12話 命のかるさ
「傷だらけじゃないですか!」
トボトボと病室に戻った俺は、開口一番でルリに怒られていた。
そういえば、ゴブリンの青い血を浴びていたので余り気にしなかったのだが、近接戦闘ではどうしても多少のケガは負うのが普通だ。こっちは無傷で相手だけを殺そうだなんて、そんな虫のいい話は無い。
昨日はアリスが怪我する度に回復魔法で治してくれていたから、気にならなかっただけだ。
「消毒しますから、こっち来てください!」
今まで聞いたことのないくらい大きな声を出していることに、ルリは気がついているのだろうか。
大きな傷は無いはずなので、そんなに怒らなくても……まあ、ここは素直に救急箱を持って行って、ベッドサイドの椅子に大人しく座っておくことにする。
「ああ、もう! ここにも、ここにも傷が! あ、ここにもある! いったいどれだけの傷を作ってきたんですか!」
紅い瞳を吊り上げてぷりぷり怒りながら、身体のあちこちに消毒液と傷薬を塗ってくれるルリさん。しばらくは黙って、されるがままにしておくのが良さそうだ。
あ……、でもしみる。
「そういえば、これって前にぼんやり光っていたようですが」
だいたいの消毒と処置が終わったところで、ルリが俺の左の二の腕にあるトライバルをその細過ぎる指で触れると聞いてくる。
別に隠すほどのことでもないので、「ルリになら、いいか」ともったいぶることも無く話し始める。
「俺が9才の頃、家にいるのが嫌で、学校から帰ると毎日近くの海岸の浜辺に行ってたんだ」
「あ……う、海が好きだったんですね」
母親を亡くした直後のことだと分かったようで、白髪の少女が悲しい顔をするから、また、言い方が悪かったかと反省する。
これぐらい笑って話せるようにとまでは言わないが、せめてルリに余計な気を使わせないぐらいにはならないと――などと、またグジグジ考えている自分は、姉貴達の言う通りキモいんだろう。
「波打ち際の砂浜でボーっと座っていたら、大きな海亀と一緒にいた女が声をかけて来て……」
「湘南には海亀が来るんですか?」
「いや、俺はその時以外は見たことないな。その女も『連れて来た』と言っていたし」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「少年、この亀をいじめてくれないか」
「……はい?」
湘南の浜辺で大きな海亀を連れたアラサーぐらいの女の人は、へそ上丈の白のキャミソールから黒の見せブラが覗く、ジーンズがお尻に食い込むほどのショートカットパンツで、キャロットブロンドの長髪を海風になびかせていた。
きっと相当な美人さんなんだ。
「私がいじめては、意味がないんだ。だから、少年がこの亀をいじめてくれ」
「えー」
砂浜に座り込んだままで周囲を見回してみるが、珍しく近くには他に人影は見当たらなかった。
「心配しなくても大丈夫だぞ。少年が亀をいじめても、私がすぐに助ける。そうして【竜宮城】への片道切符を手に入れるんだ。だから手伝え」
「えー」
「そうしないと【竜宮城】へのフラグが立たないじゃないか」
この人、老婆にでもなりたいらしいぞ。というより正直そろそろ、このおかしな女との変な話を切り上げたい。肝心の亀さんも隣で涙をぽろぽろ零して泣いていることだし。
「いじめたところを助けなくても、懐けばいいんじゃ……」
「お?」
「食べ物で釣る、とか」
「おおー」
「『うまか棒』明太子味なら持ってるけど」
持っていたデイバッグから取り出してみせると、スパッと奪うように手に取って。
「おー! パクッ、ぎゃー! 辛いーっ!」
「なんで、あんたが食うんだよ。あっ」
「バクッ、むぐむぐ、ごっくん。きらーん」
亀さんも女の手にあった残りの『うまか棒』明太子味を一口で飲み込むと、お気に召したしたようで、涙の止まった流し目でニヤリと笑った……気がした。
「ひー、ひー。亀さん、お前は辛くないのか? え? おおー、行く気になってくれたか!
