第2章13話 ダメダメなハクロー
なんだかんだと、時刻は夕方になろうとしていた。
どう考えてもユウナは疲れているはずだから、早めに休ませた方がいいだろうと思い部屋割りを確認する。
「じゃあ、今日は俺がユウナと一緒の部屋で寝るから、アリスはルリ達と一緒でいいか?」
両足の腱が治ったとはいえ、一年も歩くことの無かったユウナがすぐに一人で歩けるようになるはずもなく、夜の寝ている間にも何かあった場合や、トイレに連れて行くにしてもすぐに対応できるようにと思った――のですが。
「ダメです」
「ダメね」
「え?」
ルリとアリスから、間髪入れずにダメ出しされてしまった。しかも、ルリは紅い瞳を三角にして、小さな唇をキュッとすぼめて怒ったように凄い顔をしている。
「あー、アリスはやっぱり一人部屋じゃないとダメか?」
「そうじゃないわよ」
「そうです。ハクローくんを、ユウナちゃんと二人だけにできるわけがないじゃないですか」
そっちか。もしかして変なことでもするとか、――男として、全く信用されていないのだろうか。ルリにまでそんなことを言われるとは。
「だって、誰かが十分に歩くこともできないユウナの看病はしてやらないとダメだろう?
男は俺一人だけだし、看病は慣れてるから大丈夫だぞ。
後、ユウナに対して良からぬことを考えたりはしないからな。それは、ルリが一番分かってるだろ」
「それは分かっていますが、それでも駄目です」
「え?」
ルリが桃色をしたほっぺを、プゥと膨らませて上目遣いで、また涙目のまま睨んで来る。
見えないはずの白いウサ耳もピンと真っ直ぐに立って、まるで鬼の角のようだ。
また、泣かせてしまったようだった――が、そうは言っても病人が関わっている以上は、こればっかりはなぁ。
「ユウナも一緒にルリとコロンとフィと俺とツインベッドで寝るのは、物理的にも現実的にも無理だと思うぞ。
それともコロンがアリスと寝るのか?」
「コロンはハク様と一緒じゃなきゃ寝れましぇんから、ダメでしゅ」
久しぶりに舌っ足らずになってしまったコロンが、慌てて泣きそうな声で遮るように割って入る。
「コロンにはフィが一緒に寝てあげるわ」
「それじゃ、どうするんだ?」
すると、それを聞いていたユウナが俯きながら申し訳なさそうに小さな声でつぶやく。
「私は泊めていただけるだけで。このリビングの長椅子をお借りしますので」
「おい、いい加減にしろよ。ユウナさんに変なこと言わせるようなら」
また、「穢れているから」などと余計な事を言わせるようなら、そう考えて思わず瑠璃色に変色した瞳を細くしてしまうと。
「ハクロー、あんたこそ何考えてんのよ。怒る相手が違うでしょ、いい加減にするのはあんたの方よ。
ユウナは私と一緒の部屋で寝るから、あんたは今まで通りルリとコロンにフィと一緒よ」
「え? でもアリスじゃ、看病――面倒見れるのか?」
「夜の間だけ手伝えばいいんでしょ? 基礎レベルも上がったんだから、見るからに軽いユウナぐらい、『車椅子』でトイレに連れて行くぐらいできるわよ」
「そ、そうか……アリスの部屋は一階だしな」
少し頭に上ってしまっていた血が下りてくるのが分かったが、なぜこうまでイラついているのかが俺は自分で分からなかった。
だから、だろう。
「ああ。俺、ちょっと風呂に入ってくるよ」
そう言い残すと、トボトボと一人で灯りの消えたバスルームの方に向かって歩き、扉を開けて部屋を出て行くしか無かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
黙ったまま少し俯き加減に背中を丸めて、リビングから出て行くハクローを見送る残された者達は、今はかける言葉を持たないように、ことのほか悲しそうな顔をして、わずかなすれ違いに思いを巡らす。
「はあ~、まったくアイツは世話の焼ける。
ルリ以外のみんなには、この世界に召喚された時のことを話しておく必要があるわね」
そう言って、アリスは紅と蒼のオッドアイでテーブルを囲んで座るみんなを眺めると、もう一度だけ小さなため息をつきながら話し始める。
「私とハクローとルリがこの世界に召喚された時、ルリは心臓が止まっていたわ」
息を呑む何人かと、それを知っていた者達が眉を寄せるのに構わず、部屋の天井を見上げると話を続けた。
「回復魔法が効かないルリに、救命救急の経験があるハクローがいなければ、もしかしたらその場でルリは死んでいたわね。
その後も、王国は目も口も利けず、指一本すら満足に動かすことのできないほど病気で衰弱していたルリを、入院の名目で病室に放置したわ。
そんなルリを、たった一人で昼も夜も看病し続けたのがハクローなのよ。
