女についてのことなら、わたしよりも家内のほうがまだ少しは、知っていると思うね」

「女のほうが詳しいか……」

 うつむいた男の視野に、女性の小さな靴先が入る。

「だったら、教えてくれ、ジャッキー。エスメラルダ・グリーンというモデルが東尽と、できてるってぇのは本当なのか?」

 正直いって、彼女にしても業界メディア関係者にしても、一般大衆と同様に今夜のあのツーショットは寝耳に水の事件だった。

 片や女嫌いとまでいわれている堅物ビジネスエリート、片や万年雪の女王と陰で噂されるほど男に冷たいばりばり硬派のふたりなのだ。

 エスメラルダの所属プロダクションが赤竜コンツェルン傘下に吸収されたことを考えれば、作られたカップルくささがぷんぷんとしてくる。

「……今夕までにわたくしが知り得た情報から申しあげれば」

 わざともったいぶって言った。

「エスメラルダ嬢および東尽氏には特定のかたがいらっしゃるという事実も、ましてや、おふたりが交際していらっしゃるという事実も、ありませんわ、大使」

「本当か」

 釣れた……すごく、あっけなく。

「ご心配でしたら、直接、ご本人にお訊きになってはいかがです?」

 心の底からのうれしさで、ジャッキーは微笑んだ。誰が見ても、たくらみ事など持っているなどとは思えない、明るい笑顔。

 きれいな紅唇をフォースの耳元へ寄せて、ささやく。

「彼女がとったお部屋の番号を、知っておりますわ」

 俄然、フォースは立ち上がった。ジャッキーを引きずりかねない勢いで歩きだす。

「ハウザー」

 振り返ったのは、せめてもの分別か。

「あと、頼むわ」

「エフゲニー……」

 なんともなさけない顔で、特命全権大使は後任者と、豪奢な金髪を揺らして出てゆくその秘書嬢を見送った。




 タイミングは、いちにのさん、だった。

 なりふりなんぞ、かまっていられなかった。

 方策としてはめちゃくちゃ陳腐であり、下手をするとスキャンダルの上にさらにまたそれを積み重ねる危険な行為でしか、ない。それでも、背後に迫りくるハイエナのごときやつらに、ここにいるのは標的ではないことを知らしめるには、他人になりきるほかはなかった。

 ここにいるのはエスメラルダじゃあない、まったくの別人。

 その証拠に、ほら、この姿を見よ、男性である。

 その連れを見よ、かわいらしい女の子である。

 さらに見よ、ふたりは……ふたりは、恋人同士である!

 リュイはサングラスをかけていた。それなのに、そのとき、確かに視線が合ったとショウは思った。


 いちにのさん!


 初めてにしてはとても上手に、ふたりの唇は触れあった。

 だが……ふたりとも、おおよそ恋愛などしたこともなく、恋人たちが交わすくちづけの加減なぞ知りようがない。大胆にも初心者同士のキスなのだ。

「っと、こいつぁ」

「へへっ、ヤボはよしやしょう、ヤボは」

「馬に蹴られてイっちまえってね」

 リュイは薄氷を踏む思いだった。

 ここで正体がばれようものなら、エスメラルダは同性愛者という性的に高スキル持ちで恋愛偏差値も並外れたハイスペック者という烙印が押されるのは決定的だ。そんでもってショウが少年だとわかっちゃったりしたら……衣装倒錯趣味の変態という汚名(ステータス)をほしいままにするのも、夢ではない……!

 なにがなんでも、顔を見られるわけにはいかなかった。

 よって、よりいっそうショウをきつく抱きしめる。

 まだまだ、絶対に、どうしても! キスをむさぼりあう恋人たちという擬態を解くことができなかった。

「っっんぐぅ〜?」

 この行為は、瞬間的に両者のあいだで得られた合意によってなされた。

 いちにのさん、は声に出されこそしなかったが、立派にふたりの合言葉だったのだ。

 だけど結果として、被害者が出た。

 ショウ・ユンウェイ(十五歳)である。

 熱烈に繰り広げられるキスシーンをまのあたりにして、足音は遠ざかっていった。聴覚からふたりは危機を脱したことを知る。ところが、未熟者の悲劇! くちづけを解除するタイミングがわからない。

 言いようのないストレスが、双方の胸にたまってくる。

 特に、①女装を強要され、②淡い想いを抱(いだ)いていた女神(ディーヴァ)に衝撃の真実と現実の厳しさを思い知らせまくられ、③抱きすくめられて、唇を奪われてしまった事実は……キス泥棒としては同罪でありながら、④確実に少年の心を傷つけていた。

 かすかに震える。そして、決意する。

 このままではいけない。

 男である自分が、奪わなくては!