よぉっし、これで超位時空魔法が付与された魔道具『たまてばこ』が手に入るぞぉ!」
「そんなもん開けると、『おばあちゃん』になっちゃいますよ、あいたぁ!」
ポカっと女に頭を殴られ、怖い顔で睨まれる。
「私は永遠の18才だ」
「無理があるのでは、あいたぁ!」
また殴られた。
「私は『まほうつかい』だからな。年は取らないのさ」
「ああ、『まほうつかいのおばあ……、あいたぁ! まだ、全部言ってないのに!」
「『女神の神託』があったのだよ、ふふん。はい、やり直し」
自称『まほうつかい』の得意満面なドヤ顔に、大きなため息をついてから。
「はぁ~、『まほうつかいのおねーさん』」
「よし! とゆーわけで、何かお礼をあげよう。ほしいものとか、希望とかあるかい?」
(母さんを返して)
そんな意味のない、心の言葉を飲み込むようにして俯き加減に口を開く。
「おうちにかえりたい」
すると、キャロットブロンドの髪をした女は少し考え込むようにして言った。
「んー、少年の言う『おうち』には、今すぐは無理だ。そうだ、代わりにこれをやろう」
そう言うと、自分の左の二の腕にあるトライバルのタトゥーをペリッと剥がして、俺の左の二の腕に貼り付ける。くっついたぞこれ、刺青というか……タトゥーじゃないのか。
「未完成だが、【時空魔法】の魔法陣が編み込んである。大切にしろよ、この世界にひとつしかないんだからな」
女の両腕をには所狭しと様々なトライバル文様のタトゥーがある。それはそのまま肩から伸びて、大きく盛り上がった胸の膨らみの近くにまであった。
「ああ、正確には私の他には――そのひとつだけ、という意味だ。
いいか少年、その【時空魔法】の魔法陣は『魔素』の可逆性質を補強する術式を内包した、いわゆる『たまてばこ』に非常に近いものだ。
魔法とは『魔素』を制御することの一言に尽きる。
四大属性魔法もその他の系統魔法も、基本はこの『魔素』を制御して実現させている。
私はこの『魔素』は光量子や重力子と同じ、素粒子のひとつだと考えている。
『魔素子』とでも言うべきそれは、よく知られている光量子と同じように粒子と波動の性質を持っているが、それだけではない。
化学反応などにみられる可逆反応とでも言うべき性質を素粒子のレベルで持ち合わせている、それが『魔素』だ。
わかるか? あ~、少年にはちょっと難し過ぎたか……」
「単語だけなら、いくつかは。こう見えて理系なので」
小学生に何を説明し始めてるんだ。でも前に父親の持って帰って来る論文とやらを、自慢げに絵本の代わりに読み聞かせられていた頃があった。あれはまだ、母親が身体を壊して入院する随分と前のことだ。
横の亀さんを見ると、ボクはわからないとばかりに首をふるふると振っていた。
「ああ、少年はクロセ教授のご子息か」
「父さんを知ってるの?」
「ああ、何度か話をしたことがある。今度会ったらまた飲もうと、よろしく言っておいてくれ」
「今は日本にいないよ。粒子加速器がどうとか言って」
「まだやっているのか。
別に他が不可逆という訳ではないのだがな……、なんせ『魔素』は空間ばかりか時間まで歪めてしまうぐらいの性質があるためなんだが。
その代表が『たまてばこ』で時間を一時的に凍結に近い状態にしてから急激に進行させることができる。
これを元にした技術が時間の流れが遅い【時空収納】だ。止まっていると言っても過言ではない。
そしてこれを突き詰めると、時間を逆行し始めたりする神の領域となる」
「神様ですか」
「ははは、神なんて碌なもんじゃないぞ。おっと、日が沈む前に行かねば。それじゃ、そろそろ行くか、亀さん」
女はぺんぺんと甲羅を叩いて、大きな海亀にまたがると、
「じゃあな、少年。また会おう!」
