第五話 侵入者
呼吸が落ち着く頃には、舞っていた埃も薄れ、崩れた天井の隙間が見えるようになっていた。
アウルは脇腹に巻いた布へ触れた。血は滲んでいるが、広がってはいない。右膝を曲げ伸ばししてから剣を取り、鞘へ収めて床についた。
柄へ体重を預け、ゆっくりと腰を上げる。右脚は痛んだが、足裏で床を踏みしめても膝が折れることはなかった。
「……立てるなら、十分だ」
壁へ手をつき、崩れた通路を見渡した。
入口のあった場所は、天井と壁の瓦礫に塞がれていた。隙間から外の冷たい空気は流れ込んでいるが、身体を通せそうな穴はない。
手近な石へ手をかけたものの、少し引いただけで脇腹が引き攣れた。
「こっちは無理か……」
石を放し、背を向ける。瓦礫の下には白い顔と長い指が覗いていたが、もう動くものはなかった。
布袋は少し離れたところに落ちていた。裂けた口から縄がはみ出している。膝をついて拾い、水筒や干し肉、短い杭、硬貨の入った小袋を確かめていくと、その下にガレスの手紙があった。
端は折れていたが、封は破れていない。
埃を払い、外套の内側へ収めた。残った物を詰め直して袋を肩へかけ、遺跡の奥を見やる。
月明かりの届く先で、通路は闇に沈んでいた。
杭を一本抜き、外套の切れ端を先へ巻きつける。
「炎よ」
指先へ集めた魔力が、赤い炎へ変わる。そのまま布へ触れさせると、細い煙を上げて燃え始めた。
掲げてみれば、近くの壁と足元の石板が辛うじて見える。布を焦がす臭いに顔をしかめ、剣を杖代わりに暗い通路へ足を踏み入れた。
◇
奥へ進むにつれ、天井の亀裂は少なくなっていった。
左右の壁には浅い窪みが等間隔に並び、その内側に削れた線が残っている。炎を近づけても、文字なのか絵なのか分からなかった。
「教会じゃねえな」
神を表す像も、祈りを捧げる場所も見当たらない。墓にしては死者を収めた跡がなく、壁の窪みも用途が分からないほど浅かった。
松明を戻し、先へ進む。
通路は緩やかに下っていた。歩くたびに脇腹が脈打ち、右脚へ鈍い痛みが走る。ときおり奥から流れてくる風が、汗の浮いた頬を冷やした。
どこかで外へ通じているはずだ。
分かれ道では足を止め、松明を左右へ向けた。片方は落ちた石で塞がれ、もう片方は暗がりの奥へ続いている。そちらへ顔を向けると、微かな風を感じた。
剣を前へつき、右脚を引き寄せる。鞘の先が石を叩く音は、壁に反響して遠くまで響いた。
いくつか角を曲がった頃には、入口からの光はとうに見えなくなっていた。背後を振り返っても、松明の届く範囲に無人の通路が浮かぶだけだった。
「……どこまで続いてんだよ」
壁へ肩を預けて息を整え、脇腹の布を押さえる。指先に湿り気はあったが、血が滴るほどではない。
手を離し、歩き出した。
◇
通路は、円形の石室へつながっていた。
入口で松明を掲げると、壁沿いに並んだ細い柱が浮かび上がった。どれも人が抱えられるほどの太さで、角が丸く、その先は光の届かない天井へ伸びている。
近くの一本へ炎を向ける。表面は黒ずんでいたが、通路の壁にあったような石の継ぎ目は見当たらなかった。根元から上まで同じ滑らかな面が続き、文字も飾りも刻まれていない。
床には細い溝が幾筋も走っていた。まっすぐに伸びては直角に折れ、柱の根元と部屋の中央を結んでいる。溝の幅はどこも揃っていて、ひび割れとは違っていた。
その中央に、黒い台があった。
高さは腰より低く、人一人が横たわれそうな長さがある。祭壇のようにも見えたが、上には何も置かれていない。炎を差し向けると、縁に沿って光が滑り、浅く窪んだ上面が見えた。
壁際には埃が積もっている。それなのに、台の上には薄い汚れさえ見当たらなかった。
そこだけが、妙に綺麗だった。
アウルは入口に立ったまま、台から床へ視線を戻した。足元まで伸びていた溝を避け、松明だけを前へ差し出す。
「何なんだ、ここは……」
声が高い天井へ消えた。
バチンッ、と鋭い音が炸裂した。
「――っ!?」
全身が強張り、意識が飛んだ。握っていた剣が床を打つ音も、もう聞こえなかった。
◇
「ぐっ……」
石室の床で、少年が目を開いた。
浅い呼吸を繰り返しながら上体を起こし、血に濡れた外套へ視線を落とす。脇腹には布が巻かれ、床を支える手も傷だらけだった。
片手を持ち上げ、掌を返す。
指を一本ずつ曲げてから、もう一度開いた。
傍らには消えかけた松明と、剣が転がっている。揺れる炎を目で追い、その向こうの石柱や黒い台を見回した。
見覚えのない場所だった。
「ここは……?」
声を発した直後、身体が硬直した。
頭の奥から、怒声が響いた。
『てめぇ……俺に何しやがった!!』
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