第5章45話 白いイベリスの華
その時、すぐ後ろから精神的に悪寒を感じる大声に驚き、つい足元が疎かになって金属鎧の騎士さんを踏まないようにしたら、何かにけっつまづいてしまっていた。
後は視界がグルグルして、気がついたら大きなお城の前で沢山の騎士団員たちに取り囲まれてた。
あれ?
ギョッとして振り返ると、中空に浮いた転移門が目の前で閉じられてしまうとこで。
思わず右手を伸ばしたそこには既に何も無く、虚しく手は空をつかむ。
たった一人ぼっちで、知らない場所に取り残されたことに気がつくのに、そんなに時間はかからなかった。
「やったぞ、作戦成功だ!」
「【精霊使い】に違いないっ」
「多少手荒にしても構わん、確保しろ!」
周囲を取り囲んだ大柄な騎士団員たちが怒声を上げながら、銀色の金属鎧をガシャガシャ言わせて近づいて来る。
ハクローくんがいない、その事実に身体中の血液が凍り付いたように冷たくなっていく。
次の瞬間、頭上に顕現した超位精霊と高位七精霊が周囲を守護するように立ち塞がっていた。
「おおっ、精霊様だ!」
「やはり【精霊使い】だっ」
「まさか高位精霊が八体だと!」
「何としても捕らえろ!」
「精霊結界に魔術結界の、多重結界だと?」
「この結界、破れんぞ!」
「構わんから、攻撃魔法で結界を破壊しろ!」
どうしよう、どうしようと、冷たくなっていく指先を握り締めて震えていると、閃光に爆炎が辺り構わず降り注ぎ始めて。
ついには目を瞑って「ハクローくんっ、たすけてぇ!」と、喉を嗄らして叫んだのを最後に、白髪を投げ散らかして倒れたルリは、漆黒の闇に沈むように意識を失ってしまう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ほら、綺麗でしょ? ふわふわの砂糖菓子のような、キャンディータフトっていう白いイベリスのお花なんだよ」
真っ白な病室の窓際に置かれた、鉢植えを覗き込むようにして妹――詩織ちゃんが中学校の制服姿で微笑んでいる。
開かれた窓から入り込んだ春風は、真っ白なレースのカーテンをやわらかく揺らしていた。
――ああ、これは夢だ。
それでもその愛しい妹の笑顔に、思わず右手を伸ばしてしまう。
優しく握り返されたそのやわらかな手を、ギュッとしがみつくように包み込むと。
「うふふ、この白いイベリスは鉢植えにしたから。来年の春にはまたおねーちゃんと一緒に、綺麗なお花を見られるからね?」
ああ、大好きな大好きな詩織ちゃん。
たとえ夢でも会えて嬉しい。
もうすぐ覚めてしまうひと時の夢だとしても、大好きだよ。
「ありがとう、詩織ちゃん。とっても嬉しいよ。次の春にはきっと一緒に見ようね」
――でも、そろそろ目を覚まさないと。いつまでもお寝坊さんだと、ハクローくんが心配してしまう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ん。ハクローくん、おはよ」
領都レティスの海に浮かぶ城のベッドで、ルリがうっすらをその紅い瞳を覗かせる。
あれから五日が経っていた。バイタルに異常は無いのに、目だけがいつまで経っても覚めなかったのだ。
「あ、……ああ。おはよう、このお寝坊さんめ。あんまり起きるのが遅いんで、白いイベリスの花が咲いてしまったよ」
すがるように握り締めたルリの右手を決して離さぬようそのままに、視線だけで寝室の窓際にある白いイベリスの鉢植えを指す。
最近は急に暖かくなったからか、この異世界に来て初めてその綺麗なふわふわの白い花を咲かせていた。
「ほんとだ。うふふ、綺麗でしょ? 今年は詩織ちゃんと一緒じゃないけど、ハクローくんと見れたからよかった」
まだうまく身体が動かせないのか視線だけを、窓際で昼下がりの日光を浴びて春風に揺れる白いイベリスの鉢植えに向けると、それはそれは幸せそうに紅い瞳を細めて微笑む白髪の少女。
だから視界が水分による光の屈折で歪んでも、いつまでも目を離すことができなかった。