手を振りながら、颯爽と夕日に輝く海へと消えて行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「その時にもらったのが、このトライバルなんですね。小学生のクロセくんが聞かされたこと、私じゃ全然分かりませんよ。
そういえば、小学生がこんなの付けてて大丈夫だったんですか?」
そう言って、ルリがもう一度その細い指先で左腕のトライバルにそっと触れる。あーそういえば、と思わず遠くを見てしまう。
「それが、家に帰ると、姉貴達に怒られるわ、小学校には呼び出されるわ、もう散々だった。結局、小学生がタトゥーするなんてことはないという大人の都合で、痣ということに決着したらしかった。
そういえば、この間の異世界召喚されたときの天使も【時空魔法】がどうこう言ってたなぁ」
じーっと、紅い瞳でこちらを覗き込んでくるルリに、何でも無い事のように肩をすくめてみせる。
「傷の方は後でアリスに回復魔法をかけてもらうからさ」
それでも、じーっと紅い瞳が見つめるのは、普通の日本人らしからぬ俺の瞳と髪か。
「はあ~、実はその後、黒かった髪と瞳の色がだんだんと抜けて来て、こんな髪と瞳の色になったんだよ」
「まるで夜明け前に輝く空の瑠璃色のようで、私は好きですよ」
「そうか」
するとルリは自分の長い白髪を肩から胸まで回して、少し悲しそうな顔をして擦るように触れる。
「私の髪と瞳、今はこんなですけど、生まれたときは真っ黒だったんですよ。空がちょうど瑠璃色になる夜明け前に生まれたので、瑠璃って名前にしたんだってお母さんが言ってました」
「そうか――俺はその純白の髪も真紅の瞳も綺麗だから好きだぞ」
「ありがとうございます、えへへ」
でも、そんな俺の言葉も、寂しそうに微笑むだけにしかならない。
「お父さんとお母さんにもらった髪と瞳を、ほめてもらえるなんて――初めてなんで、お世辞でもうれしいものなんですね」
しまった、両親のことを思い出させてしまったのは失敗だ。少し首を傾げて白く長い髪を垂らし、愁いを帯びた紅い瞳を見ていられなくて【時空収納】から、おみあげの包みを取り出す。
「ほら、今日のおみあげは大通り商店街の『ラング・ド・シャ』のクッキーだぞ」
「わーい! おかしだー」
今度こそ嬉しそうに紅い瞳をきらきらさせ、ルリが包みを開ける。
「わー、いろいろ種類がある。食べてもいいですか? ぱくっ」
返事をする間もなく、小さな両手でしっかりとラングドシャのクッキーを握りしめ、カリカリとかじり始めるルリは、まるでリス……というより、白い雪うさぎのようだった。
つい、白く長い髪をなでてしまう。するとなんだか白くて長い雪うさぎの耳が見えて――きた、気がする。
なでりこなでりこ、カリカリカリ、にへら~、なでりこなでりこ、カリカリカリ、にへら~。
「ちょっと、あんた達。何、二人だけでおいしそーなの食べてんのよ?」
しばらくそのまま、まったりと二人でラングドシャを食べていると、アリスが極めつけに憂鬱そうな顔をして病室にやって来た。
「何、死んだ魚のような目をしてんだよ」
「ほっといて」
アリスはいつもの紅いドレスアーマーではなく、純白のミニドレスを着て紅い髪をツインテールにまとめていた。
「わー、アリスちゃんかわいいー」
「えへん。ホント、ルリだけよ。私の心のオアシスは。他はバカばっかなんだから」
「俺も?」
「あんたもよ」
「ひでー。ところでそれ初めて見るが、予備の白いドレスアーマーか? 靴は赤なんだな」
「異人さんに連れられて行っちゃった、赤い靴を履いた女の子みたいです!」
「……何か嫌なたとえね。靴はヒールを持ってなかったから、これは借り物よ。それに私は小さな女の子――ろ、ロリじゃないわっ」
