Phase・Ⅵ AとBとC
その男と少女が出会ったのは、なにかのパーティーだった。
地球の大物政治家の息子とはいえ不肖の、一留学生の身が招かれるもので……そう、あれは、彼のご学友というやつの婚約者の誕生パーティーだ。
「なんで、俺まで……」
ぶつぶつとこぼしながら、令嬢に敬意を表して彼は正装した。アポロニアに来てからスーツを着用したのは、たぶん、二度目だ。ふだんは雑に流すだけの髪をセットしてネクタイを締める、それだけで男前が二割増になった。
大学構内での陽気な、いかにも軽そうなハンサムボーイといった印象がなりを潜め、思慮深き貴公子が像を結ぶ。
とりたてて目立つ場所にいるわけでもないのに、何組かの視線がある種の熱を帯びて彼を追った。しのびやかに交わされる少女たちのささやきは、露骨なまでの感嘆の顕れである。その甘やかな空気に、彼は居心地の悪さを覚えた。
どうにも、おちつかない。
自然と人群れを外れたところに身を置いてしまうことになる。
「おい、サード?」
「悪い、ちょっと風にあたってくるわ」
すぐそばにいた友人に断って、グラスを手にバルコニーに出る。
「……どーもなぁ、上流社会ってやつぁ肩がコっていかんわ」
ひとりごちながら、つい、頭に手をやってしまい、きっちり整えていたことを思い出してあわてて手を下ろす。前髪が、ぱらぱらとくずれてしまった。
「ああ、ま、いいか」
ついでとばかりにネクタイをゆるめ、ワイシャツの第二ボタンまではずして首をぐりぐり動かす。
上着を脱いで肩にひっかければ、それでもういつもの彼の出来上がり、だ。
「──さん、大丈夫ですか? さあ僕につかまって」
彼のグラスが空になったのを見計らったように、バルコニーに人影が現れた。
二人連れ、それも男と女のようだ。どうやら気分の悪くなった少女を男が介抱しようとしているらしいが……男に下心があるのは九分九厘まちがいあるまい。
「僕がついていますから、安心してください」
なにを安心しろというのか、手すりにもたれて風を受ける彼女の背筋をさするといったごまかしセクハラの段階を飛び越して、いきなり抱きすくめている。同じバルコニーの暗がりに彼がいることに、気づいていないらしい。
「あ、あの、ゴールドマンさん……はなして、いただけま……せ、ん、か……わ、わたくし……すこし、かぜに、あたれば……よ、く、なりますので……」
切れぎれにうったえるのを、男、なおも強く抱きしめる。
「なにをおっしゃるんです、恵利奈さん。こんな状態のあなたをひとりになんかできませんよ。そんなことをしたら、あなたのお母さまに申しわけが立ちません。あなたにずっと想い焦がれて、今日やっと、こうしてお近づきになれたというのに!」
正しく状況を説明すれば、ぜんぜんお近づきにはなっていない。
お友だちの誕生祝いにやってきた彼女に、うるさく男がつきまとっていただけである。
あげくに、不調になったので自発的にバルコニーに出てきたのに、男はしつこくまとわりついているのだ。迷惑防止条例違反もはなはだしい。
「ゴール、ドマン、さん」
涙がにじみそうな瞳で彼女は独善的な崇拝者を見上げた。
「おねがいですから、しばらくわたくしを、ひとりにさせて、ください」
「しかし、恵利奈さん」
「わたくし、ひとに……ひとによってしまった、ので……ただ、かぜにあたっていたい、だけなのです」
「でも」
「おねがい、です!」
男の勢いにのまれるかに見えた少女は、意外と芯がしっかりしている。
やんわりと、だがきちんと自分の意志を表明した。
「……わたくしは、大丈夫ですから」
女の子がこれほど言っているのに、なんとまあ聞き分けの悪い男だろうと、闇の中で彼が思っていると、ようやく男は少女から離れた。あと五秒遅かったら、彼は口をはさんでいただろう。
「じゃあ、恵利奈さん」
「ええ。よくなりましたらすぐに参りますので、どうぞゴールドマンさんは、みなさまのところにお戻りください」
「きっと来てくださいよ」
「ええ……」
風向きが変わった。
メンズのフレグランスが彼の鼻腔を撃つ。
「きっとですよ」
室内から振り返って男が言う。少女は無言で、手を振って応えた。それを見るなり、男への怒りが、彼の内にわきあがった。
自分の香りも調整できないで女性を不快にさせたばかりか、気遣いまで強要するとは!