「だいじょうぶだよ。ハクローくんが助けてくれたんでしょ? ありがと。私はだいじょうぶだから、ね?」
彼女の手を握る俺の手が震えていることに気づいたのか、そっと握り返してくるとその鈴を転がすような声で優しく囁きかけてくる。
だから堰き止めていた何かが壊れたように、嗚咽と共に零れる慙愧と懺悔を止めることができなくなっていた。
「ごめん。傍にいられなくて、遅くなって……ごめん」
「もう……ハクローくんったら、泣き虫なんだから」
そう言ってルリはクスリと笑うと、握っていた手をほどいて俺の頬をそっと撫でると、そのまま抱き寄せて耳元で聖母のように優美に囁くのだ。
「ただいま」
「……おかえり。帰って来てくれて、ありがとう」
だから彼女のふんわりと柔らかな胸に抱かれながら、くぐもったように呟くと、唯々縋りつくようにして肩を震わせるしかできなかった。
するとドカンッと扉を蹴り開ける轟音と共に、【神速】スキルを使って全速のアリスが部屋に飛び込んで来た。
「ルリっ、目を覚ましたの? あーっ、ハクロー! ひとりでルリに抱きつくんじゃないわよーっ」
そう言えば【淫夢】のスキルで怖い夢を見ないように注意しながら、ルリに覚醒を促していた妖精フィがいつの間にかいなくなっていたので、みんなを呼びに行ってくれていたんだろう。
「ルリおねーちゃん、だいじょーぶ?」
「フィも心配したわよ」
「ニャア~」
「はぁ~、よかったわ。身体に異常は無い?」
遅れて小さなコロンに妖精フィと聖獣ルー、そしてホッとした安堵の表情を浮かべたユウナが部屋にやって来た。
アリスにペイッと引き剥がされた俺に代わって、ルリに抱きついたみんながわいわいと喜びの声をあげる。
「わきゃあ~」
「まったくもう、心配ばっかりかけてっ」
「ルリおねーちゃん、おなかすいてない?」
「フィはずっと【淫夢】スキル使ってたから、おなかペコペコよ~」
「ニャニャ~」
「はぁ~、本当に目を覚ましてくれて安心したわ」
まあ、精霊結界と魔術結界の維持に自信の魔力を最大限まで振り込んだんだろうから、ほぼ魔力切れを起こして自己保存モードに移行してしまっていてもおかしくは無いのだけど。
そのおかげで王城の騎士団員に総攻撃を受けても、結界はビクともしていなかったので、最善の選択で結果的にはよかったと言えばよかったんだろう……って、ちっとも良くない。
やっぱ、奴らの王城ごと消し炭に変えた方が良かったか。次にあのチョイ悪イケメンなバルドゥイーン王子を魔法学園で見つけたら、この世の果てに身包み剥いで強制転移させてやろう。うん、そうしよう。
「あれ? ハクローくんがさっきと違って、何だが悪い顔をしてるような」
「あ~、あれでもマシになった方よ。昨日までなんか、どっかの島ごと沈めに行きそうな雰囲気だったんだから」
「ハク様もおなかすいてない?」
「ニャア~」
「クロセくんもあれから五日間一睡もしてないんだから、横になって少し休んだら?」
仲間に囲まれてテヘヘ~と笑っているルリを、窓際の白いイベリスの鉢植えの横に立って、しばらくボケ~っと眺めていると、いつのまにか矛先がこっちに向いていた。何故だ。
でもまあ、やっとルリが長い眠りから目を覚まして、みんなにも笑顔が戻って来たのだ。あとはこれに妹のヒスイを、少しでも早く起こしてやらなくては。
ホッと安心したら気が抜けたのか、何だか少し眠くなってきてしまったな。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その後は話を聞きつけた、レティシア侯爵が領都の仕事を放り出して駆け付けたのに続けて、孤児院から聖母のセレーネと子供たち、商人ギルドから商談を抜け出したメイとお母さん、それに領都レティスの神聖教会に来ていた教皇猊下で【聖女】なキアーラたちが次々とお見舞いにやって来た。
夕方になると、今日の授業を終えたミラとクラリスにソフィアだけでなく、エヴァ姫までが女騎士隊たちを引き連れてお見舞い――というか、単なる女子会をやりに来ていた。
