第二十一話 棘背蜥
結局、茂みの奥にいたものは姿を見せなかった。エインたちは周囲を警戒しながら森を抜け、拾った鱗を持って支部へ戻った。
その正体が判明したのは、その日のうちだった。支部に保管されていた魔物の記録と照合した結果、特徴の一致する種が見つかったらしい。
翌朝、ハロルドは机の上に置かれた灰褐色の鱗を指先で弾いた。
「棘背蜥だ。第五等級。森や岩場に棲む魔物で、背中から尾まで硬い鱗に覆われてる。珍しい奴じゃない」
「群れることもあるんですか?」
「ああ。単独のこともあるが、数体でまとまることもある。昨日の足跡の報告を見る限り、そっちだろうな」
エインは机に広げられた地図へ目を落とした。狩人から教えられた場所には印がつけられ、その周囲には、イネスと確認した爪痕や足跡の位置も書き込まれている。
「村を襲う危険は?」
「第五等級だ。正常な聖杭の結界は破れない。ただ、あの辺りを餌場にされると、街道を通る人間や森へ入る狩人が危ない」
ハロルドは鱗から手を離し、二人を順に見た。
「昨日の場所をもう一度確認しろ。見つけたら討伐していい。ただし、想定より数が多ければ戻れ。森の奥まで追い回す必要もない」
「分かりました」
エインの隣で、イネスも「はい」と頷いた。
「無理して全部殺そうとするなよ。目的は村の周辺から危険を取り除くことだ」
ハロルドは机の地図を折り畳み、二人へ差し出した。
「行ってこい」
◇
昨日と同じ森へ入ってから、それほど時間はかからなかった。
湿った土の上には、四本指の足跡が残されていた。イネスはその一つにしゃがみ込み、崩れていない縁を指先で確かめる。
「新しいね。まだ近くにいるかもしれない」
立ち上がる拍子に頬へ落ちた髪を耳にかけ、足跡の続く先へ目を向けた。
昨日より奥へ進むにつれて痕跡は増えていった。踏み荒らされた草の間には小動物の骨が散らばり、木の根元には乾ききっていない糞も残されている。
『居着いてるってのは当たりっぽいな』
(ああ)
エインは剣の柄へ手を添えた。足跡は一方向へ続いているわけではなく、この辺りを何度も行き来したらしい大小の跡が幾重にも重なっていた。
その先で、イネスが足を止めた。声は出さず、右手を僅かに上げる。
エインも立ち止まって視線を追うと、倒木の陰から灰褐色の太い尾が覗いていた。やがて低い身体がゆっくりと姿を現す。
大型犬ほどの大きさをした四足の爬虫類だった。全身を覆う鱗のうち、背中から尾にかけて並ぶものだけが、棘のように鋭く隆起している。
その後ろで枝が揺れ、二体目も姿を見せた。まだこちらには気づいていないらしい。
イネスが剣を抜いた。
「私がやるね」
「一人で?」
「うん。周りを見ていて」
それだけ答えると、イネスは前へ出た。
『随分あっさり行くな』
(任せてみよう)
『一応、いつでも動けるようにしとけよ』
エインは剣に手をかけたまま、周囲の茂みにも目を配った。
数歩進んだところで、一体目のスパインリザードが頭を上げた。細い瞳孔がイネスを捉え、喉の奥から低い唸り声が漏れる。それに反応して、もう一体も身体の向きを変えた。
先に動いたのは右側だった。地を這うような低い姿勢から、勢いよく距離を詰めてくる。
「灯よ、魔を祓う力を示し給え」
聖句とともに刻印が淡く光り、イネスは剣を払った。前方へ広がった黒い魔力がスパインリザードに触れ、その勢いを僅かに鈍らせる。
迫る牙を横へかわし、首元へ刃を走らせた。血は散ったが、浅い。すぐさま振り回された太い尾を屈んでやり過ごし、間合いを取り直す。
その間に、二体目が横から回り込んできた。
イネスは正面の一体を間に置くように動き、二体目の接近を阻んだ。首を傷つけられた個体がこちらを追い、再び地面を蹴る。
「灯よ、魔を断つ刃を与え給え」
補助を切り替え、牙をかわしながら横腹へ斬りつける。だが、刃は硬い鱗に弾かれた。
二体目が仲間を避けて迫ってくる。イネスは距離を詰められる前に、刃先へ黒い魔力を集めて踏み込んだ。
スパインリザードが身を捻り、硬い背を向ける。
今度は、その鱗ごと斬り込んだ。
刃の触れた一点へ黒い魔力が流れ込み、鱗が割れる。深く肉を断たれた魔物が傾くと、イネスは首の付け根へ剣を突き込んだ。
崩れた身体の向こうから、二体目が飛びかかってきた。
剣を引き抜きながら左手を向け、黒い魔力を放つ。突進が僅かに鈍った隙に横へ逃れ、そのまま通り過ぎる後脚の付け根を斬った。
脚が崩れ、灰褐色の身体が地面へ倒れ込む。起き上がろうとする首へ剣を振り下ろすと、鈍い音とともに動きが止まった。
二体が動かなくなったことを確かめ、イネスは小さく息を吐いた。
「……終わったよ」
エインは周囲に新たな気配がないことを確かめ、近づいた。
「黒の減衰、か」
「そう」
足元に倒れた二体へ目を向ける。
「動きを鈍らせるだけじゃなく、鱗まで脆くできるのか。かなり強力な特性だな」
イネスは剣についた血を拭いながら、僅かに首を傾けた。
「そう単純な話じゃないよ。相手に作用させると、相手の魔力に抵抗されるから」
拭い終えた剣を軽く持ち上げ、倒れた魔物の背を示す。
