Phase・Ⅳ カサブランカ
清貧洗うがごとし、というのがジャンクⅢと呼ばれるビルにあるリュイの部屋の第一印象だった。
あまりにも質素すぎて、質素という言葉ですら過剰な形容のような気がする。スーリヤ通りのヴィラ・デルフォーリアは、こことなんか比較できないほど、立派だった。
だからこそ、自分にはここがふさわしいのだと、リュイは思っている。
単純なしくみの錠ひとつをとりつけただけのドアを不用心だと彦左は言った。だが、リュイの応えて曰く、
「べつに、盗られて困るものはない」
淡々としたものだ。
その瞳に合うようにと人から贈られたエメラルドや翡翠、ヘリオトロープといった緑色の宝石を何点かマンションに置いているが、やはり不用心だと言ったマネージャーにも、同様の応えをしていた。
関心のないものに対しては無神経なまでに淡白なのだ。
実際、リュイの部屋には泥棒の目を引くものはないに等しい。かなり無理して選ぶとすれば、ごくありきたりの型のテレビと冷蔵庫といった電化製品くらいだろうか。テーブルや椅子、ベッドなどはこざっぱりとしているが古びており、粗大ゴミ置き場のほうがよっぽど新品が出まわっているかもしれなかった。
「……お掃除、してある?」
好きなひとの部屋を掃除するという愉しみに、胸を躍らせていたアイリンが、憮然とつぶやいた。
塵ひとつ落ちていない、とまではいかないが……おおざっぱに、ワタボコリやらクモの巣は始末してある。
「ああ、三日前に着替えを持ってきてそのとき」
「そう……」
応えのトーンが低い。
リュイと彦左がほとんど同時に、ぎくりとしたように彼女を見た。
前もって準備していながら、こんなにもリュイを大好きな自分に挨拶さえしてくれないなんてどういうこと? この調子では、何回か帰っていながら黙っていたんだわ──ことリュイに関するかぎり、アイリンの友情は恋心に匹敵するほどの……もしかするとそれ以上の、熱を帯びている。
「おっおお! この殺風景な部屋に貼ると、イチダンとビボーがひきたつじゃねーか」
ちょうどショウが貼り終えたポスターに彦左は逃げた。場合が場合でなければその背中に蹴りを入れてやりたい衝動を抑えながら、リュイはアイリンを見つめる。
「でもまだヒトの住処とはいえない、と思ってるだろ?」
「え……」
思いがけず流し目をくれられてしまい、鼓動が少し速まる。
ふつう、女が女を見つめたくらいどうってことはない。しかもサングラスごしだ。
ないはずなのだが……日頃のリュイを知っているだけに、これはアイリンには有効な技なのである。
「どうせ自分じゃ気の利いたふうにできねぇんだから、アイリンの好きにいじってしまっていいよ」
クールな性質からか、アイリンに対する愛情からか、わからない発言なのが女泣かせなところだ。
とりあえずアイリンが部屋を〈家〉へと変えてゆくあいだ、男三人は邪魔にならないよう座って茶でも飲んでいろということになった。
働き者がてきぱきと作業する姿を見ているのはわりとおもしろい。瞬間判断とでも表現するようなひらめきでアイリンが物を動かすと、刻々と室内の様子がよくなっていく。リュイは黙ってアイリンを見ている。アイリンもまた、見られていることを意識したうえでふるまっている。そこに、ふたりの絆というか、深い理解のようなものが存在しているのをショウは感じた。
おだやかに義姉を見ているリュイを、あたりまえのように包容して、彦左がこれまた見つめている。
時を越えて、わかりあえるつながり。
離れていても会えばまたそこから続く、そんな共通の想いを彼らは持っているのだと、なぜか考えた。友情という言葉の枷をかぶせてしまえば、そのあまりのクサさに地べたに落っこちてしまうほどの輝きを、それはもっている。
──いいなぁ。
うらやましいと思うよりも、自分もそれが欲しいと思うよりも、ただ純粋に少年は思った。あと何年かして自分が彼らと同じ年齢になったとき、わかりあえる人間がひとりでも多くいてくれたらどんなにいいだろう。
自分の中の輝きを失わず、歪めず、まっすぐに受けとめてくれるひとが……いてくれたなら。
「ショウ」
そんなことを考えていたときに呼ばれ、はっとする。
リュイが彼の顔をのぞきこんでいた。
「あ?」
「気分でも悪いのか?」
自分の動悸が耳に聞こえたような気がした。
これは、予感だろうか。見つめられてリュイを意識した。自分にとって大切ひとのひとりに、リュイが、なるのか?
