第2章11話 ユウナ
しばらくそのまま走って、街道沿いの林の中で少しだけ開けた場所にビーチェが馬車を停車させると、すぐさま【砂の城】を取り出して展開する。
助け出されたエルフの少女はルリとコロンが一緒にお風呂に入れてくれて、湯上りに着る物はとりあえずルリの部屋着を身に着けてもらったようだ。
さっきまで砂埃に塗れてくすんだ灰色だった髪と、血などで薄汚れて黒ずんでいた肌は、綺麗にシャンプーとボディソープで洗われて、さらさらに輝くプラチナブロンドの長髪と透き通る白磁器のような白い肌になっていた。
お風呂に浸かって少しは安心したのか、表情もさっきよりは柔らかくなったエルフの少女に、順番に俺達の自己紹介をしていく。
のだが、さっきから気になってしょうがなかったらしいルリが、ウズウズしながらも恥ずかしそうに少女に訊ねる。
「もし、失礼だったらゴメンねぇ。その尖がった耳っていうことは、エルフさんですか?」
「はい」
綺麗なガラス玉のような紫色をした瞳を静かにこちらに向けて、嫌がる様子も無く淡々と答える少女。
「「「おおー!」」」
やっぱり本物のエルフなんだ……異世界ファンタジーだなぁ。
確かに、この異世界に来て始めて見るのか――と思い出したように、顎に人差し指を当てたアリスがつぶやく。
「そういえば、王都でエルフ族って見なかったわよね」
「森の民であるエルフ族は世界樹のある、ずっと北のノーウィジアの森からあまり出てこないので、王都でも駐在大使の他はほとんど見かけることが無いはずです」
「はい、姫様。それに男女を問わず容姿が飛びぬけて美しいエルフ族に、王国でも恥ずかしながらよからぬことを考える者も多いので……」
この世界のエルフ族に関する国際情勢を披露するミラに、クラリスがいつも通り捕捉するが、後半は少女の前で悔しそうに小声になってしまっていた。
でも、あるんだ世界樹……やっぱりこの前見た精霊樹よりもデカいのかな。
「でもやっぱり、エルフさんって綺麗なんですねぇ」
「む、胸はさすがにエルフには負けなかったわ」
紅い瞳をキラキラさせながらルリは、その完璧な美貌のエルフの美少女に見とれているのだが、逆にホッとしたようにブツブツとつぶやくアリスが対照的だ。
しかしこのエルフさんは痩せ細って、身長もコロンより低くてどう見ても中学に入学したばかりぐらいにしか見えないんだが、それで比較していいのかアリス。
「ところで、お名前は何と言うのですか?」
みんなで自己紹介をしても、そしてここまで話をしてもその少女は名前を教えてくれる様子がないので、仕方なくルリが優しく聞いてみることにしたようだ。
「名前はありません」
平然とした様子でポツリとつぶやくエルフの少女に、こんな所に地雷があるのかと、全員で黙って冷や汗を流す。
「……え?」
「かつて呼ばれていた、ホムンクルス体の製造番号なら」
「「い、いや! ……もういいです」」
この時点ですでにヤバさマックスで、アリスと俺が少女の言葉を咄嗟に遮って断る間に、他の全員がその視線を少女から逸らしてしまう。
しかもさっき、ならず者達に――めった刺しにされていたので、私刑だろうか――殺されていたのはブヌトー公爵だったので、この少女がミラとクラリスが言っていた公爵屋敷の地下牢から連れ出されて、行方が分からなくなっていたエルフの少女で間違いがないようだが。
覚悟を決めたように姿勢を正したミラレイア第一王女が、しかし目線の高さを合わせるようにして優しく問いかける。
「できる範囲で構わないのですが、他に何かお話しいただけることはありますか?」
するとエルフの少女はおもむろに、まるで俺達が異世界人であることを承知しているかのように、静かな口調でこの世の有り様について語り始めた。
「ご存知のとおり、この世界には神様がいます」
「「え?」」
「……神?」
異世界人のルリとアリスに俺がぎょっとしていると、横からひょこっと顔を覗かせた神聖教会の修道女である、シスター・フランがドヤ顔で、ふふんと自慢気に捕捉する。
「そこは女神様の使徒であるこの私、フランチェスカがご説明いたしましょう。
神様、特に女神様は身近な存在として私達庶民にも良く知られ、実際に人々が住まう地上に降臨されることもしばしばです。
