第2章33話 赤ちゃんの抱っこ紐
今日も今日とて【聖獣】の卵をお腹に抱いてマタニティー幼女と化したコロンを乗せて、ビーチェの操る安全運転の馬車で次の街を目指す。
そんな馬車は【波乗り(重力)】で馬車の振動も最小化されていて、新米ロリ妊婦さんにも非常に優しい親切設計ときているので、それなりには快適な旅となっているはずだ。
「しかし、【聖獣】のタマゴって山に芝刈りに行ったら川を、どんぶらこ~どんぶらこ~と流れて来るものなのか?」
「馬鹿ねぇ、桃太郎じゃないんだから、そんな訳無いでしょ……よね?」
途中から自信を無くしたアリスが、この世界の住人であるミラ達に心配そうに訊ねる。
「うふふ、はい。そもそも【聖獣】様がこの世界にはそんなに数多く存在してはいませんし、というよりも一般的には見たこともないのが普通だと思いますし、ましてや【神の御使い】たる【聖獣】様がタマゴから産まれるなど、誰も知らないことのはずです」
「はい、姫様。これはもはや世界の神秘に、首を突っ込んでいると言ってもよいかと。だいたい、どんな【聖獣】様が生まれて来るのか、どの位の期間でタマゴが孵るのかも、まったく不明です」
こらこら、ミラもクラリスも新米妊婦さんを不安にさせるような事ばかりを言うんじゃない。まあ、【純潔の女神】アルティミスと共にいた巨大な【聖獣】を思い出せば不安にもなるか。
あ、へっぽこフランがキョドって要らん事を言おうとしている。
「それに、タマゴが孵る前に何かあったりしたら……【純潔の女神】アルティミス様もこのことはご存知のようですし。おお女神様、どうしましょう」
「だからこそ、大丈夫。アルティミス様から頼まれたのだから、タマゴが孵ったからといって、神様に取り上げられる心配も無い」
いつもの無表情だが紫の瞳を優しく細めてコロンを見ながら、ユウナがそう断言する。それで、少しはホッとしたのか、おなかに大きな黒卵を抱いたまま嬉しそうにニコォ~と笑顔を向けて来る小さなコロン。
「よかったな、コロン。大切に温めて孵してやろうな? そうだ、生まれてくる子の名前を考えておかないとな」
「名前でしゅか?」
白銀色の長髪を前に垂らしながら首を傾げるコロンに、ルリが優しい声で教えてあげる。
「このタマゴから孵った子のために、良い名前を考えて名づけ親になってあげようね」
「おお~、うん。わかったでしゅ」
黒卵をおなかに抱えたまま腕組みをして難しい顔で、うんうん唸って考え込み始める小さなコロン。
「フィも考えたげる~」
「それにしても、この抱っこ紐というのですか? これはいいですね。人の子を抱くときにも、安心して抱いていられそうです」
そう言って、ふんふんと頷くミラに、不思議になって聞いてみる。
「この世界に抱っこ紐は無いのか?」
「はい、貴族は揺り籠に入れて常時乳母がついておきますし、平民の方たちは王都の城下街でもよく見かけましたが、もっと簡単な布で巻いてぶら下げているだけですね。
それに比べてこれがあれば、お母さんと赤ちゃんがいつも一緒でいられて安心だと思いますよ」
ミラがう~んと思い出すように小首を傾げてから微笑みを見せると、親戚に赤ん坊でもいたことがあるのか、侍女のクラリスが食いつくように乗り出して来る。
「ええ、姫様。これがあればお母さんは安全に乳飲み子を抱いたまま歩き回ることができるので、赤ちゃんの事故もお母さんのストレスも減って非常に良いものです」
「そうなのかぁ。じゃあ、ミラが赤ちゃんを産んだらこの抱っこ紐をもっと使いやすくした改良版をプレゼントしてあげるよ」
「え? わ、私のあ、赤ちゃんですか? そ、そんな、まだ、早い、いえ、その前に、婚姻を、でも、あーんなことや、こーんなことも、ああ、どうしましょう?」
「姫様、姫様ぁ~。ああ~、帰って来なくなってしまいましたね。クロセ様、ちょっと姫様には刺激が強過ぎたようですよ」
顔を真っ赤にしたミラがいやんいやんと両手で顔を覆っている横で、クラリスが呆れた顔をして首を振りながらメガネの縁を上げて睨んできた。
「え? 心配しなくても、クラリスの赤ちゃんにもあげるよ?」
「げ、げふんげふん! わ、私の赤ちゃんって? く、クロセ様、そういうことは……はあ~、もういいです」
「ああーっ! ミラとクラリスばっかり、ズルいですぅ」
真っ白な頬をぷぅ~と膨らませて俺の腕にしがみつきながら、ブーブー文句を垂れるルリさん。
見えないはずの白く長いウサ耳が、ピョコピョコと揺れて「私も、私も~」と自己主張しているようだ。
「ははは。もちろん、ルリの赤ちゃんにもプレゼントするけど――でも、その前にちゃんと抱っこできるように、もうちょっと腕に力を付けないとな」
「きゃあ~、私達の赤ちゃんですかぁ? いやぁ~ん、どーしましょう? やっぱり、一姫二太郎ってことで、一人目は女の子が……でもでも、ハクローくんに似て元気な男の子というのも、うふ、うふふ、うふふふ~~~~」