はっ、と薄い胸を押さえながら、ジロッとこっちを睨む。いえ、胸に視線を向けるなんて、そんな恐ろしいことはできませんよ。
「何よハクロー、こっち向きなさいよ。身長だって162cmあるんだから、どっちかって言うと大人の妖婦……そう、ヴァンプよね!」
自慢の【賢者】で【聖女】じゃなかったのかよ。それとも遂にサードジョブなのか。
「あー! それじゃ私が四捨五入して150cmだからって、ロリってこと? おねーちゃんなのに、ロリ?」
「ルリの場合は欠食児童だからな、ロリ以前だ」
「いやーぁ! アリスちゃんとクロセくんが、いぢめるぅ~!」
少しだけ元気が復活してきたアリスから、晩餐会での平河衛士の騒動話を聞く。
「何やってんだ、あいつは?」
「まあ、王国としても自分達が召喚した【勇者】のスキルを否定はできないでしょうし。
その【勇者】の実力を舐めてたランベール副騎士団長は自業自得だし。
賭けの景品にされた時点で拒否しなかったフィアンセも同意したも同然で、そもそも自分達が拉致した【勇者】に今度は自分が拉致されるんだから、あとは自力でなんとかしているでしょ。
どこぞの伯爵令嬢だからか、あれは間違いなく侍女も付いていたみたいだしね」
「自分達だけが【勇者】召喚の実害の影響を受けないなんて、そんな都合のいい話がある訳無いもんな」
「それが分かっていない、バカが多いんでしょ」
すると黙って聞いていたルリが、ちょっと心配そうにつぶやく。
「でも平河くん、後ろからグサリなんてされなきゃいいのですけど」
「まぁ、それでも本望でしょ?」
アリスさん、それ怖いっス。
それにしても、マジで【強奪】スキル対策を早急に練らないとまずいな。ユニークスキル主体の俺やルリはともかく、通常スキルがLv10ばかりのアリスの危険度は最大級だ。
「やっぱり、今日の怪我も【強奪】系の接触発動型スキルも、同時に対策できるような魔法防壁っぽいモノを考えないとなぁ」
「ハクローは【サーファー】専用スキルでスペル生成できるんだから、便利で良いわよね」
「そんないいもんじゃないぞ。イメージが現実的でないと実現できないみたいだし。現実的なファンタジーのイメージって何だろう?」
「何よ、それ」
「あーあ……あれ?」
アリスは眉を寄せて、ルリは小さな頭をコテンとさせ、どうも二人には難し過ぎたらしい。
「あ、これ。おいしいじゃない! 大通りのどこの店よ、今度、私も連れて行きなさいよね」
「はいはい」
話を聞きながらベッドに座ったルリが、元気なくへにょんと垂れてしまっているアリスのツインテールを、くるくると編み込みアップにまとめると、見違えるように大人っぽくなった。
「わー、大人の女性って感じだよ、アリスちゃん」
「大人っぽくなって、なんだか別人のようだな」
「ふん、こんなんで誤魔化されないんだからね」
甘いものを食べて少しは機嫌が直って来たのか、そっぽを向いてアリスがそんなことを言う。
「あれ? アリスちゃん、デレてる? ツンデレ?」
「ふ、ふんっ。ほら、今度はルリの髪も編み上げてあげるわよ」
「ありがとー、えへへ」
こうしてようやく楽しそうに笑う友達三人の、異世界での4日目の夜が更けていく。
「それにしても、ルリはだいぶ血色が良くなってきたな」
ガールズトークを聞きながら、ルリにいつもの全身マッサージをしていた俺はついでに、正面からルリの心臓の位置に手を添えて心音を確認する。
「あ」
召喚された直後の心音は今にも消えてしまいそうだったが、今では鼓動も脈拍も弱々しい感じはしなくなっていた。
「これならもう夜に寝るとき、手をつないで心拍をモニターをする必要はないかな」
「ハクロー! あんた、また!」
ゴンッ
「あいた!」




