第2章32話 黒いタマゴ
当代【剣聖】やらAランク冒険者と会った翌朝は、みんなも疲れていたようでゆっくりと遅めの時間に起きて、温泉旅館ならではの朝風呂に浸かってゆったりとしてから、ようやく昼前に出発となった。
そして霊峰ラトモスに連なる山間を抜けたところで、雪解けの綺麗な水が流れる川沿いを見つけて、少し遅めの昼食の準備を始めることにする。
すると見えない白く長いウサ耳をピコピコさせながら、ルリが紅い瞳を興味津々といった風にキラキラさせて、川幅数mの上だけにある雲のような白い靄に手を差し出していた。
「凄いです。真夏だというのに川の上だけが、霧がかかったようです」
「ああ、それは山の上の万年雪が解けた冷たい水が流れて来て、その川の上の空気だけが結露しているからだな。ルリはまだ時々フラつくんだから、近づき過ぎて川に落ちるなよ」
そう言って、嬉しそうにしているルリの柔らかい手を取って、落ちたりしないように支えてやる。
「あ、えへへ~。ハクローくん、ありがとうございます」
「あれぇ~、ハク様ぁ? くんくん、何かが……あ」
お昼の支度を始めていた銀狐族のコロンが小さな鼻をヒクヒクさせたかと思うと、ポツポツと雲ひとつない青空から水滴が落ちてくる。
そんな大した降水量では無いようだが、晴れているのにもかかわらず突然の雨にみんなが驚いているようだ。
ふと手のひらを上に向けて、天を仰ぐようにするとアリスが思い出したようにつぶやく。
「ああ、お天気雨ね。『狐の嫁入り』とも言うわね」
「うにゃ?」
白銀の狐耳をピンとさせたコロンが、ビックリして料理皿を白テーブルに置こうとした姿勢のまま固まってしまう。
慌てたルリが、手をパタパタと振って。
「ああ、コロンちゃん。私達の国ではお天気雨のことを、『狐の嫁入り』とも呼ぶのですよ。コロンちゃんをお嫁にやると言っている訳ではありませんよ」
「こぉ~ん、ハク様ぁ~」
ああ、コロンが走って来て背中をのぼって、肩の上で白銀色のしっぽを丸めてしがみついてしまった。仕方が無いので、その背中をポンポンと優しく撫でてやる。
「ははは、大丈夫だって。前にも言ったけど、俺の娘である可愛いコロンをお嫁さんにやったりは絶対にしないから、安心していいぞ。と言うか、嫁にはやらん!」
「まあ、クロセ様ったら。また、あんなことを言って。可愛いコロンちゃんには甘々の駄目親ですねぇ」
「はい、姫様。クロセ様がヘタれで親馬鹿なのは良いとして、コロン様を嫁にやるのは私も断固反対です」
おい、ミラと特にクラリスにそこまで言われるのは、どうかと思うんだが。するとオロオロしたぽんこつフランが、また明後日の方を向いて変なことを言い出す。
「あのぉ~、コロンちゃんはまだ10才ですから、結婚はまだ先の話ですよねぇ。ああ女神様、その前に私にこそイケメンの良縁を」
「可愛いコロンを連れ去ろうとする不届き野郎は、女神様より賜ったこの魔法アサルトライフルSG550スナイパーで塵も残さず粉々にする」
おお、ユウナがえらく物騒なことを言い出しているんだが。最近、自分の意志を表に出すようになって来ているのは良い兆候なんだと思う――んだけど。
なんてことをやっていると、肩の上で震えていたコロンが突然バタバタと暴れ始める。
「お? くんくん、ハク様! 大変! 川ぁっ! どんぶらこ! 流れてる!」
「え? あっ、コロン!」
肩の上からピョンと飛び降りたコロンは、霧を被った川に向かって躊躇すること無く飛び込もうとするので、ギョッとしてその腰を両手で掴んで落ちないように慌てて支える。
「来た! ハク様、もうちょっと、先ぃ!」
川に向かって宙づりのまま霧の中に必死でバタバタと両手を伸ばす小さなコロンを、ギリギリまで川の上まで支えて移動させると。
「掴んだ! ハク様、引いてっ!」
「うおりゃあ!」
気合いを入れて、何かを両手で抱えて少し重くなったコロンを引っ張り上げる。