「さっきみたいに広く使えば、少し鈍らせるくらい。鱗も全部を弱くしたわけじゃないよ。斬るところだけ」
「範囲を絞った方が通しやすいのか」
「うん。それでも、相手が強ければ押し返される。ほとんど効かないこともあるよ」
エインは改めて二体の死骸へ目を落とした。
『相手の魔力と力比べってわけか』
(そういうことだろうな)
「それなら――」
続きを尋ねようとしたところで、イネスの視線が森の奥へ動いた。エインも振り向くと、茂みの向こうで枝が揺れていた。
別々の方向から近づいてきた気配が、木々の間から姿を現す。先ほどと同じスパインリザードが、今度も二体いた。
『これで四匹か』
(まだ他にいる可能性はある)
エインは剣を抜いた。
「次は私がやろう」
「大丈夫?」
「おそらくな」
イネスは一瞬だけこちらを見たが、止めはしなかった。
「……そう。じゃあ任せるね」
一歩退いた彼女と入れ替わり、エインが前へ出た。
「灯よ、魔を断つ刃を与え給え」
聖句に応じて剣の刻印が淡く光り、二体のスパインリザードが唸り声を上げる。
エインは身体に纏う魔力を緑色へ変えた。相手の動きを見ながら、踏み出す脚へ流れを寄せていく。
一体目が口を開け、正面から飛び込んできた。
牙が届く寸前、強化した脚で横へ踏み出す。灰褐色の頭部がすぐ脇を抜けると、通り過ぎる前脚の付け根へ剣を振るった。
硬い背を狙う必要はない。
鱗の薄い部分から刃が入り、魔物は前脚を折るように身体を沈ませた。
追撃する前に、二体目が横から迫る。身体を捻り、太い尾を振り回そうとしていた。
イネスとの戦いで見た動きだ。
尾が回ってくる前に間合いを詰め、腕と肩へ魔力を集めて腹を斬る。血を散らした魔物が地面を転がったところで、アウルの声がした。
『後ろだ』
(分かっている)
最初に脚を斬った個体が、牙を剥いて向かってきていた。
エインは反転し、迫る顎の脇へ踏み込んだ。傷ついた脚では向きを変えきれず、晒された首へ剣を突き込む。
灰褐色の身体が強張り、崩れた。
剣を引き抜くと、もう一体が腹から血を流しながら身を起こしていた。こちらを捉え、再び尾を振ろうとする。
エインは脚へ魔力を集め、一気に距離を詰めた。開いた牙をかわし、持ち上がった首の下へ刃を振り抜く。
血が弧を描き、スパインリザードは地面へ伏した。
剣を構えたまま二体の様子を見守り、動きも呼吸も止まったことを確かめてから、ようやく切っ先を下げた。
『残心も忘れてない。上出来じゃねぇか』
(教官にも君にも、口酸っぱく言われたからな)
『そういうことにしといてやるよ』
エインは返さず、剣についた血を払った。そこで視線を感じて顔を上げると、少し離れた場所でイネスがこちらを見ていた。
「どうした?」
琥珀色の瞳が倒れた二体へ向かい、それからエインへ戻った。
「……ほんとに強いんだね」
「そうだろうか」
イネスは頷き、倒れた二体へ目を移した。前脚の付け根と首元に残った傷を確かめ、それからエインを見る。
「魔力、動くたびに集める場所を変えてたよね」
「ああ。必要なところへ集めている。その方が消耗が少ない」
「やっぱり」
納得したように頷くイネスへ、エインは尋ねた。
「変か?」
「ううん。いいと思うよ」
『そこまで見といて感想それかよ』
(彼女なりに納得したのだろう)
『……まあ、褒めてんのか』
エインは小さく息を吐き、森へ目を向けた。
「周囲も確認しよう」
「うん」
二人は四体の死骸から離れ、周辺を調べ始めた。
足跡そのものは多かったが、少し辿ってみれば、同じ場所を何度も行き来してできたものが大半だと分かる。倒木の裏には浅く掘られた窪みがあり、その周囲には獣臭と、食い散らかされた骨が残されていた。
どうやら、この四体がしばらくここを寝床にしていたらしい。
「ほかの足跡は?」
エインが尋ねると、イネスは周囲を一通り確認してから首を振った。
「居着きそうだったのは、たぶんこの四体だけ。これ以上追う必要もないと思う」
「同感だ」
討伐した数と寝床の位置を記録し、二人は来た道へ戻った。
森を抜けるまで、新たなスパインリザードが現れることはなかった。やがて木々の隙間から街道が見え始めた頃、隣を歩いていたイネスがぽつりと言った。
「昨日よりは暇じゃなかったね」
エインが返事に詰まると、頭の中でアウルが笑った。
『ほらな』
「……そうだな」
調べた限りでは、何か特別な異変があったわけではない。四体のスパインリザードが森の浅い場所へ移り、その一帯を餌場にしていたらしかった。
痕跡を見つけ、正体を調べ、討伐する。巡回の先にあった仕事を終え、二人は村へ結果を知らせに向かった。
エインにとっては、正規の聖灯士になってから初めて、自分たちだけで最後まで片づけた任務だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
二十一話にしてようやく名前のある女の子のキャラ出てきました。
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