はっきりいって大バカヤローである。
それとなく、なんらかの意趣返しをしてやりたい衝動に駆られる。
パーティー会場に戻るべく再びネクタイを締め、上着を羽織ったところで気配を感じたのか、少女が彼のほうを見た。
「あ……」
あなたは、だれ──言葉にならなかった。
開け放たれた窓からもれている明かりと月光に照らしだされたそのひとは、繊麗で……人形のように完璧な美しさだった。
地球の衛星などよりもずっとささやかな月の光の中、まっすぐな黒髪が艶を放ち、身にまとった絹にくっきりと筋を残す。
淡い緑青色と漆黒の組み合わせ。
胴のあたりで銀色の何かが、きらりと光明を弾いた。
小さな白い顔には、やわらかな薔薇色の口紅の他に化粧といえる技巧は見られず、やや切れ長の、でもどちらかというと小さな目には黒曜石の瞳がうるんでいた。
彼は、しばらくはただ、半ば放心したまま彼女に見とれていたが、ややあってこのちいさな奇跡が目の前から消えうせてしまうのではないかと怖くなり、細心の注意を払ってそっと歩み寄った。
さきほどの不埒な崇拝者ではなく、もっと大いなるもの──そう、まるでいま、ふたりを照らしている月によって彼女が連れ去られてしまうのではないかと懼れたのだ。
千数百年も昔の物語の姫が月の世界に帰ってしまったように──。
少女は、逃げなかった。
黒い瞳をしっかりと見開き、不思議そうに彼を見つめている。いや……彼女もまた、見とれていたのだ。
月明かりにさらされた、まばゆい金色の輝きに。
なにかに渇いたようにひたむきで、飢えた、しかし獣ではなく知性を持ったきれいな緑の瞳に。
互いの指先が触れあうまで近づいてやっと、少女はそこに立っているのが一般的に男と呼ばれる小宇宙であることに心づいた。
こわいとは思わない。
少し前まで鬱陶しくつきまとっていたゴールドマン青年に覚えていた嫌悪感も恐怖感も、彼には、ない。
だが、なにも感じていないわけではなく、その感情を何と呼べばいいのかわからなくて、とまどうばかりなのだ。
ただ、もしも瞳をそらしてしまったならば、いまのこの想いまでもが消え去ってしまうのではないかというおそれはあった。
だから彼女は、ひたすらに彼を見つめていた。
それが……エフゲニーと恵利奈の恋の始まりだった。
ショウの周囲では、着実に、時が刻まれつつあった。
時間の女神ともいうべき機敏さで主導権を手に、場を仕切りまくっているのは彼の義姉アイリンだ。
彼女は何も訊かなかった。リュイがエスメラルダだったことを隠していたことについても、水くさいだの何のと、非難しなかった。まあ、件のモデルを自分の美しすぎる幼なじみに似た人ぐらいにしか思っていなかったのがくやしかったらしく……東尽とのいきさつもあって、アイリンは使命感に燃えていた。
それは野望と呼んでも差し支えないかもしれない。
どこからどう見ても、細身の白皙の美青少年──柔和さなどこれっぽっちもなく、颯爽とした若い武士のような気迫に満ちている──を空前絶後の美女に、自らの手で仕立てあげてみせようというのだ。すでにこの惑星一の美人という称号を得てしまっているだけに、なまじっかな出来映えでは満足できぬ!
それみたことか素人のくせに、と東尽から冷笑されることなんか、どうでもいい。大好きなひとを最高にしてあげられる自分でいたかった。
すぐに準備にとりかかる。まず彼女に必要なのは、どんな色彩をまとったときに、エスメラルダがいちばん美しいのかを知ることだ。
即ち、ひたすら実践あるのみ!
「彦左、ついてきてよ」
ボディガードなら本来はショウの役目だが、彼女は傍らの巨漢を指名した。
「はぇ?」
男がびっくりする。アイリンは有無を言わせなかった。
「ちょっとうちへ行ってくるからね」
「おい、アイリン?」
大型犬のお散歩みたいに少女を彦左が追う。
「気をつけて」
リュイが声をかけたのはアイリンに、だ。彦左なんぞは襲ってくださいとお願いしても、暴漢のほうが逃げてしまうだろう。その点では、まだ身体のできていない男の子にしか見えないショウよりも彼をお供に選んだのは、正解なのだ。
では、部屋に残るリュイは?
