第2章10話 エルフの少女
今朝は何だか巨大な鶏に追いかけられるチキンランな夢に、叩き起こされるように目が覚めた。
「うう、しばらくマジで鶏は見たくないな」
悪夢で寝ぼけた頭を振り払うように、村の外れの【砂の城】の前で剣術の朝練を始めると、白い長髪を珍しくボサボサにしたままで、後ろにシュシュでひとつにまとめただけのルリが、ゆっくりとした足取りで出てきた、のだが。
「ふえ~、ハクローくん。おはようごさいます。
酷い夢を見ました――鶏冠をピンと立てたチキンな人々と、焚火を囲んでマイムマイムをエンドレスで延々と踊り続けるという、終わりなきナイトメアな」
「そ、それはかなりシュールで怖いな」
とにかく、サクッと朝練を終えて、コロンとクラリスの作る朝ご飯の準備を手伝うことにする。
ところで窓から見えるダイニングテーブルの上にデロ~ンと伸びているのは、フィか――あれは腹が減ったんだな。
昨晩はみんなの分もチキンをほとんど一人で食べたはずなんだが。
◆◇◆◇◆◇◆◇
朝食を済ませてから馬車で村を出て、しばらく走っていると小さな林へと入る。
木漏れ日が綺麗な木々の間の街道を、気持ちの良い涼しい風を受けて、森林浴のような気分でビーチェが馬車を進めている。
大きな森から離れた位置にあり、魔物も出ないような小さな林らしく、すぐ抜けられるようなのだがその後はずっと荒野になってしまうとのことなので、林の中の街道沿いの原っぱで少し早いが昼食を取るために準備することにする。
「昨日の村で買った新鮮なお野菜が沢山あるので、お昼はサラダパスタとトマト味の簡単ポトフでしゅ」
時間も少し早めなので、お野菜を中心にしたこだわりメニューにして、馬車のミニキッチンで準備を始めるコロン。
するとドタドタと転げるように馬車の奥の部屋からすごい勢いで飛び出してきたシスター・フランが、馬車の外の白い椅子に腰掛けてカトラリーを白い丸テーブルに並べていたルリの前に跪いて神妙な面持ちで告げる。
「たった今、女神様の神託がありました。あちらに【予言者】が」
そうして、これから向かう林の出口があるはずの方角を指差す。
またいつものヤツで素ボケているのかと思いながらも、【ソナー(探査)】の索敵範囲をギリギリ最大限界まで広げると、確かに進行方向の更にだいぶ先で数人と馬車だろうと思われるマーカーが確認できる。
「でも様子が変だぞ。これは……マーカーが点滅しているけど、戦闘中なのか?」
「ハクローくん、あそこにいるのは……急いで、お願いします」
同じくまるでずっと向こうが見えるかのように紅い瞳で一点を見据えたルリが静かに――しかし、しっかりした声色でつぶやく。
「ちぃ、またか!」
小さなコロンが襲われていたときと同じようなルリの様子に、嫌な予感がビンビンとアラートを告げる。
洗ったばかりの野菜が入ったボールを丸テーブルの上に置くと、すぐさま【時空収納】から取り出したサーフボードへ足を乗せながら【波乗り(重力)】を緊急発動すると一人、初速から最高速度でマーカーが差す方向を目がけて空中を駆る。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「くそっ、ギルドの冒険者は言うことを聞かない、スラムの傭兵も駄目。仕方なく、ならず者を連れてくれば!」
林を抜けた荒れ地に入ったばかりの街道で、豪華な馬車から引きずり出された腹の大きな男が、脂ぎった汗を飛び散らせながら喚き散らしていた。
そんな脂肪が垂れ下がった顎にショートソードを突き付ける無精ひげの男と、それを取り囲む数人の男達は、装備はまちまちで安物の有り合わせといった、見た目はそのままのならず者や下手をするとまるで盗賊にも見えてしまう。
「ブヌトー公爵! よくも娘を!」
「知らん、知らん! だいたい平民の娘なんかいちいち覚えてられるかっ」
吐き捨てるように後ろを向いて、出っぱった大きな腹を揺らして走って逃げ出だそうとするが、そんな逃亡を殺気立った男達が許すはずもなく、背中から問答無用で斬りつけられると、あっという間に繰り返しメッタ斬りにされる。
「き、貴様ぁ! これでもくらえぇ」
「ぎゃああああ! 助けてぇ――――」
背中から血飛沫を飛び散らせながら、前のめりに地面に突っ伏して倒れ込む公爵に、取り囲んでいた血走った目の男達も抜き放った短剣を我先にと突き刺す。
