第2章29話 大賢者
「姫様、やはりあの男は私達が向かっている海沿いの大都市ニースィアをホームタウンにしている、Aランク冒険者のイアサントに間違いないようです」
「でもクラリス、よほどのことが無い限り拠点を出ることが困難なはずのAランク冒険者が、何故こんな所にいるのでしょうか?」
カフェのテラス席にようやく座ったかと思うと、すぐに席を立って店のバックヤードに消えていたクラリスがしばらくして戻って来て、ミラに報告を始めていた。
「はい、姫様。それなんですが、どうも王都の近くの大森林が溢れたようです」
「魔物暴走ということですか! それで、王都はっ?」
「はい、それが【勇者】達が三人もいるのですから、酷いことにはなってはいないと思うのですが――変な噂が」
短時間で収集した情報では不確定要素が多いようで、珍しく歯切れが悪いクラリスにミラが凛とした声で指示する。
「構いません、判明している範囲で答えよ」
「はっ。姫様のご懸念のとおり、王都外壁まで到達してしまった魔物達は、王都の冒険者達が一丸となってなんとか撃退したようでございます。
しかし、どうも王都まで大量の魔物をモンスタートレインして連れて来たのが――王都に残っている【勇者】達三人のようでして」
全員が顔を見合わせる――いや、【勇者】を知らないユウナだけが、キョトンとした顔をしていた。
白いテーブルに右肘を付いて小さな顎を乗せたアリスが、呆れたように大きなため息をつくと、左の手のひらをヒラヒラとさせる。
「はあ~~~。あの出来損ない【勇者】達なら、十分あり得るわね。きっと、一発デカいのを打って魔力切れになって、王都まで逃げ帰って来たんでしょ?」
「はい、アリス様のおっしゃるとおりです。そのため、王都外壁で迎え撃つことになってしまった冒険者ギルドの被害は甚大で――その時の防衛戦で王都ギルドマスターも亡くなったようです。
そのため急遽、王国第二の大都市であるニースィアの冒険者ギルドにも、応援要請が出たみたいですね」
「あちゃ~。それで虎の子のAランク冒険者の何とか言うのが駆り出されて来たわけね。でも、一緒に駆り出されたBランク冒険者とその他の雑魚冒険者達は、さっきのあんなんで使い物になるのかしら?」
「はい、アリス様のご懸念のとおり、あの有象無象は単に稼ぎ時とばかりに、勝手に便乗して付いて来ただけの連中ようです」
はあ~、とため息をつくフィを含む八人全員が、テラス席の先に見えるさっきまでいた大通りに視線を移すが、既にそこには雑魚冒険者達は消えたあとで今は閑散としている。
すると今度はそこに大層豪華な馬車がやって来て停まったかと思うと、見たまんま上級貴族らしい中年と壮年と青年が全員揃いも揃って嫌らしい笑みを浮かべて歩いて来る。
それをボンヤリと眺めながら肘を付いて顎を乗せたまま、やる気のなさそうな顔でアリスが今日何度目になるのか分からない、大きなため息をつく。
「はあ~、もう今日はこんなのばっかね。それもこれも、全部ハクローの所為だわ」
「おお、ここにいたのか。お主達を探しておったのよ。ちょっと、儂の屋敷まで付き合ってくれんかのう」
「【サイレント】」
「……? ……!」
突然、口をパクパクさせて、でも叫ぶ声が聞こえなくなった壮年貴族の余りに哀れな様子に、ミラが小さな声で訊ねる。
「アリス様、これは?」
「五月蝿いから、静かになったでしょ? 空気中に真空を作る上位風魔法のオリジナルスペルでね、音の振動? とか言うのを伝えなくなるらしいから、余計な雑音が聞こえなくなったでしょ?」
「アリス様、まるでクロセ様のように説明されていますが、それはワザとですか?」
コテンと小首を傾げて聞くミラに、アリスは顔を赤くすると慌ててソッポを向いてしまってから言い訳を始める。
「うっ! こ、これは……なんでもないわよ」
「姫様、ここは黙って生暖かい視線で見守ってあげるのも、大人の優しさというものですよ」