いくらなりが小さかろうと一応は男とふたりきり。しかもショウはエスメラルダの美に陶酔している。いや、陶酔していたのだ。多感な年頃でもある。あやまちがおこらないともかぎらない。
道みち彦左がそのことを指摘するとアイリンはきっぱりと言った。
「おこるわけないじゃない」
男としてのショウへの信頼など、しょせんは弟としてのものだ。
「少なくとも、あんたとふたりっきりにするよりは安全だわ!」
「へ? 俺があの魚の骨みたいなカラダに欲情するってぇのか?」
「しないとは言いきれないでしょーが」
痛いところを衝かれてしまった。彦左には返す言葉がない。
しばし、会話が途切れる。
うすぼんやりとした街灯が道しるべを示す古ぼけたビルの谷間を歩きながら、少しだけアイリンは恐ろしいと思った。彦左のことを、である。
彼と夜道を歩くのはこれが初めてではないし、女にだらしないというか、気に入った娘と寝ることは彼には日常茶飯事にすぎないのだという認識はあった。しかし、親友の恋人であるアイリンは彦左にとって、女の範疇には故意に入れられていないようで……雄のおそろしさを感じたことなどなかったのだ。
「うう」
彦左はまだ困っている。
自分が感じた恐れを、アイリンは巧みにごまかした。
「やだ、あんたまさか」
いかにも疑わしげに男を見る。
「よせよアイリン! 俺だって、命は惜しいぜ」
彦左という男は、リュイを識っている。それはもう、まったく、いやというほど。
どうにか、彼は反論できた。
「だけどやっぱりよう、ショウのほうがやばいぜ?」
「なんで?」
「だって……やつは、エスメラルダに惚れているから」
「だから安全なのよ」
アイリンはもう、彦左に恐怖を感じていなかった。
遠慮なく、理不尽な怒りをぶちまける。
「エスメラルダへの想いがあるからこそ、あの子はリュイには手が出せない!」
義弟だろうと実弟だろうと容赦なんかしない。
彼らは男だというだけで立派にアイリンには恋敵たりえるのだ。
「まあ、それはそうだろうな」
リュイが同性愛者ではない女性として生まれついたことを、友のために喜んでやるべきか否かを考えながら、彦左は軽口をたたいた。
「なんてったってあいつ、まだ童○だから」
「なっ……!」
すかさずアイリンの平手が飛んできた。二の腕にびしっときまったが、彼の上腕二頭筋には、痛くない。せいぜい軽く撫でられたようなもんだが、義弟のための義憤というのがかわいらしくて声をたててやる。
「ってェ」
「そーゆーコトは、言わなくて宜しいッ!」
「へぇへぇ」
大男は、それなりに気配りの人なのだった。そのかいあってか、以降の道中でアイリンは気まずい思いをせずにすんだ。
麒麟飯店の裏口に彦左を待たせ、すみやかに自室からめあてのものを持ち出す。
いわゆる美容師さんグッズを収集した箱には、カーラー付きのドライヤー、乙女心の命ずるままに集めた化粧品などがたんまりと詰まっている。
これで明日のリハーサルは、ばっちりだ。
「……恐れ入ったね……」
こっそりと彦左はつぶやいている。
そうして、それらを使った攻撃にさらされるであろうリュイに、心底から同情した。
アイリンと護衛が出ていくと、リュイはドアに施錠した。盗まれるものなんか何もないような部屋だが、居直り強盗になられると厄介だからである。人の出入り時以外に鍵をかけるのは、ルナポリスでも社会常識なのだ。
だが……その一般的防犯対策をして振り返ると、それまで惚けたようにテーブルについていたショウが驚き顔でリュイを見ていた。
「なんだ?」
カチリと鍵がかかった音で、室内にふたりだけにされている現実に気がついたのだ。
正体を暴露されてから、リュイはサングラスをかけていなかった。化粧っ気こそないがエスメラルダと同じ──より冴えた凛とした美貌が、まっすぐ少年を見つめる。
あこがれていた、完璧に手の届かない大人の女性ではなく……正体不明になってしまった、でも実在する何かが、目の前にいる。
そしてそれは彼に問いかけた。
「なんだ?」と。
具体的な応えなどショウにはない。ただもう、ここにはリュイと自分しかいないのだということに、びっくりしているのだ。
驚きとあせりで心臓がばくばくいっている。
なにしろ、エスメラルダを特別な異性として意識していると告白したも同然なのだ。
それも……知らなかったとはいえ、当の本人に!
