第2章30話 剣聖
「ハクロー、あんたは一人にすると本当、碌なことをしないわね」
腕組みをして仁王立ちしたアリスの前で、温泉街エビヤーノの高級旅館のスイートルームの上等な絨毯に、何故か正座させられていた。
「はあ……申し訳ありません?」
「ギロッ」
「ええー」
アリスさんの紅と蒼のオッドアイで睨まれると、【威圧】スキルを習得した俺でもスゲー怖いんですけど。
「ハクローくん。急にいなくなるから、とってもとっても心配したんですからね?」
「はい……すみません」
「本当にすご――――っく心配したんですよ?」
俺の隣りで絨毯にペタンと女の子座りをして、さらに下から紅い瞳に涙を浮かべてで覗き込むように睨むルリには、さらに小さくなって頭を下げるしか無い。
「ハク様ぁ~」
そんな俺の背中によじ登りくっついて離れないコロンは、ふわふわの白銀のしっぽでパフパフとさっきから背中を叩いている。
「悪かったって。ほら、コロン。ちゃんと帰ってきたろ?」
「うう~~うう~~うう~~」
俺の瑠璃色の髪に鼻先を埋めてしまったコロンは、もう唯々唸るばっかりだ。これは困ったぞ。
「フィも怒ってる~」
そう言って、頭の上に座ってポコポコと踵で足蹴にする妖精のフィさん。
「悪かったてば、今度おいしいお菓子をプレゼントするからさぁ」
「へへへ、じゃあ許す~」
案外とチョロい暴食の妖精さんだった。
「クロセ様、帰ってくれば良いというものではありません。それに、食べ物なんかで釣られませんよ」
しかし、そんなことでは騙されませんとでも言うように、プンスカと頬を膨らませたまま、切れ長の翠瞳を流し目にして睨みつけてくるお姫様なミラ。
「ええー」
「その通りです、姫様。クロセ様、皆様がどれだけ探し回ったと思っているのですか?」
その横に控えている侍女のクラリスまでもが、メガネの縁をクイッと指で上げながら睨んで来る。
「え? 探してたの? だって、出かけるって言ったよね?」
「はあ~、そのまま行き先も告げずに、逃げるようにいなくなってしまえば、それは心配ぐらいします」
ため息をつきながら、呆れたとばかりにガックリと肩を落として首を振るミラ先生。
「そうです、姫様。この機会に、もっと言ってやってください。そもそも、クロセ様はご自分のお立場というものが、ちっとも分かっていません」
「ええー」
「そうですよ、ハクローさん。女神様からも天罰が下されるやもしれませんよ」
真似でもしているのか腕組みをして脅威的な胸の膨らみをこれでもかと強調しながら、偉そうにふんぞり返っているへっぽこフラン。
「なんで、ぽんこつフランにまで説教されなきゃらんのだ?」
「はあうっ! ハクローさんが酷いです!」
ガーンと仰け反るへっぽこフランの横から、静かにユウナがつぶやく。
「クロセくん、反省が足りない」
「うっ……ごめんなさい」
「はうあっ! ユウナさんには素直に謝るとか、何だか納得いきません~」
ああ、へっぽこフランが真剣で五月蝿い。すると、『車椅子』に座ったまま、小さな顔を近づけて来るユウナは、ジィーッとその紫の瞳で睨むと。
「めっ」
そう、可愛い唇を尖らせてつぶやく。たぶん、叱っているつもりなんだろうが、これではどっちが3才か分からん。
「それにしても、当代【剣聖】がこの街に来ていたとはね。渡し舟のあった村のお爺さんの弟子ってことかしら?」
「いや、そうじゃないらしいんだけど。あ~、でもこの後、爺さんのとこには会いに行くって言ってたなぁ」