「や……ちょっと考え事してた」
「そうか」
楽しそうにニヤついている彦左を、人の悪いやつだと思いながら会話をつなぐ。
「リュイは……どうして自分の家の中でまでサングラスしてんだ?」
別段、意外な質問ではない。もっともらしい言いわけなら、いくつだってリュイは持っている。
「してないとおちつかないんだ。素顔をさらしてるとアイリンが怒るし」
「嘘! あたしがいつ?」
奥の寝室から、敏感にアイリンが話に加わる。
「ああ、そういや、そーゆーこともあったっけなぁ」
思い出し笑いをしながら、彦左がうなずいた。
「いつだったか、すっぴんのリュイに女どもが群がって、自分以外の女に愛想をふりまくんじゃないって言ったじゃないか。忘れたのか?」
「それを律義に守ってるのか」
「……見てくれのめずらしさで騒がれるのは、やなんだよ」
そっけなく言うと、リュイは席を立った。アイリンがシーツと格闘しているのが見えたので、手伝いに行ったのだ。
「……本当は目の色が俺たちと違うからさ」
ショウだけに聞こえるようにぽっそりと、彦左は言った。
「あいつのおふくろさんは俺と一緒で、日系なんだけど、おやじが欧米系なんだ。リュイって呼び名は、実は目の色からきてる。あいつの本名を、アイリンが聞きぞこねたせいもあるけどな」
「緑?」
「ああ。そうだな、おまえの彼女みたいな色だ」
彦左の挑発に、ショウはのらなかった。
それならきっときれいな色なんだろうなと思いながら、エスメラルダと同じ瞳の人間がいることを無抵抗に受け入れている自分に気づく。
他の誰かだったら、許せないかもしれない。それが男であれ女であれ、彼の女神と同じ、というのは我慢ならない。だがリュイならば……いいと思った。彼のエスメラルダと同じ色の瞳を与えられた人間、彼女と同じ種類のものとして存在しても、いい。
さながらそれは対の生き物。
似合いのもの、だろう。
とはいえ、もし……リュイがエスメラルダの隣で彼女を抱きしめたりしていたら、まちがいなく自分の怒りは頂点を極めるだろうとも思っている。
「ふーん。だけどべつにコンプレックスになってるとか、そういうわけじゃないんだな。リュイって呼ばせてるんだから」
「たぶんな。本名は緑惟ってんだ」
「リイ?」
「緑の想いって意味だな、漢字からいくと。おふくろさんがつけたんだ」
日本語的な漢字のニュアンスがいまいち把握できなかったが、なんとなく女性的な名前だと思った。しかし口をついて出たのは、感慨から少しひねった意見だった。
「変わった名前だな?」
「ま、よくあるやつじゃない。恵利奈しかその名で呼ばなかったし」
「エリナ?」
問い返しながら、おそらくリュイの恋人だろうと考えついた。そういうひとがいたから、アイリンを恋人にしなかったのではないかと。
彦左は、いつもの軽妙な薄笑いとは異なる微笑を口元に浮かべた。
「リュイのおふくろさんだ。はかなげで、でも芯は強くて……まるで天女みたいにきれいなひとだった。タイプは違うが彼女は、とてもよく似ている」
ショウは〈彼女〉とはエスメラルダのことだと解釈した。真相を知らぬままに、彼は真実を告げたのだ。