恥ずかしいやら照れくさいやらで、すっかり思考が恐慌突入してしまっていた。
「わたしの顔に、何かついてるのか?」
ショウが黙りこくったままなので、リュイは質問を変えた。あくまで口を開かず、彼は否定の動作で首を振る。
「それなら、」
じろじろ見るな、冷たく言い放ちそうになりながらも、直前でリュイは言葉を切るのに成功した。
「その……」
考えてみれば自分の存在は、いたいけな少年の理想像を不意打ちの延髄切りで蹴り倒し、理由もわからずのたうっているところへ追撃して、ダメージを深めまくったようなものなのだ。
「……悪かった」
ショウの中のエスメラルダは、彼が勝手に思い描いた人物像だ。そんなものは、モデルである彼女を知るアポロニア中の人間が持っている偏見みたいなものだ。いちいち、気になどしていられない。
が……それはリュイの口から出てしまった。
「え?」
「いや、なんでもない」
そっけなく言ってショウの真向かいに座る。
「…………(ウソだろ、おい…………)」
ますます、彼は動揺した。
血圧が、これはもう、一気に上昇している!
胸が苦しいような気もする!
「……ショウ?」
真っ正面なのだ。さしものリュイにだって、彼の変調は見て取れた。罪悪感にも似たやましさと、少なからぬいらだち──リュイにしてみればエスメラルダのほうが作った姿なのだ──から、ぶっきらぼうにフォローしてやる。
「あのなあ、そんなに緊張すんなよ。べつに取って喰ったりしないって。これでも業界では身持ちがカタいやつで通ってるんだぜ?」
言い方としてはまちがっていないとリュイは自負している。
年下は好みではないとかでは生々しすぎて、かえって藪蛇になりかねない。それくらいの刺激で劣情に走る若者ではないと思うが……その気がないのに意識させるのは危険、という悟性が身に染みついているのだから、しょうがない。
生まれながらの朴念仁体質のおかげで、エスメラルダには艶聞がない。
噂が出ても、正真正銘、単なる噂なのだ。
「……ともかく」
緊張するなと言われてすぐにリラックスできるなら、ストレスにだって立場がなくなって困るだろう。
「ここにいるあいだのわたしは、ただのリュイだ。そこのポスターの女とは別人だと思ってくれるといいと思う。実際、そうだろ? 東尽に言われるまでおまえ、気づいてなかったんだろう?」
「うん」
少年は正直に認めた。
「それでよかったんだよ。なのにあの野郎がいらんコト言うから、しなくてもいい苦労をさせられる」
「ははは」
笑いがこぼれた。
「まあ、やつのおかげで助かる部分も出てきたが……」
「助かる部分って、パーティーのことかい?」
「ああ。せっかくの休みだ。気ままにのんびりごろ寝してるほうが好きなんだがな」
リュイは生まれてこのかた、自分のために口紅一本、買ったことがない。すべて貰い物でまかなえているというのも、ある意味すごい。仕事柄、あれやこれやと塗ったくられるが……どうせクレンジングするのに面倒くさいだけだとしか思っていないのだから、女性(精神的も含む)の持つメイクアップの愉悦感を理解できる機能が形成されていないのにもほどがある。
「ま、土産がないから、アイリンに愉しんでもらえるネタがあったってことで」
納得するしかあるまい、と、とりあえず感情には折り合いをつける。
それから、存外、のんびりと事態に対処しようとしている自分に、少しだけあきれた。これも東尽のせいなのだろうか。
もしもあのニュースを見たのが昨夜だったら、おそらくリュイはいま、ここにはいなかった。
ありとあらゆる手段を使って新任大使の居所をつきとめ、単身のりこんでいたはずだ。
しかるに、現在は……動くに動けない状況にさせられているのでは──?