腕組みしても盛り上げる物が無いアリスが、ぽんこつフランの胸を見ないようにして肩を竦めるので、俺も残念そうに首を振ってから答える。
「でもでも、当代【剣聖】さんに弟子入りするなんて、ハクローくんはよっぽど気に入られたんですね?」
「ああ、そうじゃなくて――何て言うか、無自覚に厄災を振り撒いている俺が許せなかったんだろうな~」
我が事のように喜んでくれるルリに、そんなんじゃないよとすまない気持ちで苦笑しながらも自戒するしかない。
「いえいえ、クロセ様。あの【剣聖】白刃斎殿に気に入られるなんて、よっぽどのことですよ」
「その通りです、姫様。クロセ様、当代【剣聖】の白刃斎様は気難しい方で有名です。確か王侯貴族などから求められても、一度も弟子を取ったことは勿論、指導をしたことすら無かったと聞き及んでいます」
ミラとクラリスの二人は、流石に師匠のことを知っているようだ。でも、会ったことまでは無いのか。
すると、ぽんこつフランが何気に気になるとばかりに、コテンと首を傾げる。
「へえ~。当代【剣聖】は白刃斎さんと言うのですか。変わった名前ですけど、どんな方なんですか? やっぱり、お爺さんなんですか? それとも、超イケメンとか? ああ、筋肉ゴリラは嫌だなぁ~」
ぽんこつフランが嫌な事でも思い出したのか渋い顔をするのだが、そんなのを吹き飛ばすように首を振ってユウナが爆弾を投下する。
「違う、【剣聖】白刃斎は女」
「「「「「「「え?」」」」」」」
「……あれ?」
なんだか、急に気温が下がったような気が……あ、絨毯の上にいつの間にか冷気がドライアイスのように白く見えてきたぞ。
「ねえ、ハクロー。あんた、白刃斎に会ったのは露天風呂よね?」
「え?」
アリスさん、紅蓮の魔力がちょっと――いや、だいぶ漏れていますよ。
「ハクローくん、男湯に白刃斎さんと一緒にいたんですか?」
「え?」
ああ、ルリさんの白く長いウサ耳が鬼の角のようです。
「ハク様、ずるい。けんせいと一緒におフロに入ったでしゅか?」
「フィも一緒に入る~」
「あ」
コロンとフィなら、いつでも一緒にお風呂ぐらい入ってあげるよ。でも、そんなことを言ってくれるのも、いつまでだろうか。
「クロセ様。ま、まさかあの時、隣の男湯で女性と一緒にお風呂に入っておられたのですか?」
「はい、姫様。これは全て自白させねばなりませんね、キラ~ン」
「ええ?」
切れ長の翠瞳を細めて睨むミラレイア第一王女のが怖いんですが、メガネを無駄に光らせている侍女のクラリスは違う意味でもっと怖いッス。
「きゃー、不潔です。女神様、ハクローさんってサイテーです!」
「ぽんこつフラン、てめー」
頬に両手をやってフルフルと顔を振るのに合わせて、両腕で押しつぶされた爆乳もフルフルと揺らすぽんこつフランが本気でむかつく。
ところが、ユウナはまるで女神のような純粋で裏表の無い優しい笑顔を見せて、容赦の無い言葉で止めを刺してくる。
「クロセくんが不純でも、私は気にしない」
「ぐすん……ユウナのその気持ちだけ、ありがたく貰っておくことにするよ」
ドンッ、と腕組みをしたまま仁王立ちで床を踏み抜かんばかりに足を踏み鳴らすアリスさん――怖いです。チビッちゃいそうです。
「何、綺麗にまとめて終わった顔してるのよっ」
「えー、だってー」
「ハクローくん、何で白刃斎さんが男湯にいたんですか?」
おぉう、ルリさんがTシャツの襟口を両手で締め上げてきて――光彩の消えた紅い瞳と笑顔がすっごく怖いんですが。これって、噂に聞くヤンデレ落ちってやつですか?
