第二十四話 残された文字
木々の間を抜け、三人は遺跡の正面へ近づいた。
アーチの向こうには土や落ち葉が積もり、その間から石造りの床が覗いている。屋根の大半は失われ、崩れた壁の内側まで木の根が入り込んでいた。
「前に来た時は、少し中を見たくらいです。それ以上は調べてません」
レオンが入口で足を止めると、クラリッサは頷いた。
「十分だよ。下手に動かされていない方がありがたい」
肩から鞄を下ろし、必要な道具を取り出せるよう口を開ける。そのまま腕へ掛け直すと、崩れかけた石壁へ近づいた。
「二人とも、壁にはなるべく触れないでくれ。何千年も残っているからといって、今日も崩れない保証はないからね」
「分かりました」
「それと、何か見つけても勝手に動かさないこと。気になるものがあったら私を呼んでくれればいい」
エインは傾いた柱と、その上に残る石材を見上げた。レオンも足元の瓦礫を確かめ、壁から少し離れた場所へ立つ。
クラリッサは石の継ぎ目を眺めながら進み、半ばから折れた柱の前でしゃがんだ。
「ほら、ここだ。さっき話した装飾が残っている」
指で示された根元には、幾重にも重なる曲線が刻まれていた。表面は風化していたが、土に近い部分には細い溝まで残っている。
「こんな下まで彫ってあるんですね」
レオンが身を屈めると、クラリッサは柱の裏側へ目を向けた。
「ああ。正面だけではないらしい。上が残っていれば、模様の繋がりも確かめられたんだが」
鞄から紙と筆記具を取り出し、残った模様を写していく。エインはその手元を見てから、周囲に転がる石材へ視線を移した。どれも苔や土に覆われ、この柱から落ちたものなのかさえ分からない。
記録を終えたクラリッサが立ち上がると、レオンが先にアーチをくぐった。内側を見回し、奥へ続く足場を確かめてから二人を振り返る。
「通れそうです。右側は石が崩れてるので、気をつけてください」
その後へ続いたクラリッサは、壁に残る装飾を辿りながら歩いていたが、途中で足を止めた。
「文字だ」
石壁の表面に、線を組み合わせた文字が刻まれていた。幾つもの行が上下に並び、その一部を、壁の上から伸びた根が覆っている。
エインにも見覚えのある形はあった。だが、隣り合う文字をどう繋げれば言葉になるのか、分からない。
「読めるんですか?」
「少し時間をくれ。かなり残っているようだ」
クラリッサは紙を取り出し、壁へ近づいた。上から順に文字を書き留め、削れた箇所では顔を寄せたり離したりして、溝の形を確かめている。
レオンは奥の通路を一度確かめて戻ると、少し離れたところから壁を覗いた。
紙へ幾つかの文字を書き足したあと、クラリッサは壁と見比べながら、ゆっくりと声に出した。
「陽を知らぬ地より来たりて
夜を知らぬものが歩む
瞼あるものは目を閉じ
瞼なきものは門を越す」
「血塗られた……は墓となり
我等の同胞を隠すだろう
内に留まることなかれ
鍵はすでにその意味を失っている」
風が崩れた屋根を抜け、足元の落ち葉を動かした。
クラリッサは次の行を見つめていたが、やがて首を横に振った。
「ここも、一部読めなくなっているな」
石の表面が横に剥がれ落ちていた。左端には文字の一部らしい溝が残っているものの、その間には荒れた石肌しかない。
紙に空白を残し、彼女はその下を読んだ。
「……へ影を曳け
眠らぬ眼は我等を見逃さない
今はただ胸に刻み、過去は土に置いて往くといい」
その下にも、文字の跡は続いていた。
だが、壁の損傷はそこから一層激しくなっている。クラリッサは幾つかの形を紙へ写したが、読み上げることはなかった。
「……ダメだ、この先は難しいね。損傷が激しくて読めない」
「すいません。これ、結局はどういう意味なんですか?」
レオンが尋ねると、クラリッサは写した文章へ目を落とした。
「何かに襲われて、逃げるよう促している。そんな印象を受けるけど、これだけじゃ分からないな」
「逃げる……魔人から、ですか?」
「まずは、その可能性を考えるだろうね。旧文明が魔人との争いの末に滅びたという説とも矛盾しない」
クラリッサは筆を止め、欠けた壁へ目を戻した。
「ただ、これだけではまだ分からないよ。欠けている文章もあるしね。残っていない部分を勝手に補えば、自分たちに都合のいい言葉で埋めることになるから」
エインは彼女の紙へ目を落とした。
写された文字の間には空白があり、その下にも、形の一部だけが書き留められていた。
◇
三人はさらに奥へ進んだ。
レオンが先の足場を確認し、エインはクラリッサの近くで、崩れた壁の向こうや通ってきた入口へ目を配った。彼女は何度も立ち止まり、文字や装飾を紙へ写していく。