ポスターから、そのひとの面影を思い浮かべようとするかのように彦左が見るので、つられてそちらを向いて、ショウはテレビの上の写真立てに目を留めた。色あせぬ思い出を封じこめたそれを、さっき、リュイがそこに置いたのだ。
「……あの写真のひとがそうかい?」
淡くやわらかに微笑む黒髪の女性の傍らに写っている金髪が、リュイの父親だ。これだけの美男美女のカップルから生まれたのだからリュイが美形なのはうなずける……へんなところでショウは感心している。
「おふくろ……」
やさしく、けぶるような微笑はどこかさびしげで、同じように微笑む女性を彼は知っていた。
「彼女さえ生きていたら、リュイはここから出ていかなかったのによ」
静かな声の語ったひとつの言葉が、ショウの心に不安なざわめきをかきたてた。それはイメージとして母性の死であり、誰もが想像したくない、その最たるものだ。
そのひとは自分のすべてをなげうってリュイを育てたのだろう。彼の母親がそうであったように。そして金髪に翠玉の瞳の美男子は……父親は、そのときここにはいなかったのだ──ショウ自身の境遇と重なった。
「もしもリュイが中華街にいたら……そのまんまずっといたら、いまごろ、ここのボスはやつだった?」
「ありえんな」
ざんばら髪の合間からそそがれる彦左のまなざしに、やんちゃな色が宿り始める。
「ありえ、ない?」
年齢相応に、邪気のない顔でショウが訊いた。
「そ。相手がリュイなら、ルオは意地でもボスの座を死守するな。おまえだからこそ、譲ったんだぜぇ。ま、こっちがその気になったとしてもリュイが嫌がっただろうけどな」
「そんなに仲が悪かったのか」
「仲ぁ?」
ショウは自分が彦左のツボにはまるリアクションをとりやすく、そのせいで余計にかまいまくられている自覚がなかった。
「ンだよ。だって、ふたりしてアイリンをとりあったって話じゃねぇか。おまけにあんな格好つけヤロー、どう見たってルオがダチにするとは思えねぇし!」
短絡なのはショウの性分ではなく、若さゆえのちょっとしたミス、だ。
一息にまくしたてるのを聞くと、肩を揺らして彦左は一応、笑いをこらえようとした。しかしそれもままならず、とうとう腹を抱えるようにして大爆笑を放った!
「くぅーっっっ、けっけっ、けーっさくだぁぁーっ! ぐぁはははっ、かっ、かっ、格好つけヤローぉぉウぅ! いっ言い得て妙だぁぁ、確かに! 確かにっ!」
激しく笑いながら、彼はショウの背中をばんばん叩きまくった。
「痛ぇ! 痛ぇってばよ、彦左ぁ!」
こちらも叩きながら抗議する。それでやっと彦左はショウを叩くのをやめ、笑い泣きの涙をぬぐって話を軌道に戻す。
「はー笑ったわらった。一年分くらい、笑っちまってぃ。けどなぁショウよぉ、アイリンの一件はともかくとして、そうじゃないことでルオはリュイとやりあわなかったぜ」
「どういうことだ?」
「リュイは……一匹狼ってぇのか? 誰ともツルまねぇし、誰の力も借りねえ。けっしてこっちの味方じゃあねぇが敵でもねぇって立場をくずさなかった。だけど、あいつを敵にまわしちまったら絶対やばいって、俺たちはわかってんだよ」
中華街のボスと対等に渡り合い、女にもてて、そのうえ一匹狼とは、格好よすぎるではないか! さらにいえばリュイは超絶美形のようだし、そしてさらに……実にバランスよく背が高いっっ!
