第三章 もうひとりの俺
朝、青年は動画の再生数を確認した。
否定動画は、昨夜よりも伸びていた。
だが、切り抜き動画の数字は、その何倍にもなっていた。
自分の顔が大写しになっている。
〈救世主、ついに沈黙を破る〉
青年はタイトルを見て笑った。
「だから、沈黙してねえって」
コメント欄には、相変わらず勝手な解釈が並んでいる。
彼は画面を閉じ、求人サイトを開いた。
新着求人が三件。
ひとつ目を開く。条件が合わない。
ふたつ目を開く。給与が安い。
三つ目は、応募フォームの途中で閉じた。
スマートフォンが震えた。
動画の通知だった。
青年は求人サイトに戻った。
また震えた。
今度は、画面を見た。
再生数が増えている。
青年は求人サイトを閉じた。
*
昼過ぎ、青年は自分の否定動画を編集していた。
別に、言いたいことが変わったわけではない。
ただ、タイトルが気になった。
〈ネットで神様にされた男です〉
これでは、ほとんど誰も見ない。
青年はタイトル欄を開いた。
少し考え、文字を打ち込む。
〈俺は本当に神じゃないのか?〉
入力してから、苦笑した。
「なんだよ、これ」
消そうと思った。
だが、指は保存ボタンを押していた。
画面が更新された。
しばらくすると、コメントがついた。
〈彼は、自分自身と向き合い始めた〉
青年は目を細めた。
「向き合ってねえよ」
次のコメント。
〈自分が何者なのか、彼自身もわからないのかもしれない〉
青年はスマートフォンをテーブルに置いた。
部屋を見回す。
脱ぎっぱなしの服。空のペットボトル。求人情報を開いたままのパソコン。
ここにいるのは、自分だ。
神様なんかではない。
それくらい、わかっている。
青年はスマートフォンを手に取った。
タイトルを確認した。
再生数が、少し増えていた。
*
夕方、青年はカメラを起動した。
画面に自分の顔が映る。
「俺は普通の人間です」
言ってみた。
少し間を置く。
「奇跡なんか起こせません」
録画を止めた。
再生する。
自分の声は、思ったよりも平坦だった。
もう一度、録画する。
今度は、少し笑ってみた。
「俺は普通の人間です。奇跡なんか起こせません」
止める。
再生する。
さっきよりは自然だった。
青年は動画を保存せずに閉じた。
そのまま動画サイトを開く。
おすすめ欄に、自分の顔があった。
白い服を着た男が、海の上を歩いている。
画面の中の男は、ゆっくりと振り返った。
青年は動画を再生した。
男は微笑んでいた。
青年は、その笑顔を真似してみた。
口角を上げる。
目元の力を抜く。
顎を少し引く。
うまくできなかった。
もう一度、動画を見る。
男は、変わらず微笑んでいた。
青年は、もう一度笑ってみた。
*
夜、青年は動画の分析画面を開いた。
数字が並んでいる。
再生回数。視聴時間。高評価の数。
否定動画は、それなりに見られていた。
しかし、AIで作られた奇跡の動画は、桁が違った。
青年はふたつの画面を行き来した。
片方には、狭い部屋でしゃべる自分。
もう片方には、光に包まれて海の上を歩く自分。
「俺が俺じゃないほうが、人気あるんだ」
呟いてから、笑った。
笑い話のはずだった。
青年は再生数の多い方を開いた。
画面の中の男は、静かにこちらを見ている。
音量を上げた。
*
翌日、青年は新しい動画を撮った。
部屋を片づける気にはならなかった。
背景はいつも通りだった。
彼はカメラに向かって座った。
「最後に言います」
自分で言って、少し笑いそうになった。
「俺は普通の人間です。奇跡なんか起こせません。あの動画はAIです。信じないでください」
今度は笑わなかった。
録画を止め、投稿する。
タイトルは、そのままにした。
〈最後に言います〉
投稿完了の表示が出る。
青年は立ち上がった。
スマートフォンを置き、部屋を出た。
コンビニでパンを買い、少し遠回りして帰った。
部屋に戻ると、スマートフォンを手に取った。
コメントが増えていた。
〈最後に、真実を語ってくれた〉
〈彼は自分の力を隠そうとしている〉
〈もう、否定する必要はないんです〉
青年は画面を見つめた。
「そういう意味じゃねえよ」
指でコメントをスクロールした。
その下にも、似たような言葉が続いていた。
誰も、彼の言葉をそのまま受け取っていなかった。
青年は動画を閉じた。
すぐに開いた。
再生数が増えていた。
*
深夜。
おすすめ動画に、見覚えのある顔が現れた。
自分の顔だった。
背景は、真っ白だった。
男はカメラを見つめていた。
字幕が浮かぶ。
〈あなたが見ている世界は、本当に現実ですか?〉
青年は再生を続けた。
〈あなたは、他人の心を見ることができますか?〉
男の顔が、画面いっぱいに映った。
〈目の前の人間が、本当に何かを感じていると、どうしてわかるのでしょう〉
青年は動画を止めた。
「普通にわかるだろ」
そう言ったあと、しばらく黙った。
画面の男は、停止したまま微笑んでいる。
青年はコメント欄を開いた。
〈この動画を見て、初めて気づきました〉
〈私たちが現実だと思っているものは、本当に現実なんでしょうか〉
〈彼は、何かを伝えようとしている〉
青年はコメントを閉じた。
スマートフォンを伏せた。
しばらくして、また手に取った。
検索欄に文字を入力する。
「哲学的ゾンビ」
検索結果が表示された。
青年は、いちばん上の記事を開いた。
神の遺伝子




