第三話 追跡者
「アウル」
もう一度、ガレスの声がした。
先ほどより近い。アウルは剣を構え、声のした木々へ目を凝らした。日が落ち、枝葉の奥にはほとんど光が届いていない。
「……いつから見ていやがった」
右手の茂みで葉が擦れた。剣先を向けても、姿は見えない。
布袋を背負い直し、窪みを離れた。背後を守れる場所を選んだつもりだったが、先に来られていた。入口を塞がれる前に出た方がいい。
岩壁に沿って歩き、木々の密集した場所を避ける。前方で枝が軋んだのは、しばらく進んだところだった。
雲の切れ間から月明かりが差した。
太い幹の中ほどに、指が見えた。
人間のものに似ているが、あまりにも長く、節が多い。灰黒色の毛に覆われた腕の先で木の幹を掴み、鉤爪を樹皮へ食い込ませていた。
その上から、毛のない白い顔が覗いている。
小さな二つの目が月光を反射した。一瞬、人間がしがみついているようにも見えたが、身体は幹の向こうを向き、首だけがこちらへ捻れていた。
「……なんだありゃ。初めて見る魔物だな」
すると、白い顔が引っ込んだ。太い枝が大きくしなり、灰黒色の影が木から木へ飛び移っていく。
◇
教会のある方角へ進もうとすると、魔物が先回りして、こちらを見下ろす。
別の方へ回っても、魔物は枝を掴んで行く手を阻んだ。だが、岩壁を離れて下り坂へ向かうと、今度は先回りして来ない。
坂の下には背の低い木が密集し、暗い窪地が続いていた。あそこでは頭上の動きが見えない。枝に邪魔され、剣を振るう場所も限られる。
「……俺を誘導してやがるわけか」
魔物は枝の上から見ていた。すぐに襲わないのは、こちらがあの窪地へ入るのを待っているからか。昼からついてきたのも、暗くなるまで待つためだったのかもしれない。
「獣のくせに、いい性格してやがる」
アウルは下り坂へ入り、ゆっくりと歩き始めた。頭上でも枝が揺れる。
このまま付き合う気はない。ただ背を向けて走っても、木々を渡る相手には追いつかれる。逃れるなら、まず頭上から狙われない場所へ出る必要があった。
周囲へ目を配っていると、左前方に白っぽい石が見えた。蔦に覆われた柱が半ばから折れ、その奥にも崩れた壁や石段が続いている。古い建物が、斜面へ沈み込むように残っていた。
遺跡だ。周りには木が少ない。
アウルはそのまま数歩進み、幹の陰から魔物を窺った。魔物も枝を渡り、下り坂に沿って移動している。
「なんでも思い通りに――」
地面を蹴り、左へ進路を変えた。
「行くと思ってんじゃねぇ!」
低い枝を剣で払い、斜面を横切った。背後の樹上を魔物が追ってくる音を聞きながら、振り返らずに駆けた。
木立を抜けると、足元が土から石へ変わった。折れた柱や崩れた壁の先に、建物の入口がある。そこへ上がる石段も、上に残る壁も傷んでいたが、何もない森よりは使えるものがある。
「狩り場くらい、俺が決める」
入口へ向かおうとしたとき、頭上で枝が折れた。
横へ跳ぶ。直前までいた場所へ巨体が落ち、石と土が跳ね上がった。
アウルは着地と同時に振り返り、剣を構えた。
魔物が、遺跡の入口を背に四肢をついていた。
灰黒色の身体は痩せて見えるのに、肩から腕には太い筋肉が盛り上がっている。前腕が異様に長く、四足の姿勢でも背はアウルの胸近くまであった。白い顔には小さな目が二つ。口は耳元近くまで裂けている。
魔物が上体を起こした。
後脚だけで立つと、細長い身体が月を遮った。腕は膝より下まで垂れ、その先で長い指が蠢く。
喉元へ青い魔力が集まった。
「ア゛……ウ、ル」
最初の音には、ガレスの掠れた響きが残っていた。だが、続く声は喉の奥で潰れ、獣の唸りへ崩れていく。
「全然似てねぇじゃねぇか」
アウルは柄を握り直した。
「ジジイは、もう死んでる」
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