「くそぉ! 妻の仇だっ」
「ぎゃ! 助けてぇ――――」
「こいつめ、俺の妹を返せ!」
「ぐわあああ! 助けてぇ……たすけ……て――――」
めった刺しにされても素人による刃物の扱いのためか、すぐに死ぬこともできずに荒れ地の乾いた砂に脂ぎった顔を突っ伏して、涙と鼻水と涎と脂汗を滴らせながらも、口から溢れる鮮血でだんだん血溜まりとなった中で溺れるように喘ぎ続ける。
「ぐへへ……会いに行くんだ、ワシの……ワシだけの【純潔の女神】……アルティミス……ごふっ―――――」
「し、死んだか?」
動かなくなった公爵の死体を取り囲んで思い思いに蹴り飛ばしながら、ぐちゃぐちゃに涙と鼻水を垂らしながら男たちがそれぞれに叫ぶ。
「やった、死んだぞ」
「殺してやった」
「仇を取ったぞ」
そして真っ赤に血走った目を馬車に向けると、中で倒れている痩せ細ったエルフの少女を睨みつけ、縛られたままの両手を引きずって外に放り出す。
「なんで、お前だけ連れて逃げてるんだよ」
「俺の娘は殺されたのに、なんで」
「妻は死んで、なぜお前だけが生きてるんだ」
そして、引きずり出した少女のプラチナブロンドの長髪を鷲掴みにすると、乱暴にうつ伏せに押し倒してしまう。
足の腱を切られて立てないために這って逃げようとする少女を、荒れ地の砂地に力尽くで押し付けると、下半身を出して後ろから覆い被さる。
ギシギシッ、ギシギシッ、また繰り返される行為に、砂利の擦れる音が軋む。
ギシギシッ、ギシギシッ、顔に食い込んだ砂を噛む唇から、血が滴り落ちて身体が軋む。
ギシギシッ、ギシギシッ、少女の縛られた両手が助けを求めて伸ばされて、潰された心が軋む。
傷だらけの素肌をさらしたエルフの少女に後ろからのしかかったまま、髭面の男が引き抜いた剣を両手で少女の頭上に向けて、狂ったように叫びながら振りかぶる。
押し付けられた砂利が目に食い込んで血の涙を流しながら、少女は擦り傷だらけの汚れた顔を上げると、青く澄んだ遠く空の向こうの何かに必死に手を伸ばす。
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ただ一人、【遠見の魔眼】でその様子を見ていたアリスが、馬車を停めた草原で大きな声を上げて叫ぶ。
「まずい、ハクロー! 間に合わないっ!」
その周りで、飛んで行ってしまったハクローを心配そうにしていたルリ達が、叫び声にギョッとして振り向く。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「くっそおっ、【ビーチフラッグ(加速)】! 【チューブ(転移)】!【チューブ(転移)】!」
雲ひとつない青空から多重化された魔法陣に後押しされるように空間を切裂いて、『蒼い光弾』が飛翔して来る。
その瞬間、髭男の振り上げていた両手が、剣を持ったまま中空に斬り飛ばされてしまう。
「ぎゃあああああ!」
両手から血を吹き出しながら、下半身を出したまま後ろに倒れ込む髭の男の周囲で、ぎょっとして剣を抜いていた男達の目の前を『蒼い光弾』が煌きと共に高速回転する。
「なんだってぎゃああ!」
「やめ、俺たちはぎゃあああ!」
二人の剣を持った腕も鮮やかな血を撒き散らしながら、くるくると回転しながら宙を舞う。
「はぁはぁはぁ、こいつら真昼間っから何やってやがるんだ!」
抜刀した直刀【カタナ】に付いた血糊を振り飛ばして鞘にしまってから、髭男の体液と鮮血を背中からかぶってうつ伏せに倒れている少女に駆け寄る。
「もう大丈夫だぞ!」
「う……うう……」
そっと抱き起こして、上級回復ポーションを半分だけ開いた小さな唇に少しづつ流し込みながら、ぐしゃぐしゃに乱れて頬に張り付いたプラチナブロンドの長髪をゆっくりどけてやる。
「すまないが、最大戦速で飛んで来て、最後に転移魔法まで連続発動したから、もう回復魔法を使えるほどの魔力が残ってないんだ。悪いがこのまま歩いて帰ることになるけど、勘弁してくれ」
行ったことの無い場所に転移するのは、やはりこの前と一緒で異常なほどに魔力の消費が激しかった。
綺麗なアメジストのような紫の瞳を薄っすらと開けて、小さく呻く美麗な顔立ちの少女に、そう一言詫びてから、【時空収納】から取り出したスポーツタオルで全身にこびり付いた汚れを丁寧に拭き取る。