 ぐっと両足をふんばる。上体をそらせ、腕に力を入れ、リュイからの抱擁をゆるめさせる。それから、今度は自分の腕で抱き寄せ唇を重ね直す……つもりだった。

 あくまでも、予定とは未定なものである。

「んまっ」

 かわいい音がして、エレベーターの扉が開いた。降りると同時に小さな叫びを発し、女は体(たい)をかわしてふたりを避けた。が、次に出てきた男には、それができなかった。

「っと、失敬」

 かろうじて身体をひねったものの、腕がリュイの肩と接触した。はずみで、やっとふたりは離れるきっかけをつかむ。

「いや、」

 こちらこそ……つぶやきながら、リュイは右手の甲で唇をぬぐった。接吻中は気にならなかったショウの口紅の香料が匂い立ったような気がしたのだ。

 その中指に光る指輪に目を留め、男が問いかける。

「緑、惟?」

 刹那のひらめきだった。

 銀色に輝く細いリングに囲まれた緑の花。あざとくも彼女をイメージしたものだと彼にはわかっていた。ほんのわずかの対面だったが、エスメラルダが右の中指にはめていたのを彼は見覚えていたのだ。

 リュイが相手と目線を合わせなかったのは、偶然ではない。どうにもきまりが悪かったからだ。

 まあ、おかげでくちづけを中断できたのはありがたかった。うるさい追っ手もまけたことだし、これでやっとうちへ帰れる……ゆらりとエレベーターのほうへ一歩を進めたとたんに名前を呼ばれた。

 いまとなっては誰も呼ぶことのない、本名で。

 東尽かと思った。

 そういえばあの男はさっき自分をそう呼んだ。ここでまた会うなど計画にはなかったが、変更は例外ではないらしいとリュイは男のほうを見た。

「あ……」

 言葉にできなかった。

 やや乱れた感はあるが、そこにいるのはまぎれもなく、新任大使そのひとではないか。

 驚いてしゃべれないのは地球人も同じで、こちらはただただ、口紅の歪んでしまったショウとほんのり色づいたリュイの口元とを見比べている。連れらしい女はわき目もふらず、数歩先をゆく。

 エレベーターが扉を閉ざそうというまぎわになってようやく、リュイが動いた。

「ショウ、乗れっ」

 長い脚を有効に使ってドアを開かせると、地球人の二の腕をひっつかんで飛びこんだ。やや遅れて、ショウが続く。

「大使?」

 ジャッキーが振り返ると、そこには誰もいなかった。




「……なぜ、わかった?」

 沈黙に包まれたエレベーターの中で、まず、リュイが口を切った。どう考えてみても、完璧に男として見せていたリュイがエスメラルダであるなどと、初対面だったこの男にはわからないはずなのに。

 壁にどっかりと両肩を預け、腕を組んでぼそりとフォースは言った。

「指輪」

「なんだって?」

「そんなめずらしいデザインの指輪を似たような背恰好の人間が同じ指にしてたら、同一人物だと思うのはあたりまえだろ」

 言われて右手を眺め、リュイはこびりついた口紅に気づく。ごしごしと、左手でこすってぬぐう。それから指輪を抜き取ってポケットへ入れ、うつむいたままのショウに上を向かせた。自分に移った口紅の量から、彼のメイクがどういうことになってしまったのか、思い至ったのだ。

 ショウは抵抗しなかった。アイリンが持たせてくれたポシェットの中身を使ってリュイが化粧を直してくれるのを、目を閉じて耐えた。

「悪いな」

 リュイの声を聞いたら、胸が熱くなった。

 なにげない一言にすぎない。意味なんか、どうとでも解釈できる。

 たとえば、これがアイリンだったとしても彼女は同様のことをしてくれ、同じ言葉をかけたかもしれない。だけどショウには彼を認めたからこそ、リュイはそう言ったのだと感じられたのだ。

 応えられないようでは男の名がすたる。

 返す言葉が、思いつかない。

 代わりに彼は首を横に振った。

 その横顔に、霜烈な視線を感じる。

「勘弁してくれ……」

 視線をたどると、地球人が、ご不快を全身で放散していた。

「恵利奈には死なれ、その娘がレズだったなんて、ハードすぎる」


 ごっ!


 瞬時にリュイはフォースの襟元をつかみ取っていた。

 反動で全権大使がエレベーターの壁に頭部をぶつけた音が響く。

「なっ!」

 なにをする、と言ったつもりだった。

「だぁれがれずだとこの野郎!」

 ぐいっと引き寄せられたおかげで彼の頭は反動の反動による連打を免れた。

「だっておまえ、女が女とベロチュウかましてりゃあ、そりゃレズビアンだからっちゅうもんじゃないのか?」

「ベロ……」

 ショウが頬を染める。

 そうだったのだ。

 物心ついてから、彼が認識するいちばん最初のくちづけは……とてもとても過激な部類に入るものだった!