世の中は不公平だと、ショウは思った。
「天は二物どころか三つも四つも、やる人間にゃあ恵んでやってる不公平なもんだって、悟ったな?」
思ったとたんに図星を指された。ぎくりとしたが、素直にうなずく。
「それでおめぇ、リュイのことをどう思う」
「どうって?」
「くそこんちくちょう、憎ったらしいとか、俺のほうが強いのにとか思わんのか?」
「べっつにィー」
ダイニングの椅子の背にもたれ、ショウは襟足で指を組み合わせる。
「あいつ強いのは知ってるし、いま、この街をどーこーするつもりがないんなら関係ないだろ。それとも、この機会に叩きつぶさないとだめなのか、え? 相談役さんよ?」
「かしこい小僧だぜ、おまえってやつぁ」
満足げな笑みに目を細めながら、彦左は彼の年若いボスを見つめた。この男が誰かを褒めるなど、おおよそないことなので、ショウはくすぐったいというか薄気味悪くて、思わず身震いしてしまった。
「……驚いたな」
いつからそこにいたのか、開いたままの寝室のドアに寄りかかったリュイが言った。
「彦左がそこまで肩入れするようなのが、ルオの他にもいるとは、思わなかった」
「ふふん、なんだ、おめぇも何か褒めてもらいてぇのかよ?」
「遠慮する」
きっぱりとした拒絶にも彼の笑顔は陰りをみせなかった。
「で? どうする。久々の里帰りのついでにルオにも会ってくか?」
かすかな冷嘲が、リュイのかたちのよい唇をわずかに歪ませる。開いた唇からこぼれて見えた歯が、そろった真珠のように清楚な列をなす。なのに、発せられた言葉は。
「この街にいない者を呼び寄せるのは時間の無駄ってもんじゃないのか。まだ昔話をなつかしむほど、老けこんじゃいないぜ?」
「相っ変わらず、かわいげのない口だなぁ、リュイよぉ」
「てめぇにかわいいと言われた日にゃあ、この身は破滅だ! それとも、とうとう見境なく声かけまくる色魔に成り下がったのか?」
これには、さすがの彼もむっとする。
「おめぇ……いつかその口で身を危うくするぜ」
「ほっとけってんだ。そうなりゃそうで、自分でカタをつけてやる」
ゆるがぬリュイの強気に、ふっと彦左は不安を覚える。彼らしくもないことに。
「……へっ、きれいな花にはトゲがある、か。おめぇにぴったりの言葉だぜ、まったく!」
身長こそ高くのびてはいるが女性にしては高いだけのこと。体力、腕力勝負になれば結果は目に見えそうなものだ。しかしそれらを凌駕するのが、リュイの強気か。
「るせえ! そんなら、さしずめ彦左はサボテンだ」
「どーいう意味だ?」
「ずんぐりデカくてトゲがある」
「あのなぁ……」
彦左はむくれたが、ショウにいわせれば花が咲くだけ上等な譬えである。
「かわいすぎるんじゃない?」
アイリンも痛烈だ。冷たく笑ってリュイは言った。
「たまには、な。年寄りはいたわるものだ」
「リュイ!」
捕えようとする彦左の手をかいくぐって、リュイは外へ通じるドアを開けた。片手をジャケットのポケットにつっこみ、もう片方の手でドアを閉めようとする。
「リュイ?」
半分、部屋から出たところで問いかけたアイリンに、
「恵利奈に逢ってくる」
言い残すと行ってしまった。
「まめなヤツ」
ため息まじりに彦左がつぶやく。だが、それ以上を語らないところをみると批判しているわけではないようだ。アイリンがついていかなかったのも単なる遠慮ではない。それはリュイへの思いやりであり、恵利奈への礼節。
リュイは……アイリンや彦左にそれだけのことをされるに値する人間なのだということを、ショウは改めて認識した。
純白のマルガリテースに銀星花をあしらったブーケをリュイは恵利奈のために用意した。白一色か、もしくは淡い色の花を少量加えた取り合わせを選ぶのは、彼女がそんな感じの女性だったからである。
顔写真入りの物々しい中華系の墓碑の陰に、ひっそりと恵利奈の墓はあった。名前と生没年だけを刻んだ、十字架も卒塔婆もないシンプルな碑だ。
墓地に足を踏み入れた瞬間に、それが香り立った。
ひそやかな……甘やかな薫り。
歩を運ぶにつれ、強くなる。花束を抱えたまま、リュイはしばしそれに注視した。
自分よりも先に恵利奈の墓前に捧げられた花束がひとつ。
独特の清雅な匂いを誇る白百合は、アポロニアの風土に合わせて改良された品種でカサブランカ・サン・アポロニアと命名されている。一般にはカサブランカという名で流通している人気種だ。