と、ペタンと地面に女の子座りをしたコロンのエプロンドレスの膝の上にはサッカーボールぐらいほどもある黒く楕円形の物がちょこんと乗っていた。
「それって、卵――よね?」
「たまごに見えますねぇ」
アリスが眉を寄せてその黒い楕円の物体を睨むと、ルリも紅い瞳を細めて同じように見つめる。
「霊峰ラトモスの氷河に閉ざされた山々の上の方から、雪解け水に乗って流されて来たのでしょうか」
「はい、姫様。これは魔獣のタマゴだと思いますが……果たして何の魔獣かまでは」
同じようにしげしげと覗き込むミラとクラリスの博識コンビでも、その正体までは分からないようだ。
「おお。ここで拾われたのも、聖域セルヴァンの女神様のご加護ですね」
どこにそんなご利益があるのか分からないが、ドヤ顔で知った風なことをほざく、ぽんこつフランは放っといて。
「クロセくんの【解析】なら何か分かるのでは?」
そうプラチナブロンドの長髪をサラッと垂らして小首を傾げるユウナの言う通り、【解析】してみると。
名前;たまご
種族;聖獣
レベル;Lv1
「……え?」
「これって……」
「あれ? あれあれ~?」
同じように【鑑定】したらしい、アリスとルリが言葉を失ってしまっている。
「クロセくん、どうしたの……えっ、【聖獣】?」
訝し気に覗き込んでいたユウナが、【賢者の石】により【鑑定】でも習得したのか、黒卵の驚きの正体を明かす。
「ええ! せ、【聖獣】様ですか?」
「ひ、姫様! こ、これは地上における【神の御使い】と言われる、あの【聖獣】様のタマゴですか?」
お姫様にあるまじき口をあんぐりと開けてしまっているミラと、実は信仰心の篤いクラリスは気をしっかり維持するのに精いっぱいのようだ。
「ぎゃあああああ! 【純潔の女神】アルティミス様も従えていた、あの【聖獣】様? きゅうぅ~~、パタン」
ああ、ぽんこつフランに至っては、ガチで気絶してしまったぞ。
「え~、なになに~? あ! 美味しそうなタマゴだぁ。フィはだし巻き卵がいいなぁ」
「きゃああ~、フィちゃん。それは【聖獣】様の卵なので、食べちゃダメですよ!」
「そうです、姫様。いいですかフィ様、お昼ご飯は今準備していますので、間違ってもあの【聖獣】様のタマゴには手をだしてはいけませんよ」
ギョッ、としてミラとクラリスが、お昼寝をしていたらしい妖精フィの飛んで来た小さな身体を捕まえる。
「ちぇ~。おっきくてとっても美味しそうなのにぃ。フィは生卵でもいいけどなぁ」
「く、クラリス。早く食事の準備を」
「はい、姫様。いい子ですから、フィ様。ちょっとだけ待っていてくださいねぇ。絶対ですよ~」
例え【神の御使い】の【聖獣】であろうと食料としか考えない暴食の妖精フィに、慌てて餌を与えるようにミラが指示すると、クラリスは準備のために全速力で走って行ってしまった。
ふぅ~、ちょっと話が逸れてしまったが、気を取り直して今は問題の【聖獣】の卵をどうするか――なんだが。
「と、とにかく、コロンはそのタマゴをどうしたいんだ?」
「ちゃんと温めて孵してあげましゅ」
そう言って、エプロンスカートの上に置いた黒い卵を大事そうに抱きしめるコロンに、少しホッとして白銀の髪をそっと撫でてやる。
それを見ていたルリが、顎に人差し指を当てて考え込みながらつぶやく。
「そうすると、やっぱり温めるのにはお腹に抱いているのがいいのでしょうか?」
「まあ、保温器のようなものを火の【魔石】で作っても良いんでしょうけど、もしも万が一のこと事が【聖獣】の卵にあると……ねぇ」
下手な機材で俘虜の事故を心配して眉を寄せるアリスに、とんでもないとブンブンと首を振りまくるミラが最悪の想定をする。
「そ、そんなことは決してあってはなりません! ただ、そうは言っても【聖獣】様のたまごを育てたことのある人など、聞いたことがありませんし。
そもそもが、【聖獣】のたまごを持っていることを知られると、最悪は国家間の戦争にまでなってしまうはずです」