疑いだすときりがないことはわかっている。しかし、何もかもが〈いま〉をターゲットにして東尽によって演出された出来事なのではないかと思えてくるのだ。
リュイの父親にそっくりな新任の大使の到来。
合わせたようにとれた休暇。
ふたりを引き合わせるためのセッティングを画策してくれる東尽。
考えすぎだろうか。
接点は、ある。恵利奈だ。
リュイの母親であり、着任する予定だった地球大使の恋人であり、東尽には義理の姉にあたる女性。サードとフォースが赤の他人でないのならば、まず、まちがいない。
うつむきがちに考えこんでいたリュイがふと顔を上げると、それまで、まるで目線を合わそうとしなかったショウがじっと見つめていた。
「ショウ?」
「やっぱりあんたも……女なんだなぁ」
しみじみと言う。
「どういう意味だ?」
「メイク遊びで鏡の前に座ると長いぜ、アイリンは」
「ああ、昔からそうだな」
リュイはちょっとだけほころんだ。
「いったい何がおもしろいのか、皆目わからんが、本人が喜んでやってるんならいいんじゃないか?」
「へ?」
ショウは……おおまかにだがリュイを、エスメラルダとは別個の、それでもどうにか女性のアイリンの友だちとして認知できそうになっていた。
それなのに……率直なリュイの言葉に、やっと築きあげた虚像が、ぐらつく。
「わかんねーのにオモチャになってたのか?」
「まあな。顔とかいじられんのは嫌じゃないんだ、基本的にはね。あとが面倒くさいだけで」
では、ぜんぜん面倒じゃなかったら、積極的にやるのか。
彼の胸中に疑問が渦巻く。
「ま、誰にでもってわけでもないけどな。いまならアイリン以外だと、プロじゃないやつにはいじられたくないな」
あまりルオのいるところで言ってほしくない台詞だ。
彦左の苦労がなんとなく、わかったショウだった。
投げやりになる。
「ふーん」
「あ。あと、美容院も嫌いじゃないぞ」
「びよーいん?」
「まったく知らない人間に触られるのは髪の先だって我慢できないけど、美容院でだけはやじゃないな。自分で洗うよりかよっぽど丁寧だし、だいいち、自分で乾かさなくってすむってのがありがたいね」
「そーだろーなぁ」
ショウ自身は短く刈りこんだ黒髪をジェルで固めて気持ち、立たせてある。彦左あたりが針ネズミと笑うが、ざんばらよりはまともな部類だとショウは思っている。そんな彼の洗髪は、計れば、シャンプーに二十秒すすぎに一分といったところか。だが、腰まで長くのばしているリュイの場合は……一仕事なのだ。
「……ひとつ訊くけどさぁ」
果敢にも彼は質問した。
「どうしてそこまで長くしてんだ?」
「うん?」
「そんだけ長いと邪魔じゃない? 手入れとかも、たいへんそうだし」
「そうだな」
応えながらリュイは結論している。
この少年に、警戒なんぞ、するだけ無駄だ。
いくら別人と思えと言われたからといって、あこがれの君だった相手に対して、髪がキレイと褒めず、邪魔じゃないかとは、将来が思いやられる。
この際、自分自身の不粋さをリュイは棚に上げている。
「ひとつには業務上の理由、つまり、売りこみの路線ってのがあるな。しばらくは髪の長さを変えるな、色も変えるな、と事務所に、言われてる。いま、エスメラルダがスキンヘッドにでもしてみろ。業界のヘアモードはもとより、クチュールもポルテもメイクも、全部そっち路線に走っちまう」
つるっぱげで着るオートクチュール──リュイとしては、ぜひとも遠慮したい。
仕事で着るものに個人の趣味を主張できないが、好き嫌いはあるのだ。
ショウもなにやら想像したらしい。眉根が寄ってしまった。
「もうひとつ言うなら」
彼の心を救ってやる義務などリュイにはない。よって、語調は淡々としていた。
「わたしの瞳は父親譲りで、恵利奈から受け継いだのはこの髪だけなんだ。わたしの覚えているかぎり、彼女の髪は長かった。ならば同じくらいにのばして、思い出の縁にしてもよかろう?」
「顔も……似てると思うけど」
「髪が長いせいだ。昔はよく父親似だと言われたぞ」
「そう?」
言われてみると、そんな気もする。結局のところ、その性質の違いが如実に外観に顕れているのだろう。