そして、新しいバスタオルで傷だらけの身体を優しく巻くと、横にしてそっと抱き上げた。
すぐそばで肘から先を切り飛ばされて、血と涙と涎と尿とその他の体液を垂れ流しながら、蠢いている男達の腕に向かって、取り出した安物の回復ポーションをぶっかけて最低限の止血だけはしてやる。
そして後は振り向きもせずに、たった今飛んで来た仲間のいる馬車の方角に向かって、少女を抱いたまま街道を歩いて戻り始めた。
魔力残量が極端に少ないため酷い倦怠感に、ふらつく足取りをなんとか踏み出しながら、胸に抱き上げた少女の身体の怪我の状態を【解析】すると、体中に打撲、内臓も損傷、骨にも各所にひび、肛門にまで裂傷、果ては両足の腱が切断されているという、信じられない状況に言葉も出ない。
血溜まりに埋もれて事切れている、切り刻まれてズタズタになったブヌトー公爵の死体を、すれ違いながら横目で睨みつけながら、確か屋敷から地下牢のエルフの少女を連れて姿を消していたはずだ、と思い出していた。
「こいつだったのか……マジで最低のクズ変態野郎だったな」
ギリッと奥歯を噛み締めながら、横抱きにした傷だらけの少女をできるだけ揺らさないように気をつけながら、フラフラと歩き続けるのだった。
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林の中の草原に停まっているはずの馬車に向かってトボトボと歩いて戻っていると、慌てて迎えにやって来た馬車から、飛び出して来たアリスがすぐにバスタオルに巻かれた少女を引き取ると、後部座席のソファにそっと寝かせる。
「ひとまず上位回復魔法をかけておくから、後でハクローの魔力がある程度回復したら、超位回復魔法を使ってあげて。
この切れて失われた両足の腱は、私じゃ復元できないと思うから……」
「ああ、頼む」
眉間に深い皺を刻んだまま、小さな声で俺にだけ聞こえるように囁くアリスに、ふらつきながらも喘ぐように頷き返す。
「喉は乾いていませんか?」
「温かい飲み物あるでしゅよ」
「おいしいよ」
「濡れタオルでもう一度、お身体を拭きましょうか」
「姫様、私がやりましょう」
「【予言者】様……ううぅ~」
一緒に揃って馬車で迎えに来てしまったみんなが、心配そうに代わる代わる横たわる少女を取り囲む。
しかし、横になっていた少女は透き通った紫の瞳をうっすらと開けると、擦れた小さな声で思わぬ言葉を口にする。
「皆様、助けていただきありがとうございます。しかし、私は穢れていますので……」
その一言に、一部始終を【遠目の魔眼】で見ていたアリスは、血が出るほど唇を噛んでしまう。
状況が分かっていないルリ、コロン、フィ、ミラそしてクラリスにフランが、その言葉の意味するところをとらえ切れずに、しかしその明らかに不穏な言葉に眉を寄せる。
そして、耐え切れずにとうとう顔を背けてしまったアリスに、仕方なく静かな声で頼むことにする。
「少し先まで行って林を抜ける前に、街道沿いの開けた場所に出たら【砂の城】を出してお湯を張るから、ゆっくりお風呂に連れて入ってやってくれるか」
「……うん」
振り返ることもできず、震える声でかろうじて返事だけを返して来るアリス。
「すまないがルリとコロンも、一緒にお風呂で彼女の汚れを流すの手伝ってあげてくれるか。フィも頼む」
「……はい、分かりました。ハクローくん」
「……ハク様、はいでしゅ」
「フィも、分かったわ」
この異常な状況に戸惑いを隠せないまま、それでも必死に頷いて見せるルリと小さなコロン、そして妖精のフィ。
「悪いけどミラとクラリスは、何か着替えがあったら貸してやってくれるか」
「はい、クロセ様」
「姫様と私ですべてご用意いたします」
そんな中でも年長のミラとクラリスの二人は、しっかりとした口調で頷き返して来る。
すると、既に涙目のぽんこつフランが自分自身を指差しながら。
「ハクローさん、私は?」
「あー、フランは……別に」
「ええ~、ううぅぅ~……」
「こら、泣くなよ。わかったよ。後で【予言者】についても彼女に話を聞きたいから、今は女神にでも祈っておけ」
「はい! 女神様にお祈りしていますっ」
とりあえずはビーチェが操る馬車で開けた場所を見つけて【砂の城】を出してから、お風呂に入ってもらって――傷ついた少女から話を聞くのは、ひとまずは時間を少し開けてからにするとしよう。