ああ、ルリさんまで、どっか遠くに行ってしまったようだ。
すると、すぐ横に座っているユウナがいつもの無表情で、でもなんだか寂しそうに長い睫毛を伏せているのが目に入ってくる。
「ほらユウナも、もう少し大きくなって赤ちゃんができたら、抱っこ紐を作ってあげるから元気だせ、な?」
「で、でも、私は偽物の命で……それに穢れてしまった私なんかが」
またそんなことを言うので、聞いていられなくて言葉を遮るように、わずかに眉を寄せて綺麗なアメジストのような紫の瞳の奥をくゆらせるユウナの、プラチナブロンドの髪をゆっくりと優しくなでる。なでりこ、なでりこ。
「大丈夫だよ。女神アルティミスも言ってただろ? 大きくなって成人すれば、唯の普通のハイエルフになるって。だから赤ちゃんだって、きっと産むことができるさ。だからさ、そんな顔をするな」
「でもでも、私のように穢れた身体から生まれた赤ちゃんは、幸せにはなれ――あ」
それ以上は言わせないように、撫でていたプラチナブロンドの頭を胸に抱き込むようにして。
「大丈夫、大丈夫だから。ユウナの赤ちゃんは俺達が必ず幸せにしてやるから、だから安心して産めばいいんだ」
「でも……でも……私なんかから産まれてくる赤ちゃんはかわいそう」
俺の胸に顔を埋めたままくぐもった声で、まるで懺悔するようにそんなことを言うので途中でぶった切って。
「そんなことは無いと思うぞ。ユウナは飛び切り綺麗な美人さんだから、生まれてくる赤ちゃんも男の子はきっとイケメンに、女の子はお母さんに似て美人さんになっちゃうだろうなぁ。
髪の色もユウナそっくりのお母さん似だと、綺麗なプラチナブロンドの赤ちゃんになるかもよ――おお、大変だ。モテ過ぎたらどうしよう?」
「くっ…………クロセくん……あ、ありがと」
そう、俯いて肩を震わせるユウナ。大丈夫、ユウナはまだ3才なんだから、これから時間はたくさんあるんだから、あんな嫌なことも忘れてしまうぐらいのたくさんの楽しい時間が。
「まったく、ハクロー。あんたは……」
「ああ、アリスの赤ちゃんにもあげるから、ちっとも心配はいらないからな。やっぱり、色は真紅がいいのか?」
向かいのソファーの席から、紅と蒼のオッドアイを細めて呆れたように睨みつけてくるアリスに、笑いながらそう言ってやると。
「大きなお世話よ。その前にこの世界でちゃんと生活できる環境と基盤を作らないと、赤ちゃんなんか安心して作ってられないわよ」
「あはは、そうだな。まずは、みんなが赤ちゃんを安心して産めるような家を創らなくちゃな。そうして、みんなで家に帰ろう」
そう笑いながら、思い出したように馬車の天井を見上げてみると、そこには、魔改造によってサンルーフ構造になっていて――今は全開放されて、雲ひとつない青空が霊峰ラトモスの山頂の向こうに見えていた。
まだいくぶん標高が高いからか、気持ちの良い涼風がわずかに巻くように吹き込んで来ている。
よく目を凝らすと、青空の向こうには薄く月の姿が白くぼんやりと捉えることができるのだった。
「あ、あのぉ~。ハクローさん? 私には? 私にも……もらえますよね? ね?」
ちょっと離れた席から、上目遣いでぽんこつフランが何か言っているようだが、無視無視。
だいたいお前の場合はその無駄にデカい爆乳に赤ちゃんが埋まってしまって、抱っこ紐は使えないんじゃ――だったら、おんぶ紐の方が良いんだろうか。
「わ~ん。ハクローさんが私にだけ、いぢわるしますぅ~。びえ~ん、女神様ぁ~」
ああ、本当に泣き虫フランは煩い。
◆◇◆◇◆◇◆◇
それから数日は本当に珍しいことに何事もなく、黒卵をお腹に抱いて温めるコロンを、ほのぼのとした馬車の中で眺めながら過ごす日々を送っていた。
こんなことは異世界に転移させられてから初めてのことで、暇過ぎて身体がビックリしてしまうぐらいだ。
「クロセ様。ほら、ニースィアが見えてきましたよ」
「はい、姫様。王国南部の海に面した王国でも第二の規模を誇る大都市です」
周囲に農地が広がる小高い丘の上から辺りを見渡すと、遠くに海があってその手前に城壁で守られた大きな都市が見えてきた。
ただ城壁といっても、王都のようにお城がある訳では無いようで、むしろ王城のような無暗に高い建築構造物は見当たらないようだ。
際立っているのは王都の郊外と違って、見渡す限りどこまで行っても農地という、牧歌的な風景が果てしなく広がっているのだった。
多分、魔物が発生したりする森などが近くに無いためだろう。
代わりに大小さまざま結構な数の地下迷宮が近くにはあって、魔物が溢れて来ないように冒険者達が討伐と探索を続けているらしい。
そう言った意味では周囲に地下迷宮が無い割には、結局は近くの大森林から魔物が溢れてしまって魔物暴走に見舞われてしまったらしい王都とは対照的と言える。
それでも王都には王国最強の呼び声高い王国騎士団の精鋭達がいるから、冒険者達のレベルも人数もそんなに必要なくても良かったのかもしれないが――あれ?