大きな部屋へ出たところで、クラリッサは記録を終えた紙を鞄へ収めた。
「建物や文字ばかり見てもらったが、旧文明の遺物には、もっと形の違うものもあってね。君たちは巨像を見たことはあるのかい?」
「ないです。名前は聞いたことありますけど」
レオンの返事を聞き、エインも顔を向けた。
「巨像……それも、旧文明が残したものなんですか?」
「ああ。レグナード周辺の広い地域に、今でもいくつか残っている。像と呼ばれてはいるが、普通の彫像を想像すると随分違うよ」
クラリッサは少し考え、言葉を続けた。
「私が見たものは、巨大な胴体から何本もの脚が伸びていた。関節らしきものまであってね。どう見ても、ただ飾るために造ったものには思えなかった」
「動くんですか?」
「今は動かない。ただ、構造を見る限り、当時は動いていたんじゃないかと言われている」
『動く像か。でかさにもよるが、そんなもんが動いていたなんて想像もできねぇな』
(どうやって動かしていたのだろうな)
エインは足元に横たわる石柱を見た。これだけでも人の手で起こすのは骨が折れそうだ。巨大な胴体を何本もの脚で支え、動かすとなれば、どれほどの力が必要なのだろう。
「何のために造ったのかは、分かっているんですか?」
「それも含めて調べているところさ。随分前に見に行ったが、あれは面白かったよ。機会があるなら、君たちも一度見ておくといい」
クラリッサはそう言って、部屋の奥へ目を向けた。
屋根の崩れた箇所から陽が差し込み、石の床を照らしている。壁に残る文字や柱の装飾も、造られた当時は今よりずっとはっきり見えたはずだった。
これらを残した者たちは、巨大な像まで動かしていたかもしれない。その文明が、魔人との戦いで滅びたという。
「クラリッサさん」
「ん?」
「旧文明には、今では再現できない技術があったんですよね?」
「ああ。巨像も、その一つと考えられている」
「なら……どうして今の人間は滅んでないんです?」
クラリッサが足を止めた。少し先にいたレオンも振り返る。
「どういう意味だい?」
「今より発達した文明でも防げなかった相手を、今の人間は防いでいるんですよね。昔と今で、魔人の強さが違うんですか?」
クラリッサはすぐには答えなかった。筆記具を持ち直し、先ほど刻文を見つけた方へ視線を戻す。
「魔人側の勢力が今とは違った、という説はある。旧文明側で内乱や災害が起きていた可能性も指摘されているね。技術が進んでいたからといって、戦いに勝てるとは限らない」
「では、何が違うのかは分かっていない?」
「ああ。どれも、確かめられてはいない」
答えたあとも、彼女はその場を動かなかった。
「ふむ……何故滅んだのか。そして、何故今は滅んでいないのか。か」
顎へ手を添え、考え込む。
「私は前者ばかり考えていたな」
「クラリッサさん?」
「いや……少し待ってくれ」
鞄から先ほどの紙を取り出し、写した刻文へ目を落とした。
「魔人側が変わったのか、人間側に何かが加わったのか……。だが、それなら……」
途中で声が小さくなり、筆が紙の端を動き始める。レオンが何か言いかけたが、クラリッサは顔を上げないまま片手を軽く挙げた。
「すまない。今、少し考えたい」
レオンは口を閉じ、エインと顔を見合わせた。そのまま肩を竦め、近くの壁の切れ目から外へ目を向ける。
エインも返事を待つのをやめた。自分の疑問に答えが出たわけではない。それでも、紙へ次々に書き込んでいく彼女を見ていると、尋ねてよかったとは思えた。
しばらくして、クラリッサはようやく顔を上げた。
「悪かったね。続きを調べよう」
「もういいんですか?」
「いいわけじゃないさ。考えることが増えただけだ」
紙を鞄へ戻す顔は、どこか楽しそうだった。
三人は部屋の奥へ向かった。先へ続く通路は狭く、レオンは倒れた石材を避けながら進んでいたが、崩れた壁の手前で足を止めた。
「クラリッサさん。こっちにも何かありますよ」
指した先では、壁の表面を蔦が覆っていた。その隙間から、文字とは違う長い線が見えている。
クラリッサは近づくと、石に絡みついていない蔦を選び、慎重に横へ避けた。
「これは……」
現れたのは、いくつもの人影と、その向かいに描かれた遥かに大きな何かだった。
長い年月に削られ、細部は失われている。それでも、巨大な胴体から伸びる何本もの脚だけは、はっきりと残っていた。
クラリッサが一歩近づいた。
「…… 巨像だ」
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