カサブランカの反対側にマルガリテースの花束を置く。母親の墓前でカサブランカに出くわすのは、初めてのことではなかった。誰が彼女に贈った花なのかは、だいたいの見当がついていた。
わからないのは理由だ。
リュイの場合は休暇がとれたときと恵利奈の誕生日と命日だった。そして今日は、誕生日でも命日でも、ない。リュイにとってはありがたい休暇の初日だが……今日が何の日で、何のためにそのひとが白い花束をたむけてくれたのかが、わからない。
その理由を知るには、ふたりの男に出会わなければならなかった。
よって……いまは釈然としないままにリュイは墓前を去ることになる。ゆったりとした足取りで共同墓地を抜け、続く高麗街の小路をぐるりとまわって中華街の細道へ。そのまま勝手知ったる裏通りを、角にぶつかっては直角に折れ、またぶつかっては折れ、かなりのまわり道をしてジャンクⅢへと戻った。
途中、古なじみの万屋で夕刊を買った。しばらく見ぬ間に男っぷりが上がったと言ったマー婆さんに、いまさら自分は女なのだと言う気も起きず、あいまいにうなずいて小銭を渡す。歩きながらさっと目を通した一面の見出しに、これといって興味をそそられるものはなかった。
「お帰りなさい」
ドアを開けるとアイリンの明るい声が迎えてくれた。新たに食材を買い足したり温め直したり、せっせと腕をふるったのであろう。ほっかりとした、おいしそうな料理の匂いが部屋中に満ちていた。
「先に手を洗ってね、リュイ。鳳凰焼売、好きでしょ? たくさん持ってきたからいっぱい食べてね。三色焼売も海老のおダンゴも春巻きもあるし、饅頭もいろいろあるのよ。それと卵のスープと鶏肉とニラ餃子」
リュイが男性だったら、まちがいなくアイリンをお嫁にもらっただろう。ふだんの食生活が味気ないだけに、まず胃袋がじーんとなった。
「やあ、こいつはありがてぇや。ご相伴にあずかりましてどーも」
彦左やショウは、早くも席についている。しかし、その前の小皿や箸がきれいなのをみると、リュイが戻るまでおあずけをくわされていたようだ。
「ああ、悪いな」
待たずに食べ始めていればよかったのになどとは、言わない。言ったが最後、食いっぱぐれるのは自分というのがルナポリスの掟だ。
「じゃあ」
全員がテーブルを囲み、アイリンが箸をとると彦左が条件反射で軽く合掌した。
「いっただっきまーす」
そこからは仁義なき戦いの世界。
山と盛られていたおいしいものが、刻々と消えてゆく。
小皿には不可侵条約が適用されるが、取り分けるのは早い者勝ちだ。
だが!
不意にショウの手が止まった。
『芸能関係のニュースです』
つけたままのテレビの音声にいちはやく反応したのはリュイだった。でもそれは、すでに決まっていたも同然の事柄を周知する内容でしかなく、振り返って画面を見ようともしなかった。
エスメラルダがクィーン・オヴ・ミラーズに選ばれそうなことは一昨日、知らされていた。発表と同時にスケジュールは超過密になると、それをこなしてほしいと、頼み拝まれ懇願さえされたが、遮二無二、休暇をもぎとってきたリュイである。惑星一の美女の称号なんぞ、焼売一個分の価値もないとさえ思っているふしがあった。
「……やっぱりね」
フロアを歩いている映像をちらりと眺めてアイリンが言った。
「きれいだもの、このひと。ぜんぜん目が媚びてなくていいし。リュイに似てるから、あたし好きだわ」
「や、リュイっていうより、恵利奈に似てねえか?」
批評をたれるふたりをよそに、リュイとショウはノーコメントを貫いた。リュイは食事を続け(いまがチャンスだ!)ショウはひたすらテレビ画面に見とれている。
ニュースのあとのコマーシャルまでじっくり見届けてから、おもむろにショウはチャンネルを切り替えた。
『──氏は今日午後、ステーションから降下、ヘリオス市に入られました』
このニュース番組では政治関係を報じている最中だった。スーツを着た複数の男が画面に映っていた。男女の姿にカメラが向き、男性キャスターが切り出す。
『早乙女さんは、現大使のハムイ氏の前の大使を知っていますか』
女性アナウンサー(早乙女さん。ニ十六歳、独身)が応える。
『いえ、それが。なにしろ、ハムイさんは今年でニ十年、務めておられますよね?』
『そうです。赴任途中で前大使が事故に遭われたので代わりに来られてからずっとです。実は、その、前の大使も、エフゲニー・ティラーデスというお名前なんですよ』