「お、俺が露天風呂に入った時には一人だけだったんだけど、後から湯あみ着も付けずにタオル一枚で入って来たのは師匠だ、あ」
「ほお~、真っ裸だったと」
うおっ、ミラの綺麗な顔から感情が抜け落ちて、物凄ぉ~く怖いです。
「い、いや。そうだけど……ち、違う、ぞ?」
「いいなー。コロンもハク様とおふろに入って、ちょめちょめしたい~」
「フィもちょめちょめ~」
「え?」
抱きついたままのコロンとフィが不用意な表現をするので、空気読めないぽんこつフランがクネクネと始めてしまう。
「きゃー! ハクローくんったら、師匠の白刃斎さんとチョメチョメだなんて、不潔よー!」
「おいコラ、ぽんこつフラン。てめー、いい加減にしろよな」
「クロセくんが何をしても、私は気にしない」
「お、おう。ユウナの気持ちは嬉しいんだが、別に何もしてないからな」
本気顔をして、ふんす、と拳を握りしめるユウナに、やっぱり困ってしまって苦笑しながらもプラチナブロンドの頭を撫でてみる。
「とにかく、そのあんたの師匠とやらの、当代【剣聖】である白刃斎に合わせなさいよ」
「え? もうこの温泉街を出たんじゃないか? さっきも言ったけど、先代【剣聖】の爺さんに会いに行くって言ってたからなぁ。後――」
そう一拍置いてから、アリスの紅と蒼のオッドアイを睨み返すと、思ったより低い声が出てしまう。
「――絶対に敵対するんじゃないぞ。わかったな、アリス」
「え? な、何よ……そんなこと言ったって。……何、そんなにヤバイ」
ボカッ
「あいたぁ!」
「こら、こんな可愛い子を虐めるんじゃない」
「「「「「「「「え?」」」」」」」」
そこには俺の頭に手刀を叩き込んだままの姿勢で、「よっ」と手を上げている【剣聖】白刃斎が、ニカッと白い歯を見せて笑っていた。
「いつの間に!」
慌てて飛び退こうとするアリスに、上げた手のひらをヒラヒラと振りながら。
「ああ、悪い悪い。オレに会いたいって言ったからさ。馬鹿弟子が世話になっている、白刃斎だ。当代【剣聖】なんてのも、押し付けられてやってる」
「くっ、これは……はぁはぁはぁ」
額から脂汗を流しながら肩で息をするアリスに向かって、俺は肩を竦めて首を振って見せる。
「だから言ったろ? 人外だから、絶対に手を出すなよ」
ボカッ
「あいたっ」
「おい、こんな可憐な乙女をつかまえて、何てことを言うんだ」
確かにパッと見は漆黒の長髪をポニテにまとめて、獰猛ともいえる端正な造りの顔に、同じく漆黒の瞳をクリクリとさせ、全身を絞り上げた筋肉にふっくらと出るところは出た抜群のプロポーションは、戦の女神とも言えるほどの絶世の美女なんだろう。
「ええー」
「何だ?」
「イエ、ナンデモナイデス」
「分かればよい」
そして、なぜか着ているのは和服――というか、巫女服だったりする。
そう、白衣と緋袴に履物は白足袋に白木の下駄だ。
しかも、ご自慢の刀を下げていないので、俺より少し背の低いスラッとした見たまんま巫女さんにしか見えない。詐欺だ。
「ギロッ」
「ナンデモナイデスヨ」
うわー、危ない危ない。なぜ、バレる?
すると、必死の勇気を振り絞ったのか、ルリが果敢に話しかけて行く。
「あなたが――ハクローくんのお師匠さんですか?」
「そうだ。ちょっと強面で人付き合いが悪いが、気にしないでくれ」
自覚はあるんだろうけど、この年になったらもう直せないんだろうな。
ゴンッ
「あいだ!」
「ジロッ」
「ナ、ナンデモアリマセン、デス」
「プッ、うふふ。あはは、白刃斎さんって、もっと怖い人かと思ったけど。とっても優しい人だったんですね。
あ、失礼しました。私、藍川瑠璃と言います。日本からの召喚者です。なぜか【勇者】なんかやってます」
ペコリとサラサラの白髪を垂らしながら頭を下げるルリに、漆黒の瞳を細めた白刃斎が憐憫を込めて微笑む。
「ほお、あなたは……そうですか。オレも同じ転移者だから――ああ、オレの場合は召喚ではなく、神隠しの類なんだが。何か困ったことがあれば、いつでも言って来るといい」
「はい、その時はよろしくお願いします」
「うむ。ところで、そこのアリスとやら」
「は、はい。あ、私は赤坂アリスです。はじめまして」
「ああ。アリスには、くれぐれもルリ様をよろしく頼む。オレの馬鹿弟子だけでは、不安なんでな」
「……了解しました」
少し考えてから、ピシッと敬礼して、アリスが真剣な表情を返す。
「ひっでー」
「まったく、この馬鹿弟子は。修行も途中でスッポかしおったくせに」