その中でも、生まれは人の身でありながらも神様へと昇格されようとされている半神が【神人】と呼ばれ、最終的にその肉体を捨てて完全な神様の位へと至ることになると言われています。
代表的なのはジュネヴァン連邦国の聖域セルヴァンにおられる、【純潔の女神】アルティミス様です。
人であった頃のお名前はもう知る者はありませんが、現界されなくなって久しい【愛の女神】ヴェヌス様の御子であるとの言い伝えもあります。
他には最近お姿をお見掛けしない【月の女神】セレーネ様や――【自由の女神】様は今も時々各地に予告なく降臨されていますね」
そして、エルフの少女があくまで表情を変えることなく、続けるようにこの世の神に関する驚くべき真実を語る。
「何年か前に、理由は……不明ですが、不死身の肉体を持つはずの【神人】である、【純潔の女神】アルティミス様の身体が維持できなくなることがありました。
この世には【神殺しの剣】も存在するくらいですから、そのこと自体はありえない話ではありません。
そこで急遽、数年の時間をかけて急速成長させて作られたのが、代わりの器として依代となる、数体の生き写し姿をしたホムンクルス体でした。
そのとき使用されなかった予備の器の一体が、後に忌み子と呼ばれ、女神アルティミス様の新しい身体が安定したことが確認できると廃棄されることになった、この私になります」
「「「「「「「「え……?」」」」」」」」
今、サラッと聞き捨てならない台詞を耳にした気がしたんだが。みんなも同様だったのか、さらに空気が急速に変わる。
「しかし、数年とはいえ育ててくれていた養育係が私を不憫に思ったのか、国外に逃がしたのです……が、そこであの公爵に騙され捕まってしまいました。
【純潔の女神】アルティミス様に生き写しの私を、暴行し凌辱して穢すことに大変な喜びを覚えたらしい公爵は、私の両足の腱を切って逃げられないようにすると、そのまま屋敷の地下牢に閉じ込めてしまったのです」
ここで、ようやくこれまでの状況が理解できてきた、ルリやミラ達の顔色が急激に悪くなる。
「今回、王国に居場所が無くなったらしい公爵は、身の安全のため禁忌である私を連れてジュネヴァン連邦国へ行って、取り引きを持ちかけるつもりだったようです。
なお、このことが露見すると、大きな国際問題となることは間違いありませんので、口外無用でお願いします。
ああつまりは、穢れたこの身に関わると、皆様の命の保証が無くなるということです」
とうとう、国家間規模にまで大きくなり過ぎたエルフ少女の話に、みんなは眉間に皺を寄せて黙り込む。
中でもルリは既に滂沱の涙に、桜色の唇をアヒルの口ばしのように曲げて、ついでに俺の左手をしっかり握って離そうとはしない。少し爪が食い込んでいるが、気づいてすらいないようだった……しまった、かな。
コロンとフィは自身が元奴隷の身だったことを思い出してしまったようで、今はもう無いはずの【従属の首輪】が本当に無いことを確認するかのように、自分の首筋に手をやって触れたまま俯いている。
最悪の場合は自分の身がどうなっていたかを、現実の物として聞かされたようなものなので、二人共がわずかに細めた瞳の奥を揺らめかせていた。
こっちも……いまさら思い出す必要もないことだ、しまった。
ミラとクラリスは王国の公爵という立場の、しかも自分の叔父がしでかした身勝手な不始末に、懸命に奥歯を噛みしめながらも、政治的な状況判断に思考を巡らせているようだ。
それはそうだ、王国どころかジュネヴァン連邦国とやらにも知られただけで、絶対に碌でもないことにしかならない予感しかしない。
神聖教会のシスターであるフランは信仰対象である、女神の隠された悲惨な現実が受け止めきれないのか、涙を溜めた瞳を零れないように見開いて、祈るように両手をきつく握りしめたままだ。
しかし、この世界の女神とやらが、真に神へと至る前の自分の延命だけのために、ホムンクルスだかクローンのようなものを創造して、あげく不要となったその意思のある存在を闇に消し去るような奴だとすると、最初からこの世界は救いの無いぐらい駄目なんじゃないだろうか。
そんな絶望的な思いに――――それでも、たとえ神がそんな碌でも無い奴らだったとしても、俺達は絶対に負ける訳にはいかないのだった。
俺の左手を握るルリの青ざめた顔を横目にしながら、そう……もう一度、心に誓う。