「うわ。そんなに危険物なのか、これ?」
「たまごから孵った【神の御使い】である【聖獣】様を万が一にも使役することに成功したとすると、この地上では逆らえるものがいなくなるということを意味しています。
分かりやすいところでは、先日の【純潔の女神】アルティミス様が従えていた【聖獣】をご覧になった通りです」
クラリスが席を外しているので、一生懸命に最後まで説明を続けるミラ――だが、そんなことをあの侍女の鑑であるクラリスが許すはずもなく。
ズダダダダッっとダッシュで料理皿を抱えて帰って来て、白い丸テーブルに座る妖精フィの前にスタッと置くと、息を切らしながらもシャキッと姿勢を正す。
「はい! 姫様! はぁはぁはぁ、決して他の人達に知られてはなりません。特に国王陛下を含めた王国貴族達と敵対勢力である帝国、それから女神様を守護するジュネヴァン連邦国の十二使徒には絶対に駄目です。後は神聖皇国と獣王国も……」
「何よ、ようは誰にも知られちゃ駄目ってことじゃないのよ」
呆れたと肩を竦めて見せるアリスに、心配そうに心優しいルリがつぶやく。
「でも、この卵のお母さんに返してあげないと、心配しているんじゃあ……」
「ああ、それもそうだなぁ。でも、親に返すって言ってもなぁ――どこにいるのか分からないと」
そうため息をつきながら霊峰ラトモスを見上げていると、ユウナが聞き覚えのある大人の女性の声で語り始める。
「その心配は無用だ。親から卵で産まれる魔獣と違って、完全個体の【聖獣】に親はいない。詳しくは話すことができないが、その卵は新しく生まれた【聖獣】の物なので、まあ心配せず元気に育ててあげるがよい。それでは、くれぐれも頼んだぞ」
「おい、頼むって言っても――ああ、切りやがった。何つう、一方的な女神だ。しかもまた――ユウナの扱いが雑だって言ってんだろうによ」
「ねえ、ユウナ。今の【純潔の女神】アルティミスよね? それじゃ、この【聖獣】のタマゴも女神の仕業ってことなの?」
眉間に皺を寄せてアリスが訊ねると、元に戻ったらしいユウナがまだボンヤリとしながらも静かに首を振る。
「うん、この距離ならまだアルティミス様の【神力】が届くみたい。それから、その【聖獣】のタマゴは全くの偶然。
そもそもコロンに渡すつもりなら、気づかずに流れて行ってしまう危険を冒してまで川に流す必要が無い」
「それも、そうですよね。よかったですね、コロンちゃん。キチンとタマゴを孵してあげましょうね」
そう優しく微笑んで黒い卵を抱きしめたままの小さなコロンを、そのまま抱きしめるルリ。金色の瞳を一瞬だけ丸くしたコロンは、嬉しそうに微笑むのだった。
「うん。がんばる」
「よし、それじゃあ抱いておきやすいように、抱っこ紐をつくってやるとするか。よっ――っと、これでいいか、ここをこうして、こうして、ほいほいっと」
【時空収納】から取り出した布を【物理強化】してから、コロンと黒い卵のサイズに合わせてカスタマイズしてから、微調整のために肩から掛けて吊り下げてやると。
なんということでしょう、フレンチメイドの黒エプロンドレスのおなかをタマゴのサイズに大きくしたマタニティー幼女のできあがりだ。
しかもコロンは、白銀色の狐耳とふわふわしっぽを常時装備ときている、ので。
「ハクロー、あんた何やってんのよ! ケモ耳しっぽのロリ妊婦って犯罪臭しかしないじゃないのよ!」
ボカン
「あいた!」
なぜか、アリスにド突き倒されてしまった。何でだ――解せん。
「でもでも、これで抱いていて歩いても、落とす心配がありませんよ」
「うん。ハク様、ありがとぉ」
慌ててストラップを引っ張って強度を確認するルリに、コロンが嬉しそうにお腹のタマゴを抱きしめて、にへら~と笑う。
おお、白銀しっぽがふわんふわんといい感じに振られていて本当に嬉しそうで、お父さんも嬉しいぞ。
「あ~、またクロセ様が親馬鹿な顔をして……」
「はい、姫様。これはもう、どうしようもないかと」