すぐさま鳴らない口笛を吹きながら、そっぽを向いて誤魔化してみる。
「クスクス……。あー、おかしい。もう、ハクローくんは。お師匠様を困らせては駄目ですよ?」
「へいへい」
ルリが鈴をコロがすように楽しそうに笑うのを、ついつい見つめてしまっていると、ぽんこつフランがエヘンと大きな胸を張って見せる。
「ルリ様には【女神様の使徒】である、この私が付いていますので大丈夫です」
そんなシスター・フランを冷めた目で見る【剣聖】に、ミラがあらたまって頭を垂れる。
「シャルール王国第一王女ミラレイア・ドグラン・シャルールです。白刃斎殿には初めてお」
「ああ、堅苦しいのは苦手でね。それに、一国の姫様が一介の平民剣士に頭など下げるものではありませんな」
王族の権威など物ともせず、バッサリとミラレイア第一王女の台詞を途中でぶった切ってしまう最強単独戦力。
「しかし、今代の【剣聖】である白刃斎殿は闘神の域におられるとも聞きます」
「神様なんて碌なもんじゃない。ああ、ルリ様すまないね――」
アリスと俺の視線に緊張が走る――が、白刃斎はそのままユウナに視線を向けると静かに黙礼する。
「今は唯のユウナと名乗っている。白刃斎も楽にするがよい」
「は」
そして妖精を肩に乗せるコロンに振り返ると、これ以上は無いというほど優しくその白銀の頭を撫でる白刃斎。
くすぐったそうに金色の瞳を細めて、銀狐の少女はしっかりとした挨拶をする。
「コロンでしゅ。はじめまちて」
「リリス=フィよ」
「ああ、コロンもルリ様を頼んだぞ。妖精のリリス=フィ殿もよろしく頼みましたぞ」
「あい。コロンもがんばりましゅ」
「わかったわ。フィに任せなさい」
それでは、とみんなを見渡してから、白刃斎は俺を見てわずかに優しく微笑む。
「必ず守り抜くのだぞ――ではな」
そうして音も無く、スッとその場で姿を消していた。
「はい、師匠」
既に消えた白刃斎に向かって、深く頭を下げるのだった。
「うっ――はあ~。本気で【剣聖】って、どうなってるのよ。何よ、今のは?」
いなくなった白刃斎の気配が完全に消えると、大きくため息をついてしまうアリス。
「ああ、師匠のあれは魔法じゃなくて、単に空間を斬っているだけだって言ってたぞ」
「だから、それが出鱈目だって言ってるのよ。敬意を払う順番も滅茶苦茶だし」
「そうか? 日本人だからか、だいたい俺達と同じだと思うぞ」
「この世界じゃ、それをメチャクチャって言うのよ」
「あー、確かに。この世界の人間の権威の代表格である、王家と教会を気にも止めていなかったからなぁ」
うんうんと頷いていると、それを聞いていたミラレイア第一王女が苦笑する。
「実は先代【剣聖】は、王国の騎士であり貴族でした。しかし、当代の【剣聖】はご本人もおっしゃられていましたが、一介の剣士に過ぎません。
しかも、その力は強大で、神の領域に届くとさえ言われています」
「それもこの世界の誰かに召喚された訳でもない、唯の流浪の異世界人ときたもんだからなぁ」
「はい。国王陛下はかの当代【剣聖】の力を目の当たりにして、同じ異世界からの勇者召喚の儀を決意したといっても過言ではありません」
「まあ、いくら強力無比でも言うことを聞かないんじゃ、国家の戦力としては計算できないからな。だったら、自分で召喚して管理下に置こうと考えるのが普通だわな」
俺達が巻き込まれた勇者召喚プロジェクトの隠された秘話を公開してくれるミラだが、別に今さら特に感慨も無く鼻で笑うしかない。
しかも、それがことごとく王国にとって、さらにはこの世界にとって最悪の展開になっていたとしても自業自得だろ? と、それこそ笑い話にしかならない。
「でもでも、いい人でしたよ~」
「コロンも好き~」
「フィも~」
無条件の好意を向けるお子様な三人に思わず苦笑していると、後ろに立つアリスがボソッとつぶやく。
「まあ、あれはハクローがどうこうできるとは思わないわ」
「そうですね。あれは無いですねぇ」
「ハク様、ないわー」
「フィも無いわ」
「そうですね。クロセ様には荷が重いかと」
「はい、姫様、あれはありません」
「無いな~。ああ、女神様。スッキリしました」
「え? 何?」
みんなのかわいそうな子を見るような視線に、訳が分からず首を捻っていると。
「クロセくん、がんば」
そう言って、『車椅子』に座ったユウナがポンポンと背中を擦るように叩いてくるのだった。
「ええー?」




