第二十七話 残された記録
資料室の机には、棚から運んできた本が何冊も積み重なっていた。
エインは読み終えた一冊を閉じ、脇へ置いていた資料を引き寄せた。表紙を開いたところで、アウルの声がする。
『まだ読むのか? クラリッサが調べるって言ってたじゃねぇか』
(彼女に任せて、待っているだけというのもな。ここで分かることは調べておきたい)
昨日の遺跡で見つけた刻文と壁画をきっかけに、旧文明を滅ぼしたという魔人について知りたくなっていた。今より進んだ文明が敗れた相手に、現在の人間はどうやって生き残っているのか。その違いを考えるにも、まず相手のことを知らなすぎた。
『で、何か分かったのか?』
(……今のところ、特には)
頁へ目を戻すと、六つの種族名が並んでいた。
悪魔族、天使族、血鬼族、妖精族、獣人族、そして竜族。人間が魔人と呼ぶ存在だが、種族ごとに記録の量は大きく違っていた。
悪魔族はヴァルケイン方面での遭遇例が比較的多い。それでも、集落や拠点を発見したという記述は見当たらず、どこから現れるのかは分かっていないらしい。
ノルグレン地方では血鬼族と獣人族の記録が多く、古城や生活圏まで確認されている場所もある。一方、天使族について残っていたのは、遠く離れた空を飛ぶ姿が一度目撃されたという記録だけだった。妖精族と竜族に至っては、現代に入ってからの確実な遭遇例そのものがない。
『六種類いるって分かってんのに、見たことねぇ奴もいるのか』
(種族名は、遺跡や古い資料に残っていた呼び方を受け継いだものらしい)
『じゃあ、本当にまだいるのかも分からねぇんじゃねぇか』
(そういうことになるな)
種族についての資料を脇へ寄せ、魔人との遭遇記録を開いた。こちらには年代や場所、同行した聖灯士の名に加え、確認された個体数や交戦の有無、死傷者の数が細かく記されている。
簡潔な報告が続く中に、何頁にもわたる項目があった。未討伐のまま、特に危険と判断された個体の記録だ。本名の分からない相手には、姿や引き起こした現象から識別のための呼称が付けられていた。
「……《凍霧》」
『何だ、それ』
(魔人の呼び名だ。数年前の記録らしい)
ヴァルケイン方面に魔人二体が出現し、周辺の村へ被害が及ぶおそれがあるとして討伐が決まった。一等灯士二名と二等灯士四名が派遣され、戦闘は優勢に進んでいたという。
二体の討伐を目前にして、第三の魔人が現れた。
その直後、一帯が濃い霧に覆われ、気温が急激に下がった。木々も地面も、霧に包まれたものが次々と凍りついていったと、生還者は証言していた。
被害の記された行で、目が止まった。一等灯士一名、二等灯士四名が死亡。唯一帰還した一等灯士も、重傷を負っている。
『……一人でやったのか?』
(そこまでは分からない。ただ、途中から現れたのは一体だけだと書いてある)
『一等が二人もいて、五人死んだのかよ』
派遣された者たちの名と階級を確かめたが、読み違いではなかった。討伐対象だった二体も、後から現れた個体も、その後は姿を消している。同一個体だと断定できる再遭遇の記録もなかった。
種族も性別も不明で、正確な姿さえ分かっていない。霧の中でどんな魔法が使われたのかも分からず、残っているのは濃霧と広範囲の凍結、そして五人の死者という結果だけだった。
エインはしばらくその頁を見つめてから、続きを開いた。
◇
次に目に留まった項目には、呼称ではなく人名が記されていた。
「エリザベス・オレアンダー……」
『名前が分かってる奴もいるのかよ』
(本人が名乗ったらしい。血鬼族と推定されている)
ノルグレン地方を中心に、複数の遭遇例が残されていた。《凍霧》とは違い、別の年代や場所の報告が、同じ名の下にまとめられている。
最も大きな被害は、北部の村一つが壊滅した事件だった。多数の村人が殺され、その後の遭遇では聖灯士にも複数の死者が出ていた。
だが、村の報告を読み進めると、生存者の証言があった。ただ逃げ延びたのではなく、エリザベス自身が一部の村人を殺さず、村の外へ出したという。
『……何だこれ』
別の遭遇では、聖灯士と言葉を交わしただけで、戦闘にならずに立ち去っていた。人間を殺した記録と、生かして帰した記録が、同じ人物の項目に並んでいる。