そこには何故か宮野副生徒会長までが、ごくごく自然に混じっていたのは誰にとって意外だったのか。
その誰もが、春風がカーテンを揺らす窓際の白いイベリスの鉢植えの傍に、壁を背にして座り込んだまま眠るハクローの姿を哀しい顔をして見つめる。
しかも無意識の深層意識なのか、本人は眠ったままだと言うのに、ベッドで横になったルリの防御結界は最大強化されたまま、可視できるほど今もキラキラと輝いていて、時おり定期的に自動回復魔法がかけられてすらいた。
「あはは~、おかげ様で体調も随分と良くなったのですよ?」
それでも困ったように、心配そうな紅い瞳を細めたルリが、泣きそうな優しい微笑みを向ける。
だからアリスとユウナができるだけ隠し事などしないようにと、彼女が倒れた以降のことをそっと呟く。
「ルリがロンデニウムに強制転移されてすぐに、ハクローは超長距離索敵を発動させて大陸を超えた海の向こうの島にいるルリを見つけたんだけど。それは多分、砂漠の真ん中で宝石を探すぐらいの、不可能を可能とする程の執念のなせる技なのよ」
「そしてピンポイントで転移魔法陣を起動させて転移門を接続したのだけれど、一度も訪れたことのない超長距離のため考えられないほどの超高精度を要求されるそれは、クロセくんの情報処理能力の限界をかるく超えていたはずです」
「そんな訳で鼻と口に目からも血を流しながらルリを連れ帰ったハクローは、追撃して来る王城の騎士団員たちごと更地にして撤退戦を完遂させたわ。
マジで下手をしたら、文字通り一国の主戦力を相手に泥沼の市街戦に突入してたからね」
「まあ後でルリが気を使わなくて済むためだけに、どうやら死者を出さないように本能で魔力制御する余裕があったのは、クロセくんの潜在意識での神業によるものでしょう」
「いずれにしろ、我が国で白昼に襲撃して来た以上、ロンデニウムは国家として敵認定して間違いないですわ。
幸いモニャコ公国内ではもう無茶はできないはずですが、特に逆恨みした【勇者】アヴリル王女の動向が想定外にハクロー様に向かって転がる可能性は高いと思われます」
人類の希望を一身に背負って【魔王】討伐という大義を掲げる【勇者】アヴリル王女に対しては、同じ王族とは言えエヴァ姫は勿論、魔法学園で教鞭を取っているミラレイア第一王女ですら、強硬な態度を取ることはできないでいた。
「あ~、先日の武闘大会の代表選考会でも何だが鬼気迫るものがあったもんねぇ」
「いえ、姫様。そんな生易しいものではなく、まるで地獄の窯を開けた悪魔のようでした」
ミラの侍女であるクラリスの言葉に、その光景を見ていない者たちまでもが思わず眉を寄せてしまう。
しかしルリだけは「ふふっ」と笑うと、珍しく人前で仮眠するハクローにやっぱり慈愛の視線を向けたまま。
「だいじょうぶですよ。あの心優しいハクローくんが、人殺しとなる危険を冒してまで助けてくれたんです。今度は私が、――私たちが彼を護る番です」
「そうですね、後は未だにストーカー行為を続けているバルドゥイーン王子を含めて、政治的にも抑え込めると良いのですが」
「であればちょっと怖いので本当は嫌なのですが、武闘大会の同じ代表メンバーとして、私からもお話を聞く機会を設けることにいたしましょう」
為政者の顔をした侯爵のレティシアが難しい顔を見せると、いつもはぽわぽわとしているエヴァ姫が珍しくピンクのしっぽと人差し指をピンと立てて悪い顔でニッコリと微笑むのだった。
その横では何故か珍しく黙ったままのソフィアが冷や汗を流しながら、腰の黒鳥翼をプルプルと小刻みに震わせていて。
隣では闇落ちした笑顔を張り付けた宮野副生徒会長が、無言でドス黒い何かを垂れ流しているのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「何故、ハクローたちが出てこないんだ!」
モニャコ公国の迎賓館では魔法学園から帰って来るなり、【勇者】アヴリル王女が大声を上げて床を蹴りつけていた。