『今度の大使がエフゲニー・ティラーデス・フォース氏。ということは、親子で駐アポロニア大使になられたんですね』
リュイの手が止まった。箸を置き、身体ごとテレビに向き直る。が、つれないことに番組の話題は違う方向へと流れてゆく。
「リュイ、どけよ」
立ち上がって夕刊を広げたリュイにいらついた声が飛ぶ。エスメラルダがかかっているのだ、ショウも強気だ。それでも黙ってテレビの前からよけてやると、携帯電話が鳴った。この番号にかけてくるのは、仕事がらみしかない。
寝室に置いてある荷物の中から発掘されるまでコール音はやまなかった。無視してもよかったが、スーパーモデルの肩書に用ができていた。
「はい」
低く告げるとマネージャーのあわてた声が返ってくる。
『ああ、エスメラルダ、たいへんなのよ。事務所の電話鳴りっぱなしよ。ね、お願い、出られない? いまだけ、ね、ほんの少しだけ、お仕事しましょうよぉ』
「いやだね」
反射的にリュイは断ってしまった。それから、用があったことを思い出したのだが……いったん仕事モードに生活を切り替えると、いまだけ、で終わらないことなど、わかりきっている。エスメラルダを利用するプランを瞬時に却下した。
『エスメラルダ! お願いだから。助けて、ね、リュイぃー』
「悪いな、シャロン」
電源までオフにしてリュイは携帯をベッドに放った。夕刊のニ−三面を開けて二面の下のほうに注目する。さっき、テレビ画面をかすめた金髪の男の写真が乗っている。
地球よりの全権大使[新任]エフゲニー・ティラーデス・フォース氏/ステーションにて──広報発、と書いてある。
「誰だ、こいつ……?」
つぶやきがもれた。
リュイは父親の名前を知っている。写真で見ただけだが顔も……知っている。父親がサードと呼ばれていたことも。
では、この男はいったい何者なのだ。
サードと同じ顔かたちをした、フォースと名乗る男は……自分の何なのだ?
特命全権大使を拝命するということは未成年者ではない。リュイよりも年上なのだ。
ということは……。
「リュイ」
どれだけのあいだ考えていたのか、彦左に呼ばれて顔を上げる。
「ちょっと来い」
リュイと入れ替わりにアイリンが寝室に行き、ショウがその戸口についた。目顔で示し合わせドアの向かって右にリュイ、左に彦左が立った。
床板の軋む音が近づいてくる。
「おい」
少しかすれた男の声がはっきりと聞こえた。
「そこはリュイってやつの家だと思うんだが、いるのか?」
彦左が警戒を解く。
「いるぜ、ルオ」
ドアを開けると、果たしてそこにいたのは濃紺のダブルのスーツをまとったルオ・インだった。
「彦左?」
ルオはさほど上背はないが、がっしりした体格をしている。まだ若いのに、正統派仕様の高いスーツに見合う貫禄のようなものがある。
「……何か用か」
不思議そうに彦左を見たあと、奥にアイリンがいるのに気づいて表情を引き締めた男に、こちらも不機嫌にリュイは尋ねた。腕を組み壁にもたれかかる。
「用があるのは俺じゃない。ちょっと待て」
そう言うとルオは携帯を取り出し、通話した。
「……いました……はい。ですが……。はい。お待ちしております」
しばし、無言でリュイはルオを見ていた。それから、ますます不機嫌そうな声を出す。
「ルオ」
アイリンに聞いた話では、ルオの就職先は赤竜コンツェルンである。かなり出世したらしい彼が敬語を使うということは。
「いまはオフだ。仕事の話は困る」
「仕事の話ではありません。きっとあなたも関心をお持ちの事柄だと、思うのですが」
ルオではない声が応えた。
電話を受け、たったいま、上がってきた男だ。
彦左に並ぶほどの長身をオーダースーツに包んでいるが、体重は彼の三分の二もあればいいほうか。細身の内からは、静謐な空気が感じられた。
「東尽普……?」
面識はないがリュイはその男を知っていた。
この、東尽普こそが、カサブランカの男なのではないかと思っていたのだ。
ずっと……。
「新任の、全権大使を見ましたね?」
その言葉で確証を得た。
東尽は、カサブランカの男は、リュイが知りたい答えを知っている。
「そのかたが、あなたに会いたがっておられるのですよ」
「わたしに?」
「そう。あなたに、です。咲王緑惟、いや、エスメラルダ・グリーン」
東尽は微笑んでいた。
── かさぶらんか ───────