リュイが男顔なのか、はたまたサードが女顔なのか。
しかし、恵利奈との写真を見た感じでは女々しい印象はない。文句のつけようのない、いい男である。
その男にそっくりな男に会うのだ、リュイは。
ラフに過ごせる休暇中だというのに、華麗で窮屈な装いに身をやつし、彼には別世界の豪華絢爛な場所で……。
「じゃあ……きょうだい、なのかな……」
AとBが似ていて、AとCも似ているのなら、BとCも似ていることになる。また、AとBが親子でAとCも親子だとしたら、BとCの関係は……考えるまでもない。
ショウのつぶやいた推論は、複雑な心中のからみから、安心できる関係を求めていた。
「だとしたら、わたしは……」
リュイの表情は冷たかった。弱冠十五の少年とはいえ、それなりの事情をショウは察する。リュイが何と言いたかったのかも、言わないからこそ感じ取れた。
「……シャワーを浴びてくる。アイリンが戻ったら、鍵を開けてやってくれ」
「リュイ」
呼び止めずにはいられなかった。
そんな冷たい心のままで、ひとは、ひとで、いられない。
リュイは強い。
きっと、彼が思っているよりずっと。
きれいで、強い。
それは、したたかなまでにたくましく、図太く世の中を渡る雌ライオン、あるいは狼、あるいは虎のような強さだ。
だけど外見に比例するだけの強い精神力を持ち合わせているからといって、傷つかない人間などいないのだ。
「……なに思いつめた顔してんだ。言っとくが、愛の告白だったら聞く気はないぞ」
「ちがう!」
「じゃあ、なんだ。トイレか?」
「そうじゃなくて」
よく見れば、リュイの気色はやわらいでいる。
「わかってるよ。心配すんな。とりあえず明日は相手がどんなやつなのか見に行くだけだ。それから、まちがいないかを探って話を聞いたうえで」
万が一、人違いだったらとんだ騒動だ。
「訴えるのか?」
「いいや」
そんなまどろっこしい手段ではとても心は晴れない。
「ぶっとばす!」
右ストレートが必殺技となるらしい。ぐっと握りこぶしを固める。
状況によっては足も出るのではと、ショウは思った。
「……どうでもいいけどさ」
この場合どうでもいいのは、リュイが繰り出す技についてだ。被害に遭うのは、現在、その思考を占拠している男であって、彼ではない。
ただ、なんにせよ、地球全権大使をトップモデルがぶん殴っちゃうのは……やっぱりスキャンダラスな事件ではないのか。
「やばいんじゃない?」
「たまには話題を提供しないと週刊誌に悪いだろ」
リュイはあっけらかんとしたものだ。
もっとも、いままでにも意地の悪いゴシップ誌はエスメラルダに対して愚劣な記事をさんざん、書いてくれた。ほとんど、創作だったが。
全部がぜんぶ褒めちぎるよりは一部の批判があったほうが、おちつく。陽がさせば影ができるのと同じくらい、自然なことだ。
リュイは、というか、エスメラルダも事務所もそのへんはわりきっている。
「それに東尽が言ってたろ。まずい噂はルオが消してくれるって」
「ひっでぇな。ルオに尻ぬぐいさせるのか」
「仕事にハリがあっていいだろう?」
「やー、でも」
通常業務だけで、ルオの日常は駆け足状態なのだ。ビジネスカレッジにも通っている。休日にアイリンと会えるのは月に二回がせいぜいで、そこに本業でもないサービス残業が付加されれば……もう、突っ走るしかない。
リュイも、それはわかっている。
そっとショウの肩に手を置いて言った。
「ま、ルオに迷惑をかけるのはわたしも不本意だ。できるだけ、地味にやってはみるさ」
「本当だな?」
「ああ」
「それなら、オレにできることがあったら言ってくれ。協力する」
ルオのため? アイリンのため? いずれにせよ、彼は真剣だった。
声をたてずに、うれしそうにリュイが笑った。
「おうよ。あてにしてるぜ」
そのまま軽くショウの肩を叩いてバスルームへ入る。
少年は、まだ感触の残る肩を押さえて、じっとたたずんでいた。
── エイとビイとシイ ───────
大徳寺彦左衛門、十五歳のときには……初恋をこじらせておりました(#^.^#)




