第二十三話 遺跡の研究者
「ああ、君たちが今回同行してくれる聖灯士か」
女性はペンを置き、顔を上げた。深い焦げ茶色の長髪を襟足で一つに束ね、細い縁の眼鏡を掛けている。すっきりと整った顔立ちに、眼鏡越しの灰緑色の瞳が印象的だった。その目が、エインとレオンを順に捉える。
「はい。アウル・ストラウド三等灯士です」
「同じく三等灯士。レオン・フォードです」
「クラリッサ・ヴェルナー。レグナードで遺跡の研究をしている。今日はよろしく頼むよ」
クラリッサは机に広げていた紙をまとめ、その視線をレオンへ向けた。
「君がレオン君か。一度、現地まで行っているそうだね」
「はい。候補生の時ですけど」
「なら、道案内は任せていいかな?」
「大丈夫です。場所は覚えてます」
「助かる。森の中で道を探す時間ほど惜しいものもないからね」
まとめた紙を鞄へ収め、クラリッサは椅子から立ち上がった。背が高く、服越しにも豊かな胸元と、すっきりした腰の線が分かる。足元の荷物を確かめてから鞄を肩へ掛け、二人へ向き直った。
「では、早速だが行こうか」
◇
三人は支部を出て、東へ向かった。
途中までは巡回路を使い、やがてレオンの案内で北へ続く細い道へ逸れた。人が踏み固めた跡も次第に薄れ、足元には木の根や湿った土が目立ち始める。
「前に来た時も、ここから森へ入りました。遺跡まではもう少しかかります」
先頭のレオンが振り返ると、クラリッサは「分かった」と頷いた。
外域を歩くことには慣れているらしい。張り出した枝を避け、沈みやすい土を踏まないよう足を置きながら、二人の後ろをついてくる。足場の悪いところでも、無理に先へ出ようとはしなかった。
『思ったより普通のやつだな』
(何を想像していた?)
『普段は部屋にこもってる奴らだろ? 外域に出ても、文句ばっかり言ってきてちっとも進まねぇのかと思ったぜ』
(偏見だな)
『研究者なんて知らねぇんだから、仕方ねぇだろ』
エインが後ろの足取りを確かめたところで、レオンが足を止めた。
「何かいる」
前方の茂みが大きく揺れ、荒い鼻息が聞こえた。エインはクラリッサの前へ身体を移し、剣の柄へ手を置く。
「少し下がっていてください」
「ああ」
クラリッサが足を引くと、黒い塊が枝葉を押し退けて現れた。煤のような剛毛に覆われた猪の魔物で、口元から太い牙が突き出している。
「グルームボアか。俺がやる」
「ああ。こちらは任せてくれ」
エインの返事を聞き、レオンは木々の間隔が広い方へ進んだ。魔物の頭がそちらを追い、二人から離れていくレオンへ牙が向く。
剣へ僅かに魔力を流すと、刀身に刻印が浮かんだ。
「灯よ、魔を断つ刃を与え給え」
レオンが剣を構えると、全身に纏う魔力が緑色を帯びた。グルームボアが前脚で土を掻き、地面を蹴った。
黒い巨体が真っ直ぐ迫る。
レオンは牙が届く寸前で横へ踏み込み、通り過ぎる魔物の前脚へ剣を振るった。付け根に刃が入り、甲高い声とともに血が散る。
グルームボアは勢いのまま数歩進んだが、傷ついた脚が崩れ、肩から地面へ倒れ込んだ。それでも牙をこちらへ向けようと、土を掻きながら身を起こす。
レオンはすぐには近づかなかった。頭の動きに合わせて横へ回り、傷ついた前脚へ重みがかかったところで踏み込む。
魔物の身体が再び沈み、回りきらなかった首の側面へ刃が走った。
血を散らして身をよじったグルームボアは、そのまま地面へ倒れた。しばらく脚が落ち葉を掻いていたが、やがてそれも動かなくなる。
レオンは剣を構えたまま周囲を見回した。
「一体だけみたいだな」
エインも木々の間や茂みを確かめたが、ほかに動くものは見当たらなかった。
「こちらも何も見えない」
「なら、進もう」
二人が歩き出そうとすると、後ろから声が掛かった。
「ちょっと待ってくれ」