「狭いぜ、了見がよ」

 一方のリュイは、現場を見られた相手に意識が集中しているため、ショウという異性とキスをした感慨というのがてんで、わいていやしない。恵利奈の姿を借りていたあいだの受け身を払拭し、存分に切りつけた。

 つかんでいた夜会服を放し、身を引く。

 窮屈なカラーに指を入れてゆるめ、エフゲニーはふてくされた顔で言った。

「狭くて悪かったな。だけどな、俺はそういったヒトの恋愛沙汰に関しちゃ、はっきりいって男同士だろうと女同士だろうと、偏見は持ってなかったはずなんだ。だがなあ、おい、咲王緑惟よぉ。それでも、やっと会えた身内がそういう人種だといきなり知らされるのは……ショックだ。別れた夫が十人、つきあってる男は五十人いるとでも告白されたほうが、よっぽどいい!」

「あのな、にーさん?」

 他意はなかった。

 少しばかり、ルナポリス流儀のドスが効いてしまったが一般的な若い男性への呼びかけとして、リュイはそう呼んだ。

 フォースが驚いたように目をみはる。

「あんた、勘違いしてるみたいだから言うけど」

「きみも……たぶん、というか、わざと仕組んだんだから当然か。勘違いしているようだ、緑惟」

 打って変わって、やわらかい物言いだった。今度はリュイのほうが鼻白む。

「なに、が……」

 次から次へと、印象の変わる男だと思った。

 はじめは、恵利奈から聞いていた父親のイメージが強く、キザな貴公子そのものだった。それから、催眠術師のような得体の知れなさを感じ、ルオや彦左(ひこざ)と同じ匂いを嗅ぎつけ、そしてまた、いまは……おだやかな……おおきな……なにか……?

「わたしが何を勘違いしてるのか知らないが、こっちの誤解はとかせてもらうぜ」

 不意に感じた安らいだ空気を打ち消すように、リュイは強く出た。

「わたしとショウがレズだってんなら、こういうことするのはゲイな人だよな」

 微妙に笑いがまざった声音で告げると、長くしなやかな腕をのばしてフォースの首にからめ、顔を近づける。本気でするつもりなど毫(毛ほど)もなかった。

 ショウがはっと緊張する。

 それを気配で感じながら、リュイは綽然と……口元に笑みさえ、浮かべていた。

 エレベーターが停止したその瞬間までは。

 ボックスが停まるときの揺れでリュイはバランスをくずした。あわやというところで直撃を避け、フォースの左頬に唇をぶつける。

 ッピーン! シャアァーンと、扉が開く。そこを撮られた。

 七階からエレベーターに乗りこもうとしたその人は、プロフェッショナルだった。何かしらの言葉ひとつ発さず、シャッターを切る。

「よせっ!」

「新任大使どのとおホモだち、このネタ、いただきましたぜ」

 フラッシュには緊縛されないリュイが叫び、身体の向きを変えたときにはもう、カメラマンは走りだしていた。

 リュイとほぼ同時にショウがエレベーターを飛び出そうとする。

 それを、フォースが制止した。

「待て、追うな!」

 エレベーター内のパネルを操作したのも彼だった。鼻面をドアがかすめ、不満げに振り返ったふたりにフォースは言った。

「いいんだ。俺よりも、おまえたちのほうが、撮られるとまずい」

「なんで邪魔するんだよ。あんなやつ、すぐ追いついてオレが取りあげてやったのに」

 ショウがフォースとまともに話すのはこれが初めてになる。女の子の服装をしていても、変声は終えていた。少年だとわかると、フォースはリュイが言わんとしていたことを理解した。

「おまえら……」

 その先が続かない。

 くしゃくしゃと前髪をかきあげ、壁に寄りかかる。と、突然またエレベーターが停まり、年配の女性がひとり、入ってきた。

 ただならぬ威厳が、こわい。

 フォースと……リュイが面持ちを硬くする。

 女性は一瞥をくれると、扉に視線を向けた。

「……お久しぶりです、咲王夫人」

 エフゲニーが丁寧に頭を下げた。

「ずいぶんと、神妙だこと」

 赤竜コンツェルン会長は、正面を向いたままで応じる。狷介そうな外見のわりにフランクで、それでいてかっちりと引き締まった話し方だった。彼女は、隣に立つ地球全権大使にプレッシャーなどこれっぽっちも感じていまい。

 一同は、黙然とエレベーターが一階に到達するのを待った。

 先頭を切って、辰子が外へ足を踏み出す。


 バババ、バババ、バッバッ──!


「なんなのこれはっ!」

 待ち受けた報道陣による一斉フラッシュ攻撃だった。逆鱗に、触れまいことか。

 経済界の女帝は吼えた。

「プレス腕章さえ着けていれば、所かまわず誰でも、なんでも勝手に撮影していいと思っているのですか! 迷惑ですっ!」

 さしものメディアマンたちもひるんだ。

「会長、こちらへ」

 すかさずルオが滑りこんできて先導する。

「咲王夫人、お話があるのですが」

 せっかくの機会をフォースは逃さなかった。

 そこにいる顔ぶれがやっと目に入り、ルオはあああーっと叫びそうになる。

 辰子が言った。

「……一緒においでなさい」

 とんでもない取り合わせだった。






── キス──キス、キス ───────






個人的に誰が誰を好きでも、自己責任みたいなもので、そこに縛りはないと思っています。誰かに迷惑をかけたり、誰かを傷つけたりするのは、なし(ここ、大事!!)、ですが。(あれ?でも失恋は傷つくか?うーん、難しいなぁ(゜-゜))




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