こんな世界に無理やり連れて来られて、右も左も分からないというのに、私ですらルリにしてやれることは限られていたというのにね。
今でこそ正直に言うことができるけど、現実的な戦力以前に役立たずと見限られていたルリは王国に殺される可能性があったから、ハクローはほとんど片時も離れずにずっと寄り添って面倒を見続けていたわ」
目を見開いて愕然とするみんなに、バスルームの方をどこまでも澄んだ紅い瞳で静かに見据えるルリが続けるようにつぶやく。
「ハクローさんは小さな頃、お母さんを病気で亡くされています。その最後は当時の私のように、病室で動くこともできない状態だったようです」
「そう……だったの。まあ、そんな訳でアイツはこれからも、ユウナの看病を自分から率先してやると言うと思うのよ。
だから、みんなにも協力して欲しいかな……早くユウナが元気になるようにね。
そしてユウナには大人しくアイツに看病されてあげて欲しいのよ、あんなヘタレの看病なんて嫌かもしれないけどお願いよ」
そうしてみんなにペコリと頭を下げるアリスに合わせて、より深々と頭を下げるルリ。
「おねーちゃんですから任せてください。それと私からもよろしくお願いします」
ようやくみんなが、ハッとしたように我に返ると。
「コロンも、お手伝いもお料理もがんばるのでしゅ」
「フィもがんばる~」
「そうですね、みんなでユウナ様が早くよくなるようにお助けいたしましょう」
「はい、姫様。細々したことは、私が準備だけはしておくようにいたします」
「勿論、ルリ様にご協力させていただきますよ。教会の孤児院にいたので、小さな子の看病は得意です」
すると、やはりバスルームの方をじっと見ていたユウナが、ポツリとつぶやく。
「やはり私はここにいない方が良いのでは」
「それ以上はアイツのためにも、言わないでくれると嬉しいわね」
ものすごく泣きそうな顔をしてアリスがそれでも微笑みながら、ユウナに向かって少しだけ小首を傾げて見せるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
湯上りにふと思いついて、――別にリビングに戻りにくいという訳でもなかったのだが――そのまま二階の部屋にも戻らずに、さらに階段を上がってすっかり日が落ちた屋上に出る。涼しい夜風の中、天を見上げると星降る夜空というやつがそこにはあった。
素ボケら~、と白い木製ベンチに座って夜空を仰ぎ見ていると、屋上に出てくる人の気配がして、薄いワインカラーのネグリジェにカーディガンを肩にかけたミラが静かに一人だけで姿を現す。
「私もご一緒してもよろしいですか」
「ん? ああ」
あのいつも付き従う侍女のクラリスが一緒じゃないなんて、珍しいこともあるもんだ。
「では、お隣に失礼しますね」
そう断ってから、音も無く気品のある仕草でベンチの隣りに腰掛け、こちらをチラッと覗き込むようにする。と、やっぱり――ふんわりといい匂いがしてくる。
それでも、天空を見上げたままでいると、ミラが同じように空に向かって柔らかい声でつぶやく。
「王都と違い、とても星が多くって手が届きそうです」
「ああ、周りは人が全然住んでいなくて灯りが無いから、星がよく見えるんだろう。ほら、流れ星もよく見える。
俺達の世界では流れ星が見えている間に、三回願い事を唱えると願いが叶うって言われていて、これならいくらでも叶え放題だな」
この世界には【詠唱短縮】スキルもあるしな――【無詠唱】じゃ駄目、なんだろうな。
「それはまた、とってもロマンチックな言い伝えですね。私も、何かお願いしてみましょうかしら。
クロセ様は、どのような願い事をお願いするのですか?」
「そうだな――今は、ユウナさんの体調が早く良くなるように、かな」
上級回復ポーションと上位回復魔法と超位回復魔法の重ね掛けで、ユウナの骨折や裂傷はほぼ完治してはいたが、食事を極度に制限されていたらしく、痩せ細った身体と筋肉に復元されたばかりの足の腱そして体調は、すぐに元通りという訳にはいかなかった。
「そうですね。その通りですね。それに、私達も一緒に看病のお手伝いをしますからね」
「……ああ。本当にそうだといいな」
少し言葉を濁しながら、さっきと同じ心に引っかかるものを感じつつ、なぜか曖昧に返事を返すしかなかった。
「クロセ様、王都を出た今は、これまでとは周囲の環境が違ってきています。
ルリ様やコロン様達もそれは敏感に感じ取っておられるようで、少しのことで不安になることもあると思います。
そんな時に、クロセ様が突然目の前に現れたユウナさんの名付け親になった上に、自分達にしてくれたように全面的な看病体制に無条件で突入しようとしているのを、心優しい彼女達でも黙って見ていることはできなかったのでしょう」