クラリッサが倒れたグルームボアへ近づき、その前にしゃがみ込んでいた。眼鏡を指で押し上げ、黒い剛毛や牙、斬られた脚を眺めている。
「何か気になることでも?」
エインが尋ねると、彼女は魔物へ目を向けたまま答えた。
「いや、異変を見つけたわけではないよ。私は魔物の専門家ではないからね。ただ、こんな至近距離で観察する機会はそうそうない」
「専門外でも調べるんですか?」
レオンの問いに、クラリッサは顔を上げた。
「知らないものが目の前にあるのに、見ない理由もないだろう?」
「そんなもんですかね」
「そんなものさ」
太い牙を横から眺めたあと、クラリッサはようやく立ち上がった。
「ありがとう。もういいよ」
「は、はい……」
レオンは少し戸惑った顔をしてから、剣を鞘へ収めた。
『やっぱ変なやつじゃねぇか』
(……任務に支障がなければ構わないだろう)
◇
三人は再び森を進み始めた。
しばらく歩いたところで、クラリッサが二人へ声を掛けた。
「ところで、君たちは旧文明の遺跡についてどこまで知っている?」
レオンが頭上の枝を押し上げ、二人を通してから答えた。
「昔この辺りにあった文明の遺跡で、今よりずっと高度な技術を持っていた、とかですね。建物だけじゃなく、道具や記録も見つかるって」
「大まかにはそんなところだね。アウル君は?」
「東西では造りが違うと習いました。地域や時代の違いだと」
枝の下をくぐったクラリッサが、エインへ目を向けた。
「そう考えられているね。この辺りで見つかるのは、装飾の多い石造りの遺跡が中心だ。メルシアにも、ヴァルケインの森にも残っている。一方、西のオルディスでは、直線的で装飾の少ない施設が多い」
「文字にも違いがあるんですか?」
「ある。装飾の多い石造りの遺跡には、現代の言葉に近く、比較的読みやすい文字が残っていることも多い。もちろん、欠けていたり、今は使わない言葉が出てきたりして、読めない部分もあるがね」
クラリッサは足元の根を跨ぎ、続けた。
「西はそれ以前の問題だ。文字なのか記号なのか、それすら意見が分かれるものがある。使われている材質もよく分からない。何十年調べても、解読がほとんど進んでいないのが現状だ」
「随分違うんですね。同じ旧文明の遺跡でも」
レオンが言うと、クラリッサは僅かに肩を竦めた。
「そういうことになっている」
エインは彼女の横顔を見た。
「地域や時代の違いでは、説明できないんですか?」
「説明はできるよ。長く続いた文明なら、土地によって文字や建物の造りが違っていてもおかしくない。時代が変われば技術も変わる」
クラリッサはそこで一度言葉を切り、二人を見た。
「だが、それで説明はできても、納得ができるかは別問題だろう?」
エインは足元へ視線を戻した。教本には、違いがあることと、その理由が続けて書かれていた。どこまでが確かめられた事実なのかは、意識していなかった。
「その違いを繋ぐ記録は、見つかっているんですか?」
「少なくとも、私が納得できるものはまだね。皆がそう言っている、だけでは済ませられないんだよ」
「じゃあ、クラリッサさんは別の理由があると思ってるんですか?」
レオンが振り返ると、彼女は首を傾けた。
「さあ。分からない。だから調べているんだ」
エインは頷いた。
先頭へ視線を戻したレオンが、歩調を緩めた。
「そろそろです。この先のはず……」
枝を押し退けると、木々の間に少し開けた場所が現れた。クラリッサも横へ並び、その先で足を止める。
「あれか」
苔と蔦に覆われた石造りの壁が、森の中に残っていた。崩れかけたアーチの向こうには石柱が並び、奥へ続く通路の縁を示している。
クラリッサは肩の荷物を掛け直し、壁の上から柱の根元へ、ゆっくりと視線を移した。
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