でも、前に馬鹿平河一人にボコボコにされて半壊させられていたような気もするが。まあ、いいか。
すると手のひらで小さなおでこに庇を作っていたアリスが、驚いたように感心してみせる。
「へえ~、城壁の外周だけを見ると王都よりも大きいじゃないのよ」
「はい。地下迷宮に魔物を常に抑え込んでいますので、都市の拡張のための城壁の増設が容易である利点を最大限に生かして、今も城塞都市として増殖と拡大を続けています」
「その通りです、姫様。近年では増え続ける人口とそれに伴い新築される建築物により、全体の規模だけでは王都を凌ぐとさえ言われています」
流石は王国第一王女とその侍女筆頭ということか、ミラとクラリスがいつもより先生っぽい。
【遠目の魔眼】でもニースィアを視ていたのだろうアリスが、その口元をニヤリとさせながらみんなに聞こえるように宣言する。
「とにかく、この王国第二の大都市ニースィアを拠点として地下迷宮を攻略しながら、レベル上げと資金調達を同時に進めて、三ヵ月後にせまった来年一月からの魔法学園入学に向けて準備をするわよ!」
「わーい、来年から学校に通えるようになるんですね~」
両手を万歳して大喜びのルリに、いつまにか取り出した伊達メガネをスチャッとかけて、ご自慢の☆マークの指差し棒をピッと立てたミラ先生が、ニヤァ~と不敵に笑う。
「そのためには、この年末の十二月にある魔法学園の入学試験に合格しなければなりません!」
「がぁ~ん」
ルリさん、紅い瞳をウルウルさせて泣きそうな顔をしても駄目です。前にも言ったはずですよね。あ~、見えないはずの白く長いウサ耳がへにょんと垂れてしまって。
「コロンちゃんも、関係ないって顔をして目を逸らしても駄目ですよ。一緒に最低でも従者の立場で入試を受けてもらいますからね」
「こぉ~ん」
「コロン、がんばれ~。フィも応援だけはするよ~」
ああ、小さなコロンまで金色の瞳を涙目にしてしまって――これも前に言ってましたよねぇ。でも、自慢の白銀の狐耳がペタンとしてしまっているのは、ちょっとかわいそうかも。
「それから、ユウナ様にも入試を受けていただきたいと考えています」
「え? だって、私は3才で……」
「外見はコロンちゃんと大差ありませんし、中身だけで言ったら【賢者の石】を持つユウナ様は全く問題無いはずです」
「それは、そうだけど」
ミラ先生の厳しい物言いに、ちょっとだけいつもの無表情を困惑に曇らせてしまったユウナのプラチナブロンドの髪を、撫でながら話して聞かせる。
「【賢者の石】といえど不足しているだろうこの世界の一般常識の勉強と、魔法を使いこなすための実技習得が必要だし――それには魔法学園は最適な環境であることは間違いが無いらしいから。俺達と一緒に行かないか?」
「でも、私なんかが一緒に行ってはクロセくんたちに迷惑が」
「俺達はこの世界の一般教養が不足しているから、【賢者の石】でこの世界の知識が豊富なユウナが一緒に来て助けてくれると嬉しい」
「……わかった。クロセくんがそう言うなら」
「よかった。我儘言ったようで悪いな」
「ううん、いい」
紫の瞳をわずかに細めて、ふるふると首を振るユウナに、ルリが「おねーちゃんと一緒に勉強がんばろうね」と気合いを入れているんだが。
間違いなく【賢者の石】持ちのユウナに一般教養は勉強の必要が無いはずで、むしろ日本でも入院生活ばかりでほとんど学校に行っていない、ルリの偏差値の方が実はよっぽど心配だったりするんだが――そんなこと言えるはずもなく。
「ま、まあ、この世界特有の学課もあるらしいから、ゼロからだと思ってみんなで頑張ろうな?」
「うん、がんばる! えへへ~」
にへら~と本当に嬉しそうに笑うルリの笑顔を見ていると、ようやくこの異世界での生活のスタート地点に立ったんだと実感してくるのだった。