(殺した相手と、見逃した相手の違いが分からないな)
村の報告へ戻り、生存者の証言を辿った。何か理由になる言葉でも残っていないかと探したが、そこに書かれた内容だけでは判断できなかった。
『魔人に人間の理屈が通じるとは限らねぇだろ』
(それはそうだが。《凍霧》なら、追い詰められた二体を助けに来たとも考えられる。こちらは、何をすれば殺されて、何をすれば見逃されるのかも分からない)
『……会いたくねぇ相手だな』
さらに後年の記録では、単独で確認されていたエリザベスが、二人の魔人を伴って現れていた。
同行者は女と男が一人ずつで、どちらも血鬼族と推定されている。氏名は不明だが、交戦前の短い会話を、生還した聖灯士が聞いていた。女は「エリザベス様」、男は「陛下」と呼び、その下には男の発言が書き留められている。
「陛下には、女王としてのお立場を今一度思い出してもらいたいものです」
『女王?』
同行者の呼称と発言から、血鬼族の中で高い地位にあると推測されていた。ただし、女王であるという確証はないらしい。
(そう呼ばれていたのは確かなようだ。本当にそうなのかは確認されていない)
『そんな奴が一人で村を襲ったり、人間に話しかけたりすんのかよ』
(魔人に人間の理屈が通じるとは限らない、だろう?)
『……そうだったな』
頁をめくると、また別の遭遇記録が現れた。名前が分からず外見だけが書かれた個体もいれば、帰還者がおらず、現場の痕跡から魔人との交戦が推測されている事件もある。
年代も場所も違う記録を辿りながら、エインは次第に頁をめくる手を緩めた。
(……私たちは、魔人のことをどれほど知っているんだろうな)
『随分読んでたじゃねぇか』
(ここにあるのは、人間と遭遇した時の記録ばかりだ。その前に何をしていたのか、立ち去ったあとにどこへ戻ったのかは、ほとんど書かれていない)
エリザベスは他の魔人から女王と呼ばれ、《凍霧》は討伐されかけた二体を助けたのかもしれない。人間を襲っていない時の彼らにも、暮らしや他者との関わりはあるはずだった。
脇へ寄せた種族の資料へ目を向ける。悪魔族の集落がどこにあるのかさえ、人間には分かっていない。
(向こうは、人間についてどこまで知っているんだろう)
『知ってりゃ襲ってこねぇってわけでもないだろ』
(そうだな。知っているから、敵だと思っているのかもしれない)
何を知り、何を理由に敵と見なしているのか。開いた頁へ視線を戻したが、今の資料から答えが出る問いではなさそうだった。
『また考え込んでんな。昨日からずっとじゃねぇか』
(……否定はできない)
「アウル、いたか」
振り返ると、資料室の入口にハロルドが立っていた。
「ハロルドさん」
「随分広げたな。熱心なのは結構だが、少し来てくれ」
机に並ぶ本を見て、ハロルドは僅かに眉を上げた。
「何かあったんですか?」
「任務ではない。お前に会いたいという人が来ている」
エインは開いていた頁へ指を挟んだ。
「私に? どなたですか?」
「……行けば分かる」
ハロルドはそれ以上説明せず、扉の方へ身体を向けた。
『面倒くせぇことじゃねぇだろうな』
(私に聞かれてもな)
資料を閉じ、机の本を順に棚へ戻した。まだ読んでいないものもあったが、相手を待たせたまま続きを調べるわけにはいかない。片づけを終えて廊下へ出ると、少し先で待っていたハロルドが歩き始めた。
◇
案内されたのは、小さな応接室だった。ハロルドが扉を開き、中へ声を掛ける。
「連れてきたぞ」
その後ろから部屋へ入ったエインは、見知った顔に気づいて足を止めた。
「エドガー司祭?」
「久しぶりですね、アウル君」
エドガーは椅子に座ったまま、穏やかな笑みを向けた。その向かいには、銅色がかった赤毛を高い位置で一つに結んだ若い女がいる。椅子に浅く腰掛けていたが、エインたちが入ると、琥珀色の目を真っ直ぐこちらへ向けた。
女は立ち上がり、エインを上から下まで眺めた。遠慮のない視線に、何と声を掛けるべきか迷っていると、先に相手が口を開いた。
「アンタがアウル・ストラウドね?」
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