「おおー、流石はクラリスね。私はアリス様が単にクロセ様がいなくなって、寂しくなっているだけなのかと思い違いをしていました」
うんうんと頷きながらコソコソと話すクラリスとミラの白々しい漫才を聞かされて、とうとう両手で肘を付いて形の良い顎の下を支えると、頬をプーッと膨らませてしまって二人を睨むアリス。
「……全部聞こえているわよミラ」
「てへぺろ」
その場を和ませるように、ミラは可愛くも赤い舌を見せるのだった。
「「「……!」」」
その間にも、三人のアホ上級貴族達はテラス席の柵ぎりぎりまでやって来て、無音のままで騒ぎ立てていた。
そこに店内席から、いかにも貴族といった雰囲気の老婆がイケメン青年に手を引かれて近づいて来たのを目にしたアリスが、またため息をつく。
「はあ~、店内にまでいたのね」
「音が消えても、見苦しいのには変わりがないからの。どれ、私が追い返してやるから、魔法を解除してくれないかい?」
「え?」
アリス達がキョトンとしていると、手を引いていたイケメン青年が老婆に声をかける。
「よろしいのですか?」
「よい。私も外の景観が悪くなって、気分が悪い。他人事ではない」
「申し訳ありません、出過ぎた真似を」
恭しく頭を下げるイケメン青年に目も向けずに、老婆はアリスに問いかける。
「さて。お嬢さん、どうかい?」
「はあ、ご迷惑をおかけしていたようですね~」
パチンとアリスが指を鳴らすと、
「貴様ら、伯爵のこの儂が直々に話をしておるのに、聞いておるのか!」
「うわっ、うるさあ~」
みんなが眉を寄せたアリスに同意するように耳を塞ぐが老婆は気にする様子も無く、イケメン青年に手を引かせて近づいていくと、ボソボソと小声で三人のアホ貴族に一言二言話し始める。
すると、いったいどうしたことなのかギョッと顔色を変えた三人のアホ貴族達は、額から脂汗をダラダラと流し始めると、ジリジリと後ずさるとクルッと振り返るなり、ダッシュで馬車まで全力疾走すると、あっという間にいなくなってしまった。
「「「おおー」」」
ルリとコロンにフィまでが、パチパチと拍手を始める。ちょっと嬉しかったのか、老婆は上品に笑いながら、手のひらをヒラヒラとさせてすぐ傍のテラス席に腰掛ける。
「ほほほ。なに、大したことじゃないわい。これで見た目にも、綺麗サッパリとスッキリしたのぉ」
「お婆ちゃん、凄いんですねぇ」
「すごいでしゅ」
「フィもびっくり」
どこがツボに入ったのか、キラキラした目でルリとコロンにフィも羨望の眼差しを向ける。
「ほほほ、それほどでも無いがのぉ」
すると、ミラレイア第一王女が一拍置いてから、静かに目礼する。
「ご無沙汰しております」
「よい、湯治じゃ」
ミラと知り合いなのか、あっさりと挨拶を交わす。
「は。しかし、本当に助かりました。あのまま放っておくと、また怪我人が出ていた可能性もありますので」
「はい、姫様。それに明らかに上級貴族でしたので、後で面倒なことになっていたはずです」
荒事にならずに済んで、ホッとしているミラとクラリスだが、アリスは呆れたとばかりにため息をつく。
「それにしても、ダメ貴族って王都だけじゃなくても、どこにでも湧いて出てくるのね。まるでゴキブリみたいだわ」
「ほほほ、ゴキブリとな。それは手厳しいのお」
「ああ、お婆ちゃんのことを言っているのではないですよ」
そう言って、アリスは手をヒラヒラと振るが、それでもシスター・フランは心配そうにつぶやく。
「でも、彼らは必ずまたどこかで同じことを、自分より身分の低い人達にするんでしょうね。ああ、女神様」
「ほほほ、いくら女神様でもあんな小悪党の相手まではしておられんからな」
「それでは済まされない者も、いるということよ」
一見すると達観したような老婆の言葉を、無表情のままでユウナがバッサリと切って捨てる。