そうは言っても、今はしょうがないので小さくため息をつきながら、椅子に座るエルフの少女の前に膝を付くと、スリッパに裸足のままでそろえられている不自然に細い両足首にそっと触れるように右手を差し出す。
「痛くは無いと思うけど、動かないでね。まずは……【ライフセーバー(救命)】」
「あ」
少女の切断されて異常に細くなってしまっていた両足首が淡く光ると、時間をかけてゆっくりと切られて失われていたアキレス腱が再生していく。
くそ、やはり超位回復魔法になると、魔力消費がべらぼうに桁違いになる――それに、また脂汗が滲み出て来た。
しかし、ようやくこの場所に連れて来て、初めて少しだけだがエルフ少女の表情が動いたようだった。
「よし、超位回復魔法でなら治るようだな。欠損や損傷からそれほど長く時間が経過していなければ、問題なく治療が可能というのは本当みたいだ」
「私が監禁されて、まだ一年は経っていないばずです」
エルフの少女は少し考えるようにして、相変わらず表情を変えることなく冷静にそうつぶやく。
ここで、ルリが再びボロボロと涙を零す。自分の意志に反して一年近くの長期間に渡り自由を奪われるというのは、自分の実体験からも、ルリにとっては徹底的に駄目みたいだった。
特にこのエルフの彼女の場合は、ド外道のエロ豚糞公爵に、その女性としての尊厳すら踏み躙られ続けていたんだから尚更だろう。
ルリが両手でしがみつくように握る左手に少しだけ力を入れて握り返してから、しゃがんだままエルフの少女に目の高さを合わせて問いかける。
「次にだが、名前が無いのは呼ぶのに不自由だから、何かないか? 希望とか、要望とか」
「え?」
少しだけキョトンとしたように小さな唇を開けると聞き返してくる。
冷たい印象の無表情が彼女のデフォルトかと思ったが、分かり辛いが実は意外と表情が豊かなのかもしれなかった。
「特に無いようなら、俺達が君に良いのを考えてみるけど……俺はセンス無いからな、誰か」
「ポチ」
「たま」
「コロ」
「……おい」
コロンとフィのお子様二人はともかく、フランまでそれは犬猫ペットの名前じゃないか。
嫌いな名では無いが、――むしろ、もふもふを連想するその名は大好きだったりするんだが――流石にお年頃の美少女に、それではあんまりにもかわいそうだろう。
「自分の名前なんだから、嫌ならちゃんと言うんだぞ?」
「なにが?」と言ったように、小首を傾げてみせるエルフ少女に、心配になって周りを見回すが、視線を逸らせたまま、名づけ親に名乗り出てくる者は誰もいない。
何故だ。しかし、困ったぞ。
「……じゃ、『ユウナ』は――どう?」
名無しじゃかわいそうなんで、ここに有る名と言うのではどうだろうか。
本当は本人の意見とか特徴とかを参考にした方がいいんだろうが、センス皆無でヘタれな俺ではこんなもんが精一杯だったりする。
どうせまた、アリスにボロ糞に言われることになるんだろうとは思うが。
すると、エルフの少女はそのプラチナブロンドの髪を、サラッと傾かせてつぶやく。
「ゆうな……」
「「「「「「「おー……」」」」」」」
「うん、ユウナがいい」
みんなが拳を握りしめる中、ハッキリとした口調で、そう口にするのだった。そうして、ようやくみんなからも、ホッとしたような歓声が上がる。
「「「「「「「おぉーっ!」」」」」」」
「じゃ、ユウナさん。これからよろしくな」
と、コロンよりも少し低いだろう頭を思わず撫でる。なでなで、なでなで。
無表情な顔が一瞬だけポカンとして、透き通った紫の瞳の奥がゆらゆら揺れる。何かが滲み出てくるように、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れる。
――名無しの【人造ハイエルフ族】の【ユウナ】に『名付け』による契約を実行しました。
くっ、脳内インフォメーションが聞き慣れない言葉を羅列する。
しかも、ユウナの言っていたのと同じぐらいの、かなりヤバ気で嫌な予感しかしない文字列に、すぐさま【解析】でユウナのステータス情報をチェックすると。
名前;ユウナ
人種;人造ハイエルフ族
性別;女
年齢;3才
レベル;Lv1
職業;【予言者】
スキル;【射撃Lv0】【命中Lv0】【銃剣術Lv0】
何だ、このステータスは――もはや、どこから突っ込んでいいのか分からないぞ。