「けどな……」
優先順位だけで判断していいことでは無いことは分かるし、ここで面倒くさいとか思ってはいけないのも分かるが――それでもなぁ。
「さっきも言いましたけど、以前とは違って今はクロセ様お一人ではないのです。頼り無いかもしれませんが、すぐ傍には私達もいるのですよ。
それに私からすれば、みんなはまだ小さな女の子です。しかも、乙女心は複雑なんですよ。
クロセ様も今はちょっと余裕が無いのは分かりますが、後で取り返しのつかないことにならないように、今の時点で少しでも配慮された方がよろしいかと」
ヘタレの駄目男に何を期待しているんだ。お年頃の女の子の考えなんて、俺に分かるはずもないだろうに。
でも、わざわざ年長者としてミラが苦言を呈してきたんだから、ここは諦めずに素直に言うことを聞いておくところなんだろうな。
まあ、老婆心とも言うが。
「ジロッ。クロセ様、今何かよからぬことを考えましたね」
「ソ、ソンナコトハアリマセンヨ」
ヤバイ、ヤバイ、風呂から出たばかりだというのに、ドッと冷や汗が出たぞ。
「くすっ。頑張れ、男の子」
切れ長の翠瞳を細めてイタズラっぽく小さな少女のように微笑むと、そう言って俺の頬に手を添える。
風呂上がりで少し火照っていた顔にひんやりした指が触れると、近づき過ぎたミラの美しい顔もわずかに朱に染まって、やっぱりいい匂いがするのだった。
「ああ、ありがとう。ミラはやっぱり、いいお姉さんなんだな」
「わ、私はそんな……駄目な姉でした」
王城の自室に引き篭もっていたことを思い出したのか、シュンとしてしまうお姫様。
「そんなことはないぞ、見送りに来ていたマリーアンヌ第二王女には慕われていたようだし。
それに俺の姉貴達六人に比べればよっぽど優しいし、温かくて――それから、とってもいい匂いもするし、な」
コツンと俺のおでこを、ミラのおでこにぶつけると、お姫様はその切れ長の翠瞳を一瞬まん丸くして、――クスクスと二人で顔を寄せ合って笑うのだった。
「そうだな、俺も頑張ってみるよ」
「うん、がんばれ」
顔を寄せて笑い合う二人を、階段からコッソリと覗いているメガネに月明かりが反射して――クラリスさん、何で親指なんか立ててるんですか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
部屋に戻ると、ベッドサイドの光の【魔石】の灯りだけがついていて薄暗い中、結局は今まで通り一緒に寝ることになった、ルリとコロンとフィがシーツを顔の半分までかぶって、ベッドからチョコンと頭だけを出してこちらを見ていた。
「はあ~、――さっきは悪かったな。ようやく慣れてきた環境が変わってしまって、不安になるのは分かるから。だから落ち着くまでは、しばらくはこのままでもいいさ」
「ううん……」
「う……うう」
ルリとコロンがシーツから出した瞳に溜めた涙を【魔石】の灯りにゆらゆらと反射させながら、ふるふると首を振る。
「フィも~」
お子様のフィは真似しているだけのようだけど。
わずかに苦笑しながらシーツの端をめくって、いまだに寝るときには俺のTシャツを手離すことができない小さなコロンの横に身体を滑り込ませる。
「さあ、今日はもう寝ようか」
「あ、あれ? くんくん、ハク様からミラ様の匂いがしましゅ」
白銀色の狐耳をピコンと立てたコロンが、シーツから少しだけ出した鼻をヒクヒクさせる。
「ギクッ。あ、ああ、さっき屋上で涼んでいたら、後からミラも来たんで一緒にね」
「じぃ~~~~」
染めた頬を膨らませてたルリが、涙を溜めたままの紅い瞳を三角にして睨みつけてくる。
「はあ~、ミラにはルリとコロン達を不安にさせるなって怒られたよ。その……すまなかったな」
隠すことでも無いのでそう素直に白状して、シーツから覗いている三人の頭を丸ごと包み込むように抱きしめる。
「俺も頑張るからさ――足りないところは、助けてくれると嬉しい」
「……う~、うう~」
「……ハク様」
「フィは? ねえ、フィは?」
抱きしめた三人の甘い香りに、少しだけドキドキしながら――何やってんだ俺は、と我に返って。
「そ、そうだ手始めに、ルリの『車椅子』をユウナさんに貸してもいいか?」
「もちろん! おねーちゃんだからね!」
「はい、コロンが押してあげましゅ」
「じゃあ、フィも~」
思わず抱きしめてしまっていた三人を解放すると、照れ隠しのように頭をかく。
「ありがとう。みんなで、ユウナが早く元気になるように面倒を見てやろうな」
今の俺は物凄く馬鹿みたいな顔をして笑っていたはずだ。