「ほほほ、本当にこれは厳しいのお。かと言って、皆殺しにもできんしのぉ」
「なぜ? 必要なら女神様でも自らの手で滅ぼすわ」
「ほお? そうかい、こりゃあ益々耳が痛いねぇ」
「神の名の下に滅ぼされるのなら、悪人としては本望でしょ?」
「ほほほ。確かに小悪人とて、それぐらいの覚悟は無いとなぁ」
女神の器としてのユウナの紫の瞳が鈍い光を放ち始めたので、すぐさまアリスが止めに入る。
「ユウナ、そろそろハクローの馬鹿を探しに行くわよ。お婆ちゃん、今日はありがとうございました」
「ああ、あんた達も気をつけてな」
「――わかった、アリス」
納得はしていないのか無表情のままユウナが答えると、それとは対照的にルリとコロンにフィは元気に手を振るのだった。
「「「じゃあねー、お婆ちゃん。ばいばい~」」」
最後に席を立ったミラとクラリスは、さり気なく目礼をしてから店を出て行く。
「ほほほ、久しぶりに女神様のお言葉を聞いた気がする。このまま安穏と死を迎えるのは、余りに無責任ということかのぉ?」
アリス達が店を出た後、一人でテラス席に座る老婆が少し疲れた様子で、小さなため息と共につぶやく。
それを聞いていたイケメン青年が、その背後に控えたままで恭しく口を開く。
「【大賢者】様、よろしかったのですか?」
「構わん、どうせ行き先は一緒じゃ。そもそも、ここで会えるとは思わなんだからのぉ。またの機会で良かろう。さて、それよりもゴキブリの害虫駆除をせんとのぉ」
「は、御心のままに」
ティーカップに上品に口をつける【大賢者】の老婆の背中に向かって、イケメン青年が深々と腰を折ると――掻き消えるように二人の姿が消えて無くなっていた。
空になったティーカップが残された白いテーブルには、チップを含めても多すぎる金貨が二枚残されているだけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ウロウロしていても碌なことが無いから、ハクローの言っていたとおり一度旅館に帰りましょう」
ひと悶着あったカフェを出てから、アリス達は途方に暮れるように旅館に向かうことにする――のだが、その足取りは決して軽いものでは無かった。
まだ落ち着きなく視線を彷徨わせているルリが、それでもぎこちなく微笑むと。
「そうですね。ハクローくんも、お腹が空いてもう帰って来ているかもしれませんシ、ハハハ……」
「ハク様、会いたいでしゅ~」
「フィも~。あとお腹もペコペコォ~」
ルリを支えながら歩くコロンもその肩にフィを乗せて、寂しそうな声を上げる。
「ふふふ、クロセ様は人気者ですね」
「はい、姫様。こういう場合は罪作りとも言いますね」
小さなお子様二人の様子を微笑ましく見ながら歩みを進めるミラとクラリスの笑顔も、どこかしら元気が無かった。
「本当、もう絡まれないといいですけど。ああ、女神様」
「害虫は女神様の名の下に殲滅するだけ」
ぽんこつフランのフラグっぽい心配を余所に、ユウナの物騒な台詞が聞こえた訳ではないのだろうが、誘蛾灯に吸い寄せられるように、自殺願望を持つ愚か者たちがアリス達の行く手を塞ぐ。
「ふひひ、さっきは【大賢者】の婆に邪魔されたが、今度はそうはいかんぞ」
「あらためて、貴様らまとめて儂の屋敷に来い。悪いようにはせんから、ほれほれ」
「くくく。さあ僕の可愛い乙女達よ、こちらに来なさい」
先ほどカフェで老婆に追い返されていたアホ上級貴族達三人のようだった。だいぶ投げ槍になりながらも、アリスがため息と共に訊ねる。
「はあ~。んで、私達に何をするって?」
「ふひひ、そりゃあ儂の屋敷で楽しいことじゃ」
「決まっておろう、あんなことやこんなことよ」
「くくく、僕の可愛い乙女達をかわいがってあげるのさ」
アリスが不快感を露わにし、ルリが不安そうな顔をする。コロンは眉をひそめ、フィが虹色の四枚の羽を震わせる。ミラが背筋を伸ばすと、クラリスがその一歩前に進み出る。フランは女神に祈り、ユウナはその無表情なまま紫の瞳を細め奥歯をギリッと鳴らす。