来賓のお世話のために控えている侍女たちは、壁際まで逃げて震えあがっている。
一緒に戻ったチョイ悪イケメンなバルドゥイーン王子が、溜息を堪えて何とか務めて冷静な声色で答える。
「だから、この前の武闘大会代表選考会の最期に宣言されたとおり、『出場枠をひとつ獲得した』からだよ。
そもそも、それがアヴリルの希望だったんだろう? よかったじゃないか、大会本戦で優秀な戦力を【魔王】討伐隊に勧誘するという目的も果たせるんだ。 何が問題あると言うんだい?」
「何を兄上は軟弱なことを言っているんだっ。我らが偉大なグレート・ロンデニウム王国の王城を粉々にされたんだぞ! 【魔王】討伐遠征隊の半数も使い物にならなくなって、このまま黙っていられるものかっ」
それでも兄の思いはまったく通じることが無く、既に当初の目的などどこかへと行ってしまっているらしく。
逆恨みでしかない私怨にまみれた愛すべき妹アヴリルは、もはや聞く耳など持っていなかった。
だが祖国のためにも妹を改心させられるのは、全ての元凶で血の繋がった兄でもある自分しかいないのだと、チョイ悪イケメンはガラにも無く必死に言葉を尽くす。
「それは【精霊使い】を武力で連れ去ったからだ。本人の了解無く彼女を招聘する権限は、我が国には無い。
しかも国賓として迎えるどころか、捕縛しようと攻撃魔法を使用したんだぞ。救出のために逆襲されたとて、文句を言える立場に無いのは分かるだろう?」
「だから兄上は甘いのだっ。聞けば【精霊使い】は異世界召喚者と言うではないか。ならば黙って我らの言うことを聞いておけば良いのだ!
たかが召喚魔法でスキルを与えられた下民以下のくせに、我が国に楯突くとは思い上がりおって。必ずまとめて皆殺しにしてくれる!」
だが誇り高き王族のはずの妹の人の道にも悖るその言葉に、いつもは不甲斐無い兄であっても流石に聞き捨てにはできなかった。
「な、何を言っている? 本気か! 今や姿を見せなくなって久しい我が国の泉の精霊ためのに、尽力いただく【精霊使い】に何ということを。
しかも奴らは我が国のあれだけの戦力を相手にして、ほぼ無傷だったんだぞ? 本気で全力を出されたら、何万いや何十万の軍勢を連れて来ても尋常な被害では済まなくなるぞ!」
「ふんっ、兄上は何を心配されているか。【勇者】を選定する【聖剣】に選ばれた、この私がまさかあんな下民共に負けると言われるつもでは無いでしょうな?
心配なされなくても【精霊使い】は手足を切り飛ばしてから、生きたまま祖国の精霊の泉まで引き摺って行きますので。
まあ、その後は地下牢の犯罪奴隷たちの中に放り込んで、達磨娼婦として嬲り殺しにでもしてやるか。あははっ」
煌めく【聖剣】を抜くと光にかざし、その彩光を無くした暗い瞳で人外鬼畜なことを吐き捨てる妹に、これが本当に泉の精霊による【聖剣】に選定された【勇者】なのか、もはや手遅れなんではないかと絶望しかけていると。
同じく迎賓館に宿泊していた異世界の【勇者】二人が、後ろから無駄に自信にあふれる声をかけてくる。
「バルドゥイーン王子殿下もそのように心配されずに、彼らのことは同郷の僕たちに任せてください。必ず言うことを聞かせて、アヴリル王女殿下の前に連れて来て誠心誠意謝罪させますので」
「そうそう、さっきの精霊の泉についても協力させるようにしますから。ところでご褒美にロンデニウムの首都に、お屋敷とか貰えると非常に嬉しいのですけど」
ハクローたちのいる新学生寄宿舎に近寄ることもできないことなどすっかり棚上げして、沢登生徒会長がイケメンな台詞をぶちかます。
自分が特に蛇蝎のごとく嫌われていることなど、記憶の彼方に追いやった長瀬風紀委員長は、召喚されたマリーアンヌ第二王女がいる王国に帰るつもりが無いのか、図々しくもおねだりを始めるのだった。
そんな二人を見て、今代の【勇者】は誰も彼もハズレなんじゃないだろうかと、本気で頭を抱える実は小心者なチョイ悪イケメンだった。