そうして警護を一人も連れないまま、自分達が害されることを全く考えない呑気な上級貴族のアホ三人が一歩踏みでたその時、アリス達の前の空間がグニャリと歪む。
「ん? 目の錯覚か?」
「ふん、儂らに何ができる訳がない」
「そんな僕の可愛いおとめ……ん?」
しかし、歪んだ空間から滲むように姿を現したのは、Tシャツに短パンでサンダルを履いた武器も持たない瑠璃色の髪と瞳をした一人の少年だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「はあ~ぁ?」
毛が逆立つのを感じて転移して来てみれば、いやらしい下心満載の見るからに貴族っぽい三人の下種がバカ面を下げて惚けているという、そんな状況に思わずため息をついてしまう。
「ハクローくん!」
「ハクロー!」
「ハク様!」
「あ、ハクローだ」
「クロセ様!」
「はい姫様、クロセ様です」
「あ、ハクローさんだ。ああ女神様、やっと見つけました」
「クロセくん……」
隠すようにした背後から、俺を呼ぶ声が聞こえる。あれ? ちょっと遅くなったのか? 不安、安堵、喜色、怒りなどの複雑な感情が入り混じった気配が感じられて来る。
ちょっといない間に、何があったんだ?
「ふん、何だ小僧。邪魔だ退け」
「儂らの前に立ち塞がるとは身の程を知らぬ無礼者め、不敬罪にしてくれるぞ」
「俺の可愛い乙女達が見えないじゃないか、サッサと消えたまえ」
どうもお貴族様らしいが、危機感も無くお供の者も連れずに――有名な観光地だから平和ということなのか? 怪我しても知らないぞ?
っと、ああ、そういえば魔力を【隠蔽】しているんだった。だいぶ慣れて来たので忘れてた。ついでに、三人だけに向けて軽く【威圧】でもしておくか。
「うっ……!」
「ぐっ……!」
「ぴぃ……!」
次の瞬間、ビクッと硬直したかと思うと、膝と手をプルプルと震わせ始め、脂汗を絞るように浮かべて、カチカチと噛み合わない歯を鳴らすアホ貴族三人。
「ああ、おっさん達の魔力パターンは記録したから、いらん事をしたら今みたく転移で飛んで行くからな。ちなみにお前らを消し去って、俺も消えちまうのに一瞬もかからないぞ」
カクカクと壊れた人形のように首を縦に振る上級貴族のアホ三人は、生存本能だけを残して自律神経を手放してしまったらしく、身体中の水分を穴という穴から盛大に垂れ流してしまっていた。
「わかれば、いいや。もう、悪いことするんじゃないぞ?」
涙に鼻水、涎に滝のような脂汗と小便に大きい方が混ざり合った、異臭を放つ水溜まりを足元に作るアホ三人を、大きく避けて今日泊まる旅館向けて歩きながら。
「さあ、話はついたみたいだから、旅館に帰って飯でも食おう――ぜ?」
そう言って、半身で振り向くとルリに背中から抱きつかれて、コロンは肩までよじ登り、フィは頭に乗っかり、アリスに後頭部を叩かれしまった。お姫様のミラまでがTシャツの裾を握って離そうとしない。
あれ? やっぱり、これは少し遅かった――んだろうな。間違いなく、しまったなぁ。
「ハクローくん、心配しましたよ。えへへ」
「ハク様、わーん」
「フィもハクローの魔力が見えて安心」
「ハクロー。あんた、どこ行ってたのよ!」
「もう、クロセ様。遅いですよ」
「はい、姫様。これはお説教ですね」
「ハクローさん、よかったです。女神様、感謝いたします」
「クロセくん、めっ」
クラリスとぽんこつフランまでが、ホッとした顔をしている。
ユウナに至っては珍しいことに、小さな唇を尖らせて膨れっ面を見せていた。おお、これは超レアだ。いや、そうではなくて。
「うおぅ? わ、悪かったよ。ちょっと当代【剣聖】に弟子入りしていたら、遅くなっちゃてさぁ」
「「「「「「「「はあっ?」」」」」」」」




